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愛する人の花


 恵梨香は予想に反して静かに問い返してきた。


「叔母は持病のせいで死んだんですか?」


「それを今調べているところです。オキーフさんは、ヘンな郵便を何通も受け取っていたみたいで……」

 とバンクスが言ったところで、キッチンから顔を出したウィルが首を横に振って見せた。しゃべるな、ということらしい。


「シホさん、優しい人だから、昔の同僚がお金を返してくれなかったり、いろいろストレスあったみたいです」

 と、ウィルが話を曖昧にした。


「そうなんですか……」


 ウィルが紅茶を恵梨香に、コーヒーをバンクスに手渡し、自分の仕事机に座る。そこからだと、バンクスとは目が合うが、恵梨香は応接の背越しだ。

 これも戦略的配置なのだろう。


「叔母に……会えますか?」


 恵梨香は殺意など欠片もない、正直な思いやりある姪に見えることもあれば、ただそこに飾っておきたいヒヤリと美しい人形のように感じることもある。


 東洋人の表情は自分たちには読みにくいと言われるのも満更嘘ではないとバンクスはコーヒーを啜った。


「そうですね、近親者による身元確認はできないと思っていましたが、恵梨香さんがいてくださるならお願いしたほうがいいですね」


「帰国フライトはいつですか?」

 ウィルがバカンスの予定を聞くような調子で尋ねた。


「明後日です」


「微妙な日程ですね」


「そうでしょうか……?」


 バンクスにもウィルが何をもって微妙だと判断したのかわからなかった。こいつのことだから、何か深い考えがあるのだろうが。


「手配してみましょう」


 バンクスはヒラリーに電話した。用件を伝えた後で、2分間は報告事項という名のお小言を言われる。


 聞いてよかったと思えたのは、シホとシホの兄との間のメールのやり取りだ。


 2人の父親は70代で寝たきりになってしまったようだ。

 兄はシホに帰国して父親の面倒を見てほしがっていたが、シホは「もう少し待って」と答えている。

 当面、実際の介護は兄宅でするから、引っ越しから訪問介護士費用、その他もろもろ、金銭的負担はシホがすると同意したらしい。


 シホ・オキーフはイギリスで、思い出の中の夫との生活をまだまだ続けたかったのだろう。


 親不孝だ、独り暮らしで身軽になったなら親の介護しろよ、という兄側の意見もわかる。


 日本という国はイギリスより家族関係が密だと聞いたこともあるし、イギリスほど介護関係の公的扶助も整っていないのかもしれない。


 この兄の娘が、バンクスに横顔を見せている恵梨香なわけだ。


「昨夜はかなり遅くまで眠れなかったんじゃないですか? うちのがお宅に明りが点いてるの見たって言ってました。もちろん、亡くなられることほど悲しいことはありませんが、連絡がつかないで心配なのも辛かったでしょうね」


「そう……ですね。夜、雨降りばかりですよね。落ち込むというか、ひどく悲しくなります」


 今度は殊勝な顔だ。

 会話の主導権はウィルに握らせて、バンクスはこの若い女性の観察に努めた。


「バンクス刑事、シホさんは苦しんだんでしょうか? こと孤独死となると、肉親が安らかに他界したかどうか、遺族の方は気になるんじゃ?」


「あ、そ、そうだな。だが、シホ・オキーフさんの場合は安らかとは言い難くて、あまりお知らせしないほうがいいのかもしれない……」


 ウィルに会話を振られ、苦しい前置きしてから、バンクスは言葉を選んだ。


「彼女はリビングのマントルピース近くに倒れていた。郵便物が散乱していて、それから顔の近くに植木鉢がひとつ、取り落として割れたようだった。朝食前だったのだろう、胃液が逆流していたそうです」


「そうですか……」


 心が麻痺してしまったのか、感情の動きを悟られたくないのか、目の前の日本人女性は平たんに呟いただけだった。


「その植木鉢? 観葉植物ですか?」

 ウィルのほうが立ち上がって興味を示した。

「ダチュラとかじゃないですよね?」


 植物名を知りたいのかとバンクスはウィルを見上げたが、その目の端に恵梨香がビクリとしたのが映った。

 気付かなかった振りをして手帳を開き、植物名を答える。


「いや、シャムロックだそうだ。正確にはオキザリス・トライアングラリス、別名紫の舞」


「シャムロック、アイルランド国花ですね。その品種は葉っぱが紫で花がピンク色の、数年前流行ったやつ。シホさん好きだったのかな、もしかしたら、ご主人が好きだったのかも、そうか……、体調崩れたと思った瞬間、マントルピースの上にあった思い出の花を抱こうとしたのかもしれない……」


「故エイドリアン・オキーフ氏の元に行けると思って亡くなったのだったらいいんだが」


 刑事らしくないバンクスの感傷的な言葉をウィルは茶化すでもなくしんみりとした。

「そうですね」


 今までのいくつかの発言を聞いて、何気ない会話に見せながら、ウィルが恵梨香を揺さぶっているのが、バンクスにも見えてきていた。


 刑事としての経験上、近親者が死んだと聞かされた者は、配偶者、親など近しければショックで茫然とする。少し離れた親戚なら、取り乱したり泣きわめいたりする。


 恵梨香の態度は無表情、落ち着いていて、死んでいるのを知っていたようにも思える。


 また、ウィルが言うように、「安らかに死ねたのか」と聞いてくる親族も多いのに、恵梨香は言及しなかった。

 どう死んだか知っていた可能性が高まる。


 そして、恵梨香が反応したダチュラという植物は、ナス科の毒草で、アトロピンというアルカロイドを含む。


 このアトロピンは、バイケイソウ中毒の対症療法に使われることがあるのだ。


 なぜ花に疎いバンクスが知っているかというと、バイケイソウのことは今朝まで知らなくても、アトロピン自体のことはつい数日前に調べたからだ。


 ジャガイモ系のDNAが封筒内に見つかった時だった。


「毒ではあるが、徐脈、脈が弱くなった時に強心剤のように使うことがある」と監察医も言っていた。


 ウィルは、シホ・オキーフが、バイケイソウ中毒に対抗するために、自分からアトロピンを摂取しようとしたのではないかと言ったのだ。


 そう言って、恵梨香の反応を見た、というのが正しいか。彼女の知識範囲を探っている。


「さて、バンクス刑事、家宅捜索は何時からですか?」

 ウィルは既に知っていることを聞いてくる。


「午後1時」


「では、今のうちに、お腹に何か入れておきますか? 大したものは出せませんが、エッグオントースト、スクランブルエッグをトーストに載せて、どうですか? アレルギーとかあります?」


 ウィルはバンクスと恵梨香を交互に見て、恵梨香は黙って首を横に振り、バンクスは「助かる」と呟いた。




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