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第51話 伯爵令嬢

冷たい秋風が、枯れ始めた蔦の絡まる石柱を撫で、乾いた音を立てていた。


公爵邸の裏庭、人目を避けるように佇む古びた小亭。


かつて母上が愛した白薔薇はとうに枯れ落ち、今はただ棘だけが鋭く残っている。


私は石造りのベンチに腰を下ろし、絹の扇子を弄びながら、目の前に立つ女を見上げた。


「わざわざ遠くからご苦労さま。どうしたの?自慢の公爵様はご一緒じゃないの?」


私の唇から紡がれる言葉は、氷の破片のように鋭利で冷酷だ。


目の前の女――ミカレンは、見る影もなくやつれ果てていた。


質素な灰色のドレスは、かつて夜会で見せた豪奢なサファイアの輝きとは無縁の、死人のような色をしている。


頬はこけ、落ち窪んだ目の下には濃い隈が刻まれ、その指先は小刻みに震えていた。


ここ数日、私の仕掛けた「包囲網」によって、愛娘エリナが学院でどのような扱いを受けているか、心労で眠れぬ夜を過ごしたのだろう。


「……いいえ。今回はカストには何も伝えていません。それに、彼はあなた様のお気持ちをとても気にしていて……最近もずっと、心を痛めております」


か細い声。


怯えたような視線。


まるで、屠殺場に引かれる羊のようだ。


「今日はエリナの件で来たのでしょう?用件だけ言いなさい。無駄話に付き合う暇はないわ」


私は脚を組み替え、冷ややかな視線で射抜く。


慈悲など与えない。


同情など欠片もない。


この女は、私の聖域を土足で踏み荒らした侵入者なのだから。


「ご存じの通り、今のところ公爵家の正式な後継者は私だけ。私が“姉”として認めなければ、彼女は家門に入ることすらできないわ」


私は法と血統という、絶対的な武器を突きつける。


この国の法は、正妻の長子以外の庶子に対し、冷酷なまでに厳しい。


継承権も、家名を名乗る権利さえも認めない。


だが、そこには致命的な欠陥がある。


庶子が正妻の子より年長で、かつその生母が正妻の死後に後妻となった場合。


前例のないそのケースにおいて、継承順位は曖昧な霧の中に消える。


ミカレンはその法の隙間を縫い、寄生虫のようにこの家に食い込もうとしているのだ。


「父が強権を発動して私に認知を迫れば、私は抵抗できないかもしれない。……でも不思議なことに、父はそれをしなかった」


私の言葉に、ミカレンがビクリと肩を揺らす。


「仮にエリナが家門に入れず、低位貴族との政略結婚を押し付けられたとしても――相手は現公爵の威圧に一時的に従うだけでしょうね。けれど、次期公爵である私の存在を意識すれば、その婚姻は長くは続かない。冷遇され、離縁され、路頭に迷うのが関の山」


「……おっしゃる通りです」


ミカレンは唇を噛み締め、俯いた。


その姿に、私は暗い愉悦を覚える。


そう、理解しなさい。


あなたの娘の生殺与奪の権は、私が握っているのだと。


「少しだけ、私自身の話をさせてください」


長い沈黙の後、ミカレンは意を決したように顔を上げた。


その瞳には、絶望と紙一重の、悲壮な決意が宿っていた。


「私の本名は、ミカレン・バード。かつて――バード伯爵家の娘でした」


眉がピクリと動くのを止められなかった。


バード伯爵家。


王都の治安を統括する武門の名家だ。


だが、その令嬢は若くして事故死したと聞いていたはず。


それに「かつて」とは?


「父の領地はタロシア家と隣接していて、幼い頃から頻繁に訪れていました。だから……私は幼少期からカストと知り合っていました。いわゆる、幼なじみです」


「幼なじみ?そんな話、聞いたことがないわ」


私は扇子を閉じる音で、苛立ちを露わにする。


父上から、そのような過去の話など一度も出たことはない。


「……そうでしょうね。語られるべきではない過去ですから」


ミカレンは自嘲気味に微笑んだ。


その笑顔は、ひび割れた仮面のようで痛々しい。


「私たちは共に育ち、同じ王立学院にも通いました。気づけば私は、カストを愛していました。彼の傍に寄り添い、彼の考えに合わせ、彼の人生に自分を重ね続けて……私は、彼の未来の伴侶になると信じて疑いませんでした」


淡々とした語り口。


だがそこには、長い歳月をかけて腐敗し、凝縮された妄執の臭いが漂っていた。


「でも、最終的に彼が選んだのは……あなたのお母様、サリス夫人でした」


胸の奥がざわつく。


当然だ。


母上は誰よりも美しく、聡明で、父上に相応しい方だった。


選ばれるべくして選ばれたのだ。


「理解できませんでした。私はすべてを捧げたつもりだったのに……それでも選ばれなかった」


ミカレンの声が震え始める。


「だから私は……取り返しのつかない過ちを犯しました」


嫌な予感が、冷たい蛇のように背筋を這い上がる。


聞きたくない。


これ以上、父上の過去を、私の知らない父上の姿を暴かないで。


「私は酒に強いのです。ある日、“最後の別れ”だと言って彼を呼び出しました。そして……意図的に酔わせ、意識を失った彼と関係を持ちました。痕跡はすべて消しました。何もなかったように」


「……ッ!」


息を呑む。


なんという、浅ましく、汚らわしい。


それは同意なき交合。


薬を使った卑劣な罠ではないか。


「私は愚かにも、それで終われると思っていました。彼の初めてを得られただけで、長年の想いに区切りがついたと……ですが、その結果――私は妊娠しました」


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