アルカロイドが体内に!
待ちに待った司法解剖報告書、及び封筒内の植物のDNA同定報告がバンクスのPCに届いたのは、翌日、木曜の朝だった。
昨日殆ど終日、ヒラリー巡査部長は警ら部の通常業務に戻っていたようで、頭の切り替えが早い点は羨ましくもある。
バンクスは他の担当事件もないことから、同僚に頼まれたデスクワークに勤しみ、自宅ではこの季節特有の夜の雨音を聞きながら、ドラマ『キリング・イヴ』を通しで見て、人を殺すのは意外と簡単だ、などという不謹慎な感想を覚えていた。
そのせいか、朝出勤して最初に目にした報告書の内容が、冷酷な殺人者の高笑いに感じられてしまった。
シホ・ヒムロ・オキーフの死因:ヴェラトルム・アルカロイド中毒による徐脈(脈拍減少)、血圧の急降下、けいれん発作。常用薬との相乗効果により交感神経系阻害により心停止。
「ヴェラトルム・アルカロイドーーーー?!! 何だそれ?」
存分に叫んだところでヒラリーに呼び出しをかけ、次の報告を開いた。
* 封筒内植物片詳細
・バラ:花弁、生花ではなくドライフラワー
・ラベンダー:花部分。生花かドライフラワーか不明。種子あり
・タイム:葉部分、露地採取
・ローズマリー:葉部分、露地採取
・バイケイソウ Veratrum album subsp. oxysepalum:根茎粉末
・ジャガイモ澱粉。セルロースなし、糊状
・バラ花弁及び封筒にバラの香水を垂らした痕跡あり
植物に疎いバンクスにも、学名を見ればヴェラトルム・アルカロイドはバイケイソウと関係があることがわかる。
だが、当初はユリだと言ってなかったか?
となるとバイケイソウがどんな植物か、ググるしかない。
学名そのままではヒットが少ないので、Veratrum albumで見ると、ユリ目シュロソウ科、RHS英国王立園芸協会ガーデン推奨種、と出てきた。
「バカやろ、毒を推奨するな!」
などとぼやきながら、毒性や過去の中毒事故例などを読み漁る。
「0.6gで死に至った事例があるだと? エキスでか粉末か? 成人1人に対してなのか、体重1キロに対してなのか?」
キーボードの上にどっと上体を投げ出した。
後ろ頭にヒラリー女史の声が響く。
「あら、やっぱり私の初動が合ってたんじゃない。封筒内のサシェに混ぜられた毒草で殺し」
「いや、自殺かもしれん。体内のアルカロイドがサシェからきたかは未確定。偶然の一致かもしれん。実際のところ、封筒にサシェが入っていたのかも俺たちは知らないんだぞ?」
「だからさっさと重たい腰を上げてください」
重たい腰と言われても、バンクスの頭はどちらに向けて行動していいのか判断がつかない。言い訳のように付け加える。
「オキーフさんは、アルカロイドが体内に入って中毒症状を起こした。だが普通の人なら病院行って1、2日で回復したはずだ」
「独り暮らしで誰も助けてくれなかった」
「それもあるが、普段飲んでる薬が悪いとも言える。心臓を止める方向に動いた」
バンクスは俯いたまま拳をキュッと握った。
「俺は、どうしたらいい?」
ヒラリーの返答は全くもって容赦がない。
「この24時間、シミュレーションしなかったんですか? 毒が見つかった場合、見つからなかった場合。私はしましたよ?」
「すまん……」
自分の専門の犯罪捜査になった途端、方向を見失うなんて、刑事失格だという自分の声がバンクスの耳に響く。
「家宅捜索の手配です。最初のフォレンジックは自然死に重点を置いていましたから、シホが倒れていたリビングのDNAチェックは万全ではありません。もし犯人がいて、シホにアルカロイドを飲ませたなら、髪の毛なりなんなり落ちているでしょう。自殺だとしたらシホの庭にその毒草があるのかもしれない。それも調べないと。制服組には遺言書も探させましょう。そして刑事はまず、デイルにシホの死を告げるよう、スコットランドヤードに依頼してください。今も同じ住所にいるのか、いたらどんな反応をするのか、こちらに報告させて。それから、お気に入りのお隣さんにコンタクト取ってください」
「お気に入り? 隣?」
バンクスの頭は真っ白で、誰のことだか全く思い至らなかった。
「会話が弾んでたじゃないですか、ウィル・ニューイング氏。シホのお隣さんです。彼の目撃情報が決め手となるかもしれないんですよ? デイルが庭に居たとしてシホと見間違うことがあるのかどうか。変装していたかも。庭で除草をしている様子だったと言ってましたよね? サシェか何か、封筒の中身を埋めたとは考えられませんか? シホがシェイクして匂いを嗅いだ何かが、屋内からは見つかっていない。だったら、庭でしょ? 本件立件できるかどうか、刑事の手腕にかかってますからハキハキしてください! 私は日本国大使館にコンタクトして、父親の引っ越し先を調べてもらいます。事件性ありなら情報開示してもらえますから。それから、シホのケータイとPCチェック。最近のやりとりの翻訳を手配します!」
「そ、そうだな!」
お株を完全に奪われた体で、バンクスは鑑識にオキーフ宅に再出動を依頼した。ごねてようやく当日午後一の家宅捜索を取り付けることができた。
契約している園芸家にも同時刻に来てもらえるように手配した。
次に、ヒラリーの助言通りウィルに電話を入れる。コールを何度も待たされて、相変わらずつっけんどんな応対が返ってきた。
「そちらもお仕事でしょうがこっちもなんですが?」
「残念だが、こっちの仕事優先だ。君は目撃証人だから」
「毒が出ましたか?」
「ああ」
「何の?」
「ヴェラトルム」
「ウソでしょ、シホさんの庭にありますよ? ヴェラトルム・アルブム、チェルシーフラワーショーで見て気に入ったって言ってた」
「品種チェックに園芸専門家を向かわせる。午後1時、家宅捜索に入るから」
「あ、そういえば今朝妻が怖がってて。昨晩深夜シホさんちに電気がついてたらしい。僕は早く寝ちゃって気付かなかったんですが」
「侵入者がいるということか? 鍵は玄関も裏口も警察が預かってるのに?」
「押し入り強盗でなければ合鍵、ですかね?」
「となると現場は汚染されてるか……」
「刑事さんもいらっしゃるんですよね? また僕は仕事にならないんだろうな」
「すまないが、正式な事情聴取をさせてもらうことになる。特に君が見たオキーフさんらしき人影について」
「ふぅ……、わかりました。では後で」
電話を切るや否や、バンクスはヨーク小路1番地、オキーフさん宅に急行した。
空き家に勝手に侵入し住み着く不逞の輩もいないわけではない。
もしかしたらデイルがロンドンから訪ねてきたのかもしれない。
最低でも侵入者のDNAサンプルを採っておかないと、家宅捜索が迷走する。
愛用の覆面パトで3分、ランカスター通りを下り、ヨーク小路に横付けする。
玄関ドアはチェック済みだと聞いているが、一応手袋をしてドアベルを鳴らした。
足音がする。
おずおずと開かれたドアの向こうには、霊安室で会ったシホ・オキーフに生気を吹き込み、15センチほど縦方向に伸ばした、ゾクリと美しい若い女がいた。
警察だというと、
「Where is my aunt? 私の叔母はどこですか?」
と、潤んだ目をバンクスに向けた。