(十七)廃遊園地、亡霊は腐笑うか。
世界保護団始末官長の芽ノ長迷は薄っすら隈のある両の眼を見開いた。
かつての栄華の残り香が散見される廃遊園地。遠景の、片膝を崩した観覧車。立方体の概形しか分からない売店の残骸。陶器製かつ白目を剥いた白馬の頭部。巨大なティーカップの取手の破片。散在する元のケミカルが褪せた色彩の瓦礫、に埋もれた人間の体2分の1ずつ。心臓の位置を境に、死んだ魚のような頭部と木材のような胸部及び腕部をぐでんぐでんの首が結んでいる2分の1と、角材のような脚部とお古の枕のような胴部で成り立っている2分の1、その二つに完全に分離してしまっている。周囲の瓦礫の塗りたてのような赤色が目に染みて、迷は目を瞑り合掌する。
「芽ノ長官長」
認識外から名を呼ばれ、迷はぴくりと反応する。そちらに目を遣ると、老熟した麗人がこちらへ、今にも敬礼せんとしていた。迷は脊椎反射で敬礼の体勢を取る。
「桜田官長、お疲れ様です」
優美な敬礼を返した世界保護団捜査官長の桜田路子は、普段のクールビューティには珍しく、眉尻を下げて半ば呆然の微笑を見せる。
「お疲れなのは貴女こそですよ。連日の現場要請になってしまって申し訳ない」
「いやいや、そんなことを言えば桜田さんだって連日お仕事じゃないですか! お互い様ですよ」
「そう言われれば、まあ、そうなんですが……あまりご無理なさらず」
あまりにも心配している様子の桜田。迷は気恥ずかしさと嬉しさで小さな笑いを零しながら答える。
「ふふ、大丈夫ですよ。もう子供じゃないんですから」
もう子供じゃない。
そう言われると、余計彼女の子供の頃の姿形の残影が脳の表層へ浮き上がる。桜田は無意識に想起していた。
――捜査官長に昇進してしばらく、ヒラの職員時代から跳ね上がった業務量にも手慣れてきた頃だったろうか。
世界保護団は文字どおり、世界規模の超巨大組織であるため、多くの課が存在し、それ故に他課の事情はあまり耳に入ってこない。課同士の関わりは業務のほんの一部分、それは薄明なものに過ぎない。
しかし、始末課の幼女の噂は特例だった。それはこの巨大な箱の中をまるで落雷のように駆け抜けて、私の懐にも入ってきた。齢七の幼子が入団し、半年も経っていなかったように覚える。当初、彼女の噂を語る口振りは様々、内容もその仔細は不定形だったものの、彼女の身を案ずる声や団の倫理観を訝しむ声も多かった。当時、私は彼女とは地位と部署の違いから業務で共になることがなく、実際に姿を見たことはなかったものの、彼女のことは気になっていた。
芽ノ長迷、始末官長昇進。彼女の入団からおよそ五年後のことだ。
この見出しは噂としてではなく、確実な形を持った事実として課の垣根を越えた団の皆々に周知された。暗殺業務を担う始末課に配属された七歳の幼女、入団からわずか五年で始末官長に昇進した十二歳の少女、そのどちらも同じ人間だというのは全く信じ難い事実だった。年齢、性別と部署の組み合わせのインパクトもそうだが、そもそも入団から五年で官長に昇進というのはそれが何歳で入団した誰であろうと有り得ないことで、私でさえこの地位に就いたのは入団から二十年程度経ってからだった。私のこの経歴が遅いというわけでは決してなく、過去の官長たちも同じようなものだ。歴史的快挙、正しく空前絶後としか言いようのない偉業。私の彼女への関心は絶頂に達していた。
私と、かつては噂でしかなかった彼女。私の方が職歴が長いと言っても、私と彼女はどちらも官長に変わりない。各課の官長が一堂に会するミーティングで、私は初めて彼女を、始末官長を目にすることになった。
彼女が会議室に到着するより前に集合した、彼女以外のいつもの面々。生活官長、交通官長、経済官長、鑑識官長、そして捜査官長である私。計五人、雑談しながら彼女を待っていたところ、ふと生活官長が煙草の煙をフーと吐き出す。
「……なあ、新始末官長の話だが、どうやら団長の直系の部下らしいじゃねえか」
経済官長が顔を顰め、煙を手で払いながら食いつく。
