(二十)宝物以上、家畜未満。
━━石だ。
目が覚めたら、目の前は暗い灰色で、どうやら仰向けになって寝ていた。冷たくて硬いベッドは眼前の石造りの寂れた天井の所為で墳墓の石室に思える。
何も分からなかった。
ここはどこで、おれはだれだ。おれは何も知らない、ということだけ漠然と知った。びっしり書き込んだはずのメモ書きを消しゴムで無理矢理すべて消されたノートのような、汚れてヨレてぐちゃぐちゃになった脳味噌で、起き上がろうとする。
背中とベッドの間で、何かが激しく蠢く。巨大な蟲のような、ミミズか、ムカデか、はたまたヘビか、何か分からないナニか。衝撃と嫌悪と恐怖がおれを飛び起きさせる。黄ばんだベッドだ。はだけた薄い掛布団。ビリビリに裂けたシーツと枕。ベッドの上には何もいない。
おれの背中に違和感がある。背中だけじゃない、頭にも。さっきの蟲のような感覚が、背中と頭頂部に引っ付いて暴れている。気持ち悪さに全身が粟立つ。居ても立ってもいられなくて、それから逃れるべく身体をくねらせながら背中のその感覚へ、手の届きそうのない位置へ手を伸ばそうと、手を、伸ばそうとした、が。
手が、ない。いや指の感覚がない。変な感じ。地震か、と思ったが、それはおれの身に走る激震で、手が震えているようで、それは今までのおれの手じゃないと、目で見る前から分かる。後ろへ回したそれを、恐る恐る前へ持ってくる。
普通の、おれの、人間の腕。その先端、本来手があるはずの位置に、それはなく、手首からそのまま凹凸のない腕の延長のようなものが伸びて、先端に向かうに連れて薄くなりつつ窄んでいる。気色の悪い肌色の外骨格のような棒。それに溶接されたように接合する、浅黒く変色した薄い刃状の硬質な何か。
鎌だ。腕が、おれの手が、カマキリみたいな、大鎌みたいな、鎌になってる。
周りを見る。焦点が合わない。歪み、ぼやけた視界の端が、全身を巡る血管の激烈な滾りと同調して脈打つ。空気を必死に吸い込むが、酸素分子はおれの肺胞に引っ掛かることなく風船に空いた穴のようなどこかから漏れ出てしまう。暗い、狭い部屋だというのは分かる。暴れ回る心拍と同期した定期的な疼痛が襲うこめかみを押さえ、しばらく暗闇を睨んでいると目が慣れてくる。部屋の隅に合わせて置かれたベッド。枕のある側とは反対側の壁に、石ではない、もっと滑らかで微妙な光を湛えた長方形があることに気づく。鏡だ。おもむろに、覚束ない足取りで一歩ずつ、ひた、ひたと進み、鏡面に向かって立つ。
ばけものだ。暗闇に、一体のバケモノが佇んでこちらを驚愕の表情で見ている。カマキリみたいな両手をだらんと垂れ下げた長髪の女。背中から四本、脳天から二本、うだうだと身体の周囲を付かず離れず揺らめく蟲みたいな触手。それぞれの先端で、光を吸収する浅黒い鎌が、おれを、バケモノ自体を切り裂かないように居心地悪そうに右往左往している。
血の気が引けるときは、海みたいな音がする。何も分からない。何も理解りたくない。夢だ。そうだ夢に違いない。確かめようと、自分の右腕の内側に自分の左手の鎌を沿わせた途端、床くらいの冷たい一瞬の感覚の次、おれの体内から止め処なく沸き立つ熱。真っ黒い熱湯がぼたぼたと垂れて冷えた床で弾ける。これはゆめ。たまにあるだろ、死ぬほどリアルな夢。死んだと思った瞬間、そこには心臓バクバク冷や汗だらだらで横になって目をかっ開いている自分がいる。これはまさにそれだ。ゆめだ、ゆめだと口に出すおれの意識を、今この場にいるおれの、沸点間際の傷の熱さと融点間際の脂汗の寒さ、腐った鉄みたいな臭いと喉奥から沸き立つ胃液の臭いが、無理矢理現実に引き戻す。
突如、ジカジカした光が、この世で最も汚いおれの背中を刺す。雨天の路上に放置された新聞紙みたいな、汗か涙か涎か洟かよく分からない液体に塗れた顔で振り向く。鉄格子だ。純黒の太い鉄格子の向こう側、見知らぬ誰かが立っている。この姿を、醜悪なこの化け物の姿を、誰にも見られたくない。と、掛布団を取ろうと咄嗟にベッドの方に手を伸ばす、ものの、おれの手は手じゃなくて、手を掛けようとしたベッドがいとも簡単に真っ二つに切断される。息を呑む。空間の無音を、隙間風のようなおれの過呼吸と機関銃の銃声のような鼓動が埋める。
「寝起きから随分元気がいいねえ。おはよう。管理番号F:064」
白衣の男だ。左眼を覆う白い眼帯。その上から更に眼鏡を掛けている。胡散臭い満足気なしたり顔で、口の両端を吊り上げて片目を細めておれに笑い掛けている。無造作に伸びたボサボサの髪から覗く病的に白い肌。
「あれっ、怪我しちゃったのかい⁉ 大丈夫かい? 後で手当してあげるからねえ、これからは怪我しないように気をつけるんだよ」
「おまえは、だれだ」
力ない声が喉を震わせ空気を揺らす。男の鼓膜まで届いたか分からない声が、おれの生命維持のサイレンに掻き消される。
「ああっ、ごめんねえ。名乗るのが遅れてしまった。ぼくは探心学。君たちの体をよりよいものにしてあげたのは、このぼくだ。これからよろしくね」
どういう意味だ、今の。耳にしっかり届いたはずの男の声は、その内容が内耳につっかえてしまったように意味が分からない。何度も、何度も何度も、さっきの男の発言を脳内で文字起こしして声付きで再生する。
「お前が、おれを、こんなんにしたって、今、言ったのか」
「え? うん、そうだよ。ああ、感謝の言葉は要らないよ、君たちはぼくの宝物だからね。そこにいてくれるだけでいいんだから」
ころしてやる。
体が反射的に男に飛び掛かろうとした。脚の筋肉の爆発、腕の筋肉の収縮、禍々しい触手共もその切先を男に向ける。一瞬の出来事。
ガシャン。
鉄格子に身体をぶち当てながら両手の鎌と計六本の触手の鎌を格子の間隙から伸ばす。しかし、鉄格子に触れた瞬間、全身に張り巡らされた中枢神経及び末梢神経に落雷が駆ける。身体の内側にガソリンをぶち撒けて放火したかのような瞬間的な未曾有の熱、突如全身の骨から体外へ無数に鋭利な長い針が生えたかのような肉を貫く痛み。それはまさに落雷だ。感電、という言葉では表現できない劇的な衝撃。骨格丸ごと引っこ抜かれたように、床へ落つおれの体に、自分の意思は介在していない。いつまでも永遠に残る体内の痛みと熱に、ただ悶絶して踏み潰された蟲みたいにぴく、ぴくと無様に痙攣する以外の選択肢は強奪される。
「……危ないなあ。どうしたの、そんなに怒って。落ち着いてお話ししようよ」
上手く力の伝わらない四肢に無理矢理芯を入れて、男を下から睨み付ける。まだ感覚の慣れない触手を、男の方へ伸ばした刹那。
「アぎゃ」
身体を再び襲う落雷。なんで、あの鉄格子には、触れていないのに。触手は力を亡くし、べた、と地面へ墜落する。口を閉じられず、口の端から垂れた涎が氷のような床に滲む。
