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白か黒か白と黒か  作者: 丑十八 higure
一章 動き始めた歯車のネ
9/16

(九)頬の傷、闇の痕。

 無機質な鉄扉、目ほどの高さには〔始末課〕とゴシック体で印字されたプレートが貼り付いていた。

 今ちょうど、その重い鉄扉に手がかかった。透き通るような白い肌に、ひんやりとしたノブの感触が伝ってくる。そんな扉をいとも容易く押し開けると、中に閉じこもっていた様々なニオイが開け放たれて廊下に解き放たれた。カップ麺の醤油の残り香、男特有の蒸したニオイの中に混じって、微かに鼻孔に貼り付くアルコールの臭い……。

「んん? おお、やっと来たかあ。ようっ、咲街(さきまち)クン〜」

 開いた扉を潜ったあどけなくも美麗な青年に寄る、柄の悪そうな耳まで赤らんだ中年男性。彼に『咲街』と呼ばれた青年は大息を吐いた。

酒井(さかい)さん、また吞んでるんですか……?」

「えぇ? 呑んだッ()ってもちょっとだけだぜ?」

「いやいや、ちょっとだけでも業務中に飲酒したらダメですって! それに、缶ビール三本は全然ちょっとじゃないですよ!」

 鼻息にすらアルコールが染み込んでいる『酒井』と呼ばれた男は、目の前の咲街の言動に大袈裟に目を見開いてみせた。彼の言いたいことを察すと、渋々解説を始める。

「……酒井さんのデスクの上に確かにビールの缶は見当たらない。そこでまず注目したいのがゴミ箱の中です。今日、僕は少し遅刻気味に来ました。なので、清掃業者さんは既に殆どの課のゴミ箱の内容物を回収しているはずです。ですがゴミ箱の中には、ティッシュ類の下に隠れてビールの空き缶が幾つか見受けられます。これはつまり直近で空き缶を捨てた人がいるということです」

「それを捨てたのが俺だって証明できるのかァ?」

 ノリノリの悪人面で、いかにもドラマで犯人が言いそうなセリフを吐く酒井。元々の強面も相俟って、更に役がはまっていた。

「確かに、貴方のデスクに空き缶自体はない。ですが、デスクの端に置かれた空の一升瓶の中を見てください!」

「なにッ!」

「貴方のデスクに空の一升瓶があるのはいつものことですが、その種類が昨日とは変わっている! 恐らくは昨夜飲み交わされた際に出た一升瓶なのでしょうね。そして最も重要なのが、その中! 貴方には癖があった! 缶ビールを開けると、必ず呑む前にプルタブを外し、それを一升瓶の中に入れておくという癖が! 今の一升瓶の中には、三つのプルタブが入っているんですよ……!」

「く……参った。認めるよ、俺が吞んだんだ……」

 地面に崩れる酒井。しばし静寂が流れたものの、次には大笑いが巻き起こる。

「流石だねェ、咲街クン! いやぁ、やられたよ」

「証拠隠滅しようと思って缶は器用に底の方に捨てたようですが、一番目立つ決定的な証拠を残しておくなんて。酔い過ぎですよ、全くもう!」

 軽くデコピンされた酒井はおちゃらけて舌を出した。そこに、扉の開く音が鳴ると、二人の視線は同時に移る。

「……何やってるんすか、二人とも」

「パイセン方おはよっス!」

 外気と共に入ってきたのは、一際背が高く長ったらしい黒髪が印象的な成人男性と、溌溂とした印象のある金髪の青年。対極的な二名は、黒髪の方を迫田(さこた)、金髪の方を(かけい)という。

