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カルト9「魔女との決闘! の巻」

「オデッセイ……お前、何で……?」

「俺のアイデンティティその一……友達は必ず助ける」

 背を向けたままそう答え、オデッセイは怪裏々をふっ飛ばした方向へ視線を向ける。

「えああああああああああああああ!?」

 倒れていた怪裏々は激怒しているのか、絶叫しながらオデッセイへと向かってくる。オデッセイは特に動じるわけでもなく、その場で身構えた。

「えあっ!」

 飛び上がった怪裏々が、無数の触手を伸ばす。伸ばされた触手は一本一本別々の軌道でオデッセイへ迫ったが、それでもオデッセイは動じない。

「す、すげえ……」

 最小限の動きで触手をかわし、高く飛び上がると怪裏々の背後で着地する。すぐに振り返った怪裏々だったが、何かする前にオデッセイの右足によって上空へとふっ飛ばされた。

「ふんッ!」

 オデッセイはその場で吹っ飛ぶ怪裏々よりも高く飛び上がり、怪裏々を勢い良く叩き落とす。派手な轟音と共に、怪裏々は地面に穴を空けながら倒れ伏した。

 オデッセイはすぐに着地し、倒れている怪裏々へ歩み寄る。流石の怪裏々もダメージが大きいのか、痙攣するばかりでまともに動かない。

 そのままとどめを刺すかとも思ったが、オデッセイは意外にも怪裏々から背を向けた。

「イッ……アイ……エェ……?」

「俺のアイデンティティその二……無益な殺生はしない」

 オデッセイがこんなに強かったなんて思いもしなかった。僕はもちろん、エリスですら対処出来なかったエリスをこうも簡単に無力化するなんて……。

 だが裁人は、それでも動じていなかった。

「ふっ……ふふふ……」

「裁人……何がおかしい!?」

「怪裏々を痛めつけてくれたことについては許せないけどね……何だかんだ事がうまく運べば笑いもするわよ」

「うわー! やった! やっと裁人が普通に返事してくれた!」

 次から自撮り送る時は気をつけよう……。

「事がうまく運んだ? とんだ誤解だな。今から儀式は俺が止める」

「へぇ……終わった儀式を?」

「何……!?」

 次の瞬間、デル・ゲルドラが赤黒い光を放つ。

 まるで生えるようにして邪神の頭部が姿を現し、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。赤黒い、タコのような形をした頭が、ジッと僕らを見ていた。

「……アンタのアイデンティティその三……肝心な所で後一歩間に合わない」

 裁人が勝ち誇った表情でそう言った瞬間、邪神が雄叫びを上げる。その威圧感に気圧され、僕もオデッセイも怯んでしまう。

「デル……ゲルドラ……間に合わなかったのか……私達は!」

 麻痺から少しだけ回復したエリスが、身体を起こしながら悔しそうに声を上げる。

「ゲッヒヒ……えっ……えいい……ああああああ~~~~!」

「そうか……はなから俺を倒すつもりはなかったのか……時間稼ぎだけが目的だったというのか!」

 オデッセイが膝から崩れ落ちる。絶望と邪悪、破滅の象徴たる邪神を前にすれば、どんな存在だって膝をつくしかないのかも知れない。

「さあ邪神様……始めましょう……私達の結婚式を!」

「なんでや……なんでやぁ! ウチらにはもう何も出来ひんのか!? このまま……破滅を待つしか……っ!」

「俺は……俺自身を確立することもかなわないまま終わるのか……ッ!?」

 エリスの、オデッセイの嘆く声が聞こえる。僕達は失敗した。邪神はもう、顕現してしまったんだ。

 だけど

「まだだ!」

 僕だけが立ち上がる。

 圧倒的な邪神を前にして、この大岡駆人だけが。

「は?」

「その結婚! 待ってもらうぜ裁人!」

 全員の視線が一気に僕へ集まる。スリットの入ったスカートをなびかせ、僕は悠然と裁人達へ歩み寄る。

「無茶や駆人くん! クソ雑魚に出来ることなんてもうあらへん!」

「やめろ! 邪神は俺達では倒せない!」

 ああ、そうだ。邪神は倒せない。クソ雑魚の僕じゃかなわない。

「僕は邪神を……いや、邪神様を倒したりなんかしないぜ」

「ははぁん……ここに来て軍門に下るってワケ? 良い心がけね! また仲良く邪神様を讃えましょう駆人!」

「ああ、そうだな」

 僕がそう答えた瞬間、エリスとオデッセイが息を呑む。

「だが、一緒に讃えるのは難しいかも知れない」

「なんですって……?」

 裁人が怪訝そうな顔をすると同時に、僕は着ていた修道服を脱ぎ捨てる。青い襟と赤いスカーフが、膝上のプリーツスカートとともに揺れる。

「僕と結婚してくれ、邪神様!」

 これが僕の答え。そして僕の……僕だけのウェディングドレスだ!

