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第63話 同情、憐憫、責任感

「君の手を、汚れから守るための」


それは詭弁だ。


だが、そう定義することでしか、この不自然な装いを正当化できなかった。


カシリアは彼女を横抱きにし、扉を開けた。


ビアンナが無言で道を開ける。


「裏口に、タロシア家の馬車を回させました」


「……ああ。助かる」


夜風が冷たく頬を打ち、カシリアの熱った頭を少しだけ冷やした。


裏門の暗がりで、ロキナは今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くしていた。


カシリアの姿を認めると、弾かれたように駆け寄ってくる。


「お嬢様!!」


「騒ぐな」


カシリアは鋭く制した。


「リリスは……少し酒を飲みすぎたようだ。酔って眠っているだけだ」


「お酒……?お嬢様が……?」


ロキナは信じられないという顔で、カシリアの腕の中の主人を見つめる。


確かに酒の匂いはするが、リリスは普段、一滴も酒を口にしない。


「オレが勧めたんだ。……少し、度が過ぎた」


カシリアは淡々と嘘を重ねる。


ロキナの視線が、リリスの手に装着された白手袋に吸い寄せられる。


「その手袋は……?」


「オレのものだ。……彼女に贈った。外すなと伝えてくれ」


有無を言わせぬ威圧感。


ロキナは困惑しつつも、王太子の命令に逆らえるはずもなく、ただ深く頭を下げた。


「……かしこまりました。責任を持って、屋敷までお送りいたします」


「頼む。……明日の朝までは、ゆっくり寝かせてやってくれ」


カシリアはリリスを馬車の座席に慎重に横たえた。


その手が離れる瞬間、胸の中に奇妙な喪失感が広がった。


彼女の重みが消え、腕の中に残るのは冷たい夜気だけ。


馬車が遠ざかっていくのを、カシリアは動かずに見送った。


その背中は、王族の威厳を保ちながらも、どこか深く傷ついているように見えた。


王宮に戻ったカシリアを待っていたのは、執務室での父カナロアとの対面だった。


重苦しい空気の中、カシリアは直立不動で父の前に立つ。


「……説明せよ、カシリア」


カナロアの声は、地響きのように低い。


「祝賀会の最中に公爵令嬢を連れ出し、行方不明騒ぎを起こした挙句、泥酔させて送り返したとは……どういうつもりだ」


「申し訳ありません、父上」


カシリアは視線を外さず、堂々と答えた。


「すべては私の未熟さが招いたことです。彼女があまりに堅物なので、少しからかってやろうと酒を強要しました。結果、彼女は体調を崩し……私が責任を持って介抱しておりました」


ここでもまた、同じ嘘。


自分を愚かな男として演出し、リリスの尊厳を守るための道化となる。


カナロアは細められた目で息子を観察した。


カシリアという男は、嘘が下手だ。


潔癖で、正義感が強く、曲がったことが大嫌いな性格。


そんな彼が、令嬢に酒を強要するなどという卑劣な真似をするだろうか?


否。


何かが隠されている。


だが、カナロアはその追求を止めた。


「……そうか。お前がそこまで言うのなら、そうなのだろう」


王は椅子の背もたれに体を預け、口元に微かな笑みを浮かべた。


「だが、意外だな。お前がリリスに対して、そこまで執着を見せるとは」


「……執着?」


「そうだ。無関心ならば、からかおうとも思うまい。お前は彼女に興味を持ち、強引な手段を使ってでも彼女の反応を見たかった……違うか?」


カシリアは息を呑んだ。


父の解釈は、あまりにも政治的で、そして核心からズレている。


だが、否定することはできない。


「……そうかもしれません」


「結構だ」


カナロアは満足げに頷いた。


「今までのお前は、リリスに対してあまりに冷淡すぎた。これを機に、もう少し距離を縮めるのも悪くあるまい。」


「……承知いたしました」


苦渋に満ちた承諾。


父の言葉を背に、カシリアは執務室を出た。


長い廊下を歩きながら、彼は自分の手を見つめた。


彼女の命を拾っただけで、彼女の魂を救うことはできていない。


愛などない。


そう自分に言い聞かせる。


これは同情だ。


憐憫だ。


責任感だ。


だが、脳裏に焼き付いたあの涙の痕と、助けを求める掠れた声は、カシリアの胸の奥深くに、消えない棘として突き刺さっていた。

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