「迫田さんに筧くん。おはようございます」

「ヨッスッスー!」

「酒井先輩、無理せんでください」

 迫田に諭されて肩を落とす酒井を後目に、筧は尋ねる。

「咲街パイセンも来たばっかなんスか! あのチョー真面目な咲街パイセンが、珍しいっスねぇ!」

「実はそうなんだよ、恥ずかしいなぁ。ははは……」

 白い頬が赤く染まり、艶やかな印象を付け足していた。それを見つつ迫田が歩き始めたのを筆頭に、他の三人もついていった。

「咲街、ホントお前、官長がいらっしゃらなくて良かったな」

「え? 迫田さん、今日は芽ノ長(めのなが)官長いらっしゃらないんですか?」

 咲街の質問に迫田の足が止まった。今まで鋭利に暗かった目が見開かれて、低い声もそこはかとなく明るくなったように感じた。

「オレは芽ノ長官長ファンクラブの創設者だぞ!? オレに分からんことはないのだ! ハッハッハ! 今日は外部との仕事が入ってるから、ついさっき外出に出られたぞ。くそう……今日は芽ノ長官長を崇め奉れないな……。偶像崇拝と洒落込むか」

「……なーんか、ファンクラブってより、新興宗教って感じっスよねぇ」

「筧クン、お口はチャックが良いと思うぜェー?」

「筧ィ……?」

「すんませんしたっスぅーっ!」

 喧騒が耳に流れ込む。鼻腔はアルコール類の臭いが、体は朝の肌寒さが満たしている。そんな中、咲街の目はある一つのデスクのみを捉えていた。

「外部との仕事って……?」


 昨日と打って変わって少々肌寒いほどの朝。陽は薄白い雲に阻まれて薄らと地を包んでいた。さして低い気温を和らげる効力はない。

「少し早く来過ぎたな……」

 携帯に浮かぶ四つ並んだ数字を見下ろしそう呟いた無我夜は、無意識に足先でタイルをノックしていた。指紋が認証されて画面は変わり、吹き出しが縦に積まれている薄黒い画面となっていた。

 画面の一番上の連絡相手の名称を確認すると〔迷〕と一文字ポツンとあるだけ。チャットは「迷」の〔明日の10時に界護団本庁前に集合ね、了解! うん、おやすみなさい。〕という文言で途切れていた。

 現在の時刻は丁度九時半を回ったところだ。普段から店の仕込みのために六時半には起きているため、今日もその調子でいつもの時刻に目が覚めてしまった。どうにも居ても立ってもいられなくなって、今既に界護団本庁前に来てしまっている、というのが今の状況だ。

 振り返って再度見上げても、すごい高さの建物だ。全面が銀色に輝いている外見は、まるで巨人用の姿見にも見える。マールムと比べて敷地面積は劣るものの、高さでは圧倒的に勝っている立派な建造物だ。

 この途方もなく高い姿見のどの部分で、彼女はどんなことをしているのか気になって仕様がなかった。重大な事件の捜査本部を開き、時には国単位で極秘な情報を扱うこともある団体・世界保護団の総本山であるここは、当然の如く外から中を確認することはできないようになっている。それが何とももどかしかった。

 彼女が来るまで、あと三十分。

 このままこんな広場で突っ立っていたら不審者に見えるだろうか、と危惧した。殆ど黒ずくめの服装である無我夜は、傍から見れば怪しい。目付きも鋭いので、悪人面だと言われればそうだ。

 こんなところで不審者と認定されて通報でもされたら、それこそ袋叩きだな。そう苦笑しながらも、足はこの場から去り他のカフェでも偵察に行こうと動き出した。そのときだった。背後からの足音にいち早く気づき、振り返った眼前には──。

「日暮っ!」

 そう言ってこちらに手を振りながら走ってくる深緑色のロングコートを纏った女性の姿。紺に金のラインが入った帽子の下に、到底収まり切らぬ長い銀髪が左右に振れ、同様に左側頭部の黒いリボンは、端正で目鼻立ちがくっきりした美しい顔だからこそ目立つ左頬の一筋の古傷をさわさわと撫でていた。

「よう、(めい)

 無我夜も無愛想ながら手を振り返す。視線は彼が「迷」と呼んだ背丈の小さめな彼女と虚空とを右往左往していた。

 彼女の名前は芽ノ長迷。高く聳える摩天楼・世界保護団本庁で働いている公務員の一人だ。

「ごめん、待った? もう少し早めに出てくれば良かったね……」

「いや、俺も今来たばかりだから。些か早く来過ぎてしまったと思っていたが、そっちもそのようで少し安心したくらいだ」

 無我夜は自分のスマートフォンのロック画面を見せながらそう言った。時間は十時から三十分も前を示している。迷はそれを一瞥すると、下を俯いて恥じらった。古傷さえも赤く染まる。

