(二一)化け物か、人間か。
大盤の月を覆う雲は一向に流れないで、未だ街を濃い影で包み込んでいる。
カーテンの閉ざされたカフェ「Black&White」は、内部に光源が存在するのを秘匿するように静寂を湛えて佇んでいた。店内で、五つの体温が蠢いている。
「━━それから、おれたちは廃遊園地に住み着いた。誰も来ねえと思っていたんだ、が、来ちまったんだよ。人が」
切は、コップを握ったまま語る。苦虫を噛み潰したような、バツの悪そうな顔の四人。無我夜は冷淡な表情で黙っている。
「もう、どうしようもなかったんだよ。強制されてたにしても、おれたちは大量殺人鬼だ。通報されたら、捕まったらどうなるか、分かったもんじゃない。それに、腹も減ってた。だが、何か買うにしても金がない。だから、殺した。仕方なかったんだ。初めてだった、自分の意思で人を殺したのは。殺して、財布も盗った。おれたちは、もう、被害者じゃない。ただの、人殺しだ」
どことも言えない机上の一点を眺める切。その瞳が震えているのを、無我夜は見ている。机上に置かれた砂夜の握り拳に力が入っているのも、三令が奥歯を噛み締めるのも、冷が下唇を小さく噛むのも、すべて認識した上で、無我夜は黙っている。沈黙の店内で、BGMだけ虚しく再生を続けている。切は揺らぐ息を吸い込む。
「空腹に耐えかねたおれたちは、街へ出ることにした。頭は回ってなかった。街になんか出たら騒ぎになって通報なんてされ放題だが、そんなことを気にする栄養素はもう体のどこにも残ってなかった。とにかく、食いものが手に入ればそれでいい。金なら盗ったものがあるから、何かしら手に入るだろうと思っていた。そう考えてたおれたちが、馬鹿だったんだ」
各々のコップに注がれた紅茶は一向にその嵩を減らさない。無我夜のカップに注がれたコーヒーだけが、少しずつ減っていく。下降する黒い水面から、湯気は立ち昇っていない。
「この街に着いて、夜だった。明かりの点いている建物を、片っ端から尋ねた。ノックして、扉が開いて、おれたちの姿を見るなり、悲鳴が上がる。おれたちを畏怖する眼、嫌悪する眼、気味悪がる眼を、幾つ見たか分からない。バケモノ、とか、怪物、とか、罵詈雑言……にもなってない。それは、あっちから見えている事実だ。もう聞き飽きた。おれたちを罵る言葉や、蔑む言葉は、そういやあまり聞かなかった。少数のそれらは、全然よかったよ。それよりも、おれたちが聞いたのは、ただ、恐怖に起因した悲鳴と事実を叫ぶ声がほとんどで、それが、どうしようもなく、おれたちはもう人間じゃないんだって、そう突き付けられてるみたいでッ」
腕をテーブルに叩き付ける切。彼女の最も人間ではない部分である刃先を上へ向けて、自分は化け物だと、二度と自分に知らしめないように。衝撃で、コップが切の捕縛から、する、と抜けて床に落ち、薄茶色の液体を吐き出す。既に店内を支配する静寂は、切の荒い息遣いも吸収する。BGMの継ぎ目で、真正の無音が顕現する。
「ごめ~ん! 明日までの丸付け作業忘れてて、それやってたら遅れちゃっ、た」
無音を切り裂く場違いな明るい声。四人の体が一瞬の硬直の後、臨戦態勢に入る。前傾姿勢で力の入った四人は、声の方向をじっと見ている。カウンターの奥から出てきた金髪の女性は、大量の荷物を抱えながら見知らぬ四人と兄のいるフロアを見る。四人の視線が彼女を貫く。一瞬、硬直する女。
「あれっ、お兄ちゃん。その人たち、お客さん?」
人。
四人、目を見開く。カウンターから出てきて手頃な机に大量の本やらノートやらを雑に置いて、こちらへ寄ってくる女から、目を離せないでいる。
「まあ、そんなところだ。こいつは日暮輝、俺の妹だ。安心していい。今、この四人の話を聞いていた」
「そうだったんだ」
四人の全身から力が抜ける。椅子に崩れる三人と、両手をだらんと垂らす三令。衝撃によって、未だ輝から目線を離せない四人。切は、声を零す。
「お前、今、おれたちのこと、人、って言ったのか」
無我夜と話していた輝が切の眼を見る。何とも思っていないかのような淡白な表情を向ける。
「うん、だって、人でしょ」
