外国人の遺産相続とお葬式
次にやってきたのは、ヒラリー巡査部長だった。
初めて会った時のように、証拠書類のビニール袋を持っている。中にはA4サイズの薄い書類。
「シホは遺言書の更新をしていなかったようです。見つかったのはご主人とのミラーウィル。配偶者同士がお互いを相続人に指名した遺言です。最近では結婚式に作成するカップルもあるとか。エイドリアン・オキーフ氏のご逝去には効力を発しましたが、彼が他界した今となっては、シホに相続人はいません」
「バカ野郎――――!!!!」
シホは野郎ではないんだが、というツッコミをする隙間もないほど本気で、デイルは頭を抱えた。
恵梨香は小刻みに震えている。
ヒラリーはデイルの声の大きさに片眉を上げてみせたが、それ以外は無頓着に、事務的に話を進めた。
彼女の発言が恵梨香の心の堰を崩壊させて、自白に持ち込めないか、ウィルはかすかに期待したが、彼女は震えながらも表情を変えない、美し過ぎるお人形であり続ける。
「ということで、外国人居住者の遺産については、有効な遺言状に基づいて指定された相続人が名乗り出ないと、相続できないことになっています。遺言書があっても、弁護士無しでは手続きがスムーズに行かないことが多い。法定相続人の立場にあっても、海外にまで手を伸ばして該当者を探しはしません。遺産は、相続者無しという扱いで、英国政府管轄になります」
デイルは頭を掻きむしったが、恵梨香はゆらりと立ち上がり、2階への階段を上った。バスルームへ行くのだろう。
動揺を隠すのは、超絶得意だと見える。
シホさんが仮にイギリス国籍を取得していたとして、父親がイギリス国内に住んでいれば、彼が相続できたのだろうに。
寝たきりで判断が不能であれば、例えば恵梨香が法的代理人となって、遺産を相続できたかもしれない。
―――それも知らずに殺したのか? シホさんは、気持ちが落ち着いたら恵梨香に生前分与できるように手配したはずだ。相続が難しいから、自分の手でダウンサイズして家を売り払ってお金に換えて。だから、ウクライナ人に貸し部屋することもできなかったのかもしれない。それに引き換え恵梨香という姪は、入念に毒を仕込み、自分に足がつかないように画策するだけの頭脳がありながら、なぜ、もう一歩英国法を調べないんだ。なぜ殺した、せめて、本気で殺すつもりはなかったと思いたい……。
ウィルは柔和に見えるらしい自分の身体の中に沸々と怒りが湧くのを感じていた。
「バンクス刑事、これじゃないですか?」
恵梨香が中座している間に、またPC画面を刑事に見せる。
「バイケイソウ Veratrum album subsp. Oxysepalum、長い学名のやつ。分布マップを見てください。ヴェラトルム・アルブム自体は日本にはない。亜種であるこのバイケイソウなら、東京から1泊すれば楽に行ける山地に生えてる。そしてここです、昔は血圧降下に使われていた。白藜蘆根? ビャクリロコンと読むらしい、すごい名前だ、チャイニーズ・ハーバル・メディスンですね。薬剤師の卵なら、大学で手に入ったのかもしれない」
「だが、不起訴だろう。君が言った通り、状況証拠ばかり。自白がとれても、証拠不十分になりそうだ」
「でしょうね」
2階に上がったきり戻ってこない恵梨香を心配してヒラリー巡査部長が声を掛けに行き、一緒に階段を下りてきた。
―――僕とエリカのこのマイホームで自殺なんかされたらたまったもんじゃない。
ヒラリー巡査部長が恵梨香に話しかけている。
「シホの遺体確認、明日の3時に予約が取れました。私も付き添いますから」
普段なら、なんだいいとこあるじゃんと、冷たい印象のヒラリーさんを茶化すところだが、ウィルはやめておいた。
その代わりに、手続きのことを聞いた。
「恵梨香さんは相続人ではなくても肉親ではあるんですから、お葬式はできますよね? 無縁死亡者として警察で葬られるのはあまりにも寂しくありませんか?」
「もちろん、遺体を引き取っていただけるなら、是非、そうしていただきたいですが?」
巡査部長がウィルの意図を理解せずに返す。
その横で恵梨香は一瞬、「え? 嫌」という顔をしたのだ。それをウィルが見逃すはずはない。
「もう一度フライト延期できませんか? 今日で捜査も終わるでしょうし、死亡証明も出て、それを持って葬儀屋さんに行けば手配できますから。コロナ禍以来、火葬場は混んでるらしいですが、遺灰にするだけにして、シホさんのお父さんに持って帰ってあげたらどうでしょう?」
「いえ、祖父はもう、意識のあるときのほうが少なくて、悲しい知らせは教えないほうがいいかと……」
「そうですか……」
次はバンクス刑事の発言順らしい。
「マントルピースの、シャムロックの鉢が載ってた隣に、ジャパニーズっぽい染付の壺がある。ご主人の遺灰だと思う」
「あ、それならどこかに一緒に散灰してあげるのがいいかも」
ウィルが言うと、久々にデイルが口を開いた。
「あの女、シャムロック育ててたんですか?」
恵梨香以外が頷くと、予想外の提案をした。
「少しはアイルランドを想ってくれてたのか? 親父を幸せにしてくれたことはオレだって感謝してる。曲がりなりにもオレはステップサン、義理の息子だ。無縁死亡者にするわけにはいかんだろ。オレの名前で遺体引き取れるでしょ? ただ問題はオレには金がない」
「じゃ、何とか、僕が金策しますよ、お隣だし、仲良くしてもらったし、乗り掛かった舟だ」
軽く口にしてもウィルの本当の動機は別のところにある。
心の奥にはあの毒入り封筒を、自分なら止められたかもしれないという苦い思いがくすぶっているのだ。
すると、バンクス刑事が「Oh!」と急に頭を抱えた。
「シホ・オキーフの元同僚で友人のステファニーさんがいる。費用は自分も負担するって言ってくれるだろう。今は生活費危機ですぐには無理だろうけど、俺とウィル君で当面立て替えとけば」
「わかりました」
ウィルはバンクスの真意を読み取って口角を上げた。
元同僚という言葉が記憶の隅に残っている。シホさんの名前をシャイロック・キープ(守銭奴)と綴った、機知のある債務者がステファニーさんなのだろう。
彼女は、お葬式ができるくらいのお金を借りているが、借用証書もなく、政府にシホさんの遺産として申告する必要がない状態なのだとウィルは理解した。
ヒラリー巡査部長はデイルと、早速遺体引き取り申請書の作成を始めた。仕事が速い。
引き取るといっても、遺体は警察の霊安室から公共の大規模霊安所に移動になるだけだ。
葬儀屋を通して火葬場の予約が取れれば、当日、遺体の移動は葬儀屋さんがしてくれる。