「へへ、ホントだ。私も早く来過ぎちゃったみたい。早く、会いたかったから」

「ああ、俺も」

 続く静寂のあと、同時に二人は顔を上げて見合わす。

「え?」

 次の瞬間から静寂は忘却の彼方へすっ飛んで、あからさまに両方が騒ぎ出す。

「いや! 違くて! そういう意味じゃなくて、こう……そう、仕事! 職業病っていうか? 最近忙しかったから癖で早めに来たってだけで、別にそういうわけじゃあ……」

「そ、そうだよな。早く仕事を終わらせたくて、早めにここで待機してただけだしな。うん、そうだよ。そうだよな」

 一時の喧騒も過ぎ去って、先程彼方へ飛んでいった筈の静寂は、いとも簡単に舞い戻ってきた。それが先程よりも長く続いたのは、それぞれが心中で同じようなことを思っていたからである。

(なんとか誤魔化せたか?)

 次に発言したのは無我夜だった。視線は虚空を向いている。

「……と、取り敢えず、行くぞ」

「う、うん、そうだね」

 二人はたどたどしい足取りで、高い摩天楼から遠ざかって行った。


 肌寒さは日射が緩和してくれていた。過ぎていく街並みには、既にヒトの姿は見当たらない。きっと殆どが冷えた摩天楼の中で働いているため、街は異様に静かだった。

 二人にとって、人の目がないのは都合が良かった。路地裏等、目につかない場所を意識的に利用することなく済むからだ。

「何か、久し振りだね」

 静寂の中に迷の声が落ちた。つい先程までずっと黙っていた無我夜も、ようやく口を開く。

「確かに、言われてみればそうだな。()()()()自体受けるのも久しい」

 無我夜の言葉に顔を向ける彼女。だが、彼は決してこちらを向こうとしない。迷が「そうなの?」と問うてもそれは変わらなかった。

「ああ。最近は()()()()()()()()()()()()もなかったし、この『暗殺任務』が舞い込んでくること自体が少なかったからな」

 そう。彼等は今「暗殺任務」を遂行するため──即ち、重大事件の犯人を()()()()に集い、進んでいるというわけだ。

「まあ、最近はこっちで処理しちゃうことの方が多かったもんね」

「流石『界護団始末官長』様だな。普段からすまない」

 彼の目が一瞥した彼女・芽ノ長迷は、世界を保護する団体・世界保護団の始末課職員のうちのトップ、始末官長である。

 この世間には度々、何人もの人間の命を意図して奪わんとする、いわゆる極悪犯罪者や殺人鬼等と呼ばれる者がふと現れる。事件や事故を処理し、犯人を正当に裁き、世界の治安を保護することも界護団の仕事だが、こういった、人類に対し多大な損害をいつ及ぼすか分からぬ者たちには、特別に()()という処置が施される場合がある。

 主にその()()の仕事を担うのが界護団始末課であり、特に、より高い技術を持つ個体の処理は始末官長・芽ノ長迷に任されている。

「別に良いよ、これが私たちの仕事だからね」

 そう誇る彼女。今はおおらかで明るい雰囲気だが、一度仕事となると全く別の顔を見せる。今回の任務は、そんな彼女に加えて闇の守り人・日暮無我夜も担当するということだ。つまり、今回の標的は──。

「さて、それじゃあ本題に入ろうか」

「ああ、頼む」

 二人の間に一本、凧糸のような細い緊張の糸が紡がれた。それはぴんと張り、少し触れたら弾けそうだ。

「今回の標的(ターゲット)は木戸狩留真。通称『凶器狂い(マッドウェポンズ)』のことだね」

「ああ……『プレゼント連続殺人事件』の犯人だろう。最近の報道はそれで持ち切りだ。現場は転々としており、刃物でバラバラに切り刻まれた遺体が発見されたという」

 無我夜の頭には、朝食を摂っている間に輝が点けて見ている報道番組の画面を埋める大量の赤い文字と悲痛な面持ちが想起された。

「そのとおり。先週ほど前から発生し続けた連続殺人事件。日暮の言うように、この連続殺人の関連性はその犯行の手口と死因なんだけど、この事件には、もっと大きくて目立つ最も重要な共通点がある」