ヒビ割れた眼球に、雫が湧き立つ。冬の朝みたいな、鼻頭をツンと刺す痛み。熱ぼったい眼窩。彼女が女神でも天使でもないならば何なのか、と四人は思う。光そのものみたいな輝を、四つの視線がじっと見つめている。
「ね、私にも、聞かせてみて。君たちの話」
おもむろに無我夜の隣に腰掛けて、四人と向かい合う輝。彼女に催促されて、四人はまた最初から、同じ話を語り出す。話している最中、輝は一言も発さないで、ただその口から放たれる凄惨な過去を受け入れていた。
無我夜に話したところまで話し終え、切が一息吐くと、目の前の金髪が突如立ち上がったのでぎょっとする。真っ直ぐこちらへ向かってくると、次の瞬間、四人まとめて包み込むように抱擁した。四人は混乱して、せめて彼女の身を傷付けないように各々細心の注意を払う。こちらの体に顔を埋めるように、強く優しく抱き締めていた輝が、ふと顔を上げる。泣いている。全身を、骨の髄まで包み込む心地好い暖かさを、四人は初めて知った。太陽みたいだ、と彼女らはふと直感した。
「辛かったね、苦しかったね。よく頑張ったよ、今まで、本当に、よく生きてきたね。よく、逃げてきたね」
ふと、頬を伝う生暖かい感触で、切は自分が泣いていることに気づいた。他の三人もそうだ。堰を切ったように溢れ出す清流を、自分の意思ではもう止められない。震えるでもなく、叫ぶでもなく、ただ落涙している。砂夜は言葉を漏らす。
「ナンで、アンタらは、こンなアタシらに、飯をくれて、そンな言葉をくれンだよ」
「もう、ダメかと思ったんだ。おれたち、折角外に出れたのに、結局四人で野垂れ死にかって、世界を憎んだ。神を恨んだ。でも、お前が店に入れてくれた。飯をくれた。こんな見た目の、ただの人殺しを。どうして、こんなことした。してくれた。おれたち、生きてて、本当にいいのか」
砂夜の言葉に切も続く。息を吸う輝の背後、一人この空間で空虚で冷淡な表情をしている無我夜が輝を遮るように声を発する。
「━━言っただろう。俺も、お前らと同じだ」
空っぽな眼で、四人を見る無我夜。コーヒーを一口啜ってカップを机に戻す。
「輝」
無我夜に名前を呼ばれて振り返る輝。彼の空虚なあの眼を見ると、彼女の表情がすんと変わる。
「あっちの話は聞いた。次は、俺の話もしようと思う。俺が、駄目そうなら、止めてくれ」
「……そっか。うん、分かったよ。お兄ちゃん」
二人の間に存在する特異な雰囲気。その存在を、四人は確かに見て取る。話がついたようで、二人見合わせていた目をこちらへ向ける。同じ眼だ。先程まで輝の眼にあった光は、今はどこにもない。何もない、深淵みたいな眼だった。無我夜は、肺の奥深くまで息を吸い込んで語り出す。
「俺の家には、双子の妹しか家族がいなかった。俺と、妹と、あともう一つ、父親を名乗るバケモノの、三人暮らしだった」
四人の怪訝そうな顔に呼応するように、無我夜は続ける。
「母は、俺たちが生まれてすぐ、死んだらしい。交通事故だったそうだ。俺たちは、母の顔も、声も、名前も、墓さえ、何も知らない。それもこれも、全部、俺たちの唯一の親だとほざくあのバケモノの所為だ。家に、母の写真はなかった。棄てた、とあのクソは言っていた。俺がアイツをバケモノだと呼ぶのは、それだけが理由じゃない。全然、そんなもんじゃない」
コーヒーの水面みたいな瞳。黒くて、暗くて、深い。四人全員と合っているようで、何も見ていないようなそんな眼。力の抜けているように見える身体で彼は語り続ける。
「アイツはあまり家にいなかった。俺たちに飯も与えず、いつもどっか遊び惚けていた。だが、たまに帰ってきたアイツは、輝を見るなり、いつも殴った。蹴った。まあ、何でもいいが、輝の小さな体に、筆舌し難い暴力を振るおうとする。だから、アイツが帰ってきたとき、俺は輝を押入に隠して、代わりに殴られた。輝がいないことの腹いせで殴られるときが多かった。そうだな、それに、腹が減ったらアイツが買い込んだカップ麺やら冷凍食品なんかを食い繋いでいた。そのことを詰られて踏み躙られたときもあったが、別に、それは辛くなかった。輝を守れるなら、俺が幾ら暴力を受けたってどうでもよかった。だが、ある日のことだ」