「ほう、知らなかった。入団から五年で官長昇進などという馬鹿な話があるかと思っていたが、そういうことか」
「つまりは団長のオキニっつうことだろ。オレらのクソ長え下積み時代の努力も知らねえで、イイご身分だぜ、ったく。なよっちそうなヤツだったら、オレが今ここでぶん殴ってやる。どうせ、長くは続かねんだ、始末官長なんて」
生活官長は俯いて煙草臭い鼻息を長く漏らす。会議室の空気がずっしりと肩に乗っかってくる。彼の口から噴き出る煙でさえ地面へ墜落してしまいそうだった。先月、執り行われたばかりだった前始末官長の葬儀。家のハンガーラックで佇んでいた皺の寄った喪服。
コン、コン、コン。扉の方から。
重苦しい部屋に響く、軽弾みな音。
『失礼します』
くぐもった声の後、その重厚な扉が開く。その姿を、私は生涯忘れることはできないだろう。
「先日始末官長を任ぜられました、芽ノ長迷と申します。以後、よろしくお願いいたします」
薄暗い会議室。円卓を囲む壮年、老年の面々。彼らの視線が射抜く、完璧な敬礼姿の少女。オーバーサイズのコート、生命の煌めきを宿す銀髪、側頭部の黒いリボン、そして、光亡き眼。鼠色というよりも灰色、灰色というよりも、何もない、業火に巻かれた結果原形の影もなくとも髄は熱迸る炭のような、正に燼灰のような、空虚であり、憎悪の内在する眼を、私は見たことがあった。私がヒラの職員だった頃、向かった現場。凄惨な事件。あの現場にいた、あの子だ、と。
結果、彼女が生活官長に殴られることはなかった。彼も、いや、彼女の眼を見た誰もが理解し、納得したのだ。彼女は決して団長のお気に入りだから始末官長になったのではない、彼女はその身ただ一つで、その地位まで駆け上ったのだ、と。彼女のことを認識したその日から、私は彼女を気に掛けるようになった――。
眼前の迷の目を見つめる桜田。無言で目線を合わせてくる桜田の真剣な眼差し、妖麗な美貌に、迷の気恥ずかしさは恥じらいに変わる。
「な、なんか、照れますね」
耐えかねて言葉を零す迷。それを受けても、桜田はしばらく彼女を見つめたまま。
「……いえ、すみません。確かにあの頃とは変わっていると思ったもので」
迷の瞳に充満する光は、彼女が首を傾げても漏れ出ることはなかった。
桜田が息を吸い、目線を移すと、ここは事件現場。遺体の開いた瞳孔は、彼女らを映すことはない。
「ご遺体は石川悟さん21歳、財布を所持しておらず、身分証もありませんでした。死因は上半身と下半身を切断されたことによる出血性ショック。昨夜、石川さんのパートナーである赤石綾さん20歳から通報があり、事件が発覚しました」
「赤石さんはどこに?」
先程から雰囲気の変わった迷は周囲を見回すが、大勢の界護団職員が忙しなく動いているのみで、一般人の姿は見られない。
「赤石さんは酷い錯乱状態のため、現在、本部の方で保護しています。支離滅裂な発言や突発的な発狂が見られますが、極めて断片的な証言が取れています。こちら、臨時資料です」
桜田からホッチキス留めされていない数枚の資料を受け取ると、紙面をさっと拭くように目を通し始める。
通報者である赤石と生前の石川のツーショット写真。満面の笑みの二人の空気を読まず、同一紙面上に胡坐を掻く、眼前の惨状を映した写真と冷酷で淡白な文字列。遺体の状況と現時点で判明している所見の記述の後、捜査課職員が赤石に実施した事情聴取を文字起こしした証言が羅列してある。
赤石:(激しい嗚咽に加え、重度の身体の震えが見られる)
職員:ゆっくりでよいので、事件のことをお話ししていただけますか。
赤石:(首肯)悟くんが、言い出して。肝試し、行こうって。
職員:一緒にこの廃遊園地へ来られたのですね。移動手段はどちらで。
赤石:悟くんが、車が好きで、運転が好きで。いつも、ドライブに連れてってくれて。(嗚咽)
職員:車で来られたのですね。昨夜、石川さんの身に起こったことを見られましたか。
赤石:(身体の震えが悪化し、重程度の過呼吸を発する)
職員:見たのですね。ゆっくりでよいですから。(赤石の背を摩る)
