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庭の散歩ーウィルの罠


 ピンクの秋明菊が揺れる横を通りすぎ、ウィルはおもむろに口を開いた。


「じゃ、お葬式の手配、任せてもらっていいですね? 最近ではライヴでネット参加できたり、録画を送ったりもできるので、日にちが決まり次第知らせます」


「はい、ありがとうございます。父が、お金のこと、ご迷惑にならないようにすると思いますので」


「あ、それは大丈夫なんです。他にもお友達がいるので、僕の大きな負担になることはありません」


 泣いていた割には理路整然とした言葉が返ってきて、それがウィルには逆に好ましかった。

 感情的な面も見せてくれて、それを制御できる、話の通じる大人だと、やっと思えたのだ。


「こちらに残れず申し訳ありません。これでも今年は6年制の大学を卒業しなくてはならず、国家試験にも通らないと、留年はダメだと親に言われて」


「国家試験、薬剤師さんですね、日本ではなるの難しいのですか?」


「はい、私には……。大学を選んだときはお金が高くても、薬剤師になれるまで頑張れといってくれたのに、うちも大変で、試験に落ちたら就職、することになりました……」


「再挑戦できないのはプレッシャーですね」


「はい。就職したら独り暮らしできるから、その点はいいんですけど」


「そうですか。自宅で祖父を介護するというのも大変ですよね」


「はい……」


 ウィルは何かこの辺に、恵梨香がシホに悪感情を抱いた元があると感じている。

 シホの兄とシホの間では話はついていても、他の家族がどういっているのか。


「ご兄弟はいるのですか?」


「いえ、私だけです。だからもっと母の手伝いをしなくちゃとも思うのですが、私には介護士や看護師は向いてないようです……」


 恵梨香の祖父の介護をしているのは、もっぱらシホさんの義理の姉、血のつながった兄自身じゃない。


 日本では、社会人は自分の時間がないほど、働き詰め、家庭が疎かになるという話も聞いたから、恐らく専業主婦の彼女に任せきりなのだろう。


 家に寝たきり老人が運び込まれ、恵梨香の生活は急変した。


 母は祖父の介護に疲れ、愚痴をこぼすこともあるだろう。おしもの世話など必要なら、その苦労は生半可じゃない。


 恵梨香の中に、新しい状況に前向きに取り組めるだけの胆力があったらよかったのかもしれない。


 だが疑問なのは、来英してから既に10日、ウィンザー城にも行き、パリにも行き、着ている服もブランドもので、お金に困っているようではない。


 国家試験に落ちたとしてもバイトをして再度挑戦するという言葉は出てこない。

 親に与えられることに慣れ過ぎていて、自分で人生を開拓していく力が不足しているように、ウィルには感じられた。


 自分の人生に対する不満、もやもや感を、海外で独りいい暮らしをしていると思われている叔母シホへ、丸ごとぶつけてしまったのかもしれない。


 庭の一番奥に芝刈り機などを入れている物置小屋があって、その前に直径5メートルの円形のパティオがある。

 舗石が敷いてあり、小さなテーブルとイスを出して、たまにウィル夫妻が暮方の景色を見ながら、ワインなど飲む場所だ。


 円の中心に立つと、自然の力が周囲から自分に流れ込んでくるような気がする。

 強くもなれるし、正直にもなれると、ウィルは感覚的に信じていた。

 

 ウィルは横に立ち止まった恵梨香を見下ろす。


「なぜあんなものを送ったのですか?」


 恵梨香の肩はビクンとしたが、顔色は変わらず、何のことかと聞き返した。


「間違っていたら訂正してください。キモノの布地の巾着。中にローズティーのバラのつぼみをたくさん。晴れた日に大学の薬草園で摘んだラベンダー、ローズマリー、タイムの花や葉。それだけだったらオシャレな、サシェです。この先が少し自信が無い。というのも、イギリスには、粉薬を飲む習慣がないから。日本のネット通販サイトで該当するものを見つけたからきっとそうだろうと思うだけで、実物は見たことがない」


