第232話 愛を金貨に
灰色の光が寝台のシーツに差し込んでいた。
重い瞼を押し上げ、横を向いた。
視界の端に、衣服を身につけたまま目を閉じているナミスの横顔が映る。
彼の規則正しい呼吸音が、静寂の室内に低く響いている。
彼から発せられる熱が、毛布越しに私の皮膚へと伝わってくる。
私の指先は、彼の厚い外套の端を固く握りしめたままになっていた。
胸の奥に淀んでいた冷たさが、その温もりによって少しだけ和らいでいくのを感じる。
私はゆっくりと身を起こし、シーツの上に散らばる自分の桜色の髪を払い除けた。
視線を部屋の隅へ移すと、昨日届いたばかりの木箱が置かれている。
箱の中には、母の形見である淡い紫色の絹のドレスが横たわっていた。
その瞬間、私の呼吸が浅くなり、指先の温度が急激に低下した。
あのドレスを解体し、宝石を売り払わなければならないという物理的な事実が、私の脳髄を直接殴りつける。
『お前は、母親の愛まで金に換える気か』
『どれほど薄汚れた女になれば気が済むのだ』
室内のどこにも存在しないはずの、低く濁った声が私の耳の奥で鳴り響いた。
手首の自傷痕が、熱を持ったように痛みを訴え始める。
私は震える手で寝台脇の小さな卓に置かれた硝子の瓶を掴み、蓋を開けた。
金色の錠剤を一つ取り出し、水も飲まずに喉の奥へと強く押し込む。
数秒の静寂の後、胃の底から熱が広がり、強制的な多幸感が脳の血管を駆け巡り始めた。
声が消え、痛みが遠のき、極彩色の光が冷たい現実を塗り潰していく。
私は寝台から降り、床に置かれた木箱の前へ歩み寄った。
私の動きの気配に気づいたのか、背後で衣擦れの音がし、ナミスが身を起こす気配がした。
「リリス様」
「ナミス。作業を始めるわ。手伝って」
私の声は完全に平坦であり、感情の起伏を一切含んでいなかった。
私は机の引き出しから小さな小刀を取り出し、刃先を絹の布地に当てる。
金糸で縫い付けられた装飾の根元に刃を滑り込ませ、力を込めて糸を切断した。
硬い金属の台座ごと、宝石が布地から剥がれ落ちる。
ナミスもまた、自らの短剣を用いて、無言のままドレスの裾の装飾を解体していく。
布が裂ける音と、刃先が金属に当たる硬い音だけが、石室の中に響き続けた。
大きな装飾石を四粒、小さな装飾石を十数粒。
それらをすべて取り出し、卓の上に並べた。
私は卓の上に並んだ色とりどりの宝石を見下ろした。
これらはかつて、王都の最高級の職人が厳選した品々。
購入時の価値を合算すれば、千金貨を下ることはない。
「ナミス。これを持って、遠方の領地の闇市場へ向かって」
私は宝石を一つ一つ、小さな革の袋へと収めていく。
「足元を見られ、販売価格は極端に買い叩かれるかもしれない。それでも、元の価値を考えれば、二百金貨を超えるはず」
私は革の袋の口を紐で固く縛り、それをナミスの厚い掌の上に押し付けた。
「三百金貨以上売れたらそのまま帰ってきてもいい。足りなかったら、ナミスが友人たちから借り入れてくれる現金を合わせて。あの組織の要求を満たすしかないのよ」
私の指先が、彼の掌に触れる。
この小さな袋が、私の命と尊厳を繋ぎ止める最後の生命線であった。
「僕は、すぐに発ちます」
ナミスは革の袋を外套の内側にしまい込み、深く頭を下げた。
私は窓の外を見た。
太陽が昇り始め、領主館の庭にはすでに何人かの騎士たちの姿がある。
私は日常の政務に戻り、何事もなかったかのように完璧な統治者を演じ続けなければならない。
「気をつけて、ナミス……」
私は視線を彼に戻し、静かに言葉を紡いだ。
彼の不在がもたらす恐怖が胸の奥で渦巻いたが、薬の力で強引に抑え込む。
「大丈夫です。今回は、信頼できる騎士たちと行動を共にします。道中の安全は確保されています」
ナミスの声には、迷いがなかった。
時間は、着実に迫っている。
期限までに彼が戻らなければ、私は完全に破滅する。
「待っているわ」




