シホがもたらした涙と笑顔の数々
「15日木曜日、あなたは女王様の棺に弔問に行かれた。サザークパークで受付、リストバンドをもらい、行列は4キロとも7キロとも言われた。行列の待ち時間は最短でも3時間、最終日は15時間まで伸びました。あなたは途中で気分が悪くなったのでしょう」
「凄い人出でしたから、途中の休憩室で休ませてもらいました」
「というシナリオで、休んだのは数分だけ、ボランティアさんにお礼をいうと、地下鉄ジュビリーラインに飛び乗り、ストラトフォードへ。そこでハイスピード特急に乗り換えこの町に来た。片道40分、待ち時間入れても2時間あれば往復できる。ロンドンに戻り、行列の最後尾に再度並ぶか、心優しい休憩所の人にリストバンドを見せて、真ん中あたりで再合流。しかし、それさえしなければあの郵便の差出人は迷宮入りだったのに」
恵梨香がまたウィルの灰青色の瞳を見上げた。
「どうしてあの巾着が庭中掘り返さないで発見されたと思います? 僕がうちの2階から見てたからです。あなたがわざわざシホさん愛用のサファリコートまで羽織って埋めるのを」
恵梨香は少し赤らんだように見えた。
「あなたは叔母さんの身を案じて来たんですか? それとも作戦の首尾を確認するため? 友人とパリに行くことになったと連絡すると見せかけて、あなたはシホさんに何度も電話している。何度かけても返答がないことから、既に死んでるのわかってたでしょうに、金曜日の発見まで2日間近く、放置したんですね?」
「そんな酷いことが言える方だなんて思ってませんでした……」
「木曜日に巾着という証拠を隠滅しに来てしまったから、再度来ざるを得なくなった。後々考えると髪の毛が落ちたかもしれない、指紋は拭いたけどどこかで自分の関与が発覚するかもと恐ろしくなった。だからあなたは急遽フライトを変更した。深夜にわざわざ明りを点けて自分の存在を知らせ、落ちている髪の毛は昨日から今日にかけて落ちたものだと思わせようとした。それとも、シホさんの家をどうやったら相続できるか、知りたかったんですか?」
恵梨香がくるっと振り向いて、ウィルの頬に平手打ちを喰らわせようとした。
でも、ウィルの身長は190センチ、15センチ近く差があれば、ウィルでも未然に、楽々と女の手首を掴むことができた。
シホさんと同じアースカラーの瞳が近づく。
中が茶色で外に行くほどだんだん青くなる、不思議な瞳の色だ。
ウィルは心の中で祈る。どうか、自分の予想を悉く裏切ってくれと。最悪を想定した悲観的な自分を嘲笑できるように。
シホさんを殺したいなんて思ってなかったと、言ってくれと。
ウィルは恵梨香の瞳の色に負けて、ヒントを出すことにしたのかもしれない。
「ほら、あなたが訂正しないからです。トラップを放置するから」
「もう、そのトラップって何のことです!」
「僕はさっきあなたが、巾着内に致死量のビャクリロコンを入れたと言った。違ったんじゃないですか?」
恵梨香はハッと手を口にやり、ウィルを見つめる。その瞳からじわじわと、涙が込み上げてきた。
「ビャクリロコンは副作用の激しさもあるけれど、熟練したチャイニーズ・ハーバリストでも、適用量が読み切れないからこそ、使用しなくなったという記事も読みました。あなたは絶対に殺せる量を入れたわけじゃない。愚かなジョークだったのではないですか? ヴェラトルム・アルブムの中毒例に、ドイツのくしゃみパウダー事件があります」
止めどなく流れる涙を拭いもせずに、恵梨香は立ち止まってウィルの次の言葉を待った。
「ブーブークッションのようなものです。おならの音をさせて恥をかかせる。そんなの面白くもなんともないと思うんだが、1983年ドイツで作られていた他人にさんざんくしゃみをさせる『くしゃみパウダー』の中にヴェラトルムが含まれていた。シホさんの鼻腔にも炎症痕があったらしいから、彼女もたくさんくしゃみをしたんだろう。偉ぶった校長先生とかに使いたくなるのはわからなくもないけど、その時は、北欧でティーンエイジャーが9人も中毒してしまった」
しゃくりあげだした恵梨香の口から洩れた最初の言葉は、
「誰も信じてくれないと思った……」
だった。
「だから、言えないって、全部隠さなきゃ、絶対殺人犯に、されるって……、お母さんが、女王様の訃報を聞いた時『クィーンよりシホさんに死んでほしいわね。アンタ遺産もらえるでしょ』なんて言っちゃって、だから、ほんとに……」
やっと人間らしさが見えだした20代半ばの女性を、ウィルは中学生くらいの感覚で優しく見つめた。
「お母さんだってシホ叔母ちゃんの財産狙ってたわけじゃなくて、もうちょっと助けてほしいって思ってただけで、私だってもっと、いろいろ話したかったし、元気でいてくれて相談に乗ってくれるほうが絶対によかった……」
