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白か黒か白と黒か  作者: 丑十八 higure
一章 動き始めた歯車のネ
13/27

(什参)Zephyranthes

 ふと目を開けると、薄暗い闇が目の前を覆っていた。ぼんやりとした光の方から、微かな鳥の歌声が聞こえる。静かに起き上がった私・森草木花林は、未だに眠っている意識のまま、小さく口を開いた。

 ゆっくりと、意識を揺すり起こすように、脚をベッド外へ放り、伸びをしながら立ち上がる。微かに漂う花の香りに目を細めながら、蔓薔薇の刺繍が施された布越しの陽光に向かう。その中央を分かつと、朝の白い光が部屋に差し込んだ。そのまま窓も開けると、寒気と暖気が抱き合った外界の匂いが、私と花の匂いで満ちる室内に飛び込んで、一緒くたになった。

 ここ三階は鳥と同じ目線の高さになることができる。目の前の鳥を観察しながら風に吹かれると、意識は完全に覚醒した。深く息を吐く。

 ──今日って何か……。

 予定があった気がする、と呟く途中、唐突に昨日から今にかけての記憶が鮮明に蘇った。ハッとして無意識に口に当てた左手薬指が冷たい。

 ──そうだ、今日は久し振りの、蒼とのデートの日だった。

「今、何時かしら……?」

 急いで背後の無機質な白黒の壁掛け時計を確認する。どうやら二つの針は予定の時間より大幅に前に待機しているようだった。何なら、普段の休日の起床時間より早い。昨晩は、夫婦にもなってまだ来る緊張由来の動悸により寝付きが悪く、先程の目覚めもやけに唐突だったと思い出した。

 そういえば、昨晩は蒼の発案で、私たちがまだ御付き合いをしていなかった頃の気持ちを思い出そうと、二階にある夫婦の部屋でなく、それぞれの建物の三階にある私有部屋で寝ることになったのだった。

 目に映る、無機質な部屋。朝陽に照らされて、一台の机の上にポツンと置かれたハナキリンが喜んでいるように感じる。

 ──お花に水をあげてから、私と蒼の御飯を用意しましょうか。

 そう思って、壁に掛けてある霧吹を取りに行こうとした途端、背後からしたバタンという打撃音に体が反射的に反応する。振り返って窓枠に乗り出すと、拍子抜けする声がした。

「トリサンおはよぉ〜っ! 今日もキレイな歌声だねぇ……。葉ッパサンもおはよぉ〜! 昨日より元気そぉだねぇ!」

 向かいの窓から身を乗り出した私の夫が、家の裏から伸びる枝に留まった小鳥を眺めながら満面の笑みを浮かべていた。

 一囀りして小さく羽ばたいた小鳥を残念そうに見届けたと思ったら、その視線は「あぁ〜っ!」という声を連れて私に向けられた。

「花林だぁ〜っ!! おはよぉ、花林〜! 今日は昨日よりもっともぉ〜っとキレイだよぉ〜っ!!」

「そ、蒼っ! あ、ありがとう……だけれど、もしかしてこの時計、壊れているのかしら……?」

 影になっているベッドサイドテーブルの上で静かに佇んでいるスマートフォンを手に取って電源ボタンを押すと、時計と同じ〔6:47〕という数字が浮かび上がった。外からの聞き慣れた声に、私は顔を上げる。

