カルト4「魔女の宿敵! の巻」
放課後、僕はオカルト同好会の部室の前に立ち止まっていた。
何だか当たり前のように部室まで来てしまったが、よく考えるとこれはおかしい。何故なら今日の僕は普通に授業を終え、普通に歩いて部室まで来たからだ。
ここに来るまでの間裁人に会うことも拉致されることもなかった。これは何だかおかしい話じゃないだろうか。
僕は女装とかもするのでわりかしヒロイン体質というかお姫様感覚で拉致されるものだと思っていたのに、これでは話がおかしくなる。果たして僕は普通に部室に来ても良かったのだろうか?
そんな疑問を抱えたまま恐る恐る部室のドアを開けると、中では並べたパイプ椅子の上で横になる裁人と、邪神様とあっち向いてホイをする怪裏々の姿があった。邪神様の方の判定どうするんだあれ。
「ん、ああ、駆人じゃん」
「あ、うん……」
思ったよりテンションの低い声をかけられて、僕は思わず気のない返事をしてしまう。怪裏々は相変わらずあっち向いてホイに夢中で僕の方を向かない。邪神様は微動だにしていない。あれほんとに一緒に遊んでんのか?
「……えっと、スワンプくんは?」
「裏山で息を潜めさせてる」
「扱い悪くない?」
「仕方ないでしょあんなの部室に置いとけないし」
「邪神のお手てと身元不明の少女はありなのにか!?」
「あーもううっさい。騒ぐんならもう帰れ」
「え、何? 機嫌悪い? 僕何かした?」
そのままだんまりを決め込まれてしまい、僕は小さく息をつく。これでは何でさらってくれなかったのか聞くことが出来ない。
しばらくそのままぼーっとしていると、怪裏々が駆け足でこちらへ寄って来る。
「あっ……あうあ、ああー」
「お、おう……どうした?」
「おああう……あっあーあい……あえあえあ……あい!」
怪裏々はその小さい両手を駆使し、裁人を指さしたり向こうを指さしたりしながら身振り手振りで一生懸命何かを伝えようとしている。しばらくはなんとか汲み取ろうと努力したが、何分こいつは僕の理解出来る言語を用いないので全然わからん。そもそも言語を解さない。
「あう! あいあいあ! あええあいあいあ! おおおおおあっ!? えう!?」
「あ、ごめんなんかキレてる? でも全然わかんね……やめろ肉体言語に頼るな」
怪裏々、お前はその無限に繰り出される拳で僕に何を伝えようとしているんだい……?
「ちょ、ちょっと待ってくれ。やめろ! このままだと僕はお前にお昼のパンを吐き出すことになる! それでも良いのか!?」
「ああお!?」
言語を解さないので僕の脅しには乗ってくれない。
「くっ……こうなったら大岡家に伝わる古流武術を使うしかない! キエエエエ!」
「あええええええ!?」
僕の繰り出す大岡秘伝古流武術、六十七の型「逆剥」は、文字通り相手の指の皮のぴろっとなった所を剥ぎ取ってダメージを与える技だ。なので指の皮にぴろっとなったところのない怪裏々には一切通用しない。カウンターのアッパーが顎をかすめる。
「キョオオオオオオッ!」
「えうおおおおおおっ!?」
大岡秘伝古流武術、八十九の型「フロントネックロック」はその名の通りただのプロレス技だ。油断して隙を見せた怪裏々の首をがっちりとホールドし、僕の必殺の絞め技が炸裂する。
「フゥゥゥゥゥゥゥゥッハァァァァァァッ!」
「あああああああああいえいえいえいえいえいえいえいえいああああああえうあっ!」
絞まれ! 絞まれ! 絞まれ! あ、だめだこれ抜けるわ腕力全然足りねえ。
「えあああああ!」
僕のフロントネックロックから脱出し、怪裏々は数歩距離を取って構え直す。そして腕につけている謎の輪っかを取り外して床に落とした。
「――――嘘だろ……!」
リノリウムの床を砕くその輪っかの重量に僕は絶句する。こいつ……今まであんな重りをつけて戦ってやがったのか。
「えああああ……いい?」
身構えたまま右手をちょいちょいと動かし、僕へ挑戦的な態度を見せる怪裏々。このまま引き下がるわけにはいかねえ……。
「上等だぜ怪裏々……! お前には大岡秘伝古流武術の禁じ手……百番以降の型を使ってやる」
「おあーお……!」
お互いの闘気がぶつかり合い、まるで蜃気楼のように景色が歪む。いや、待てよ普通そんなことなくない? これ怪裏々の起こした怪現象じゃない?
