(参)悪魔ノ御仕事
陽は落ち、街のネオンが星々のように地上で輝いていた。
ネオン一つ一つが星ならば、雑草街は星の海、天の川だと静かに考えていた。
「ヨシ、皆、着替えたなァ」
狭い路地裏は五人の大人が集まっていれば更に窮屈になる。互いの距離はかなり近くなっていた。だが、それよりも気になるのは……。
「動きづらいな、この格好……」
「うぅ~、早く脱ぎたい……」
俺達は皆、スーツやドレスといった高級感があり堅苦しい格好をしていた。加えて手袋やネクタイもしている。普段、茜以外の面々は御洒落には無縁で、恐らくクローゼットに同じ種類の服(しかも戦闘用)がずらりと並んでいるような人間だ。輝は教師であるため授業参観日にはスーツを着用するものの、ここまでかっちりとしていて重い服を着る機会は微塵も無い。
「慣れない服は疲れるわね……。ねえ、茜。本当にここまでする必要はあるのかしら?」
花林は普段から主に実験時に着用する白衣を羽織りロングスカートを履いているので、現在着用している露出度が高い妖艶で美麗なドレス姿は新鮮だ。本人は違和感があるらしく、窮屈そうにしているのは見て取れた。
「当たり前だろうがァ! 白衣のまんまバーに行くヤツが居るかよォ! 居たわァ、直ぐゥ、近くにィ!! 夜の街じゃ違和感オオアリなんだよォ!」
現役アイドルに痛烈に批判されたら花林でさえもぐうの音も出ない。元より早く脱ぎたいので抗議しただけだったようなので、否定されたらそれまでだった。
「おい、茜。声がでけえよ、近所迷惑だろうが」
俺が小声で指摘すると、茜の鋭い目がこちらを向いた。
「無我夜、オマエもだァ! 一番スーツを着ようとしなかったのはオマエだぞォ! どんだけいつもの黒パーカーとジーンズが好きなんだァ!? 同じ黒だろうがァ! ソレにィ! ココ、廃ビル街じゃねェかァ!! 近所もクソも無ェわァ!」
そう、ここは雑草街の中でも荒廃した場所。今や誰も住まぬビルが無意味に所狭しと立ち並ぶここは、異様な静寂が停滞して漂っていた。
「本当に、こんなところにバーがあるの? 居れば居るほど信じられないんだけど」
輝は不安そうに眉尻を下げた。
午前中、発布された依頼の担当者を決めてから、件の神隠しバーを探すところから捜査任務を開始したのだが中々見当たらず、結局、芸能界という広大なフィールドの中で高い地位であるアイドルに所属するA-Kaneもとい茜が、どこかからの噂話を元に捜索して発見した。
「まァ、ついてきなァ。間違いねェ筈だぜェ。さァ行くぞォ……ッて、そういやァ、蒼はどうしたァ?」
茜が皆を率いて進もうとした後、再度止まったので、俺は襟を掴んでそれを引き摺ってくる。
「花林のドレス姿を見た瞬間、鼻血出してぶっ倒れたぞ」
ティッシュ製の鼻栓を詰めたへろへろの蒼を見ると、茜は笑い呆けた。
「……負ぶってけェ!! オラァ、行くぞォ!」
皆々から輝を除いて比較的静かに「おー」と上がると、茜はようやく歩き出せた。
廃ビル街の針穴のような路地を縫うように進んでいくと、どこからかする香水のような甘い香りが次第に強くなり、何故かビルには光が灯り始め、こぢんまりとした居酒屋や風俗なんかがネオンを光らせていた。その割に、人の気配は感じないのが不気味だった。
「……着いたぞォ」
先頭の茜が足を止めると、後ろの俺達も連動して歩みを止めた。
「わぁ~、何か、凄い大人な感じだねぇ~……」
俺が背負わずとも歩けるくらいには回復した白いスーツ姿の蒼は、口に両手を当てて呟いた。
目の前にあるのは、ムーディーなショッキングピンクと闇を彷彿とさせるパープルをしたネオンの看板が呼び込む、落ち着いた雰囲気の小さな店。確かに、ここに白衣やパーカーで来るのは無謀だ。
「ココは『Bloody』という名のバーだァ。聞いたトコロによれば、来店した客は二度と帰ってこねェらしい。ココに来た者の殆どはカネモチや豪遊者だァ、こういうトコロには慣れてるゥ。オレ達はそういうヤツ等のフリをして入店するんだァ。変な行動は止せよォ。変に怪しまれたら捜査が失敗する可能性があるからなァ」