「…………は?」

 流石の裁人も理解が出来なかったのか、僕を凝視したまま硬直している。それはエリスやオデッセイも同じようで、振り返ると怪裏々でさえも起き上がって僕を見つめていた。

 あと邪神様も硬直していた。

「駆人……アンタ本気で言ってんの?」

「僕は冗談で結婚してくれなんて言わない」

「言ったぞ」

 唖然としていたエリスが即座にツッコミを入れたが、あの時も僕は別に冗談で言っていない。

「……人が結婚するって時に乱入して相手側に求婚ってどういう神経してんのよ……」

「…………確かに」

 よもや邪神を顕現させて結婚しようとした魔女にド正論を吐かれるとは思わなかったし、反論も出来ないとはな……。

「どうなんですか邪神様! アリなんですかこれ!」

 肩を怒らせながら邪神様を見上げて裁人が叫ぶと、邪神様は考え込むような仕草を見せる。ほんとに困っているのか、低い唸り声を上げながら邪神様は僕と裁人を交互に見ていた。

「ま、迷うっていうの……?」

「僕案外いけるな……」

 僕が思っているより僕はかわいいのかも知れない。

「よく考えたら、邪神様と会ってから今日までの期間……僕と裁人にそこまで差はないし、なんなら二人共初対面みたいなモンだと思う」

「は? 私の方が信仰してた時間長いんですけど?」

「でも会ってから今日までの時間は大体同じだろ!? 愛は時間さえ長けりゃ育めるってモンじゃないんだぞ!」

 そんな僕と裁人のやり取りを、エリス達はポカンとしたまま見つめている。怪裏々は穴から這い出してとりあえずこっちまで様子を見には来たけど、唖然としているだけで何もして来ない。邪神様は邪神様でまだ唸ってるし、いつの間にかわけのわからない膠着状態になってしまっていた。

「……なら、決闘で決着をつければ良い」

 不意にそんなことを言い出したのは、今まで黙っていたオデッセイだった。

「互いに譲れないのなら、正々堂々決闘をするべきだ」

「……なるほどな。僕は構わないぜ」

 邪神や怪裏々と戦う、となれば勝率はゼロに近いが裁人との直接対決ならまだ幾らか勝算はある。とりあえずうまいこと交渉して魔法的なものを禁止にしてもらって一対一で決闘すれば案外何とかなるかも知れない。

「冗談じゃないわよ! そもそもこれ私と邪神様の結婚式よ!? 何でそんな飛び込み乱入で嫁権奪われなきゃなんないワケ!? どうなの邪神様!」

 邪神様はしばらく唸り声を上げていたが、やがてゆっくりと身体をかがめる。そして裁人に何やら耳打ちし始めた。最初は頷きながら聞いていた裁人だったが、聞き終わる頃にはぷるぷると震えながら怒りをあらわにしていた。

「……何て言ってたんだよ?」

「そのまま翻訳するわね……。『君達は二人共僕のことを想ってくれているようだけど、僕の家は一種族につき一人しか娶らないしきたりがあるから選べない。二人が納得するなら決闘しても良いんじゃないかな』、ですって」

