後藤くんとの出会い
「あ、おはよう。今日は早いですね」
そう言って目を細めながら笑う後藤さんに、私は恋をしている。
「ちょっと待って下さい。今開けますね」
ガラッ
私は彼が経営しているパン屋〝こびとのパン屋〟でパートとして働いている。
もう今年の一月で二年目になる。
働く事も、片想いも二年目に突入だ。
私は今年40歳になるアラフォー。バツイチ。
今年高校三年生になる娘がいる。
パン屋は朝が早いので、娘よりも早く家を出なくてはいけない。朝4時に起きて、朝ごはんや洗濯など済ませて5時半過ぎに家を出る。
そして、後藤さんのパン屋へと自転車を走らせる。今日は焦ってしまい、少し早く着いてしまったみたいだ。
制服に着替え、厨房へと行くと後藤さんが「ちょっと、ちょっと」と私に手招きをしているのが見える。
「昨日試作のハリネズミパンを発酵させていたんだけど、凄いブサイクで笑えるんだ」
「わー本当ですね、ぶくぶくでブサイク」
そこにはぶくぶくに太ったハリネズミとは思えないものが5つ。
でもパンは焼くと姿を変える。想像以上に膨らんだり、切り込みがキレイな型になって現れたり……まるで魔法の様なのだ。
後藤さんの魔法は凄い。その事は私は良く知っている。
「よし、ハサミで切り込みを入れて」
チョキ、チョキ、チョキ
「さぁ、焼くぞ」
彼は本当にパンを作る事が好きで、パン屋に来てくれるお客様も愛している。パンとお客様に向けている優しい笑顔を見ていれば分かる。
私もいつもその笑顔に癒されている。
彼は一つ年上なので話も合うし、一緒にいると楽しいし、すごく落ち着く。
だから他の人が来ないこの二人だけの時間が、私にとっては至福の時間だ。
「宮下さん、この生地測って分割して下さい」
「はい」
台に出された白い生地をカードで切って、計りながら両手で丸めて成形していく。パン屋はスピードが命。私は後藤さんの真似をして上手くやっているつもりが、まだまだ出来ない。
「あ、こうやって手を丸くして」
「あ、こうですか?」
「え、こんな感じ」
「え、こう?」
後藤さんの左手が私の右手を上から包み込む。
「こうです、手を丸めてくるくると」
その右手からあったかい温もりが伝わってきて、ドクドクと全身に熱が伝わってきて……
私は顔が沸騰しそうになった。
え……後藤さんの、手が、触れてる!!
心臓もうるさいぐらいに躍るし、息ができないぐらい苦しくなるし、何より、手汗が凄い!!
後藤さんはそんな私を気にせずに右手を握ったまま、次の生地をくるくるしていく。
ど、どうしよう……離して下さい、なんて言えないし、あ、でも、嬉しいなんて……ましてや言えない。どうしましょう。
そんなピンチの私に助け舟が出される。
「おはようございます!卵持ってきました!」
「あ、私出てきます!」
私は逃げる様にその場から消え去った。
良かった、良かった……
「おはようございます」
私は小刻みに震えた手で伝票を受け取り、サインをする。
卵屋さん、ナイスタイミング。
そう思いながら、伝票を渡すといつもと違う人だと気付いた。
「あれ、いつものおじさんは?」
「あ、初めてまして。息子の後藤隼人です。父が腰を悪くしてしまって、僕が配達を」
若い。それに、結構いい男だ。
「そうなんですか。大変ですね。今年もよろしくお願いします」
「今年もよろしくお願いします」
ペコッと頭を下げ、彼は爽やかな笑顔を残して帰っていった。
この後藤くんとの出逢いが私の人生を少しずつ狂わしていく事を……私はまだ知らない。