「君は随分と乱暴だねえ。大人しくしていた方が、君の身のためだよ。君たちの体に、少し細工をさせてもらってね。今の君たちの体は、とても電気に弱い。それに、君の首筋、見えるかな? 管理番号が刻印してある。それ、ただの刻印じゃなくてねえ、電気回路を組み込んでいるんだよ。だから、ぼくが持ってるこのボタンを押すと」
落雷。
「君の体に強い電気が流れる。だから、あんまり暴れられるとこれを押すしかなくなっちゃうからさ、大人しくしていてね。ぼくだって、君たちを大切に扱いたいんだからさ。ぼくにとって、君たちは宝物なんだから。ああ、ちなみにもう分かっていると思うけど、この鉄格子には常に電流が流れてるから、触ったり、況してや切断して逃げようなんて考えないでね」
朦朧とした意識の中で、男がこちらを見下げて笑いかけている。気色の悪い、腐ったみたいな顔で。
「じゃあ、また食事のときには放送でアナウンスするから、それまで待っていてね。F:064……だと味気ないから、名前を付けてあげよう。鎌ヶ崎切。君は今日から鎌ヶ崎切だ。またね、切。よい夢を」
世界が遠ざかる。男が薄くなって消えてゆく。力を込めたくても入らない身体で、おれは気絶するんだと実感した。イイ夢なんて、悪夢より酷い現実のおれが、見れるわけなかった。
次、目が覚めたのは宙を裂くほどの爆音の所為だった。石室のような天井を、おれは見ていた。ふと顔を横倒す。いつの間にか床に敷かれた布団の上で寝かされていたようだ。右腕の圧迫感を見遣ると、傷の部分に包帯がぐるぐる巻きにされていた。
爆音は鉄格子の向こうから聞こえる。割れんばかりのアラームのような電子音は時々不快な超高音を出しておれの鼓膜を劈いた。先程の電流の所為もあるか、爆音の所為か、頭が鈍く痛んで五感がぼやける。
『おはよう、ぼくの子供たち。食事の用意ができたから、食堂へ来るように。部屋の扉は自動で開くから、少し待っているように』
またジカジカした光がまばらに点灯する。それと同時、鉄格子の方からビーと音がして、その一部が扉の要領で滑らかに開く。そういえば、腹が減った。最早空腹感すら感じないほどの空腹を認識する。こんなになってしまったおれがこれからどうするのか、おれは、どうしたいのか。
絶対に、ここから出る。おれをこんなにした男を、いつか必ずこの手で殺す。
といってもこの場所のことはまったく分からないし、どうすればいいのかも分からないが、とにかく、飯を食わなければ。義務感の駆ける身体は、おれの衝動とは裏腹に中々動いてくれない。しばらく、おれはクソほどつまらない寂れた天井をぼんやり眺めていた。
廊下から聞こえるひた、ひたという足音が幾つも幾つも通り過ぎてゆく。その反響に至るまで、その仔細のディテールまで感じ取れる。五感が戻ってくる。
しばらく経っただろうか、徐々に身体に力が入るようになってきたため、ゆっくりと、石像のように起き上がる。食堂とやらの場所も知らない、そもそもこの場所が何なのかすら知らないが、ひとまず牢屋から外へ出た。
長い廊下だ。延々と、一定間隔で蛍光灯の灯った灰色の筒が続いている。床に、ご丁寧に食堂への方向を指し示す矢印が塗装されていたので、おれは示された方向へ裸足で踏み出した。
長い廊下にはずらっと、おれが入っていたのと同じような、格子に番号の記載された看板付きの牢屋が並んでいる。おれの隣室を覗く。蜘蛛の巣状のヒビが無数に走る床と壁。部屋の隅には、恐らく元々ベッドだったのであろう金属の塊とカスのような無数の布切れが残骸となって放置されている。さっきの、悪い夢よりもっと最悪な現実を再認識する。歯の痛みで、おれが歯を食い縛っていることに気付いた。先へ進む。更に隣室をちらと見遣る。一目見て過ぎ去ろうとしていたおれの目を捕まえる明確な異常。ベッドが、宙に浮かんでる。部屋の中を観察するが、破壊や自傷の痕跡は見つからない。その、至極普通な部屋に唯一存在する異常だからこそ、その異常性が際立って見えた。腹が低くいななく。眼前の不可思議から目を逸らして、先を急ぐ。足の裏に小さな石の粒が刺さって、歩きにくかった。
長い廊下を何回か曲がって、徐々に響めきが聞こえてくる。騒ついた空間に足を踏み入れる。開けた部屋だ。廊下と違って絨毯が敷かれているようで足裏はそれなりに心地いい。しかし、鼻を刺す刺激的な悪臭がどこからか立ち昇り立ち込めている。遥か高い天井から垂れ下がっている薄汚れた暗いシャンデリア。広い部屋には長机が幾つも列を成していて、数えることすら難しい人数が机を挟んで各列ずらっと並んでいる。入口付近の椅子に座っている女と目が合う。異形だ。全身眼だらけの女が、すっからかんの夥しい眼でおれをぼおっと見ている。周囲を見回すと、ここにいる全員がどこかしら異形のようだった。椅子の背凭れを見ると、どうやら管理番号が貼られていて、座る場所が指定されているようだ。目の前のこいつの番号と周囲の番号から予想できるおれの番号の椅子の位置へ歩いていく。
椅子の番号が「064」に近づいていく。今まで横目に見てきた椅子は全て既に誰かが座っていた。しかし「061」の椅子の背凭れからは座っている人の頭が見えなかったため少し驚く。足は止めず、もう少し歩き、「064」の札の付いたおれのために用意された椅子の前で止まる。おれの席は部屋の中央ほどに位置する長机の一番奥だった。椅子を引き、腰を落とす。出入口よりも強く明確に感じる腐敗臭のような悪臭を再認識して吐気を催す。目の前の薄汚い机上、配置された盆に載った全形の林檎とくたびれたパン。それに水垢だらけのコップ一杯の水。
「来ねェのかと思ったゼ。ッたく、クソマズそうな飯だよなァ」
若干高いところから声が飛んできて、おれは左を見上げる。やけに座高の高い、額から二本の角を生やした女が、口角を無理矢理吊り上げたみたいな腐り崩れた笑みでおれを見ている。平面的な、ドーナツ型の瞳孔。
「アタシ、鬼ヶ島砂夜ッてンだ。アンタは?」
「……鎌ヶ崎切」
言い澱みながらも忌々しい名前を口にすると、歯列に砂利が挟まったみたいな不快な感覚で顔が歪む。砂夜と名乗った鬼女は、おれの顔を少しばかり見つめていた。
「……チ、ッたく、こンな名前クソ喰らえだよな。が、今のアタシには、コレ以外に名乗れるモンが無ェンだから、クソッタレだ」
苦虫を噛み潰して擦り潰して咀嚼して嚥下したみたいに、己の歯を噛み千切るほど食い縛る砂夜。砂夜の静なる劇情の表情から目を離せないおれの顎関節も負荷に軋む。ふと、砂夜の発言が引っかかる。
「お前も記憶がねえのか」
「アァ、やっぱアンタもか。アタシも、コイツらも同じらしい」