「あ、ごめんちょっと待って? 悪乗りしたわごめん」
「あおおおお!? おあああん!? しゃっ! しゃっ!」
こ、こいつ子音を……!
「……何やってんのアンタら」
「に、肉体言語でコミュニケーションを……」
いやまあ全く出来てなかったけど。
「それより教えてくれよ、なんか嫌なことでもあったのか? 僕で良ければ話くらい……怪裏々頼むからちょっと待って」
さっきまで拳で語ってたのに歯で語り始めているせいで僕の腕から血が出ている。
「なあ怪裏々……僕うまいか?」
「いえー」
結構うまそうに噛んでるとこ悪いんだけどそろそろ洒落にならない。
「ちょっと……客が来んのよ。それもめんどくさいやつ」
「客……? 裁人に?」
「そ。こないだまで入院してた友達なんだけどね、退院したから会いたいって連絡があったのよ」
僕の腕に噛み付く怪裏々を引き剥がしつつ、裁人はため息をつく。
「それなら普通に祝ってやれよ。裁人より変な奴なんてこの世にいるのか?」
「うっさいセーラー服ボーイ」
セーラー服普通だもん。
「セーラー服ボーイそろそろ市民権得られないか?」
「そろそろって言える程浸透してないと思うけど」
そんなどうでも良い会話をしながら腕の傷口を消毒していると、不意に部室のドアが勢いよく開かれる。
「待たせたな!」
それと同時に聞こえてきたのは凛としたアルトボイスだ。中に入ってきたのは、修道女のような服装をした背の高い少女だった。
「……うげ、来た」
「うげ、とはご挨拶だな魔女よ。久しぶりの再会だ。もっと喜ぶが良い。私の胸は異様に高鳴っている」
ベールから覗く長い金髪はウェーブがかかっていて上品な印象だが、顔つきは釣り上がった目元も相まってかなり男勝りに感じる。彼女は碧い瞳で裁人を見つめた後、部室の奥の邪神に気づいて血相を変える。
「貴様……既に邪神を顕現させていたか……! 魔女よ……もう貴様をこのままにはしておけん!」
「あーノリがウザい。アレ失敗してるからそんな問題ないっつーの。ほら帰れ帰れ」
「そうはいかん。我が神の名の下に、この世の平和のため邪悪なる者は討ち滅ぼさねばならん」
殺伐としていた僕と怪裏々を置いてけぼりにしたまま、彼女は勝手に殺伐し始める。何だ今日は殺伐の日なのか?
ちなみに怪裏々はもう落ち着いたのか、さっきの重そうな輪っかを右腕にはめ直している。
「怪裏々、なんかごめんな」
「えいー」
なんかついついヒートアップしちゃってフロントネックロックをかけたことを謝罪すると、怪裏々は気にしてないと言わんばかりに無気力な声を上げる。あれ、もしかして今通じた!?
「怪裏々! 僕の言葉わかったのか!?」
「うーあ」
「マイケル!?」
「えおー」
ダメだやっぱり通じてない。僕のマイケルではむーあしてくれない。
「あーもう駆人どうにかしてこれ!」
怪裏々とのコミュニケーションがうまくいかなかったことに落ち込んでいると、裁人は心底めんどくさそうな表情でさっきのベールの女性を指さしていた。
「どうにかしてって言われても僕この人知らねえしなぁ……」
「後で五百円やるし明日は誘拐してやるから」
「あ、マジで?」
……いや待てよ? 何で僕誘拐されたがってるんだおかしくないか?