彼の痩身が小さく震え出す。膝に置かれた拳には、自壊するほど力が入っている。赤を通り越して白くなって、血が滲む握り拳。
「輝を隠すのが遅れて、アイツに見つかった。あのときのアイツの、あれは、人間じゃない。バケモノの、血走った眼を、息遣いを、怒号を、迸る殺意を、今でもはっきり、夢に見る」
激震する身体。その全体から迸る黒い煤のような粒子。
「輝の小さな身体に馬乗りになって絞め殺そうとするアイツを」
店内の灯火を覆う闇の粒子。点滅、終に暗転。
「止めようとして」
紫に、ぼんやり光る紋章の瞳孔。静寂に、荒げる声。
「はじきとばされてっ」
過呼吸。
「それでッ」
「━━お兄ちゃんッ」
突如、明転する。彼女の何倍もの無我夜の全身を余すことなく包み込むように、輝が強く抱擁しているのを照らし出すライト。
「大丈夫だからッ」
「……かがや」
「もう、大丈夫。もう、話さなくていいんだよ。私は、もう、大丈夫だから」
「……ごめん」
無我夜の瞳孔の光が鎮まる。輝のそれに応じるように、そっと、しかし、力強く、二人の存在を確かめるように抱き締め返す。しばらく、そうしたまま、二人は動かなかった。
ジャズピアノの旋律が、空中で飛び交っている。
「すまない。これが、俺の話だ。俺は唯一の家族を、輝を護るためなら、何だってする。そう決めて、今、俺はここにいる。あのバケモノを殺すことが世界から肯定されないなら、俺たちは飢えた体で殴り殺されればよかったのか? 違うだろう。どうしようもなかった。それだけだ。何があったって、例え人殺しだったとしても、俺は、輝がいる限り、絶対に死んでやらない。だから、お前らも生きればいい。俺はそう思う」
コーヒーを飲み干した無我夜。乾いたカップを机へ戻して、四人に向き直る。長時間放置した陶器製マグカップみたいな、冷淡な顔。瞳の奥の煮詰まった激烈な憎悪を、液状に融解した熱を持つ狂愛を、切は確かに見た。
「……会計は」
おもむろに立ち上がる切。それに引っ張られるように、他の三人も席を立つ。
「お前らの話と、俺の話を聞いたのが勘定だ」
「えっ、いや、そういうわけにゃ……!」
焦りながら血塗れの財布を取り出す三令。輝は微笑む。
「お兄ちゃん、頑固だからさ。一度決めたら何を言っても聞かないよ? だからさ、大丈夫!」
「……そうか」
潔く折れた切。踵を返し扉まで向かい始める四人に、輝は呼びかける。
「帰っちゃうの……?」
四人は振り向く。切が口を開く。
「おれたちは、ここにいるべきじゃない。ここは、お前たち二人が、二人だけでいるべき場所だ。だから、おれたちはおれたちの在るべき場所へ行く。あの遊園地には戻れねえが、また違う場所がきっとある」
「そっか……私、四人には、幸せになってほしい。辛いことなんて、もう、十分だよ」
「辛くたっていい」
切の言葉に驚いてから不思議そうに眉を顰める輝。顔を見合わせ、再び輝に向き直る四人。四人揃って、口角を吊り上げた腐った笑いを見せる。
「決めたんだ。おれらが何者で、おれらがどう生きるかは、おれらがおれらの力で決める。例え誰がおれらを死すべき存在と思っても、おれらは四人、死ぬ気で生きていくさ。きっとこの後、おれたちのことで通報が相次いで、この店にも迷惑をかけるかもしれない。先に謝っておく、申し訳ないな。飯をくれて、言葉をくれて、おれらに道をくれて、本当にありがとう。おれたち四人、お前たちに、心から感謝する。じゃあな」
自分の手で扉を開ける切は、輝に次いで無我夜の目も真っ直ぐ見つめ、感謝を伝える。他三人も感謝を口にしたり、お辞儀したりする。ドアのベルが月夜に響く。四人の背中に「いつでも来てね!」と大声で叫んで大仰に手を振る輝。言葉を発しなかった無我夜だが、その眼はしかと四つの影を見ている。
ドアが閉まる。店内を全反射する一面のガラスには、彼女らを見つめる二人しか映っていない。二人はただ、静かになった店内で、立ち尽くしていた。
厚い雲の向こう、確かに大盤の月はそこにあるのだろう。
未来へ進む四人を、月は照らしてくれないが、それでも彼女たちは暗がりの街路を歩いていく。雲の向こう、月が落ちて日が昇り、正義は動き出す。
次回「罪、累。」