大きな手に付いた長く鋭い黒い爪。砂夜の親指の爪が指し示す砂夜の左隣、二人の女がこちらを見ている。手前の少女と称すべき若い女、浮いてる。ちら、と見た瞬間はただ砂夜と同じ程度に座高が高いのだと思っていたが、よく目を凝らすと少女の身体は椅子の背凭れや座面とは接しておらず、宙空で微妙に揺れている。腐り落ちたように垂れた眉尻と腐って崩れたようにふにゃふにゃした口角。少女の十字の瞳孔がおれを見ている。
「そ。ウチらも、目が覚めたら知らない場所にいて、自分の名前も分からない、終いにゃこんなカラダになってたってワケ。あ、ウチ、浮島三令。ヨロシクね、鎌ヶ崎さん」
「おれと、全く同じだ。あと、苗字じゃ長いだろ、切でいい」
「そりゃどーも。あ、それと、このコは刀刃冷。なんか上手く喋れないっぽいんだけど、なんでかウチはこのコが何言いたいか分かるんだよねぇ」
三令と名乗った少女の目線はその左隣の席へ。さっき、誰も座っていないと思っていた「061」の椅子にちょこんと腰掛ける幼女。三令よりも更に、数倍幼い正真正銘の「女の子」が、三令に寄ってその陰に隠れながらこちらを確認している。腐ってダメになったみたいな無表情。冷と呼ばれた幼女の腰あたりからは、おれの触手と同じようなものが二本、ぬらりと揺らぎ出ている。その先端、黒く、てらてらした何やら鉱物質で層状の鋭利な石片が、薄暗い中でも微かに存在する光を鋭光に変換しておれの目を刺した。一目見たときには猫耳のカチューシャか何かの装飾かと思った額近くの黒い石の塊のようなものは、どうやら冷の身体から直接生えているものらしい。感情の抜け落ちたような、べた塗りの瞳を縦に二分割するみたいな縦一文字の瞳孔を、おれはじっと見る。
「よろしくな、冷」
「ぁ、ぉぉ、ぅ……ぉ、ぃ」
冷の口から言葉になっていない声が発される。冷はおれを見ている。耳を寄せる三令。数回肯いて、おれを見る三令。
「『仲良くしてほしい』、だってさ」
自然と頬が綻ぶのを感じる。返答しようと口を開いた途端、それを遮るかの如く目の前の巨体が冷の方へ寄る。見た目とは裏腹に、驚くほど優しく、砂夜は冷の頭に手を添える。
「冷はカワイイなァ! マァ、クソッタレな状況だッつーコトは違いねェが、だからこそ、仲良くやってこーゼ。こッからヨロシクなァ、冷、三令、切!」
腐った笑顔で語りかける砂夜に、おれはいつの間にか同調していた。
「フ、よろしく、砂夜、お前ら」
キーン。
突如大空間に鳴り響くノイズ音。周囲を見回す。皆の視線が集まる先、おれら全体を見下ろせるであろう高い位置に突き出たガラスの半球の中に、忌々しい眼帯メガネ男がマイクを持って、もう片手を白衣のポケットに突っ込んで立っている。睨み殺さんとする砂夜。おれも同じだ。どこかにあるスピーカーから割れんばかりの大音量が空気を揺さぶる。
『やあ、よく眠れたかな? 体調が悪かったり、怪我をした子がいたら手を挙げてね』
部屋には何の音も生まれない。ただ、無数の眼が一人を貫いている。ゆっくり、おれらを舐め回すように一通り眺めると、ヤツはまた再開する。
『いなそうだね、よかったよかった。みんな、今日からまた新しい子たちが何人か来てくれたよ! これから仲良くしてあげてねえ。それじゃ、食事を始めようか。せーの、いただきます』
静寂の中、ヤツの声だけが放たれて虚空に消え入る。遠くの方からぼそぼそと聞こえる「いただきます」の声に、若干不満気な男。
『ダメじゃないか、「いただきます」は皆で言わないと。お行儀の悪い子には、躾が必要かなあ?』
おもむろに手をポケットから出すと、脅すようにそれを振り翳す。手に握られたボタン。途端、場内の至るところで胃袋から捻り出したみたいな叫び声の「いただきます」が弾け飛ぶ。巨大な振動となった彼女らの恐怖と狼狽の発狂がおれの腸を揺さぶる。砂夜も三令も冷も、反射的に息を吸って声を発す。縮瞳して細かく揺れ動く見開かれた眼。きっとコイツらも、あの地獄の顕現を思わす電撃を体験したのだろう。まるで、おれたちは、恐怖に支配された家畜だ。
『うん、気持ちの良い挨拶だ。どうぞ、召し上がれ』
動乱の彼女らを見下す男は、腐臭立ち昇る満足そうな笑顔になって、踵を返して消えていった。ハッとして、三人がおれを見る。
「アンタ、怖く、ねェのか」
「どうせ、誰が言ってて誰が言ってねえのかなんて分かりゃしねえよ。それに、あのクソ野郎のクソみてえな指図に従うくらいなら、おれは電流を喰らった方がマシだ。さあ、食うぞ」
再度食事に向き直ったおれたちは、仕切り直すように食前の挨拶をして、食欲の失せる臭いの中、不慣れな体で食事に取り掛かった。
こんな日々の繰り返しだった。寝て起こされて、飯を食い、牢に戻り、また眠りにつく。食事の際、牢から出られる機会にバレない程度に施設内を探索することもあった(一度探心学と鉢合わせたが事なきを得た)が、しかし、ここを出る計画は一向に完成しないまま、無意義な生を浪費していた。
ある日の食事の時間だった。いつもと変わらない貧相なパンと林檎の載った長方形の盆、に文句を垂れるいつもの面子。鼻がイカれたのか慣れたのか分からないが、そこにある筈の悪臭はおれの食欲には何も影響しない。
「相も変わらずクソマズそうな飯だゼ。あのクソダブり野郎はコレ以外の料理を知らねェらしィな」
砂夜は林檎のヘタを長い爪で摘まみながら嘲笑する。空を向いて大口を開けて、口の真上で林檎をスポンジみたいに握り潰す。腕を伝う果汁を舐め取って、搾りカスになった林檎の残骸をポイと口に放って咀嚼し始めた。長い期間、この四人で話しながら食事をしてきて、新たに分かってきたことが幾つかある。まず、砂夜は鬼のような見た目に加えて、まさに鬼の如き怪力を与えられたということだ。少し気を抜くと、カトラリーは勿論、椅子や机すら意図せず破壊してしまうという。
「バカの一つ覚えってヤツじゃねえか?」
「へへ、間違いないね」
嘲るおれと同意する三令。三令と冷は顔を見合わせると同時に手を合わせて号令し、食事に手を付け始める。それを見て、おれも目の前の食事に取り掛かる。分かったことといえば、おれの手について、鎌の刀身部分と腕の延長である柄部分が分離するということも分かった。刀身の背を覆っているかと思われた柄部分は刀身部分の根元だけでのみそれと接合されており、そこから先は指のように分離して動かすことができる。感覚としては元々の手の中指に近い、と思う。柄部分で巻き込むようにしてフォークなどある程度軽くて細いものであれば掴むことができるが、眼前の飯を見てわざわざそんなことをする気は毛頭起きないので、鎌の先をパンに突き刺して食らい付く。
