エリザベス二世国葬の日
翌月曜日は、エリカにとって手持無沙汰な休日だった。予約の入っていたお宅の評価額査定も、服喪ということで訪問できずキャンセル。
王室信奉者でなくても、「エリザベス2世はいつもそこにいてくれてる」と勝手に心の支えにしていたイギリス人は多い。
同じ女性として凄い人だとエリカも尊敬していて、自分も頑張ろうなんて思ってみても、お隣の訃報や自分への嫌疑が心に重たくのしかかって何をする気にもならない。
普段できていない部屋の掃除を形だけ済ますと、コーヒーを淹れながらキッチンから庭に出ている夫を眺めた。
ウィルはぬぼっとした容姿で朝からのんびりと、庭木を刈り込んだり芝刈りしたり、花の終わった草花を切り戻したりしていた。
夜降った雨が乾かずに、あちこちに露を結びキラキラして、夫に笑いかけているようにも見える。
やっぱりこの人の大らかさが好きだなという感慨と、あなたは何を隠しているのという疑問がエリカの心に相克した。
手入れをする人のいなくなったお隣のシホさんの庭は、足の踏み場もないほどいろいろな植物が生い茂っている。
今エリカの目線から見えるだけでも、垣根を超える高さに伸びる林檎の木の左右に、つるバラ、クレマチス、スイートピーやツルインゲンが一緒に咲いていて、トマトやキュウリも垣根からこちらに溢れてきそうだ。
エリカは、自分の家の庭にある花の名前も全部はわからない。
この国では中古家屋を買うのが普通だから、鑑定士のエリカが仕事にあぶれることはない点はいいにしても、庭には以前の持ち主が植えた知らない花だらけだ。
全て抜き去って新しくガーデンデザインするお宅もあれば、少しずつ好きな花に変えていく人も。
「シホさんと、垣根越しに庭談義なんかもしたんじゃない?」
この3日間、エリカは夫の知らない顔ばかり見せつけられて、心中穏やかじゃない。心許ない独り言がキッチンに漂った。
ふとウィルが振り向いて窓越しに目が合い、夫はくしゃりと照れ笑いする。
エリカは迷いをかき消すように勝手口を開け、「コーヒー休憩にしたら?」と声をかけた。
何となくテレビをつけて、ソファの定位置に2人寄り添う。
画面は相変わらず女王様国葬。ウェストミンスターからウィンザー城へ、棺が馬車で移動されていく経路を追っている。
解説も静かで、急にウィルのPCの横の、金魚の大水槽のポンプの音がエリカの耳についた。
喉が渇いていたのか、ウィルはコーヒーをグッと飲み干すと、両腕をエリカに回して抱え込み囁く。
「イギリスのガーデニングって、毒草に甘いらしいんだ……」
大きな体を縮こまらせて、顔をエリカのうなじあたりに埋めて、どこか痛そうな声。
「シホさんの庭なんて、毒草、薬草が数えきれないほどある。アヘンの採れるポピー、ジギタリス、トウゴマ、サワギキョウ、トリカブト。ガーデンセンターに行ったらどれも何食わぬ顔で売られてる。野菜以外全て毒と思えってのも間違ってないとは思うけど……」
「私にわかるのはジギタリス、キツネノテブクロだけよ? どこのお宅にも大抵あるわ?」
シホさんの死因を考えているのがわかるから、エリカは敢えて明るく答えた。
「知らないだけだよ。でもエリカは知らないままのほうがいい。だって、今言った花の中で、種の粉末が米国ホワイトハウスに何度も送りつけられてるのがある。封筒に入ってね……」
「私が指紋を付けてシホさんに送ったとでも言うの?」
エリカは首に当たる夫の髪の感触を楽しみながら、非難にならないように優しく発音した。
「いや、その毒はコレラみたいな症状になって苦しむ。発作とは言わないだろうな。問題なのは、あの郵便のヘンな宛名、ヘムロック・キーウ。ソクラテスがあおった毒が、ヘムロック、別名ドクニンジンだった。こっちなら発作っぽく見えるかもしれない。これは神経毒で、身体の末端からだんだん麻痺していくらしい。呼吸が止まっても意識は最後まで残るって酷い毒だ。呼吸より先に心停止を起こす場合もあるのかな? それとも何か別件で脅迫されて、心臓の負担になったとか……」
「なんだ、楽しそうにガーデニングしてたと思ったのに、そんなクラいことばかり考えてたの?」
エリカが心して明るく明るく、言葉を挟むと夫は即答する。
「そりゃ、エリカが疑われるとしたら僕が論駁しなくちゃ」
「あら、私はあなたが疑われそうで恐いわよ?」
「うん、やろうと思えば、できる……、何が起こったか、再現しようと思えば似たようなことは……」
「ウソでしょ?!」
エリカが急に体を起こし、ウィルはソファの肘に、腕ごと跳ね飛ばされて目を丸くした。
「シホさんの持病には急激なストレスがよくない。確実に発作を起こさせて殺すことはできなくても、悪意のある郵便は送れる……」
「持病、何だか知ってたのね。そんなに仲良かったの? シホさんと……」
「いや、一度だけ、」と聞こえたところでエリカは立ち上がり、鍵掛から玄関のキーを掴み取ると、サンダル履きで外に飛び出して行った。