「僕も、そう思いますよ。あなたの叔母さんは、静かなのにいろいろ知ってて、微笑んで話を聞いてくれる、ステキな女性でした……」
ウィルは言葉の調子を変えて、なじった。
「自分の叔母にくしゃみをさせることに何の意味があったというんだ!」
恵梨香は長い沈黙の後、意を決したのか呟く。
「日本では……くしゃみをすると人に噂されている、って言うんです……、日本に帰ってきてくれない叔母のこと、母と私は噂してる、母は祖父の介護で疲れ切っていて、手伝ってくれないことを恨みに思ってるって暗に伝えくて……」
それだけなら、手伝ってとメールすればいいことだ、会いに来て説得すればいい、とウィルは頭を振った。
手をかけて愚かなサシェを作って、自分に足がつかないよう入念に細工したこの若い女性の中に、殺意がゼロだったとは、言えない。
しかし、彼女を殺人犯にすることも、シホさんは望んではいないだろうと、ウィルは思い直す。
それを見越したような質問を恵梨香が発した。
「あの、私がシホ叔母さんを殺してしまったんでしょうか?」
「あなたの人生のために、僕は包み隠さず本当のことを言います。シホさんの持病の薬とビャクリロコンの相性はとても悪いものだった」
「あ、神経伝達系……」
「そう。意識しなくても動いてくれている心臓がゆっくりになって、拍動が止まった」
「やっぱり、私のせいだ」
恵梨香は芝生の上に崩れ落ちた。
「もう二度とそんなことが起こらないように、あなたが患者さんの体調全てを考え合わせて調剤できるように、シホさんは伝えたかったんじゃないですか? 立派な薬剤師になりなさいって」
ウィルも芝生に膝をつき恵梨香と同じ高さになって、自分にも言い聞かせるように柔らかく発音した。
小さく縮こまった恵梨香の肩がしゃくりあげなくなってきた頃、
「ハロー、ウィル、あら、お客様?」
と、最愛の妻の声がした。
「あ、うん、シホさんの姪御さん。明日、遺体の身元確認でちょっと心配だから、うちに泊まってもらうことにしたんだけど、よかったよね?」
ウィルはゆっくりと立ち上がり、それにつられるように恵梨香も立った。
「もちろんよ。初めまして、あ、もしかして、恵梨香さん? シホさんが私と同じ名前だって言ってた!」
「はい、こちらこそ、初めまして」
「うわー、シホさんによく似てる。っていうか、とっても若く、可愛いっていうより美人にした感じ」
「エリカさんもブロンド、ステキです」
ふたり仲良くできそうだと見てとったウィルはホッとして、さあさあ家に入ろう、ちょっと冷えてきたと促した。
ー◇ー
3週間後、シホの葬儀が執り行われ、式の模様は動画で日本にも送られた。
デイルもアイルランドからわざわざ来てくれた。
前の職場サファリパークからは、ステファニー以外にも6名が出席、シホが好かれていたことがわかり、葬儀を段取りしたエリカとウィルは嬉しく思った。
また、ステファニーも満面の笑みだ。
葬儀一式の費用を合わせても彼女の借金額、6000ポンドには全く届かず、余った2000ポンドほどは借金のほうを棒引きすると、バンクスが決めたからだ。
彼女のオーストラリアの息子は手に職を付けて経済的に独立し、借金のほうはステファニーがウィルたちに、少額ずつ毎月自動振替にするよう手配し、気持ちも楽になったのだろう。
バンクス刑事とウィルは、そんなお金の相談などをしていたはずなのに、完璧に意気投合してしまって、普段から、時間が合えば一緒にパブに行く仲だ。
エリカとヒラリーも同席することが多かった。
故人の死を悼むというより、生を祝福する意味合いを強くした宗教色抜きの葬儀の後、「故人の思い出を偲ぶ会」のため、参列者は近くのカフェに場所移動することになった。
しかし、バンクス刑事とヒラリー巡査部長は、葬儀だけで失礼し、職場に戻ることにした。
冷たく沁みる秋の風に吹かれながら、火葬場の駐車場に停めた覆面パトに2人で向かう。
黒いドレスを着たヒラリーは、スラリとした足が特に綺麗だとバンクスが横目でチラチラ眺めていると、
「それで、いつになったらデートに誘ってくれるんですか?」
と、鋭い言葉が飛んできた。
「で、デート? オレはバツイチの中年だぞ?」
バンクスには、ジョークで返す余裕もない。
「それが、何か?」
片眉を上げるヒラリーのいつもの表情がバンクスにはとても可愛く見え、今後尻に敷かれる覚悟はできた、と笑い返した。
―了-
読んでくださりありがとうございました。
公式企画締切間近のアップとなり、推敲も甘いですが、どうかお許しを。
アルカロイド、毒草、薬草では遊ばないでください。
身の周り、ほんの近くに、実は危険な植物が生えてます。
山菜と間違える中毒も多いので、老婆心ながら。