三令は、盆にご丁寧に用意されたカトラリーの内、銀のナイフを手に取って、冷の林檎を持つ。手に取ったかと思えば三令の体の正面の宙空で手放された林檎は、床に自由落下することなくその場でふわふわ浮かんでいる。浮遊し回転させた林檎の輪郭に沿わせるようにナイフの刃を当てて器用に皮を剥く三令。人差し指でつんと突くと、純白の林檎が冷の目の前へ移動し、ちょうど冷の盆の上で突如落下する。三令について、本人の身体が常に浮遊しているだけでなく、ある程度の大きさの物体ならば自由に浮遊させ、落下させられるということも分かったことの一つだ。
盆の上に落とされた林檎を見てから三令に途切れ途切れに言葉を伝える冷。三令には伝わったようで、彼女は「どういたしまして」と軽く返して自分の林檎の皮を剥き始める。一方、冷は腰から伸びる二本の触手の先端にある鋭利な石片を、白姿の林檎に突き立てる。目にも止まらぬ速さで動く触手。次の瞬間には林檎は食べやすい大きさとなって盆に並んでいた。見て分かるとおり、冷の尻尾のような二本の触手の刃物はおれの鎌と同等もしくはそれ以上の切れ味を誇っているようだった。また、それだけでなく、実際この目で確認したことはないが、どうやら前頭に生える三角形の鉱物質な石の塊が触れた無機物を結晶化させる能力もあるそうだ。
キーン、と粗悪なスピーカーのノイズが空間中を駆け回る。尖鋭な無数の視線がガラスの半球を貫く。折り曲げた左手小指の第二関節で眼鏡を押し上げる探心学。これはヤツの癖らしかった。食事直前のこのタイミングで、必ずヤツはあの安全圏に現れて話し出す。何の得にもならない無駄話をし出すときもあれば、おれらの初めての食事のときのように、時偶に新顔の参入を報告するときもあった。いずれにせよ、クソ下らない、聞く価値すらないことに変わりはない。
『おはよう、みんな。怪我をしたり、体調の悪い子はいないかなあ? ……大丈夫そうだね、よかったよかった』
男の話を無視して、おれはパンを噛み千切ろうとそれから顔を引き離す。
『今日はみんなに新しい子たちを紹介しよう、と思ってたんだけど、ごめんねえ。ついお迎えし過ぎてしまってね、ぼくの悪い癖だ。だからさ━━』
今まで何度かあった新顔登場の報告か、と認識しながら食事は止めず、雑巾みたいな食感のパンを咀嚼しつつ眼前の林檎を眺めていたが、ふと男の長話に間が空いたのでそっちに視線を向ける。俯いていた探心学。眼鏡を左手小指で押し上げながら顔を上げる。熟れ過ぎて腐食した果実のような笑顔。虫唾が全身に貼り付いた肌の表面をくまなく這いずり回る。
『お片付け、しようか。実のところ、ぼくは断捨離が苦手でね。だから、君たちの手で君たち自身を断捨離してもらおうと思う。そうだねえ、今回は50人と「さようなら」することにしようか。君たちの中で生命活動の停止した人数が50人に達した瞬間に今回のお片付けは終了。作業を迅速に行うために、15分が経過するごとに全員の体に電流を流すことにしよう。作業終了後は、ぼくのお片付けを手伝ってくれた報酬として各自一つだけお願い事を叶えてあげるね。食事前に悪いけど、それじゃあ、作業を開始してくれ』
静まり返る大部屋。人数に見合わない濃密な無音は、気味が悪い。誰もが男の方を見上げている。理解不能に起因する怪訝な険しい表情で硬直している。冷も、三令も、砂夜も、おれも。そう、思っていた。周りを見る。
おれらよりも番号の若い椅子に座っている全員が、おれらを、いや、冷のことを見ている。真っ黒な、大きな眼で、冷の小さな体を捉えている。この場にいる生物の中で、最も幼い、最もか弱い、最も片付けやすい、冷のことを。
「オイ、今のどォいうコトだ━━」
カン、と甲高い金属音。
体が無意識に動いていた。状況把握を進めようとおれに顔を向ける砂夜、をおれは机に足を掛けて見下ろしている。冷の首筋に触れんとするナイフの切っ先を遮るおれの右手の鎌。驚愕で開眼し切る冷と三令。未だ冷を捉えている、手指をカトラリーに挿げ替えられた女。
「冷に手ェ出すな」
カトラリー女のひん剥かれた眼球がぎょろりとおれを睨む。おれの鎌を片手のカトラリーで絡め取り、ぬっとおれへ伸びるもう片手のカトラリーの鋭端。背面の鎌の一つが女の腕を切断、机上にぼと、と不快な粘性の赤黒い液体を撒き散らして落ちる。怯む女の胸を左手の鎌で貫く。食材と変わらなくなって、崩れ落ちて机上に配膳される巨大な肉の塊。
「断捨離されたくなかったら断捨離せ、って、ことだろ」
心臓の音しか聞こえない。おれは生きている。カトラリー女は死んでいる。おれを見上ぐ砂夜の裂けそうな目蓋の淵には冬の朝みたいな結露が滲んでいる。砂夜の筋肉が吊り上げる口角。
「どォやら、そォいうコトらしィ」
椅子が倒れることを気にも留めず、勢いよく立ち上がる砂夜。突如砂夜の背後の虚空に振り抜かれたかと思われた拳は、いつの間にか冷の背後に迫っていた熊のような女の頭部を文字どおり粉砕した。散弾銃の弾丸のように四方へ弾き飛ぶ血飛沫と肉片は薄暗い空間で芸術的な放物線を描いて地面に墜落した。
三令は砂夜にワンテンポ遅れて動く。冷の眼前へふよふよ移動すると、冷の両目を両手で優しく遮って口を開く。小刻みな微動を見せる唇。
「ウチらが守るから、ッ、大丈夫、だから、な」
震えている声。笑っている膝。水に濡れたノートみたいなふやけて今にも崩れそうな、眉の垂れた笑顔。二人の姿を影が隠す。二人の背に向かって跳躍し双剣の切先を突き立てて落下する、二つの頭を持つ女。体が動くが、体勢と距離の所為で間に合うか。咄嗟に閉じた片目、目蓋の裏に映写される最悪の光景。しかし、次の瞬間、ふわぁと宙に浮かぶ二つ頭。振り向いた三令の手が二つ頭の脚部に触れている。おれの、踏み出した足と伸展及び収縮する全身の筋繊維。動き出したおれの体は止まらず、跳躍し、天へ高く浮上する二つ頭の腹部を横一線に切り裂く。巨大シャンデリアを吊る鎖さえ切断してしまったようで、食堂の光量が更に減る。どさ、と肉塊が落ちた重い音が起こった上から、シャリリリリ、と凄まじい音を立ててシャンデリアが破片を散らしながら降り注ぐ。三令と冷の頭上に落下するかと思われたシャンデリアの腕一本が、突如細切れになって弾き飛ばされたのは、どうやら冷が触手で切り刻んだようだった。
こちらへ向かってくる異形共を片っ端から切り刻む。猛禽類の足を模した手の女、その首を刎ね、引き摺るほど腕の長い女の四肢をそれぞれ分解し、竜の尾を持つ女を背中の鎌でサイコロにする。冷を挟んで反対側では砂夜が、単眼の女の鳩尾を貫き、全身恐竜に付いているような板だらけの女の四肢を捥ぎ、体中無数の眼のある女を取っ捕まえて全身の関節をあらぬ方向へ無理矢理折り曲げる。
心臓が鳴り止まない。誰かの心臓を止ませても、止ませても、幾つもの心臓を止めても、おれの心臓はおれの中で確かに脈打っている。砂夜を見る。笑ってる。ジグジグに腐った柘榴みたいな顔。それを見て、おれは、おれ自身が笑っていることに気づいた。この身を浸すこの感覚を、おれは知っている。おれは今、最高に高揚している。
