(五)燃える湖、天に地に。
目の前に並ぶのは二人、色で言えば赤と黒が印象に残る筋肉質な男と、青と白が印象に残る女性的な男だ。この二人は全てにおいてまるで反対だ。それでもこうして共に仕事に赴くほどの親密度ということは、真逆であるが故に心地好いということだろうか。
「焱の守り人・焱焼茜と、湖の守り人・滝水蒼の計二名、今から〔ガソリン盗賊団の確保任務〕を受注してェんだが、構わねェかァ?」
「ええ、分かりました。それでは一応、任務内容を読み上げますね」
二人は退屈そうに頷いた。これから突拍子も無く童話を話し始めても、きっと気づかれない。それでも形式的に読み上げなければならないのが、仕事というものだ。
「今回の任務は〔ガソリン盗賊団の確保任務〕です。ガソリン盗賊団、と言っても、彼等はガソリンを盗むわけではありません。彼等は自分達のことを『燃ゆる湖』と呼称しているようで、それは手口に起因します。『燃ゆる湖』は留守の家のみならず住民の在宅する民家にも侵入し、金目の物を一通り盗んだのちに、姿を見られずとも家にガソリンを撒いて燃やすのです。全体の正確な数は不明ですが、約五名所属しているとみられています。彼等はアジトを所有しており、場所は今渡す地図に示してあります。今回の任務において、基本的な目標は『燃ゆる湖』構成員全員の確保です。ですが、彼等は危険な犯行を繰り返していますので、今回も何か重篤な危険があればその原因となるものを排除する権利を与えようと思います。準備はよろしいですか?」
二人はちらっと互いの目を見てから、こちらに向かって力強く頷いた。今度はこちらがそれに頷き返す番だ。
「それでは、焱の守り人・焱焼茜、湖の守り人・滝水蒼両名の〔ガソリン盗賊団の確保任務〕の受注を承諾致します。御二人とも、どうぞ、いってらっしゃいませ」
大きな銀の刃を携えた彼等は、その言葉を聞き終えると、この場所から軽々と走り去った。
さて、と息を吐く。同時に、何分間かかるかな、と笑いながら、私は右目のモノクルにそっと触れた。
まだ昼なのに夜のように暗い路地裏で、広げた地図を見下ろす二人。かなり目立つ格好をしており、背には危険な凶器を持っていた。当然ながら、人通りの多い昼間はこういったところでないと落ち着いて話せすらしない。
「あっ、見て見て茜ぇ! この池、蝶々サンみたいだよぉ!!」
「知らんわ、んなコトォ! そんなコトよりもだなァ、今大事なのは『燃ゆる湖』の拠点の場所だろォ?」
蒼は、その言葉を受けて大袈裟に「あぁ、そっかぁ~!」と驚いてみせた。
「全くよォ、昼間の任務ッつうのは嫌だねェ……。何しろ移動が面倒臭ェッたらありゃしねェ」
経路を確認している最中、思わず言葉が漏れた。それに、蒼は同調して頷いてくれる。
「茜なんかが街を歩いてたら、ファンのコ達に囲まれて凄いことになっちゃうもんねぇ」
茜は苦笑しながらボソッと「そういうコトじゃねェんだよなァ……」とつっこんだ。
守り人という存在は、創造神と当事者その他数名にしか顔を知られていない。交友関係等があっても、関係者以外には絶対に守り人であることを知られてはならない、という規則がある。理由は任務の際に顔がバレていると非常に厄介であるからだ。
「経路は分かったァ。ヨシィ……アジトにヤツ等が居るかは知る由も無ェが、到着したらテメェが突入しろォ。オレは逃げてきたヤツを確保するからよォ。分かったなァ?」
茜のその確認に、蒼は少しタイムラグがあってから大きく頷いて返事をした。それをしっかりと認識して彼を率いて駆け出した。背中に担いだ大きな大剣が、確かな重量感を示して揺さぶられていた。
華街の建造物の多さは異常だ。意外に高層ビルなどの高さのある建物は中央部から離れた場所にあるのだが、小さな店でも集まれば不便は無い。華街の中央通りはそれ自体が巨大なショッピングモールのようになっている。