「やったー! 邪神様愛してるー!」

 思わず僕が両手を広げてはしゃいで見せると、邪神様はちょっと照れくさそうに顔をそむけた。こいつほんとに世界滅ぼすのかな……。

「……あと、吐瀉物ぶつけてごめんって言ってるわ。あまりにも耐え難くてついぶつけてしまったって」

「あ、うん……」

 一応気にはしてたのか……。

「正気か駆人くん! 魔女と決闘など……!」

「……僕が正気じゃなく見えるかい?」

「すまない、正気だと思ったことがあんまりない」

「エリス結構僕にキツいよね? 何で?」

「何で? って思うところがもう駄目だからだ」

 エリスとそんなやり取りをしていると、不意に裁人がうつむいたまま笑みをこぼし始める。驚いてジッと見つめていると、裁人はガバリと顔を上げて僕を指さした。

「上等! やってやろうじゃない! 覚悟しなさいセーラー服ボーイ!」

 どうやら吹っ切れたのか、裁人はもう僕と決闘する気満々のようだ。

 そんな僕らを上から見下ろしてうんうんと頷いて見せた後、邪神様は再び裁人に耳打ちする。

「えーっと……『決闘にふさわしい場所を用意するから、そこで存分に戦いなさい』って」

 裁人が通訳し終えた瞬間、一瞬で辺りの景色が切り替わる。気がつけば僕と裁人は、ロープのないリングで向かい合っていた。

「え……!? えぇ!?」

 慌てて下を確認したが、リングの下は血の海になっており、地獄みたいな景観だ。そしてリングの側にはテーブルとパイプ椅子があり、怪裏々とエリスとオデッセイが並んで座っている。邪神様はその後ろで腕を組んでこちらを見ていた。

「……なるほど」

 邪神様が何やら耳打ちすると、オデッセイは静かに頷く。

「邪神に代わってこのオデッセイが状況を説明しよう。ここは邪神によって作られた邪神リング、駆人と魔女にはここで思う存分戦ってもらう」

「……お前邪神様の言葉わかるんだ……」

「ルールは簡単、ギブアップするかこのリングから落下すれば負けだ。武器や魔法の類は禁止だがそれ以外は何をしても良い。目潰し金的噛み付き何をしても構わん」

「「えぇ!?」」

 意外にも二人そろって不満が出た。

「ま、魔法の類駄目なの……?」

「フェアではないからな。それに貴様の魔法は邪神の力を借りたものだろう。邪神は今回一切手は貸さないと言っている」

「くっ……!」

 裁人が邪神様の力を借りれないならだいぶ勝算はある。それについてはかなり良い条件だがまだフェアではない。

「待ってくれ、まだフェアじゃない」

「どうした駆人」

「僕だけ金的喰らうと致命傷なのは良くない。金的アリにするなら裁人にも生やしてくれ」

「一理あるな」

「あるわけないでしょーが!」

 互いに頷く僕とオデッセイに、すかさず裁人がブチギレる。

「ていうかアレは男女関係なく痛いでしょ!」

「仮にダメージ面ではそうだとしても、僕が金的を使うのと裁人が使うのじゃ大きな差がある。裁人が使えば『金的使っちゃったかー』ですむ話でも、僕がやると非難轟々な感じになるだろ! フェアじゃない! 僕だけ事実上の金的禁止だろこれは!」

「そもそも男女の体格差とかあるでしょーが!」

「どうだろう!? 僕ヒョロいしセーラ服だし一般的な男子とは言い難いんじゃないか!? なのに男女の体格差があるから~って金的されたらたまんないぞ!」

「ぷ、プライドを母体に置いてきた男めっ……!」

「馬鹿言うなよ裁人。僕はプライドなんて精子の時から持ってない」

 まあ僕って最悪だなとは思う。エリスとかさっきから本気で頭抱えてるし。

「じゃあ非難轟々とか言ってないでプライド捨てて金的して来なさいよ!」

「……マジでやるぞ」

 あまりにも僕が真顔で言うので流石の裁人も若干怯む。正直そんなことするつもりはなかったけど、僕に不利な部分のある条件はなるべく除去しておきたい。

「よし、ではお互い金的は禁止だ。それで良いか?」

「……わかったわよ、金的はしない。邪神様に誓うわ」

 よし、これでかなり勝率はマシになった。戦う前に出来ることはもう一通りやったと言える。後は僕の力と大岡流古武術を信じるしかない。

「解説はこの俺オデッセイ、そして……」

「あいーー!」

「実況は小豪寺怪裏々だ」

 出来んの? あいつ実況出来んの? 裁人と邪神様くらいしかわかんなくない?