眼前にぬら、と現れた両腕そのものが剣の女を捉える。おれも、この剣女と似たようなもんだ。倒れ込むように距離を詰めてくる剣女。視界から消えたかと思えば、懐に潜り込まれていて、おれの顎から首に掛けての部分を狙って剣を切り上げている。背後に倒れることで避ける。背面及び脳天の触手で着地、倒れた勢いのまま脚を振り上げるが、剣女はそれを見切ったようで、おれは空を蹴る。勢いそのままにおれは縦に一回転しながら背中の鎌で剣女を切りつける。頭の触手で自分の体を押して、改めて両足で床を踏み締めた。と、同時に、剣の女がおれの方へ床と平行に超速度で跳び掛かってくるのを知覚する。知覚できただけで、おれの体は反応できない。息を鋭くかつ深く吸い込む。生命の終わりを直感する。
怒号。頭上から。砂夜だ。おれの前へすっ飛んできた砂夜が叫びながら剣女を殴り飛ばす。長机と椅子を巻き込んで、多数の女とそれらと共に壁に打ち付けられる剣の女。それを追っかける砂夜。壁に凭れて崩れている剣女の頭部をがっしり掴んで持ち上げた次の瞬間、女の頭部が赤黒く破裂する。力亡く床へ落とされる剣女の肉体の、萎れて干乾びた林檎のような頭部。
てらてらした赤黒色に塗装された砂夜が、肩で息をしながらゆっくりとこちらへ戻ってくる。砂夜によって長机が退かされたことで、部屋の隅の様子がよく分かる。至るところに積み重なった、この短時間で生成されたとは到底思えない死体の山。この大部屋の鼻がひん曲がりそうな悪臭は、どうやらそれらから漂うものだったようだ。今みたいな、こんな地獄みたいなことが、きっとここでは幾度となく行われてきたのだろう。上手く回らない頭でも、それくらいは予想がつく。
ようやく、息ができた気がした。おれらの周りには何もない。長机と椅子は砂夜によって弾き飛ばされた。つい先程まで冷に集っていた雑魚虫共も、今は嘘かのようにおれらから距離を取っている。遠巻きの群衆は、最早冷のことは捉えていない。
おれたちを包囲する、化け物を見るような目。
「き、急に誰も来なくなった。よ、よか、よかった」
三令はそう言うが、油断はできない。おれはヤツらを睨むことを止めない。群衆に含まれる一人ひとりの微動の一切を感知しようと、おれは集中してヤツらを監視する。その甲斐あってか、ヤツらも下手に動けず、その場で硬直している。
落雷。突如、体内で。身体から一切の力が滑落し、おれの身は血みどろの床に崩壊する。いや、おれだけじゃない。この空間にいる全員だ。あらゆる場所で絶叫にもなれなかった掠れ声が上がる。
『15分経過。思ったよりも早く終わりそうかなあ? いやあ、助かるよ。あと32人、頑張ってね』
おれの意思と反して微細な動きを発する痙攣中の身に、不快に響く気色の悪い声。自らの歯を擦り潰すほど食い縛っている筈の顎にも、何も感覚はない。アイツを睨み殺さんとする眼球でさえおれの言うことを聞かないでうごうごと震える。
徐々に、身体の端から中心部へ、染み渡るように感覚が戻ってくる。細い枝みたいになった四肢を地に突き立てる。骨の髄を灼く熱と痛みに悶える体で立ち上がる。
「ク、そ、ッ」
全身のあらゆる関節が変な方向へ曲がったまま硬い床で硬直する砂夜は、思うように動かない声帯と舌で、吐血するように悪態を吐く。空中でゴム鞠のように跳ね回る三令。床で横になって小さく蹲る冷。激しい動きがひとまず収まった様子の三令は、浅い呼吸を必死に繰り返しながら、まるで冷たい地面を這うかのような様相で未だ丸まったままの冷に寄っていく。
「だ、だ、ハっ、だいじょぶか、冷」
瀕死の猫みたいにわなわなと身を震わす冷。崩れかけの姿勢で、棒のような脚でおれもそちらへ歩み寄る。突如、空を裂く発狂。反射がそっちへおれの顔を向ける。覚束ない揺らぎのある足取りで、きっと彼女なりに走っているのであろう体表を鱗が覆う女が、蛇のような細長い舌をだらしなく出しながら冷の方へ向かってくる。恐怖が支配する眼。その眼前へ出るおれ。蛇女は手に持つ湾曲したナイフの切っ先をおれへ突き付けて突進してくる。遅い足。おれの背の触手が前へ出る。骨盤から右鎖骨に掛けて切断される蛇女の体。皆が、おれを見ている。重症火傷を思わせる熱源となった柔い肉体に、無数の視線が突き刺さる。しばらく、誰も動かなかった。砂夜の巨体が立ち上がる。遅れて冷も震える体でどうにか立つ。徐々に皆々立ち上がるが、その後、誰もおれたちには寄ってこなかった。遠巻きで巻き起こる血に塗れた喧騒の中、男の終了の号令が掛かるまで、四人集まって、おれたちはただ立ち尽くしていた。
男の号令で、再び静まり返る食堂。物言わぬ死骸の丘は、生者の呼吸音でさえ呑み込む。噎せ返るような血生臭さは、この場所が食堂であるという認識を遠ざける。この空間には何の物音もない筈だが、おれの鼓膜を確かに打つ心臓の拍動。男の声は届かない。おれは黙っている。脳内で思考回路が連鎖的に爆ぜている。
「あんた、なんで、笑ってんの」
三令の声。おれを見ている。
「お前ら」
おれは呼び掛ける。喋る男を見上げていた二人も含む六つの眼がおれを見ている。
「ここから、出るぞ」
「……ナンか手立てでも思いついたのかァ?」
緩く片口角を上げただけで問うた砂夜の目を見て肯く。驚嘆と希望の宿る顔。
「おれに、力を貸してくれ」
おれと目を合わせる三人が、それぞれ肯く。四人同調して、腐笑う。
その後、一旦自分の牢に戻されたおれたち。暗く冷たく薄湿った牢で片膝を立てて待機していると、廊下から足音が響いて聞こえる。おれの牢の前で足を止めた眼鏡と眼帯の男。いつ見ても、その顔は気色の悪い笑みで歪んでいる。
「やあ、切。ぼくのお片付けを手伝ってくれてありがとう。君のお願い事は何かなあ? 約束どおり、叶えてあげようね」
「おれ、鬼ヶ島砂夜、浮島三令、刀刃冷の四人を同じ牢屋にしろ」
男の眼鏡と眼帯越しの目を真っ直ぐ睨みながら言う。見開いた男の片目。頬が腐り落ちたような笑顔。
「おお、友達ができたのかい? 良かったねえ。分かった。この後三人と話すから、そのとき聞いてみて、三人が大丈夫だったら叶えてあげるね。もし駄目だったらまた別のお願い事を聞きに来るからね。それじゃ、またね。今日はお疲れ様。ゆっくり休んでねえ」
間延びする別れの挨拶と揺れる掌を残して、学はおれの眼前から消え失せた。隣の牢へ移ったのだろうが、会話は聞こえなかった。
どれほど経ったろうか。何時間か分からない時間だった。ふと廊下のスピーカーが歪な音を立てる。不快な声が空間中を舐め回す。