 二人の視線がチラと合う。音程の違う声が溶け合って、ハーモニーとなって放たれた。

()()()凶器を残すこと」

 両者とも頷く。次の発言は迷が続けた。

「そう。しかもご丁寧に手紙まで添えられてね。犯人は被害者の腕に自らのネーム『MAD WEAPONS』を彫り、その血液で、現場に残された凶器の名前とメッセージを手紙に綴り置いていく。かと言って、それ以外の慰留品は一切残さない。それが『凶器狂い』の犯行の手口」

 迷の話を聞きながら考え込んでいた無我夜は、言葉が途切れたのを確認して発言する。

「人体をバラバラにできる刃物なんてそうある物じゃない。その刃物も市販されている物ではないと聞く。個人の手でそこまで上等な刃物を仕立てられることに驚くが、いくら上等な刃物でも人体をバラバラにするのは難しい。それに、刃物で紙に字を書くには繊細な技術が必要になる。つまり、これは相当な猛者の犯行だと推測できる。だから俺が呼ばれた、というわけか?」

 ううん、と首を振るのは迷。口は動き回答を述べた。

「それもあるけど、それだけじゃない。鑑識さんの話でね、さっき日暮も言っていたけど、人間が刃物で人体をバラバラにするのは難しく、しかも犯行に使われた刃物は主に刃渡りが小さい物が多いから、更なる困難が予想される。そこで界護団は、犯人は強力な()()()()()を用いて犯行に及んでいるのでは、と考えた」

「成程……」

 点と点が線になって繋がった。無我夜はいわば六属性魔力の一柱・闇属性魔力の頂点。つまり、魔力に関しては一般人より何倍も強いということ。無我夜が担当に配属されるのも当然である。

「だが、それなら俺よりも迷の方が適任だと思うが」

「まあ、確かに」

 無我夜の的確な言葉に迷はつい笑う。何故なら──。

「着いたよ、ここが例の自動販売機。犯行の前日の夜、この自販機の監視カメラに標的の姿が必ず映っているのが確認できた」

 閑静な住宅街の外れ。空を埋め尽くす高いビルは一切見当たらず、澄んだ空気と蒼穹が宙を彩っている。

「平日の昼間だからというのもあるが、人の気配は全くないな」

「うん。で、標的の住居はここから一キロメートルほど離れたところにある。このあと向かおう」

「……いいや、迷。そこより他に行くべき場所があるとは思わないか」

 尋ねられた迷は首を傾げて聞き返す。彼は続けた。

「この先には確か、()()()があったよな」

 迷の視線と無我夜の視線が互いに交わる。次ににたりと不気味な笑みを突き合わせ、二人は同時に足を踏み出した。


 夜。流れ行く薄い雲は灰色に沈み、月光に照らされている。この大都市では、本来あるべき天の星は地上に堕ちて輝いている。

 だが、この場所は違う。昼でも冷涼で陽を遮る森は、夜にはより黒に染まる。闇に呑まれた葉の間から、綺麗な星々が見えた。

(明日こそは半月か……)

 夜の森の中、一人の姿が見える。髪は伸ばしきり目立たぬ黒いロングコートを羽織った猫背の男。徐ろにコートの裏から出した手には、銀に光る獲物が覗いた。

 もう片手には摘まれた猫が唸り声をあげて暴れている。舌打ちのあとに貫く一閃。森に静寂が訪れる。

「クフフ……やっぱりこの子(ジュリー)は最近では特に良い出来だ! 自信もある……。アァ、明日! 明日、振るうのが楽しみだァ……! さァて、最後の仕上げだよゥ、ジュリー……」