「ははは、そう力むことはない。普段通りやれば良いんだ。さっきは殴ったりして悪かったな」

「いえいえーあーお!」

 か、会話出来てる……。

「あれ、エリスは何にもしねーの?」

「いや、私は一応レフェリーということになっている。君達が反則しないよう見張らせてもらう」

 これで準備は整った。僕と裁人はリングの両端に立って向かい合う。

「あ、ちなみにこの下って落ちたらどうなんの?」

「……かなり深いらしいからな。最悪血の海で溺れ死ぬことになる」

 デスマッチじゃん……。

「関係ないわね。どうせ落ちるのは私じゃないし」

「余裕ぶってられるのは今の内だぜ」

 とは言ったものの正直血の海は恐ろしい。僕泳げないし。出来れば裁人も落としたくないのが本音だが、ここで裁人を倒せなければ世界は滅ぶ。

 裁人を睨みつけて覚悟を決め、僕は大きく深呼吸した。

「魔法、武器、金的は禁止だ。わかったな? では……試合開始!」

「うおおおおおお!」

 試合開始の合図と共に、僕と裁人は同時に駆け出す。そしてリングの中央で組み合い、お互いに至近距離で睨み合った。

「いええええええええ! あいあい! おおおおお! えっえっ……あーい!」

 実況何言ってんのかわかんないしうっせえ。

「そうだな、互角の戦いだと言える」

 あいつらだけで通じ合いやがって。

 しかし実際、僕と裁人の力は拮抗していた。事を有利に運ぶためにやけくそでひょろひょろとか言ってたけど、思ったより僕の筋力は女子と大差がなかった。

「どうせ邪神様と結婚して世界を破滅から救おうって魂胆でしょ! 見え見えなのよ!」

「ああ、そうだぜ……最初はそれだけだった!」

「何よ、今は違うっていうの!?」

「ああ……僕、わりと邪神様のこと好きだ!」

「何ですって……!?」

 まさか邪神様が僕と裁人で迷ってくれるだなんて思っても見なかった。わりとダメ元くらいの気持ちで求婚したのに、邪神様は僕と裁人を対等に比べて迷ってくれたんだ。

「今日実際にお前を通じてやり取りしてみてわかったんだ……僕、邪神様のこと普通に好ましく思う!」

「良さがわかったことは褒めてあげるわ! だけど邪神様は渡さない!」

 そう言って、裁人は僕から少しだけ距離を取る。慌てて距離を詰めようとした僕だったが、裁人は即座に足払いで僕をその場に転倒させる。

「うおッ!?」

 仰向けに倒れた僕に対してマウントポジションになると、裁人はすぐに拳を振り上げた。

「邪神様の嫁は私だっ!」

 しかし振り下ろされた拳を、僕はどうにか受け止める。

「コイ……バナッ……!」

「……は?」

「なあ……コイバナ、しようぜ……! 裁人はさ……邪神様のどんなとこが好き?」

「あああーーーーーーっお! おあおあおあおあおあおあおあええええ!? いああああああうおん!?」

 チラリと目をやると、実況の怪裏々がすごいテンションで叫んでいたが何を言っているのかは全然わからない。

「何よこんな時に!」

「おいおい、もしかして答えられないのか? 僕は答えられるぜ。紳士なとこだろ? ちょっぴり恥ずかしがり屋なとこだろ?」

 それから……と僕が次を考えていると、裁人は上から僕を鼻で笑う。

「浅いのよ! アンタは邪神様の理解が浅い! 彼、お花とか育ててるのよ! 私本で邪神様の好きな花見たことあるんだから!」

「え!? ほんと!? どんな花~~~!?」

「なんか……ちっちゃくてピンクのきれいなやつ……」

 嘘……ほんとにかわいい……オチなかった……。

「他には!?」

「ふふふ……後はねえ、料理だってお上手だって本に書いてあったわ! それに、実際話すと声もとっても美声よ!」

「うふふ……」

「あはは……」

 なんか邪神様について話してると和やかな雰囲気になってきたな……。このまま争わずに一緒にいられたらいッ――――

「っしゃあ!」

 油断してガードが緩んだ隙に顔面に一発ぶちこまれてしまった。

 だが油断しているのは裁人も同じ。一発ぶちこんで満足している裁人をどうにか弾き飛ばし、僕は起き上がって体勢を立て直す。