そんな一つずつの店舗、密集した家々の間に無条件にできてしまう路地裏は、蟻の巣に引けを取らないほど複雑で、そしてどこにでも繋がっている。大きなショッピングモールを複数つくれば収まるであろう店舗を態々バラバラに街中に配置しているのは、実は守り人が自由に動ける路地裏を張り巡らせるためなのだ。
薄汚れていてやや苔生した路地裏の壁に背を張り付かせ、茜と蒼の二人は止まった。
「あの家だァ」
隣接していないと聞こえぬほど低い小声の短い一言を聞いて、蒼は無音で頷いた。少しだけ目線を合わせて首を振ると、一切言葉を交わさずまま、蒼は多少開けた道に飛び出した。
急いで向かい側の歩道に渡り、壁沿いに移動していく。蒼と遠巻きの茜の視線が貫くのは二階建ての廃れた空き家だ。窓枠には摺りガラスのように黄ばんだガラスが嵌っていて、それ越しに見える古臭いピンク色のカーテンはところどころ裂けている。外壁すらヒビが目立ち、確実に居住者は居ないと言い切れる様子だ。
その門の横にまで到達した蒼は、路地裏で待機する茜を見る。彼が頷いたのを確かに確認すると、精密な動きで門を開けて滑るように敷地内に侵入した。彼のサンダルを履いた足は確かに硬い地面を蹴って進んでおり、門は確かに動いているというのに静寂は変わらずそこにある。それが不思議で堪らなかった。
飛び石をふわりふわりと跳んで玄関前に降り立ったときも、彼から音は生じなかった。多少感じたのは、嚥下により喉仏が上下に揺れた緊張の音だけ。雪のような細長い指が汚らしいアルミ製のへこみにかかったとき、一定且つ高速度なリズムの心臓の音の主張は到頭最大になった。
何事があっても動じることの無かったあの静寂が、がらら、といきなり音を立てて崩れ去った。開け放たれた玄関前には既に人影は無く、暗くカビ臭い室内に青く白い影は呑まれていた。
突入した瞬間、濃い静寂が室内、いや世界を包んだ気がした。まるで空気が全て無くなったようだ。息が苦しくなってきたようにすら感じる。だが、次に塗り替えるは音の嵐。何者かの叫ぶ声、どたどたとけたたましく響く足音が、静寂という虚無を塗り潰していった。
蒼は己の耳のみで、彼等の場所を或る程度割ることができた。彼は生来そういった情報を感受する能力に長けていて、耳や眼等の感覚器官が非常に鋭敏なのであった。
どうやら、彼等は二階に居たようだった。二階というのは外側から侵入されることが少ない。そして意識から外れがちの逃走経路だ。多分、直ぐ逃げられる。一瞬の内に蒼は直感でそこまで意識し、息をすることも忘れて強く踏み込んだ。
眼前の階段を滑るように駆け上がると、あからさまに音が近づいたことを感じた。逃げるのに手間取っているのか、と思ったのも束の間、直ぐにその理由は判明した。上がり切って廊下に飛び出したとき、目の前には二人のガタイの良い男が立ちはだかっていたからだ。巨大な彼等の背後から窓を開ける歪な音が確かに聞こえたので、蒼はいつになく素早く背中のハルバート二本を腕を交差して構えた。
男達は小刀の切っ先を揃えてこちらに向けている。対して蒼は華奢な体に不釣り合いの大きめの凶器達を構え、余裕そうに笑っていた。
先に動いたのは大男。連携の取れていない動きでばらばらと飛び掛かってきた男達、伸ばされる二つの切っ先。今まで動かずいた蒼だったが、ふと冷たい銀のハルバートを力を込めて強く握った。次の刹那、左手に持つハルバートで左に差し出された小刀の刀身を容易く逸らした後、右手に強く握るハルバートの柄先は片方の男の脇腹の、当然肋骨の間にめり込んだ。強く呻いて弾かれる巨体を後目にもう片方は懸命に刃を伸ばしていた。だが、その腕は途中で蒼の右肘によって弾かれることになった。そのまま重心を右に流して、左脚は放るように横向きに円弧を描き、重心の崩れた巨体を蹴飛ばした。