 恵梨香は何の話かという顔で、辺りの草花を眺めはじめた。


「オブラート、オランダ語かな。ジャガイモの澱粉で作られた、薄い膜ですよね? 粉薬を包んで飲む。あなたはオブラートで粉末を包んで、その巾着の中に入れた。名前はビャクリロコン、バイケイソウの根茎です」


 知らんぷりする女の黒髪の上に、ウィルは言葉を落としていく。


「粉末は研究のためかサンプルとしてか、あなたの大学にあったのでしょう。薬包紙に包まれている少量ずつを、あなたは大学の実験台、おそらくドラフトチャンバーでオブラートに移し替え致死量にした。ハーブと一緒に巾着に入れ、ジップロックのビニール袋か何かに入れてイギリスに持ってきた」


 ロビンのさえずりが止まった。庭の気温が若干下がってきたのか、恵梨香は両手をクロスして上腕を擦った。


「9月12日、到着の翌日、あなたは郵便局に行って『折り曲げ厳禁』の封筒を買い、シールに打ち出した宛名を貼り、Shake and Smellの紙を入れ、ビニール袋から巾着を取り出した。大事なのはここです。封筒に入れる前に、バラの香水を巾着に垂らした。オブラートが融けるように」


 西の空の太陽の前を白い雲が通り過ぎていく。


「そして困ったことにその郵便は、翌日僕のうちに配達されてしまった」

「え?!」


 恵梨香が初めて驚いた。

 ウィルはしてやったりと心の中でガッツポーズをした。


「妻がその日のうちにシホさんの郵便受けに入れ直して、シホさんはキッチンにでもいたのか、外の雨音のせいか、郵便受けの音に気付かなかった。死の郵便を開けたのは、14日水曜日の朝。あなたがシャーロッキアンだと知っていたのか、巾着を見てあなただと思ったのか、シホさんは何の疑いもなく巾着を振って深々と匂いを嗅いだ。中でオブラートが融け、水分はバラのつぼみに吸われていた巾着は、存分にビャクリロコン、ヴェラトルム・アルカロイドをまき散らしたってわけだ」


「お詳しいですね。あの泥だらけの巾着のことでしょう? よくご存じのあなたが作ったのでは?」


 ウィルはフッと笑った。

「そのお言葉も想定通りですよ。残念ながら、バイケイソウはイギリスでは手に入らない。あるのはシホさんの庭にあるように、ヴェラトルム・アルブム、亜種ではないほう」


「同じ属ならアルカロイドに違いはないでしょうに」


「化学物質としてはね。だが、イギリスの鑑識、科捜研も進化してるんです。封筒についていたほんの微量のビャクリロコンからDNAを読み取って、欧州には自生の無い、バイケイソウ Veratrum album subsp. Oxysepalumだと同定してきました」


「酷い人がいるもんですね、そんな毒を、そこまで入念に準備して送り付けるなんて」


「毒? 僕は今までポイズンだなんて一度も言っていません。粉末、パウダーという単語を使ってきましたから。あなたはシホさんの正確な死因は聞いてないですよね? 持病のせいだと信じてませんか?」


 恵梨香が身体を震わせたが、声は震えていなかった。

「薬剤師になろうと思う者にとっては、バイケイソウと聞けば毒だとピンときます。死因は伺ってももうどうしようもないことでしょう」


「まあそうでしょうね」

 ウィルはあっさりと引き下がる。

「少し冷えてきたので、家のほうに戻りましょうか。そろそろエリカ、僕の妻が帰ってくるだろうから」


「ウィルさんは私が叔母を殺したと信じてるんですね?」


「はい!」

 ウィルは大変明朗快活に返事をしてみせた。

「訂正するなら今ですよ? 僕はさっき、あなたにトラップを仕掛けましたから」


「トラップ? 罠ですか?」


「ええ」


「何のことだかわかりません」


 女はまたそっぽを向く。

 だが、ウィルの隣を離れようとしないのだから、どれほど知られているか気になっているのだろう。

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