各々頷いたのを見ると、茜は一人に目を向ける。彼の目線が見つめるのは白スーツだ。
「蒼、オマエは特に気をつけろよォ、一番心配なのはオマエだからなァ。花林にくっついとけェ」
「は〜い、分かったよぉ」
茜の念押しにいつもの調子で返した蒼は、言われたとおり花林に寄り添う。もう花林の刺激的な姿には慣れたようだった。
「ヨシ、行くぞォ」
茜が先陣を切って、バーの扉に手を掛ける。開くと、中のムードが解放されて、外に漏れ出した。鼻にツンと来る香水のニオイと煙草のヤニ臭さが一緒くたに交じり合った空気は、正直吸うことに嫌気が差した。
「いらっしゃい」
低い声はカウンターの中に立つ中年男性のものだった。確かカクテルシェーカーと言ったか、銀のコップのような物を重ねて振っている。その音が心地好い。
「マスター、オススメを一杯ィ。コイツ等にも同じ物を二杯くれェ」
至って自然にカウンター席に腰を下ろした茜は流石だ。蒼も意外と花林をエスコートして優雅にその隣へ座る。俺と輝は目線を合わすこともせず、隅の方の席に移動した。
「こちらにも二杯、貰おうか」
俺も手を小さく挙げて発言すると、マスターは五つの注文全てを纏めて頷いた。
雰囲気の良いジャズミュージックが流れる店内には、どうにも分からぬ静寂が滞っていた。恐らくは俺達の間には同じ緊張が一本の糸を張っている。
周囲を確認すると、店内には俺達以外の客は居ないよう思える。店員も今のところ見えないが、恐らくウェイトレスくらいは居るだろう。
多少時間が経ち、マスターがシェーカーを振るのを止めると、奥から案の定ウェイトレスが登場する。グラスに注いだ液体は余りにも綺麗な色彩を放っていたので、俺は目を奪われそうになった。
「お待たせしました、当店オススメのカクテルです。どうぞ、ごゆるりと御堪能ください」
ウェイトレスが五人に同じ種類の物を配っていく。目の前に置かれたそれは赤みがかった照明の光を受けると、宝石の如く輝いた。
皆の視線が、静かに花林に注がれているのが分かった。
彼女は薬学に精通している。自分の森属性魔力を利用して好みの毒を調造したり、陰ではミュータントを製造していると聞いたことがある。先ず提供された飲食物を口に運ぶのは花林、と決めていた。
「早速、いただくわ」
そう前置いて、彼女のすらりと細い指はグラスに向かう。嫌に長い時間が過ぎているように感じた。自然と心臓が盛んに動き、この濃密な静寂を搔き消そうとしていた。彼女がグラスを唇に当てて傾けるときに、心臓の足搔きは最高潮を迎えた。彼女の喉の微動は普通に飲むときと少々違った。
花林は目を見開いた。左側に座る蒼の袖を引っ張ると、蒼も茜の袖を引いた。
「……」
誰も何も言わなかったが、全員が情報を共有できた。その情報とは、このカクテルには何らかの薬が入っている、という恐ろしい事実だ。
皆が揃ってカクテルの入ったコップを傾ける。決して嚥下しないように。絶対に、飲み込まないように。
「へェ……マスター、コレ、美味いよォ」
茜がそう言うと、マスターは表情一つ変えずに「どうも」と返した。
暫くは静寂が続いた。俺達には薬の効能が分からないので、下手に動けない。動くとしたら、花林が動いてからでないと無理だ。皆は静かに、花林が派手に動くのを待っていた。
或る時、唐突に。花林の口が動いた。
「少し、酔っちゃったかしら」
皆に最上の緊迫感が再臨した。花林がどう出るか、この空間中の視線が一点に注がれているのが痛いほど分かった。すると、次に花林は、電源を抜かれたロボットのように急に前方にバタリと倒れた。
その瞬間、皆が理解したのだろう。今度は半ば大袈裟に花林の方を向く。
「大丈夫、かり、んッ……」
花林の背に手をやり、揺すろうとしたまま蒼も花林の背に凭れるようにして倒れた。隣の茜も唐突に滑るように前に倒れる。
今度は俺達の番だろうか。と思ったとき、輝も順当に倒れた。俺は一芝居打つか、と考えて、少し粘っているように悶えつつも、最終的には底など見えぬほど深い眠りに落ちた(ように見せた)。
違う種類のカクテルを交ぜていたマスターだったが、急にそれを振るのを止める。
