第92話 加害者
「……何だと?」
カシリアの思考が停止した。
予想していた言葉とは、あまりにもかけ離れていた。
満足?誰が?何に?
「エリナ様のことです。……殿下は、以前からご存じだったのでしょう?」
ロキナの声は、次第に熱を帯び、糾弾の響きを強めていく。
「彼女が、公爵家の“私生児”であることも。そして、このタイミングで公表されることも」
「……いや、俺が知ったのは今日の朝だ。決して以前から――」
「嘘をおっしゃらないでください!」
ロキナが叫んだ。
その一喝は、王太子の弁明を切り裂き、夜気を震わせた。
「知っていたからこそ、あれほど必死に“名声”を用意してあげたのではありませんか?」
「名声……?」
「そうです。どこの馬の骨とも知れぬ私生児が、いきなり公爵家に迎え入れられれば、社交界の笑いものになる。……だから、殿下が直々に“お墨付き”を与えた」
ロキナは一歩踏み出し、カシリアを睨み上げた。
「王太子殿下が親しく言葉を交わし、手を取り合い、指切りまでした少女。……そんな噂が広まれば、誰もエリナ様を軽んじることはできません。彼女は一夜にして“王太子のお気に入り”という最強の盾を手に入れる」
「そのために……!」
ロキナの声が震える。
怒りと、そしてリリスへの悲しみで。
「そのために、リリス様の立場を、誇りを、どれほど踏みにじったか……分かっているのですか!?」
カシリアは呆然と立ち尽くした。
言葉の意味を理解するのに、数秒の時間を要した。
彼女は言っているのだ。
俺が、エリナをタロシア家に円滑に迎え入れさせるために、意図的にエリナと親しく振る舞い、リリスを追い落とすための布石を打ったのだと。
「ち、違う……!俺はそんなつもりじゃ……!」
「では、何のおつもりだったのですか!」
ロキナの追及は止まらない。
「リリス様は、あれほど努力していました。血を吐くような思いで、完璧な令嬢であろうとしていました。……それでも殿下にとっては、邪魔な存在だったのですか!?」
「新しいお気に入りのために、古びた婚約者候補など、捨ててしまおうと……そうお考えだったのですか!?」
「ロキナ……!何を言っているんだ……!俺は彼女を守りたいんだ!」
カシリアは叫んだ。
本心だった。
魂からの叫びだった。
だが、ロキナはその言葉を聞いて、哀れむように、そして軽蔑するように目を細めた。
「……そう、ですか」
「ああそうだ!俺はリリスのために――」
「ならば」
ロキナは冷徹に、決定的な一撃を放った。
「あの祝賀会の夜。……殿下は、何をしておられましたか?」
「……祝賀会?」
「あの夜、殿下は『リリスを探しに行く』と仰って、私を馬車に残しましたよね」
カシリアの心臓が跳ね上がった。
そうだ。
リリスの自殺未遂を隠蔽するため、ロキナを遠ざけた。
リリスの名誉を守るための、苦肉の策だった。
「私は……それでも心配で、我慢できずに会場へ入りました。貴族たちに尋ねて回りました。リリス様を見かけなかったかと」
ロキナは淡々と、事実を羅列していく。
「ですが、誰も知りませんでした。……その代わり、別の噂を耳にしました」
「殿下が、バルコニーで“身元不明の美しい少女”と親密に話し、手を取り合っていたと」
「……ッ!」
カシリアは息を呑んだ。
カーテンの揺れるバルコニー。
エリナの無邪気な笑顔。
つられて笑った自分。
そして、別れ際の指切り。
――すべて、見られていたのか。
「その少女が、“エリナ”と名乗りながら家名を明かさなかったことも……すでに広まっています」