「わかったぜ……裁人! お前が本気で邪神様のこと好きだってことがな!」

「だったら引きなさい駆人! 今ならアンタは許してあげるわ!」

「だがな……僕にだって邪神様への愛はある! 裁人、お前を倒して僕は邪神様のお嫁さんになる!」

「だったらアンタは私の敵よ! 大岡駆人!」

 僕だって引けない。正直もう引っ込みがつかない。

 互いに改めて敵だと認識し合い、僕と裁人は再び激突する。再び組み合って、僕と裁人は互いを近距離で睨んだ。

「裁人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

「駆人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「うおおおお裁ッ――――」

「死ねや!」

 僕がギリギリ言い終わらない内に、裁人の頭突きが僕の顔面に叩き込まれる。のけぞった僕を容赦なく右手で引き寄せると、裁人は左拳を僕の腹部に叩き込む。

「ぎええ……ッ! あっ、ちょっ、ストップ! ストップ! 連打はッ……! クソ! 僕こんなんばっかじゃねえか!」

 すごい勢いでひたすらお腹にグーをぶち込んでくる魔女であった。

「あああああああああっお! おうおう! えええい!? いああああっ!」

「腹部に対する執拗な打撃。完全に弱らせてから下に落とすつもりだな」

 何を言っているのかわからない怪裏々の横で、オデッセイが冷静にそう言った瞬間だった。

 今まで僕の腹部をひたすら殴打していた裁人が、苦痛に表情を歪めながら左手の人差し指を抑え始める。

「ええええええい!? いえ! えあああ!?」

「どういうことだ……!? 魔女は何をされた!?」

 裁人の人差し指から、たらりと血がしたたる。僕は右手でつまんだ小さな“皮”をその場に投げ捨てて不敵に笑う。

 そう、この技は……!

「大岡秘伝古流武術――――六十七の型……『逆剥』」

 相手の指の皮がぴろっとなったところを思い切り引き千切ることでダメージを与える、大岡家に伝わる古流武術の一つだ。怪裏々には通用しなかったが、乾燥肌らしい裁人には効果覿面。保湿を怠った罰だ、裁人。

「もらったッ!」

 すぐさま裁人の背後を取り、僕は勢いよく突き飛ばす。いくら僕がヒョロくても、全身を使った突進ならある程度威力は出る。よろめいた裁人は一気にリングの端まで押し出され、そのまま足をもつれさせる。

「あえええええええええええええええええええええええええええ!?」

「決まったか!?」

 怪裏々のあの顔、絶対実況とかじゃなくて裁人が落ちそうで焦ってるだけだな。

 裁人はこのまま落ちてしまうかのように思われたが、右手でどうにかリングに捕まっていた。辛うじて落下だけは免れているが、凹凸の少ないリングをこのまま登るのは難しそうに見える。

「……レフェリー!」

 決着はついた。そう思ってエリスの方を見ると、エリスも判断を仰ぐために邪神様へ視線を向ける。じゃあもうレフェリー邪神様で良いだろ。

「これはもう僕の勝ちじゃないか?」

 邪神様は少し考え込むような表情を見せているが、今にもうなずきそうだ。しかし邪神様がうなずくよりも、下から裁人が声を上げる方が早かった。

「まだよ! まだ落ちてない!」

 プルプルと震える左手が、リングの端を掴む。裁人は裁人であまり筋力がないようで、両手はずっと震えている。恐らく自力で這い上がることは出来ないだろう。

「何言ってンだ、もう決着ついただろ」

「じゃあ落としなさい。勝敗が決するのはどちらかが落ちた時よ」

「……良いから負けを認めろよ。ほら引き上げてやるから」

 言ったは良いけど持ち上がるかな僕の筋力で……。

「……悔しい。絶対私の方が邪神様のこと好きなのに」

「そもそも何で邪神様と結婚したいんだよ」

「人間より邪神様の方が好きってだけよ。その次くらいに谷中が好き」

 エリスって裁人的な価値観だと人間じゃない方に寄ってるのか?