どちらの男も儚く壁にぶち当たり、無様に地に伏せた。事が終わると、蒼はハルバートをそそくさと戻す。さも当然の如く明るい表情で手をぱぱっと払う彼は、ベルトに挟んでおいた縄を取り出して直ぐに手足と口を拘束し始めた。恐らくは三人、窓から逃げ出した仲間が居る。結びつつも早く追いかけないといけない焦燥感に駆られていたが、ふと、彼等が逃げたであろう部屋から異様な臭いを感じた。次の瞬間、扉は豪快に音を立てて倒れてしまった。同時に襲い掛かるは、風に乗って運ばれた重厚な熱。開け放たれた扉からは、煌々と燃え盛る炎が飛び出してきたのだった。
縄を嚙ませた男達は激しい驚愕と混乱に目を見開いて騒いでいる。きっと、彼等はガソリンを撒いて逃走したのだ。そして、この二人はそれを知らされていなかった。半端に拘束された二人を、蒼は何とかして抱えた。確実な重さが体に掛かり、脚は枷を嵌められたようだった。だが、彼はその細い棒のような脚を、懸命に一歩一歩動かした。
どうにかして二人を外に運び出せたときには、その廃棄処分されそうだったボロの家は全体を焼却されて処分される手前の状態であった。男を路上に置くと、蒼は直ぐに立ち昇る炎を見返った。当然屋根よりも高く上がった炎の輪郭。だが、彼は臆さない。おもむろに腕を広げて目を瞑ると、言い放った。
「……砂漠の豪雨」
黒煙立ち込める乾いた空から、突如狂気的なまでの豪雨が降り始めた。一つの家を無慈悲に焦がす炎を鎮めるように降り注ぐ針状の大粒の雨、その全てが蒼の湖の魔力で創られているのだ。どんな勢いの炎も貫き、見る見るうちに炎は勢力を失っていった。
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、蒼ははっと目を開いた。火事という災害の影響力はバカにできない。その熱や焦げ臭さは近隣住民に事態を迅速に知らせ、立ち昇る黒煙は遠くの者にさえも事態を正確に伝えてしまう。つまりは、火事現場というのは野次馬が集まりやすい。
急いでここを立ち去らねば、と男二人を再度担ごうとしたとき、これこそ勘と形容する他に無いのだが、何と無く付近に何者かがやってくる気がして、慌てて流れる水を渦潮のようにして、その中に隠れた。
案の定、隠れた途端に周囲がざわつき始めるのを犇々と感じた。今頃になって心臓は危機と安堵によって強く鳴ってくる。深呼吸をすると、蒼は担いだ男の重さを確と足腰に受け止めながら、逃げた残りの三人を追い始めた。
想定どおり、外に逃げ出してきてくれた。茜は空を飛来しながら、満足気に片頬を吊り上げて笑っていた。だが、実際はそう余裕を持っていられる状況では到底無かった。逃げてきた三人の内、二人は早々に確保した。だがもう一人、恐らく『燃ゆる湖』のリーダーであろう意外にも小柄な男を取り逃してしまった。故に、こうして全速力で追いかけているのだ。ヤツ、見た目にそぐわぬ身体能力を持っているようだ。
思い切り後方に向けた掌から放射される焱が轟轟と燃え盛り、激しい橙の光と煙が煤けた空に尾を引いていた。取り敢えず縄で拘束し路地裏に放置しておいた他の構成員が多少気掛かりだったが、恐らくは蒼がどうにかしているだろう。茜には、彼の身を案じる心配の感情は一切無かった。それは彼への大きな信頼を形容していた。
「茜ぇ~ッ!」
ホラ、と笑いながら、茜は些か速度を抑えて下方を見下ろした。丁度目下には、自らの魔力で生み出した大波にサーフィンの体勢で乗り、高速で路地裏を滑る蒼の姿があった。捕縛した『燃ゆる湖』の構成員達をぎゅっと掴んでいるイカの脚を模した水が彼の後を追っていたので、一つだけあった心配事も解消された。
彼の姿を望むと、茜は即座に両手を大空に向けた。一気に高度は落ち、蒼の無邪気な笑顔が近づく。どうやら蒼の方でも波を高めに上げていたようだ。
「逃がしちゃったコ、多分だけどもう一人居るよねぇ。そのコを追ってるのぉ?」
「御名答だァ、蒼。説明は要らねェなァ。この先にもう一人、リーダーらしき男が逃げているゥ。挟み討つぞォ。オレが先回るから、オマエはこのまま追い込めェ!」
「いえっさ~!」
次の瞬間、後方に向けた焱の出力を一気に引き上げると茜の体勢は完全に傾き、超速度と急な加速によって体が軋んだ。