「どうやら無関係な人物を巻き込んで好き放題しているようだな魔女」
「そーなんスよこいつやばいんスよ」
「そうか……すまない、私の盲腸がもう少し早く治っていれば君を助けられたかもしれなかった……」
「あ、いや、諦めないで今助けてもらって良いですか?」
「だが君の犠牲は無駄にはせんよ。私は屍を踏み越えてでも戦い続けなければならない。平和をこの手に掴むまでは」
日本語使うのに通じないのが一番辛いな……。
「で、誰なんだこの人は」
「谷中」
谷中さんか……名字以外の情報ゼロだったな今。
「私はシスターエリス。気軽にシスターエリスと呼んでくれて良い」
「字数変わってないんで気軽さ微妙ッス」
「敬語もいらんよ。少しだけ早く生まれただけの私を敬わずとも良い」
「シスエリ話聞かねえな全然」
「ははは、そのくらいの態度で構わんよ」
カラッと笑うシスエリは良い人っぽいんだけどそんなに話聞いてくれない。予定ないけどこいつに懺悔はやめておこう。
「かっこつけてんじゃないわよ谷中! あんた本名エリス谷中でしょ!」
「ふむ……やはり魔女との会話に意味はないか……。良かろう実力行使だ」
「話聞きなさいよ谷中」
ん……? エリス谷中? 谷中とエリスをバラバラに聞くとピンと来なかったが、セットで聞くとなんだか聞き覚えがあるような気がしてきた。
「なあ、シスエリ大岡駆人ってわかる?」
「ん? ……おお、駆人くん、駆人くんじゃないか! 久しぶりだな」
「いやまあ僕的には未だに誰だよお前って感じなんだけど」
エリス谷中。僕がこっちに引っ越してきて一人暮らしするまでお隣さんだった谷中さんとこの娘だ。まあなんというか幼馴染なんだけど。でももうちょい地味な子だったような……。
「いやちょっと待て! お前セーラー服はどうした!?」
「……ん?」
なんか僕の知ってるエリスと違うと思ったらセーラー服だ。
「お前中学の時はセーラー服憧れる~っつって普段着感覚で毎日着てたじゃないか! 何でセーラー服じゃないんだよ!」
「少女はいずれ大人になるものだ。セーラー服を脱がねばならぬ時も来る」
「じゃあ僕はどうすれば良いんだよ! 大人にも少女にもなれない僕は……ッ!」
「……それで良いんだよ君は。少女でも大人でもない、君自身になれ。私はいつでも肯定してやる」
「エリス……」
あ、今すげえ聖職者とかそういう感じのやつっぽかった。
「それよりも魔女……貴様駆人くんまで巻き込んでいるようだな」
「いやまさか知り合いとは……」
あれ? 魔女ちょっと日和ってる!?
「もうこれ以上放ってはおけん、貴様の邪悪な野望を打ち砕いてくれる!」
すげえやり辛そうにしている裁人に、エリスはゆっくりと歩み寄っていく。滲み出ている殺気に僕がビビっていると、裁人は舌打ちしてから怪裏々を呼びつけた。
「……っ! 怪裏々!」
「あ!」
怪裏々は短く答えて輪っかを外して投げとば――――
「大丈夫か駆人くん!」
額に輪っかが直撃したダメージで前が見れねえ。
僕がなんとか輪っかのダメージから回復して顔を上げると、怪裏々とエリスが対峙していた。
「怪裏々。こいつは本気でやっていいわよ」
「……あいー……!」
瞬間、怪裏々の纏う雰囲気が一変する。僕との戦いはあくまで遊びに過ぎなかったのだろう。纏っているオーラが桁違いだ。
「来い邪神の眷属よ。我が右手の聖剣で葬り去ってくれる」
「あいっ!?」
エリスが一歩踏み出した途端、突如怪裏々が肩をビクつかせる。
「いええええええええああああああああ!?」
そして激しく跳ねたかと思うと、部屋中の壁や天井を蹴りながら縦横無尽に跳び回り始めた。もう僕の動体視力では追い切れない。僕が見ているのはすべて残像だ。
「恐れよ邪悪なる者よ! 我が聖剣を!」
高らかにそう叫び、エリスは右手にだけしていた黒い手袋を外す。そしてそれと同時に、怪裏々が右斜め上からエリスに飛び掛かる。
「いええええええええええええええい!」
なんか語感は楽しそうだが怪裏々は鬼気迫る表情でシスエリへ拳を繰り出す。しかしエリスは片手でそれを受け止めて叩き落とし、倒れた怪裏々を起き上がらせた。
「次は別の生き物に生まれ変わると良い。その時は愛してやる」
「いえっ!?」
そして次の瞬間、エリスの右手がビンタを放つ。
「聖剣ビンタなん?」
「ビンタではない。聖剣だ」
ビンタやん?
聖剣とかいうからどんな技が飛び出すのかと思ったが、見た目はただのビンタだ。怪裏々にただのビンタなんて効くわけがないだろうし、実際怪裏々も何をされたのかわからないといった表情だ。
「……なんだか知らないけど、ただのビンタで怪裏々が倒せると思ってるわけ? 痛いヒーローごっこならおうちでやってくれないかしら」
「痛い魔女ごっこもおうちでやってくれよぉ……」
「私のおうちはこの部室よ! 部員が家族!」
「ママ!」
「お前を生んだ覚えはない。おままごとはおうちでやって」
「ね、ネグレクトだ……!」
育児放棄に僕が嘆いていると、不意に怪裏々が悲鳴を上げ始める。
「あっ……アイッ……アエエェェェ……オッ……オッ……」
口からぶくぶくと泡を吹きながら悶え、怪裏々の肌が青紫色に変色していく。
「え、ちょ、嘘だろ!? マジで聖剣!? 怪裏々!? 怪裏々ー!?」
「エエエエエエエアァァァァァァゥオェァアァァッェ……」
まさか本当に聖なる力が邪悪なる眷属を討ち滅したのか!? ていうかさっきしれっと判明したけどやっぱあいつ眷属だったんだな!?