「……普通に生きて普通に結婚して……って、なんかつまんなくない? あと普通に顔が良い」

「まあわかんないでもないけど、だからって世界を滅ぼして良いことにはなんないだろ」

「いやそれは邪神顕現の不可抗力というか……」

「メチャクチャなわがままだなお前!」

 共感出来そうな切り口の話なのにイマイチ乗り切れなかった……。

「ま、最近は楽しかったけどね。アンタが来るようになってからはさ」

 そんなことをのたまいながら、裁人は不意にカラッとした笑顔を見せる。いつもの不敵な笑みとは違う、年相応の少女の笑顔だ。

 裁人の意外な表情に戸惑いつつ、僕はそっと手を差し伸べる。

「……じゃ、『楽しかった最近』の続きをやろうぜ。僕はいつだって部室に行ってやるよ。来なかったらさらってくれ」

 だが裁人は、僕の手を取ろうとはしなかった。

 裁人は困ったようにはにかんで、そっと目を伏せる。それが何だか、何かを決意しているかのように見えて、僕は慌てて彼女に手を伸ばす。

 その時には既に、彼女は手を放してしまっていたけれど。

「ばいばい、駆人」

「裁人……? 裁人ォォォォ!」

 僕の絶叫と共に、音を立てて裁人が血の海に沈む。彼女はもう、手を伸ばしもしなかった。全てを受け入れるように、まっすぐに血の海へと落ちていったのだ。

「そん、な……」

「……勝者、大岡駆人」

 戦いの決着をレフェリーが、エリスが無慈悲に告げる。怪裏々もオデッセイも何も言わない。そんな態度が気に入らなくて、僕は肩を怒らせながらエリスへ駆け寄った。

「何平然としてんだよ……ッ!」

 エリスは何も答えない。ただ目を伏せたまま、僕から視線をそらす。

「ばいばいじゃねえよ……! ふざけんな!」

 その場に膝から崩れ、僕は思わず咽び泣く。

 裁人藍は魔女だった。

 自分の都合で邪神を顕現させ、世界を滅ぼすことに何の躊躇もなかった。

 だけど、だけどだからって死なずにすんだのに死ぬなんてのは間違ってる。もっとはやく、アイツが手を放してしまう前にアイツの手を掴めていれば……。そう考えれば考えるほど悔しくて涙がこみ上げてくる。

 アイツ、友達だったんだよ。

「……クソ!」

 とぼとぼともう一度リングの端へ戻り、血の海を見下ろす。何も浮かんでこない真っ赤な水面が、僕に現実を突きつけた。

「裁人……裁人……!」

 今までの思い出が僕の脳裏をよぎる。初めてさらわれた時のこと、財布で引っ叩かれた時のこと、わけのわからない鍋を食べさせられかけたこと、何を言っても死ねと返されたこと……。

 思った以上にロクな思い出がなくて、それはそれで涙が出てきた。

「裁人ォォォォォォ!」

「……ぷはっ! 何ようっさいわねさっきから!」

 しかし次の瞬間、血の海の中から裁人が顔を出した。

「……へ?」

 裁人は立ち泳ぎの状態でこちらをしばらく見上げていたが、やがて邪神様達の方を向く。

「邪神様ー! 引き上げてもらって良いですかー!?」

 邪神様は快くうなずくと、その大きな手でそっと裁人をすくい上げる。その様子を唖然として見つめる僕に、裁人はいたずらっぽい笑みを向けた。

「アンタと違って泳げるんですけど」

「……何だそれ……。ていうかもしかしてエリスも知ってたのか!?」

「知らなかったのか。魔女は魔女になる前は水泳部だったぞ」

 いや知らんわ……。

「あいー! えいえいえい! おーーーー!」

「いやあごめんね負けちゃったわぁ」

 何だか思った以上に軽いノリで話す裁人に、僕は呆れてため息をつく。まあ、生きてるんなら良いけどさ……。

「何だよ紛らわしいな……。ていうかじゃあばいばいって何だったんだよ、からかってただけなのか?」

「いや? ばいばいはばいばいだけど?」

「どういうことだよ……?」

「だってアンタ、邪神様と結婚するし、世界の破滅は防ぐんでしょ?」

「そうだけど……」

「邪神様による世界の破滅ってね、邪神様がこの世界に留まり続けることで起きる破滅なの。なんかこう、瘴気的なものがぶわーって世界中に広がるから」

「はぁ……」

 その辺は普通に初耳なんだけど、どの道世界が破滅しかねなかったことには違いはなさそうだ。

「それはもう邪神様の意志ではどうにもなんないワケ。ですよね?」

 そう言って裁人がふると、邪神様は面目なさそうに頷いて見せる。

「だから、邪神様と結婚した上で世界の破滅を防ぐなら……」

「防ぐなら……?」

「邪神様のいる世界で一緒に邪神様と暮らすことになるわね」

「……マジ?」

 マジ。頷いた邪神様が、何だかそう言っているように僕には見えた。


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