『この放送はF:061、F:062、F:063、F:064への連絡アナウンスだよお。お待たせ。今から四名の部屋の扉を開錠するから、新しい四人の合同部屋へ移動するように。今から行き方を説明するから、迷わないようによく聞いていてね。まず君たちの部屋を出て、右に向かってね。そのまま突き当たりまで真っ直ぐ向かう。突き当たりで左を向くと目の前にある扉の開いた大部屋が、君たちの新しい部屋だからね。すごく単純な経路だから、方向音痴の切でも行けると思うけど、念の為にみんな一緒に向かうように。これから四人で仲良く共同生活を送ってね』
おれのことを方向音痴と思っているならば僥倖。廊下の電灯が点く。ビーと音がして開いた牢を潜ると、同じように他の三人も廊下へ出てきた。
「行くぞ、お前ら」
何か問いたげな様子の三人を他所目に、おれは先立って歩き出した。長い廊下だ。延々と並ぶ牢屋をちらちらと見ると、所々誰もいない牢が虫喰いのようにある。その理由を頭が思いつくより先に、おれは牢から目を逸らした。
アナウンスどおり進み、実際戸の開いていた大きな牢へ入る。全員入った途端、戸は自動で閉まった。牢内には、並べられた四つの粗悪なベッド、隅には前の牢にもあった背の低い衝立で囲われただけの便器。一方、前の牢にはなかったものもある。廊下側の隅に卓袱台程度の小さなテーブルと机上に置かれた紙束及びクレヨン、それに、壁に立て掛けられた大鎌。
「相も変わらねえ上等な牢屋だが、見慣れねえものもあるな」
おれの独り言に、冷が何やら反応して言葉を発する。屈むように耳を傾ける三令。数回肯いて通訳する。
「あの机、冷がアイツに意思を伝えるための筆談用の一式なんだってさ。あ、あとあの鎌はウチの。お願い事、武器が欲しいって言ったんだ。一応何か持っておいた方がいいかと思って」
「そうだったのか」
おれらの身体を滅茶苦茶にしたり、囚人用よりも酷い牢屋に閉じ込めたり、ガキも瘦せ細るレベルの食事しか与えなかったりしたかと思えば、おれらの要望を実現したり、冷の意思を理解しようとしたりする。アイツの脳内はどうなっているのか全く分からないし、当然理解したくもない。
「ンなコトよりも、この後はどうするつもりだよ」
砂夜が待ちかねて問うてくる。他二人を見ると、賛同するように肯いていた。おれはおもむろにベッドに腰掛けて、ゆっくりと語り出す。
「おれは、ここで目覚めてからずっと、ここから出る方法を考えていた。最初、お前らの房内を見た。おれの鎌でも切断できない壁だが、どうやら砂夜の力でも破壊できないと知った。まあ、そりゃそうだ。壁を破壊して外に出れねえなら、どこか脱出口を見つける他ない。おれは食事のときの牢外を出歩けるタイミングで少しずつ施設内を探索し始めた。あるとき、おれは見たんだ、光を。自然光だ。とある誰も入ってない牢の壁にぽっかり開いた穴から光が射し込んでいた。正確に言えば穴から上層へ続く階段の先からだ。そこから、アイツが降りてきたんだ。おれは鉢合わせた。次の日、もう一度その牢へ行ったが、階段があった筈のそこには何もなく、ただの壁があるだけだった。まあ、例え階段が露出していたとしても、房内に設置された隠し階段だ。鉄格子の所為で、そもそも房内に入れねえけどな」
「……ちょ、ちょっと、まさか万策尽きた、ってこと?」
困り眉でぎこちなく苦笑する三令。砂夜も怪訝そうな顔でおれを見る。
「まあ聞け。上へ続く階段を見て、おれは思ったんだ。おれらが今いるこの階層は地下一階で、階段の上が地上なんじゃねえか、って。お前ら、思い返してみろ。ここで目覚めてから、窓を見たか?」
「……そーいやァ見てねェ」
「だろ。ここが地下なんだったら窓なんてあるわけねえし壁なんて壊せるわけがない。そこで、上だ」
「上?」
四人揃ってコンクリート打ちっぱなしの寂れた灰の天井を見上げる。砂夜が手を伸ばしても、決して届きそうにない。
「ここが地下にしてもそうじゃなくても、上の階があるってのは事実だ。上階にあるだろう窓からの自然光が階段下まで射していたってことは、上階とこの階を隔てる床兼天井はそこまで厚くないってことに違いない。壊すんだったら壁より天井の方がまだ希望がある。おれたちは今から、この天井をぶっ壊して上階へ行き、テキトーな窓をぶち割ってここから脱出する」
感心するような三令と冷の表情。しかし、砂夜はできる限り天井に手を伸ばしたかと思えば、おもむろに振り下ろしておれに眉を顰める。
「……どーやってブッ壊すッてンだ? アタシの背丈でも届かねェぞ。壊せたとして、上の階に登れるとも思えねェ」
「いい質問だ」
反動を付けてベッドから立ち上がるおれを、砂夜はキョトンとした顔で見下ぐ。
「そこで、三令の力を借りる」
「えっ、ウチ?」
「さっきの断捨離で、お前は襲いかかってきたヤツに触れて浮遊させてただろ。それを見て、三令の浮遊能力は人間にも使えることが分かった。なら、砂夜の背でも天井に届かねえなら、届く高さまで浮かせればいい。作戦を説明するぞ。まず三令が砂夜を浮かせる。次に砂夜が天井をぶち破る。もし砂夜だけの力じゃ無理なら、おれも加勢する。穴が空いたら全員浮遊して上階へ。そのあとは臨機応変に、探索して窓を見つけ次第ぶち割って脱出成功だ」
総員肯いておれの説明を嚥下している。三人の目がおれの目を見る。
「完全に理解したゼェ。アタシに任せとけ」
「ウチも、大丈夫だと思う。冷も大丈夫だってさ」
四人、腐笑い合う。
「よし、それじゃ、作戦開始だッ」
場が動く。
鎌を回収した三令が砂夜に触れると砂夜の巨体が軽々と宙に浮かぶ。砂夜は慣れない感覚で平衡感を失いかけたようでバランスを取るように四肢をジタバタさせていたが、三令がその体に手を添えて支えるとどうやら落ち着いたようだ。砂夜を天井に導く三令。砂夜の怒号が房内に響く。強く引き絞った拳を、天へ。衝撃と激震。砂埃のようなコンクリートの破砕粒子で満ちる部屋。大小様々な破片の落下音と、地震のように、施設全体を激しく揺さぶるほどの振動と重低音だけ聞こえる。ウーン、というような、電源の落ちたみたいな尻窄みの音と同時、廊下の灯りが消える。煙が晴れると、床に砂夜が落ちて悶え呻いている。何が起こったのか理解できず、硬直する体。砂夜が破壊した箇所を見上げると、闇の中、小さな閃光が不定期にバチバチと弾けて光っている。どうやら天井の穴は上階まで貫通してはいない。
「ど、どしたっ! 大丈夫か!」
痙攣する砂夜に寄っていく三令。あの閃光、砂夜の状態、突然の消灯。
「電気だッ‼ 電気系統の配線を破壊したんだッ」
おれは鉄格子に駆け寄って触れる。電流が流れていない。戸は開かないが、電流の流れていない鉄格子ならば切断できる。きっと砂夜の怪力でも曲がるだろう。振り向いて三人に声を掛ける。