「谷中……っ! アンタ怪裏々に何を……!?」
「聖なる力を叩き込んだまでだ。安心しろ、人間に害はない」
「いつの間にそんな技を……!」
「ふふふ……地獄のような修行だったぞ。毒草毒虫毒薬を配合して瓶に詰め、毒が手に馴染むまでひたすら突く修行は」
毒手だこれ。
「谷中それ毒手」
「我が聖剣は邪悪なるものを抹殺する」
「谷中、それ邪悪じゃないものも抹殺する」
「次は貴様の番だ魔女よ」
えぇ……。
僕はさぁ……ちょっとだけ期待してたんだよ……。エリスは話聞かないし僕の知ってるのとちょっと違ったけど、邪神のことはちゃんと邪悪なるものとかいうし、もしかしたら色々なんとかしてくれるのかもなって思ったんだ……。いやもう別になんとかしなくたって良い、ただこの部での苦労とかそういうのをさ、共有出来ればそれで良かったんだよ……。それで次の日笑えれば良かったんだ……。あとたまにセーラー服着てくれれば……。
なのに
「おいこいつ一番やべーぞ! 毒手なんかほんとに会得するやつがあるかよ!」
「戦いの道は常に険しい、時には地獄のような修行も必要なのだ」
「ェアッアアアアアッイッ……イッ……エェェェ……」
「覚悟しろ魔女よ!」
「ォオェェェェアアアアアッ!」
ビジュアル的には年端もいかない少女が絶叫して悶えてるのヤバ過ぎない?
「あー待って谷中来んな! 来んな! 無理! 生理的に無理!」
「邪悪な魔女に聖剣は辛かろうよ」
「いやほんと無理! 死ぬ! 死ぬ!」
「殺しはせん。あの眷属も死にはしないだろう」
いや死ぬんじゃねえかな毒手は……。怪裏々の絶叫はいつの間にか収まり、床の上でピクピクと痙攣している。これ救急車案件じゃないか……?
「アホ! 聞かん坊! クソ女! 肥溜めバースデイ!」
肥溜めバースデイって何。
「……なんとでも言え魔女」
「このっ……○○!」
「……!?」
「○○○○で○○の○○○○なのよアンタ! アンタなんか○○して〇〇○○の〇〇○で〇〇○○○○してやるんだから! この○○○!」
うっわ汚え。
クソみたいな伏せ字のマシンガンに、エリスはピタリと動きを止める。そして肩をわなわなと震わせ始め、その顔をうつむかせた。
「な、何考えてんだよ! 毒手怒らせてどうすんだよ!」
「うっさい知るか!」
あの毒手で暴れられたら僕らだってひとたまりもない。
しかしエリスはブチギレるどころか、振り上げていた右手をだらんと垂らして嗚咽を漏らす。
「……え?」
「そ、そこまで言うことないやんかぁ……」
「えぇ……」
「大体藍ちゃんがずるいやん……あんなん普通にやったら勝てへんよぉ……」
そう言ってエリスが泣きながら指さしたのは怪裏々だ。いつの間にか立ち上がった怪裏々はケロッとした顔でエリスの方を見ている。
「……ふぅ。どうやら抗体の生成まで時間稼ぎが出来たようね」
怪裏々ほんとにバケモンなんだな……。
「もう藍ちゃんなんか知らんわ! 勝手に邪神のお嫁さんにでも何でもなったらええやん! バカ!」
「勝手になるって昔から言ってるでしょ! その物騒な毒手しまってとっとと帰れ!」
「なんでや! 藍ちゃん前にウチのお嫁さんなる言うて約束してくれたんとちゃうんか!?」
そんなん僕聞いてへんわ……。そもそも一から十まで何も聞いとらんわ……。
「アホーーーーーー!」
エリスは毒手を手袋の中に仕舞うと、泣きながら部室を飛び出していく。その背中をしばらく見送ってから、裁人は深くため息をつく。
「……藍ちゃんそんな約束したんか?」
「……若気の至りで」
まだ僕ら十代ですやん……。