赤石:(身体の震えは激震に変わり、過呼吸と嗚咽は甲高い発狂に変わる)
職員:すみません、聴取は終わりましょう。
赤石:(慟哭に混じり発言があったが、聞き取れない)
職員:どうされましたか。
赤石:(しばらく硬直し沈黙している)
赤石:いた。
職員:何がいたんですか。
赤石:亡霊。バケモノ。四人の女の亡霊に、悟くんは。鬼。死神。亜人。カマキリ。(先程よりも激しい発狂に加え、職員及び周囲の物を攻撃し始める)
職員の事情聴取続行不能との判断により、赤石を取り押さえて事情聴取中止。
眉を顰めながら文面をなぞっていた迷は、人差し指で文字列を指し示す。
「この、最後の赤石さんの発言は、一体どういう……」
桜田はその質問を予想していたようで、迷の発言が終わり切らないタイミングで息を吸う。
「そちらの記述でも明らかなように、赤石さんは恐らく事件発生の瞬間を目撃したことで強いショックを受け、心神喪失、酷い錯乱状態にありました。そのため、最後の発言は赤石さんの妄執である可能性も捨てきれません。ですが、『四人の女の亡霊に』という発言から、犯人は四人組、恐らくは女性であると判断してよいでしょう」
「それに続く四つの単語が、私には理解不能なのですが」
眉間に皺を寄せた迷が恐る恐る本音を伝えると、桜田はそれさえ見越していたようで、大仰に二回首肯した。
「こればかりは赤石さん本人にしか分かりませんが、それらは四人いると思われる犯人について言及した後に続く四語ですから、犯人の容姿について赤石さんが感じられたことをそのまま言葉にされたのではないか、と私は考えています」
迷は納得したように大きく首で二回相槌を打つ。再び紙面のその四語へ落ちる視線。
「確かに、鬼や死神、まあ亜人というのは少し想像しにくいですが、いずれも恐怖や暴力、死を思わせるような言葉ですね。それは、そうなんですけど……この『カマキリ』というのは、一体……?」
紙面を見下ろして押し黙る二人。沈黙の中、桜田は慎重に口を開く。
「……ご遺体は側腹部から腋窩にかけて、心臓を両断するように大振りの刃物によって一振りで一気に切断されています。切断面から、使用されたのは湾曲した刃物――正しく大鎌のようなものであると推察されます。ですが」
そこまで言って口を閉じてしまった桜田に、迷は首を傾げる。桜田は顎に手を添えて、何かを考えているようだった。
「どうかしたんですか?」
「……予想される凶器はとても人間が扱えるような重さのものではなく、まさかそんなものを使って、ましてや一振りで人間の胴体を切断することは不可能だ、というのです。とても人間業とは思えない、と」
迷は怪訝そうな目で遺体を、機械の配線盤のような赤黒いその切断面を見つめる。空気を揺らさぬように、桜田は薄くゆっくりと息を吸う。
「これは私の推理に過ぎませんが、本当に、いたのではないでしょうか。鬼、死神、亜人、そして、カマキリのような存在が」
「い、いやいや! それは流石に――」
「芽ノ長官長。思い出してください。私たちは、実際に見たことがある。体中に無数の眼を持つ百々目鬼や、二つの頭を持つオルトロスなど、それを彷彿とさせる人間の女性を」
昨日、この目で見た惨状。探心学のF実験場で悲惨な死を遂げた改造人間たち。そのむせ返るほどの血の臭いでさえ、今は明瞭に想起できる。迷は目を見開いて桜田を見る。
「私は、あの惨状から逃げ延びた改造人間が、本件の犯人ではないかと考えています。また、続報があれば連絡します。ゆっくりお休みになってください」
桜田の敬礼に、迷は一呼吸置いて応じる。「それでは」と断ってこの場から立ち去ろうとする桜田の背を、迷は敬礼で見送っていたが、ふと、彼女が立ち止まる。
「……貴女の手を、借りずに済めばよいのですが」
言葉を零して、桜田はどこかへ行ってしまった。置いて行かれた言葉と遺体の隣で、迷はただその残影を眺めていた。
血みどろの遊園地にて、葛藤する二つの正義を暗雲が覆う。一方、光の悪魔は神の御御足で哀れな子羊を待ち侘びている。
次回「光、いずこにあらんや。」