「もぉ、失礼だなぁ〜! ボクだってたまには早起きするよぉ! だって今日はぁ、花林とのデートだもん〜! 楽しみで楽しみで、いつもより早く目が覚めちゃったよぉ〜!」

 彼の満面の笑みを見ると、胸が薔薇の蔦に締め付けられるような感覚に襲われた。頬がやけに熱を持って感じるのは、きっと包むような白い朝陽の所為。

「……フフ、私もよ。着替えたら御飯を作るから、下で待っていて頂戴」

「分かったぁ〜っ!!」

 元気に返事をして、また勢い良く窓を閉めた彼の「ご飯〜ご飯〜!」という鼻歌が、不明瞭になって聞こえてくる。

「フフ……早く支度をしないといけないわね」

 そう呟いて窓とカーテンを共に閉め、また薄暗闇に染まる無機質な部屋。外界の匂いと花の香りが混じり合った空気に全身包まれながら、心臓の鼓動が逸るのを感じていた。


 目前に並べられた皿の上にはイカスミパスタが盛り付けられて、その芳醇な匂いを漂わせている。飾りとして添えたエディブルフラワーの香りもほんのり香っていた。

「うわぁ〜っ……美味しそぉ〜ッ!! いっただっきまぁ〜す!」

 向かい合う蒼は手を合わせてがっつくようにパスタを巻いてばくっと一口を放った。忽ち彼の顔が幸せに満ちるのが分かると、私も安堵しながら手を合わせた。

「──くぅ〜〜ッ!! 美味しぃぃぃ〜〜ッ!!!! すっごく美味しいよぉ、花林〜!」

「あらそう? なら良かったわ。じゃあ私も、いただきます」

 丁寧に麺を巻いてイカスミと絡めて一口を頂くと、口の中に幸福の権化が降臨した。自画自賛にはなるが、今回のこの料理はかなりの出来だと感じる。

「本当、美味しいわ──って」

 顔を上げて目を合わせたつもりだったが、彼の目は違うものを捉えていた。

『──それじゃあ今週のお天気コーナーです! お天気イカガく〜ん!』

 テレビに映るキャスターの案内で登場した、何処か狂気を孕んだイカのキャラクター。名前を「お天気イカガ」という。このコーナーの度に登場するマスコットだが、蒼は最近この「イカガ君」に御熱だ。

「イカガクンだぁ〜〜!!!! 今日もカワイイなぁ〜!」

 ……と彼は言うが、私にはどうも、そのやけに現実的な眼球が常にこちらをぎょろりと睨んでいるように感じてならない。私は、つい一週間の気象が草花(しょうひん)に与える影響を確認してしまうが、彼にとってそんなことはどうでも良いようだった。

「……あら? そういえば、茜が出演するのは今日で合っているかしら」

「ん〜? 違うよぉ。前回と同じでCDの発売日に生パフォーマンスするから出るのは明日だよぉ」

 普段は携帯でぱぱっと気象情報をチェックする私が態々テレビをつけているのは、それが理由でもあった。

 最近は、アイドルA-kaneを朝の情報番組で見掛ける機会が多くなったように感じる。彼の手帳の黒はページの更に上方を埋めたように見受けられた。上へ上へと向かうのは、人気と収入だけで勘弁してやって欲しいものだ。

 だが、蒼は彼を称えるでも労うでも無く、ただ頬を膨らませていた。

「茜、良いなぁ〜、イカガクンに会えてぇ。ボクも会ってみたいなぁ! でも会えないからぁ、絶対今度こそイカガクンのサインを貰ってきてもらうんだぁ〜!」

 ……果たしてイカガ君はサインが出来る程の知能を有する生命体なのだろうか。

 そんなイカガくんも、まさか成人男性に輝く宝石のような羨望の瞳を向けられることは予想していなかったろう。……まあ、例え児童が相手でもそんなものは向けられず、仮に輝く瞳を向けられたとてそれは潤んだ瞳ではあると思うが。

『──今日もありがとう、お天気イカガくん! それでは今日はさようなら、また明日、お会いしましょう〜!』

「もぉ終わりぃ〜? イカガクン、じゃ〜ねぇ〜!!!!」

 コーナーの終了を告げる言葉に軽く一礼したイカガ君。健気に画面に向かって手を振る彼の言葉は届いているだろうか。

『それでは、本日のニュースです』

 真面目な雰囲気に回帰した画面、イカガ君の去った画面は、彼にとって暗転と同じのようで、目の前のイカスミパスタを大きく一口飲み込んだ。幸せそうな彼に呆れながらも、身に染みる幸福を感じていた。

『昨日、主にITの分野で活躍するFockグループ代表の探心学さんが、新たな分野であるロボット工学分野への企業展開を表明すると同時に、新製品である警備用ロボットの発表を行いました』

 画面には激しい光で繰り返し照らされる白衣姿の男。左眼の眼帯が印象的だ。A-kaneと同様、ここ最近テレビで見掛けることが多いが、その長い前髪を見る度に邪魔では無いのかと疑問に思う。

「くぅ〜〜ッ、美味しかったぁ! ごちそ〜さまぁ〜!」

 その言葉に驚いて顔を上げた拍子に、眼に軽い刺激が走った。前髪の先が触れたようだった。どうやら私も他人のことは言えないようだ。

「えっ、御馳走様ですって? は、早いわねぇ……」

「うん〜、だって美味しかったからねぇ!」

「そ、そう。なら良かったけれど……」

 けれど、私にとっては非常にまずい。恐らく蒼は何も思っていないだろうが、余り待たせるのは気が引ける。折角、普段は遅起きの蒼がこれだけ早起きしてくれたのだから。それに、私だって──。