 刀身を撫でる男が向かうは削られた岩と乾いた血溜まりの密集する場所。彼の最後の仕事場であり、最高の仕事場。

 ぱきっ──。

 突如闇から発された異音に、彼は即座に警戒態勢を取って叫んだ。

「おれたちの最後の仕事を邪魔するのは誰だァッ‼︎」

 そこにあるのはただ闇のみ。刀身に宿した月光も、濃密な闇を引き裂く力はない。

「……なァんだ、折角、そのジュリーとかいう()()()()の完成まで待ってやろうと思ってたのに」

 闇の中から声がする。どこからするかは分からない。だが、今の彼にそんなことを気にしていることはできなかった。

「貴様ァッ! 今……いま、ジュリーのことを何と言ったァ! も、もう一度言ってみろォッ‼︎」

「あァ、何度でも。その()()は、()()()()だッ()ったんだァ」

「鉄屑、なまくらだとォ……⁉︎ 下衆めッ、ジュリーをバカにするなッ! ジュリーはなまくらなんかじゃないッ、鉄屑でもないッ! ジュリーは崇高で高貴な混合鉄鋼製だァッ‼︎ 許さない……ゆるさないッ‼︎」

 暗い闇を、煌めく刀身が弧状に切り裂く。だがその切先は何も捉えられない。閃光が走っては、潮のように引いていく。

「姿を見せろ、名を名乗れェ……この卑怯者がッ! 貴様をバラバラにして、ジュリーの名誉は、必ず……かならず守るゥッ‼︎」

 闇に二筋の光明差し、闇を掻き分けてその場に現れるは──。

「お望みどおり名乗ってやる。私は、世界保護団本庁所属始末官長・芽ノ長迷。今宵『凶器狂い(マッドウェポンズ)』もとい木戸狩留真を、始末しに来たッ」

 帽子のセンターに置かれた蛍光色の黄色が、彼女の身分を表す側頭部の黒いリボンを妖しく照らしている。両手に握られた銀のトンファーだけがギラギラと彼を睨み、まるで獰猛な肉食獣のようだった。

「下衆? 卑怯者だと? それはオマエへのセリフだァ! 歪み切った妄想で幾つも命を奪うオマエの方が下衆だッ……私利私欲のためだけに抵抗できない命を惨殺するオマエの方が卑怯者だろうがァ! 私をバラバラにするんだろォ? さァ、かかってこいッ‼︎」

 一気に場が動く。標的は迷の懐に潜り込み、ジュリーと呼称するナイフの切先を首筋に向けた。が、それは儚く潰える。重いトンファーの打撃によって、標的はジュリーごと墜落した。

 勢い余ってこちらに転げてくる標的の体を跳躍して躱しつつ真下に向かってトンファーを向ける。次の瞬間、地面に銀の轟雷が二筋落ち、片脇腹を砕いた。

 断末魔をあげる標的。すすっと這うように退いて状況を確認しようと仰ぎ見ると、彼の目は見開かれた。

「トンファーが……()()()ッ……⁉︎ まさか、貴様()ッ」

 両手のトンファーを支えに浮遊していたものの伸びたそれを縮めて地に降り立った。月光に照らされた神々しい彼女の姿は、まるで人類を救済するため地上に降臨した天使のようであり、更には荒んだ世界を終わらせるべく舞い降りた悪魔のようでもあった。

 それはどちらも合っている。世間に甚大な被害を与える害を排斥するという点では天使と呼称し差し支えないが、標的にとっては、彼自身の世界を終わらせる悪魔なのであるから。

「あァ、そうさ。今のは、トンファーを高速で伸ばす旋棍銃(トンファーガン)。私()、無属性魔法には、ある程度の自信があってなァ……オマエの技も見せてみろよォ。人体をバラバラにするほどの、()()()()()をッ!」

 突如、堪えた笑いを絞り出した標的の姿に彼女は片眉を上げた。とうとう闇夜に狂い咲いた歪な高笑いは、莫大な不安感と恐怖を与えた。

「クフフ……フハハハッ! 成程、ナルホド……界護団の連中は、おれの力を()()()()だと思ってるんだなァ……? よろしい、おれの()()を見せてやるッ……‼︎」

 夜の森の宵闇に広がったロングコートの内側には、煌びやかなもう一つの『星』が存在していた。一見見惚れてしまいそうになるが、目を凝らせばそれは硬直に変わる。ギラギラ反射する『星』がコートの裏から宙に飛ぶ。その幾つもの()()が迷に向く──。

