第61話 行方不明のリリス
思考の海に沈んでいたカナロアの意識は、乱暴な扉の開閉音によって現実に引き戻された。
「陛下!失礼いたします!」
血相を変えて飛び込んできたのは、近衛騎士の一人だ。
「何事だ。騒々しい」
「タロシア家の侍女より緊急の報告です!リリス様が……リリス様が、学院内で行方不明になられました!」
「なに!?」
カナロアは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
心臓が不快な音を立てて跳ねる。
「詳しく話せ!パーティー会場にいたのではないのか!」
「はッ!目撃情報によれば、祝賀会の最中に会場を飛び出し、そのまま戻られていないとのこと!侍女や御者も姿を確認しておらず、公爵邸にも帰宅しておりません!」
胸騒ぎが、最悪の形で現実となった。
行方不明。
誘拐か?それとも事故か?
いや、タイミングがあまりにも悪すぎる。
(……まさか、あの再婚話と関係しているのか?)
カストが、あるいはあのミカレンという女たちが、何か余計なことを吹き込んだのではないか。
あるいは、リリス自身が何かを察知し、絶望のあまり姿を消したのか。
一瞬、カストに知らせるべきか迷い――すぐにその考えを棄却した。
今のあの男に、この事実を告げればどうなるか。
錯乱し、事態をより混乱させるだけだ。
まずは、リリスの安全を確保することが最優先。
「即刻、学院を封鎖せよ!護衛の半数を捜索に回せ!蟻一匹逃すな!」
カナロアの怒声が響く。
「ビアンナ!」
王の影として控えていた女性騎士が、音もなく前に進み出た。
「はッ」
「お前が指揮を取れ。リリスを見つけ出し、無事に保護するのだ。……もし、ミカレンやエリナがこの件に関与している兆候があれば、容赦なく拘束し、私に報告しろ」
「御意」
ビアンナは短く答え、風のように姿を消した。
学院内。
夜の帳が下りた回廊を、ビアンナは疾走していた。
足音を殺し、気配を消し、闇と一体化して進むその姿は、熟練の狩人のようだ。
彼女の鋭敏な感覚は、微かな異変も逃さない。
多くの生徒や教師が出払っているパーティーの時間帯。
校舎の明かりは消え、静寂が支配しているはずの場所。
だが、医務室の方角から、微かな物音が漏れ聞こえた。
衣擦れの音。
苦悶に満ちた呻き声。
そして、誰かが必死に呼びかける声。
ビアンナは足を止め、呼吸を整えると、医務室の扉に手をかけた。
鍵がかかっている。
だが、そんなものは彼女にとって障害ではない。
彼女は腰の短剣を取り出し、隙間に差し込んで音もなく解錠した。
緊張が指先に走る。
中にいるのは、誘拐犯か。
それとも――。
扉を一気に押し開ける。
「……!?」
目に飛び込んできた光景に、ビアンナは一瞬、思考を停止させた。
月の光が差し込む白いベッドの上。
そこにいたのは、行方不明のリリス・タロシアだった。
だが、問題はその状況だ。
彼女はベッドに横たわり、意識を失っているように見える。
そして、その上に覆いかぶさるようにして、一人の男性が彼女を抱きしめていた。
乱れた金髪。
上気した横顔。
カシリア王子。
「……殿下!?」
ビアンナの唇から、驚愕の声が漏れた。
(……まさか……!?)
状況証拠はあまりにも明白だった。
人気のない密室。
意識のない令嬢。
乱れた衣服と、上に乗る男性。
それは、不埒な行為の現場そのものに見えた。
「ビアンナ!?違う、誤解だ!」
カシリアが弾かれたように顔を上げ、慌ててリリスから身体を離した。
その顔は蒼白で、汗が滲み、瞳は動揺に激しく揺れている。
「……」
ビアンナは表情を消し、冷徹な視線をカシリアに向けた。
「……ご安心ください、殿下。私は何も見ておりません」
彼女は踵を返し、扉を閉めようとした。
王族の醜聞など、見なかったことにするのが騎士の処世術だ。
だが、その背中にカシリアの悲鳴のような声が飛んだ。
「待て!違うと言っている!逃げるな、ビアンナ!」
カシリアはベッドから飛び降り、ビアンナの腕を掴んで引き止めた。
その手は震えていた。
「事情を聞いてくれ!オレはただ、彼女を介抱していただけなんだ!」
「介抱、でございますか」
ビアンナは掴まれた腕を冷ややかに見下ろし、そしてカシリアの目を射抜いた。
「……では、説明してください。何があったのですか、殿下。なぜリリス様は意識を失い、なぜ殿下は鍵をかけた密室で、彼女の体の上にいらっしゃったのですか」