「おい」
そう声を出すと、裏から十人程度の足音がし出した。そんなに居たのか、と狸寝入りしながら思う。
カクテルの中には睡眠薬が入っていたのだろう。彼等の反応からして、花林の推察と俺達の推察は当たっているようだ。俺は、腹の底からクツクツと湧き上がる勝者の笑いを必死に堪えていた。
「食事の時間だ、乾杯」
周囲に気配を感じつつ、その声を聞き届けた。体に何者かの熱が近寄り、腕を掴まれる。想像以上に強い力で握られたので少し反応してしまった。一瞬筋肉に力が入るが、その反応は逆に自然だったのかもしれないと思い、気付かれてもいなそうだったので演技をもう少しだけ続行した。
「今日も美味そうな人間が来てくれたな、少し筋肉質で硬そうだが……。十分俺達の牙は通る。こんだけ若けりゃ美味い血も出るだろう」
ここまで聞けば十分だ。首筋に嫌な生温かい息がかかった瞬間に、目を開いた。
刹那、ほぼ同時に重い物が倒れる重量感のある音が店内のそこかしこから響いた。床に伏すのは、服の下に折り畳んでおいたことが窺える皺のついた羽を裾から覗かせ、口の中の白い牙がやけに目立つ人型。即ち──。
「良い夢を見させていただいた、『ヴァンパイア』……! いいや……夢を見ていたのは、そちらか」
確りと動けないように固く拘束しつつ、そう嘲笑した。相反して、奴等は皆揃って驚愕の顔を見せている。そりゃあそうだ。何せ、睡眠薬入りのカクテルを飲んで夢の中に居た(と思われた)食料達が唐突に目覚め、仲間をそれぞれ一人ずつ、つまり五人ぶっ倒して拘束したのだから。
「か、噛み付けッ! 無理矢理でも良い、血を吸って眷属にしろ!」
元はマスターだった吸血鬼の号令で、手の空いている残り七人が俺達の元へ飛び掛かってきた。それぞれ素早く構え、戦闘が始まった。
「ヴァンパイアは血を吸うことで眷属をつくる。決して血を吸われないように。また、ヴァンパイアは一種の感染症だ。今の医療なら治る。ので、慎重に確保するように」
三人の吸血鬼を相手しながら俺が放った言葉には誰も何も返答しない。だが、それで良かった。返答せずとも理解は伝わる、返答無くとも伝わったことは確実だ、という確信が、俺達の間にはあった。そういう不思議な間柄、それが俺達五人、守り人だ。
花林が用意して各自装備していた塗布式睡眠薬の効果は絶大で、それの御陰で吸血鬼と化した者達を無力化することができた。
「ねぇ! もう、脱いで良いよね!? ね!!」
煽情的にシアー素材が組み込まれたドレスを着ていた輝は、今この瞬間にそれを脱ぎ捨てそうなほどの勢いで茜に訴えた。当の茜は無力化した者の口に布を噛ませながら呆れつつ返した。
「あ、あァ、もう構わねェよ。好きにしなァ。但し、早く着替えてくれよォ? 全員またココに集まったら、コイツ等を一旦マールムに運ぶからなァ」
それを聞いたか聞かまいか、輝は大分重ねて頷くと共に返事をすると、持ち前の、力を抑えた光速移動で、バーに一応は備え付けてあった女子トイレに駆け込んだ。茜が話す前に既に居なかった花林は、推測ではあるが待ち切れずに先に着替えているのだろう。
「で、よォ……何でテメェはもう着替えてんだァ、無我夜ァ!? イツの間に着替えやがったァ?」
四肢を縛る縄を再確認している俺を見て訊いてきた茜に、少し考えてから返した。
「少し前、と言ったところか。確か、お前が一人で縄を結んでいたときだったか」
「だから居なかったのかよォ!! 一番危ねェトコロで何してんだテメェ! そういやァそうだァ……蒼はァ?」
周囲を見回しながら尋ねてきた茜に俺は後方を親指で指しながら教えた。
「蒼はバカ正直にカクテルを少しだけ飲んだみたいで、そこで深い眠りの中だ」
「叩き起こせェ────ッ!!」
夜も更けてきたが、街はまだ眠らない。
悪魔は暗躍する。今日も、明日も、その先も。だが、彼等には悪魔以外の顔が存在する。一人の場合、皆を笑顔にし、魅了し、熱狂させるアイドルだとか……。焱の魔力を司る悪魔が、何やら魔力についての特集に参加するようだ──。
次回「秘密之事」