「確かにィ! ジュリーは()()()()かなりの出来の(ナイフ)だがァ、歴代ではまだまだなのさァ‼︎ 見てくれよォ……彼女らが、おれの最高傑作(ベストパートナーズ)だァ! サァ……貴様も切り刻んでくれようッ‼︎」

 何十もの凶器たちが一斉に高速で迷に突っ込んでくる。咄嗟に胸の前にトンファーを構えるとそれは伸び、次には高速で回転する。虚しく弾かれた凶器。落ちるそれらに口角が吊るが、標的もまた、笑っていた。

 落ちたナイフたちが更に切先を持ち上げて、迷に向かってより速い速度で突進してきた。トンファーを構えたものの、防げるか──。

「この程度で切り刻む? ハハッ、笑わせてくれるなァ」

 度重なる金属音と木々を揺らす絶叫。迷は目の前に現れた夜の闇に遜色ないほど黒い姿を仰ぎ見た。

「リリアにソフィア、アァッ、フィナやルイス、みんなァッ‼︎ き……キサマァッ‼︎ おれのッ……おれの最高傑作たちをッ……‼︎ 絶対に、ぜったいに許さないぞッ、何者だァッ!」

 半狂乱状態の標的に叫び質された闇の権化は、地に落ちた折れた凶器たちを踏み躙りつつ、その地獄を舐るような声を放つ。

「お前のその小さい(オツム)によく叩き込んでおけ。俺の名前は、闇の守り人・日暮無我夜。この程度で人様を切り刻む? それは面白いジョークだ! 無差別に人体をバラバラにして楽しかったか? 気持ち良かったか? 自己肯定感や達成感は得られたか? ……へえ、()()()()で?」

「な、なな、何だとォッ⁉︎」

 話しながら、闇の悪魔は腰に四本携えた凶器たちを抜刀し、結合させて一組目、宙に放り、もう一組を結合させた。

「ヒトを切り刻むということは、惨殺とはどんなものなのか、その体に、直々に教え込んでやる」

 その間、左頬に古傷が刻まれた正義の天使は、肩や手首を回し、その獲物をそれぞれチラと一瞥して構えた。

「バカが死ななきゃ治らねェように、悪もまた死ななきゃ治らねェ。世界保護団始末官長・芽ノ長迷が、オマエを直々に救ってやる」

 最早狂乱に陥った標的は、恐らく彼にとって本当の意味での最高傑作の一品を手に握り、喚きながら突進してくる。彼にとって、彼の存在理由であった自慢の(ナイフ)たちは、尊厳や名誉を奪われてこの世から消え去ってしまった。

 いつもの調子で刃を振るう。この刃は特別だ。他の物とは切れ味が根底から違う。それは少し擦れただけでも致命傷になるほどだ。そう、少しでも当たれば。首にでも触れれば──。

 絶叫が響き、幾つもの閃光は闇に呑まれてしまう。手首から先が一瞬で肉塊と化し、地に堕ちた。

 これが、痛み。これが、恐怖。これが──狩られる側の視点。抵抗する手段は全て剥奪され、ただ逃げることだけ悪戯に許されている。

 森には慟哭と絶叫が響いている。助けを乞う声、情けに縋る声。彼の脳内は生への執着と後悔、そして何もかもを上回る恐怖が埋め尽くしていた。

 おれが、悪かっ──。

 彼の意識は、頭部への重い打撃で一気に遠のく。次には四肢の先からジワジワと鈍い激痛が侵食してくる。生暖かい感触が、とても不快だ。記憶が消える寸前に、何か声がした気がする。

「さァ、救済の時間だ。オマエのその大罪、死んでリセットしなァ」

 彼の記憶は強烈な一撃に伴う鈍痛と共に途絶えた。

 暗い森の中で、左頬に傷のついた白銀の天使と、闇に染まった黒い悪魔は、元は死体であった今や()()()の肉塊たちの傍に、ただ立ってそれを見下ろしていた。

 左頬に古傷を持つ、世界保護団始末官長・芽ノ長迷。そして、闇の守り人・日暮無我夜。二人は数奇な運命による特殊な出会いを果たした。迷の左頬の古傷は、一体何があったのだろうか。


 次回「貴方の手を握りたいのに」

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