「……これ、食べ終わったら、直ぐに出発しましょう」

「ん〜? ゆっくり食べてて大丈夫だよぉ。よいしょっとぉ、ボク、色々用意するから──」

「私が、早くデートをしたいから」

 心の中でも言わなかった言葉は、意外に簡単にまろび出るものだ。余りこういったことを言い慣れていないからか、どうやら私は動揺しているらしかった。幾らパスタを巻こうとしても、それ等はフォークの隙間から滑り落ちてしまう。

『──新たな企業展開への目的は何ですか?』

『目的、ですか。ぼくには宝物があります。自力で成長させてきたこのFockグループと、過去に発表した生物の遺伝子研究等のアイディア。そして、それ等によって生み出された、製品という名の宝物(こども)達です。そんな大切なものを守るためには、更に高い警備力が必要です。そういった警備力の強化、またその他有効な利用を目的としています』

 テレビから流れる声に、フォークと皿の擦れる音が混ざって響いている。私の中ではもう一つ、鼓動という音が最も存在を主張していた。

 俯き加減でちらりと一瞥すると、蒼の視線はこちらに向いていた。それに気付き、目線に続けて顔を上げると、不明瞭だった彼の表情が鮮明に映る。磨き上げられたルビィが、彼の頬を装飾していた。

「…………──ボクもだよぉ花林〜〜ッ!!!!」

 机を回ってこちらに駆け寄ってくる。飛行機のように目一杯広げた両腕が愛らしい。その両翼が私を包むのに、ほんの瞬きも要らなかった。

 全身に掛かる負荷。ぎゅううと、力強く。本来なら苦しい筈なのに、何故だかとても心地好かった。

「ボク、今まででいっちばん早く用意してくるねぇ!!!!」

「フフッ……有難う、蒼。私も早く食べちゃうわね」

「どういたしましてぇ! 大好きだよぉ、花林〜!」

 私の返答も聞かぬまま、言いたいことを言ったら大慌てで走り去った彼の背中に、ついつい頬が綻ぶ。唇もまた、緩んでいるようだ。

「フフ、私もよ、蒼」

 呟いた言葉と共に飲み込んだイカスミパスタは、やけに芳醇な匂いがした。


「うぅ〜ん、今日は良い天気だねぇ〜!」

 朝起きたときと同じワイシャツとジーンズパンツの格好、何なら一年中同じ服装の彼が伸びをする姿は、さながら陽を受けて光合成する植物のようだ。

「フフ、そうね。丁度良い日和だわ」

 腕を広げる彼の隣を、白衣のポケットに両手を差し込んで歩く。他の人──特に茜──と出掛けるときには些か良く思われない白衣だが、それが蒼との場合、彼は微塵も気にせずいてくれるので、私はとても気楽にいられる。そもそも白衣とは、当然耐薬品性も耐火性も高い強靭な服なのだから、私にとっては非常に都合の良い衣服だ。いちいち脱ぐのは勿体無い。

『今、物議を醸している遺伝子操作。果たして今の科学はどこまで到達しているのか。現在、遺伝子研究の分野で多くの功績を残しているFockグループ代表、探心学さんに解説していただきます』

 街中で白衣というのは、こうも目立つものなのか。ショーウィンドウの中のテレビに映る白衣の男は、私の視線を掻っ攫った。

 遺伝子操作──か。趣味であり仕事でもあるが、毒の調合や植物の交配を嗜む私としては、少し気になる題材ではある。遺伝子を弄ることができれば、今より強靭な植物や、便利な毒が創れるかもしれない。

 だが、それは果たして人間が関与して良い領域なのか。

 生物界の頂点を牛耳る人間とて、この自然の一部分を担っている。遺伝子という種の情報は、その自然で繁栄する過程で書き換わったりするものだ。そう考えれば自然の一部である人間が同じく自然の一部である植物等の遺伝子を書き換えても何の不思議も無いのだが……。

 それを良しとしてしまえば、人間が人間の遺伝子を書き換えることも良しとなってしまう。それは──きっと禁忌だ。

 人間は個体ごとに異なる意識が存在し、個体ごとに異なる自我を持つ。その意識や自我等の「知性」は、他から干渉されてはいけない。それは、自分自身を守るため。誰かから、誰かの「知性」によって、自分自身の「知性」を捻じ曲げられることを防ぐためなのだ。

「──りん、お〜い、か〜りん〜っ!」

「あっ」

 ハッとその声に気づくと、蒼が一歩前で振り返って私を心配そうに見つめていた。どうやら少し考え込んでしまっていたようだ。

「どうしたのぉ? 早くデート行こぉ〜?」

「えっ、えぇ、そうね。行きましょうか」

 先を歩き出す蒼の後を小走りで追いかけて、私たちのデートは始まった。

 今日は休日だ。きっと街を歩けば大勢の多様な人々と擦れ違う筈だと思っていたが、意外にも街往く人数は少ないので驚いた。どうやら街の人々は疲労困憊の様相で、休日の午前中は体力の養生に充てているようだった。