先程見たので、この辺りの道は或る程度覚えている。ヤツが逃げた先は曲がりくねった道で少し複雑だ。これは推測に過ぎないが、ヤツは他の四名が時間を稼いでいる間に、普通に進むと時間が要る右折左折の多い入り組んだ道に逃げ、事前に調べておいたショートカットで自分だけ逃げ延びようとしているのではないだろうか。だとしたら到底許せない。
「んなコトさせねェからなァ……!」
彼の速度は更に上がった。そして、遂に男の姿を確認する。丁度低い屋根を走ってショートカットをしている最中だったので、直ぐに発見できた。そのままの速度で彼の上空を通過すると、少し先の方でようやく地上に降り立った。あの道からここまでは残念だが一本道だ。笑いながら肩を回すとぱきぱきと乾いた音が鳴った。
指の関節を鳴らしていると、曲がり角から件の男が身を翻しながら現れた。後方を気にしている様子から、どうやら蒼が良いように動いてくれたようだった。意外に小さな体躯の男は、茜の姿を見受けると目を見開いてこちらへ何かを向けまいとしたので、茜は即座に構えた。
脚を開き体勢を低め、両腕を存分に伸ばすと、限界まで開いた掌に力が入る。
「業火之大砲ァァ────ッ!!」
叫びと共に放射された焱。後ろにしてあった右足に最大の負荷が掛かる。他の部位もそうだ。体全体が両方向の焱の推進力によって押される。地面との摩擦で靴底は焦げそうだ。筋肉の隆起をはっきり感じる。一気にこの空間の気温が幾度か上昇したのを肌で感じた。
だが、男は小柄故に機敏さに自信があった。迫り来る焱の壁に直ぐ反応し、ひょいと壁の作動していない室外機に飛び乗って難を逃れた。目の前に居る、そして後方から追っているのはきっと守り人だろう。だが、自分の想像や世間の噂より遥かに弱いじゃないか、と結局投げずじまいの火炎瓶と隠し持っている拳銃を触りながら思い笑った。
そのほんの一瞬が、彼にとって刹那の楽園だったのだろうか。
「詰めが甘ェんだよォッ!!」
黒煙を割って眼前に現れたのは、伸ばされた左腕と相反し右の拳を肘から十分引き絞った先程の赤髪の男。見覚えがあると思ったら、今人気のアイドルじゃないか。そう能天気に想起した直後、頬を襲った激しい痛みによって、彼の記憶は一旦途絶えた。
思い切り殴り飛ばした男は、到着した蒼がふんわりと受け止めた。有無を言わさず即座にその場で多少優しくも縛られる男を見、茜は着地した。全身の緊張感が緩んだことにより生じた安堵が、一息を零させた。
「ヨシ、御仕事完了ォ! 蒼、一応服の中に危険物を隠していないか確認しといてくれェ」
蒼はいつもの調子で明るく肯いた。調べてみて、本当に火炎瓶と拳銃を発見してしまったのでそれ等をそそくさと茜に手渡しつつ、蒼は微笑みかけてくれた。
「お疲れ様ぁ~! また、随分派手にやったねぇ……。消火するの面倒臭いんだよぉ?」
受け取りながら、茜は苦笑を浮かべた。
「いつも悪ィなァ……手加減ってのが苦手でよォ。後処理の輝にも悪ィなァ」
「全くもぉ~、しょうがないなぁ。代わりに、あとで一緒に遊ぼうねぇ! 約束だよぉ」
何も宣言せず雨を降らせ消火する蒼は、笑いながら小指を差し出してきた。茜の頬は自然と綻んだ。
「泳ぐにはまだ時期が早いと思うがなァ、フフ、良いぜェ。約束なァ!」
雨の中、笑い合いながら指切りで約束を交わす姿は、まるで子供に返ったようだった。実際に彼等が子供だった頃、こうして笑い合って、普通に遊ぶ約束ができる世界もあったのだろうか。
雨は一層、強くなる。
これが彼等の裏の顔。彼等にとってはこれが日常であり、これこそが本来の仕事、本業、生業である。創造神から与えられる任務を熟すことで、社会に貢献し、世界に魔力を散布することこそが、神に仕える悪魔・守り人の仕事なのだ。任務は様々な種類があり、それは多岐にわたる。事件の捜査や犯罪者の確保等といった危ない任務の他にも、例えば、迷い猫探し、とか。
次回「森の花、日暮れの光。」