「お前ら、作戦変更だッ。天井は配電設備があるらしい。砂夜が素手で上階までぶち抜くのは無理だ。おれの見た、あの階段を目指すぞ。道中、適宜他の牢も破壊していく。人手は多い方がいい」
鉄格子を向き直る。両手を袈裟斬のように振り下ろす。鋭い金属音と体内の空洞が共鳴して震える。カラン、カランと複数の甲高く鈍い音がして、ただの鉄棒となった格子が幾つも床に転がる。
「砂夜のことは浮遊させたまま三令が運べ。おれに付いてこい」
ぽっかり口を開けた鰐みたいな無残な牢を跨ぐ。先の見えない廊下。おれは闇へと駆け出す。後ろからは冷の小さな足音しか聞こえなかった。
目に付く牢に両手と背後の鎌を突き立てながら走る。おれの様子を倣って冷も適宜鉄格子を切断しながら付いてきているようだった。道中、砂夜の状態が回復し、廊下に響く足音がまた一つ増える。洞窟のような廊下を右へ左へ曲がって擦り抜けていった先、闇の最中、おれは足を止める。
「この牢だ」
暗闇に立ち尽くす何の変哲もない牢。鉄格子を切断し、房内へ乗り込む。
「ここに、階段があったんだ、が━━」
「オウ、アタシに任せとけ」
おれの言葉を遮るように手を出して、おれと壁の間へぬっと出てくる砂夜。片頬吊り上げて拳骨から炸裂する破裂音の連発。首を鳴らし、ゆらゆらと振れる巨体。ここにも何らかの電気機構が組み込まれている筈だが、さっきの二の舞にならないだろうか、というおれの懸念を封じ込む巨大な背中。突如上体が傾く。引き絞る脚部。弾丸のような蹴りがただの壁にしか見えなかった箇所を貫く。轟音と振動が空間ごと揺さぶる。蹴破られた穴の先、上へ続く階段が静かに腰を据えている。
「またビリビリしねェかヒヤヒヤしちまったゼ」
「見てるこっちもだ。よし、お前ら、行くぞ」
振り向くと三令と冷が肯いている。砂夜の前へ躍り出て、おれは宵闇の階段を飛ぶように駆け上がった。あのときの自然光は見られない。外は夜なのだろうか。思案しつつ上のフロアへ出る。食堂と同等に天井の高い、開けた空間だ。無音に突如発生したピーという機械音に振り返る。下階よりかはマシな薄暗がりの廊下で、ぼんやりと緑色の光が光っている。
『━━物体の移動を感知……主電源のロストを確認。予備電源で起動します』
緑色に光る機構を持つ業務用ごみ箱ほどの大きさの機械。奇妙な流暢さの機械音声が流れた後、先程の起動音の何倍もやかましいジーというようなノイズがかった機械音が発され始める。
「ねぇっ、上見て!」
三令の声で改めて見上げた先に、窓がある。その先でおれらを待ち侘びている雲のかかった暗い夜空。
『侵入者を確認━━プログラムを実行します」
「三令、おれらを飛ばせッ」
おれの叫び声と同時、機械から放たれる膨大な光。咄嗟に身を翻す。つい先刻までそこに存在していたおれの残影の腹部ど真ん中の虚空を切り裂く猛烈な熱を伴う光。服の脇腹の部分が一瞬で焦げから灰になり散っていった。光は緑色のようで、限りなく白い。光の軌跡に導かれる視線。光の当たった着地点その一点のみ、コンクリートの壁が橙色に発光して溶解及び流動している。息を吞む。呼吸を忘れる。時間が止まる。一瞬、光線の放出が終わったかと、息を吐く。刹那、再度放たれる光線。今度は持続的。おれを追尾してる。おれは全身の組織の全てを稼働させる。走る。跳ぶ。避ける。躱す。全身を覆う肌がひりつく。五感が迸る。何も、言葉を発せない。砂夜、三令、冷の動乱と声だけを感じる。
「ヤッバすぎなんだけどッ‼」
「アタシらも巻き込まれちまうッ!」
「ぁ…ぁぅぁッ」
「まって冷がなんか言ってるッ! ━━『私をあっちに投げて砂夜』って‼」
「正気かァッ⁉ あンなモンにチョットでも触れりャ一瞬で真ッ二つだぞッ!」
「まって、確かにイカれた発想だけど理に適ってるくないかっ? 今一番速く一番被弾せずにあっちまで行く方法! 冷ッ、ホントにいいのッ」
「ぅ……ッ!」
「アァもォどーなっても知るモンかァッ! 冷ッ、ベロしまッとけェェェ━━ッ‼‼」
息ができない。筋肉の感覚がない。目が焼ける。明順応し切った目に映る高速移動する何か。白ぼけた視界、機械の背後、黒く煌めく鉱物質な刃、一閃。途端、暗転する廊下。静まり返る空間で、おれの鼓膜を裏から叩く心臓の鼓動。まただ。眼がおかしい。全身の血液へ酸素を送るよう、ポンプのように膨張及び収縮する胸郭。感覚の失せた運動器官。沈黙。
「━━冷ッ‼」
砂夜と三令が冷へ駆け寄る。膝立ちで冷を抱き締める砂夜は、いつもより力を抜け切れていないように見える。
「怪我は無ェか、痛くねェか、大丈夫か? ホントーに、無事でよかったッ……!」
二人の塊の上から、二人に触れないように、覆い被さるように、砂夜の反対側から三令が冷を包む。
「まったく、無茶なこと言い出すコだね……もっと自分のこと大切にしてくれよ。……よくやったね、冷。ありがとう」
無表情な冷の、微かに笑った顔を、ぼやけた視界のおれは見た気がする。冷はこちらを見て、何か口を動かす。続けて二人の視線がこちらへ移る。
「何しろ、切、マジで無事でよかった……。あんたすげぇよ」
「あンだけの速度で追従してくる光線を全部避け切っちまうなンて、有り得ねェ……アタシらが生きてンのは、アンタのおかげだ。まだ動けるかァ? キツイならアタシがやってもらったみてェに三令に浮かして運ンでもらうゼ」
五感と呼吸が正常に戻ってくる。おれの体は、最低でもここから出るまでは動き続ける。動き続けなければならない。返答しようと息を吸う。三人の背後、綺麗に水平に切断されて壊れた機械の後ろ、闇に染まる廊下に、ぽつ、ぽつと現れて近づいてくる無数の緑色の光。瞳孔が開くのを実感する。
「お前ら逃げろッ!」
声帯が張り裂けるほどの絶叫が喉から出ていた。世界がスローモーションに感じる。ちらとおれの視線の先を一瞥する三人は、その絶望の光を目にした途端血相を変えてこちらへ駆けてくる。おれも踵を返す。走る。早く、階段へ。背後から迫る、あの、ノイズがかった機械音の不協和音オーケストラ。早く、もっと早く、穴へ。中枢神経から運動器官へ伝わる電気信号の一粒一粒ですら知覚する。床を割らんとせん足。跳躍。眼前の穴開きのコンクリートの壁が、鮮烈な緑に染まる。落下。うなじを刺す熱。毛先の焦げ臭さ。階段を、転げ落ちる。四人とも無事。ふ、と息を吐こうとした途端、天井が橙色に融解する。大量の機械の落下。雨。機械の眼は、おれたちを見ている。落下で一瞬止んだ光線。しかし次の刹那、耳を研磨するノイズの機械音。光を、見た。
「伏せんかいッ‼」