 通行人でも多ければ、手でも繋げたかもしれないのに──と柄にも無く思ったものの、恥ずかしくなって頭を振った。

 そのままの距離で雑談しながら、歩みを進めてきた頃。少し大通りから脇道に逸れたここは、街の中央道より更に人気(ひとけ)が無かった。

「もうそろそろね」

「うん〜、そうだねぇ。な〜んか、歩いてるだけでも楽しいなぁ〜!」

 周囲に他人はいないため、彼はまた両翼を展開した飛行機のようになって、元気に走ってくるくると回ってみせる。私はつい表情筋が脱力するのを感じた。

「へー、チャペルじゃん。結構立派だね」

 突然した第三者の声に、筋肉の弛緩は終焉を迎え、硬直の限りを尽くした。あれだけ笑顔だった彼も、目を開いて私とアイコンタクトを取っている。

 声の方を確認すると、その主かと推察される兎耳付きのパーカーを着た女性の他に一人、大きな旗を掲げた些か女勝りの男子が、私達の目的地を通りがかりに眺めていた。

 ──この二人、いつの間にそこに……?

「チャペルって、教会? カミサマに祈る場所? カミサマなんて、本当にいるのかなぁ」

「さーね。あとはまぁ、結婚式挙げたりとかさ。あんたも使うとき来るかもよ」

「そうかな?」

 そんな風に会話する二人は、そもそも人気が少なく、更に普通の住宅の立ち並ぶ街中ではかなり異様な存在感を放っていた。彼等の放つ雰囲気が和やかなのが、逆に不親和性を漂わせている。

 十字架と思しきマークの載った旗を揺らして振り返る二人。驚愕と違和感に動くに動けない私達に気付くと、踏み出そうとした足を引っ込めて軽く仰け反った。

「おっと、すいません。ほら、旗に気を付けて。行くよ」

「うん、分かった」

 私達の間を擦り抜ける二人。軽く肩や旗の柄が打つかると、筋肉の硬直は全身に回った。生命が、意識が、自我が、私の「知性」が、彼等から放たれる「何か」を敏感に察知しているのが分かった。反射的に、指先に魔力を集中させていたことには後から気付いた。

 突如現れて、突如消え去った幻の嵐。彼等の足音さえ聞こえなくなってやっと、全身の筋肉の硬直は解れた。思わず溜息が出てしまったのは、私も蒼も同じだった。

「……やっぱりさぁ、思ったんだけどぉ」

 静寂に、彼の声はよく響く。

「丁度、ボクたちの式の会場だった教会にも着いたしぃ、ヒトもいて、ぶつかると危ないからさぁ……手ぇ、繋ごぉ?」

 その言葉を聞いた途端、さっきの緊張が嘘のように、全身を縛っていた鎖から解き放たれたように、特に表情筋が弛緩するのが分かった。口角を必死に押さえ付けても、その何倍もの力で上を目指してくる。

「……そんなの、答えはただ一つだけに決まってるじゃない」

 握った彼の手は、水のように冷たくて、水のように温かく、水のように、私の手を優しく包んでくれた。


 時間が経過して昼になり、陽の光は些か照り過ぎなほどに勢いを増していた。

「どこのお店も良いニオイだねぇ〜……!」

「そうね。どこにしようか迷ってしまうわ」

 私たちは腹の虫を嘶かせていた。ここは街の中心から少し外れるが、幾つもの名店が立ち並ぶ有名な飯屋街。歩けど歩けど違う種類の良い匂いが漂って、私たちの胃袋を狙ってくるので、幸せな困却に至っていた。

「ん」

 同時だった。私達が歩みを止めたのには訳があった。二人を取り巻く雰囲気は、御昼前の呑気なものから、事件前の緊張したものへ変わっていた。

「ねぇ、花林」

「えぇ、蒼。食物の匂いの中で、微かに薫るこの刺激的なニオイ……」

「これって、まるでぇ──」

「何かの死体が腐った臭い」

 腹の虫が嘶く昼下がり。これは虫の報せだったのだろうか。

白昼堂々、幸福を享受し共有する二人は、一見ただの仲の良い夫婦だったが、決して彼らは単一の関係性ではない。二人の悪魔が、動き出す。


 次回「花弁の露、鴛鴦の契。」

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