怒号。光の奥、二人の影。言葉を受理すると同時、おれは三人に覆い被さる。銃声二発。後、閃光。この世に存在する光すべて集めたみたいな、筆舌しがたい光。それに付随する、力の概念そのものみたいな爆発。超高音の耳鳴り。ストーブに突っ込んだみたいな熱が四人を、おれたちのいるこの空間自体を埋め尽くす。しばらく、何も見えず、何も聞こえなかった。
光と力と熱が過ぎ去ったということを認知できて、おれは自分が呼吸できていることに酷く安堵した。眼前で、身を寄せる三人。瞳孔は黒目と同格の大きさだが、生きている。呼吸している。動いている。いまいち力の入らない身体を動かそうとする。かろうじて仰向けになることはできた。
空だ。星空だ。群青と薄っすら紅橙の混ざったみたいな空だ。
眼が動く範囲で周囲を見る。室内か室外か、よく分からない。見下げると見慣れた灰色の壁。見上げると、外だ。崖と林と、海だ。瓦礫が散乱している外の世界に、二人が立っている。女と、男だ。でも、アイツじゃない。女は左腕が、男は右腕が円筒になっている。今まで見たことはなかったが、おれたちと同じ生き残りだろう。おれと冷が開けた牢のいずれかに入っていたヤツら、きっとこの二人があの殺人機械の雨の奥に見えた二人で、あの絶体絶命からおれたちを助けてくれた二人なのだろう。感謝の一言でも伝えたいが、声が出なかった。
とても綺麗な空だった。群青から、徐々に徐々に紅橙が混じってゆく空を、おれはただ眺めていた。
次第に身体が元通りに近づいていく。体に力が入る。ゆっくり、立ち上がってみる。そのときには既に、あの二人はどこにもいなかった。三人もどうやら目覚めていたようで、おれの様子を見て各々可能な速度で立ち上がる。
「ァ゛ァ゛……おまえら」
やすりみたいな声。おれの声は、どうやら三人に届いている。
「これにて、脱出、成功だ。当初の予定からは、随分状況が違うが……」
周囲を見回す面々。荒れ果てた施設。ずたぼろのおれら。
「まあ、とにかく、ここから出れたんだ。おまえらは、もう自由だ。好きなところへ行って、好きなことをして、好きに暮らすといい。じゃあな。今まで、お前らと一緒にいれて、楽しかったよ」
これでいい。三人に背を向けて歩き出す。何をしようか、どこへ行こうか、まだ何も分からないまま。
「待ってよ、ボス」
三令の声。振り向く。
「……ボス?」
「そうだよ、ボスだ。あんたがいなきゃ、ウチらはここまで来れなかった。ウチらを導いてくれたから、だからボスだ。ウチ、思うんだ。きっとボスがいなきゃ、ボスがウチらに『ここから出よう』って言ってくれなきゃ、ウチ、なんだかんだこの場所にずっと閉じ込められたままだったんじゃないかって。ウチも、ずっと、ずっとこんな場所、いたくないって、出たいって思ってた。でも、それを行動に移そうとはしてなかった。できなかったんだ。怖くて。恐怖に支配されたが故の無気力に、絶望に身を浸したが故の自己憐憫に、全部無くしちまいたい希死念慮に、ウチは、いつの間にか喰われてたんだ。でも、あんたは、ボスは違った。『ここから出る』っていう決意を、恐怖にも、痛みにも、絶望にも負けず、曲げずに貫いて、ウチらを引っ張ってくれた。だから、あんたには感謝してもし切れない」
水平線の向こう側、太陽の脳天が覗いている。三令の表情は逆光なのに、おれにははっきり見える。
「……アタシもだ。最初、アタシはアンタらに声掛けたよな。アタシ、不安だったンだ。目覚めたら、ココはドコでアタシはダレか、ナンも分かンねェ。そンで、この角とクソみてェなバカぢからだ。アタシは、自分が自分で怖かった。チョット触っただけで、鏡も、ベッドも、ナニもかも壊しちまう。独りじャ、どーにかなりそォだった。ダレかと話して、ダレかと触れ合ってねェと、自分がホントーに人間なのか、自分でも分からなくなっちまいそーだったンだ。アタシがアンタらに声掛けたンは、全然こッから出るためとかじャねェ。うッすい酸素しかねェ水槽みてェなこの場所で、うッすい生存理由を探して吸い尽くしてクソ下らねェ延命をするためでしかなかったンだ。アタシも、感謝してる。アタシに、酸素で満ち満ちたこンな世界の存在を教えてくれたンは、紛れもねェ、アンタだ」
太陽が徐々に姿を現す。黒いシルエットとなる砂夜。その眼を、おれは見ている。
「……ぉ、す……ボスっ」
冷が、喋った。はっきりと、自分の口で、背後の海を湛える瞳で、おれを見て、「ボス」と、言った。
「ぉ、ボス……ぉ、ぃいっ……ぉぃ、ぃぁぃ……!」
「冷も、『ボスと一緒にいたい』ってさ。もちろん、ウチも、砂夜も同じ気持ち。だからさ、じゃあな、なんて、そんなこと言うなよ、ボス。今目の前にあるこれが『自由』なんだって、教えてくれたのはボスなんだからさ。自由に、好きなように生きていけって言うなら、ウチらは、ボスと一緒に生きていきたいよ。……ダメ、かな?」
太陽が昇る。柔らかな暖かな橙色に照らされた三人。潤んだ瞳と吊り上がった口角の、熟れて熟れすぎて腐ってしまった果実みたいな、腐った笑みの三人。きっと、おれも同じ顔をしている。
「自由は、誰にでも与えられて然るべきものだ。そうだろ。自由を手にしたお前たちが何をやっても、誰も、神でさえも、何も文句を言うことは許されない。……だから、好きにしろ」
三人の眼に流星群が煌めく。おれは、三人の背後で輝く太陽よりも明るい光を灯した三人の方へ。三人の間を通って、三人に先立って進む。陽の照らす街へ歩き出す。静謐な朝方を乱す、愉快で痛快な喧噪が背後に生まれる。
「まったく! ボスは素直じゃないんだからさっ!」
「これがツンデレッつーヤツかァ!」
「多分違う」
「ねぇボス、これからどこ行くの?」
「まず家が必要だ。拠点を探すぞ」
「オォ、イイなァ! どーゆゥ場所にすンだァ?」
「……ぅぅぇ、ぃぁぃ」
「冷が『遊園地に住んでみたい』ってさ」
「ッタァ━━ッ‼ 冷はカワイイなァ! イイじゃねェか、遊園地」
「遊園地か……。まあ、冷が言うなら探してみるか。既に廃園になって放置されている遊園地なら、あまり人も来なさそうだしな」
「さんせ~い! てかさ、グループ名どうする?」
「ハァ? グループ名だァ? ナンの」
「ウチらのグループ名に決まってるっしょ! ほら、せっかく『ボス』がいるんだからさ」
「……『4F6』でいいんじゃないか。『4』人の『F6』から始まる管理番号ってことで。一生、おれらの原点を忘れないために」
「めっっっっっちゃいいじゃん! かっこいい! なんかそれっぽい! 二人もこれでいい?」
「マァ、ナンでもイインじャね……?」
「ぃ、ぃ、ょ」
「よし、決まり! ウチらは今日から『4F6』だぁ‼」
太陽はおれたちなんかでさえ、平等に照らしていた━━。
凄惨で、壮絶で、残酷な、四人の原点。蟷螂は回想を語り終え、店内には静寂と紅茶の香りが満ちている。蟷螂の話は、もう少し続く。
次回「化け物か、人間か。」




