第21話 噂は人を殺める
「キンコンカンコン」
チャイムの音が、処刑の合図のように響いた。
昼休み。
逃げ場のない時間が始まる。
私は教科書を閉じ、素早く席を立とうとしたが、甘い香水の匂いが四方から退路を塞いだ。
「リリス様!明日のテスト、頑張りましょうね!」
「今日のランチはリリス様のお好きなビーフシチューですわ。ご一緒によろしいでしょう?」
「ねえ、私たちリリス様のノートを拝見したいのですけれど……」
極彩色のドレスを纏った令嬢たちが、色とりどりの小鳥のように群がってくる。
普段なら、この程度の「友情ごっこ」は完璧な笑顔で捌けるはずだった。
けれど今日だけは、彼女たちの甲高い声が、脳髄に直接響く不快なノイズにしか聞こえない。
「……ええ。ありがとう。皆様とご一緒できて光栄だわ」
張り付いたような笑顔を作り、私は彼女たちの波に飲まれるように食堂へ向かった。
長テーブルを占拠した私たちの周りには、好奇心という名の猛獣がひしめいている。
どうでもいいゴシップ、誰かの悪口、流行りのドレス。
空虚な会話のキャッチボールを続けるだけで、精神が削られていく。
酷く疲れる。
体の芯が冷えているのに、手足だけが熱い。
「そういえばリリス様、昨日街のアクセサリー店にいらっしゃいました?」
無邪気な問いかけが、私の心臓を凍らせた。
フォークを持つ手がピタリと止まる。
「……え?」
心拍数が跳ね上がり、視界がぐらりと揺れる。
見られた?誰に?どこで?
アクセサリー店の前で?老婆に倒された瞬間を?それとも、あの路地裏へ消える姿を?
目撃者がいれば、私の「完璧な公爵令嬢」という仮面は粉々に砕け散る。
誘拐されかけた、無様な公爵令嬢。
そんな噂が広まれば、社交界での死を意味する。
「あ、あの……私も友人と店におりまして、リリス様のお姿をお見かけしたような……」
少女の瞳に、悪意はない。
ただの好奇心だ。
それが余計に恐ろしい。
冷たい汗が背中を伝う。
息が詰まる。
動揺を悟られてはいけない。
何か、何か言わなければ。
「ええ……そうよ。友人のプレゼントを選んでいたの」
乾いた喉から、何とか言葉を絞り出す。
「ファティーナ様の誕生日ですね!リリス様は何を選ばれたのですか?」
「ええっと……ルビーのアクセサリーよ。彼女には赤が似合うと思って」
咄嗟についた嘘だった。
ルビーなら、私の家にはありふれている。
無難な答えのはずだ。
「ええっ!?ルビーですって!?」
周囲がどよめき、好奇の視線が一斉に私に突き刺さる。
「さすがリリス様!素材だけで金貨数枚は下りませんわ!」
「王室御用達の工房でオーダーメイドされたのですか?」
「すごいわ、完成品を見るのが楽しみです!」
しまった。
私の感覚と、彼女たちの感覚がズレている。
公爵家にとってありふれた石でも、学生にとっては高嶺の花なのだ。
嘘が嘘を呼び、収拾がつかなくなっていく。
胃の腑が締め付けられ、吐き気が込み上げる。
「あ、あのね、そんな大層なものでは……」
弁明しようとする声が震える。
「それにしても、昨日のリリス様は素敵でしたわ!」
別の少女が、興奮した様子で身を乗り出した。
嫌な予感がする。
やめて。
それ以上言わないで。
「私、見たのです!夜遅くに、王家のドレスをお召しになって、殿下の馬車に乗られるリリス様を!」
カシャン。
誰かが食器を落とす音がした。
一瞬の静寂の後、食堂は爆発したような悲鳴と歓声に包まれた。
「王家のドレス!?」
「殿下とご一緒だったのですか!?」
「やっぱり、お二人はそういうご関係だったのですね!」
「詳しく教えてくださいませ、リリス様!」
耳鳴りがする。
視界が白く明滅する。
どう説明すればいい?
殿下と密会?違う。
ダンスの練習?嘘だとバレる。
襲われたから?言えるわけがない。
逃げ場がない。
全方位から突きつけられる無邪気な刃が、私の喉元に迫る。
呼吸ができない。
酸素が足りない。
誰か、助けて――
「リリス。少し、いいか」
喧騒を切り裂くように、低く、凛とした声が響いた。
水を打ったように静まり返る食堂。
全ての視線が、その一点に集まる。
カシリア殿下が、氷のような瞳で群衆を見下ろしながら、私の方へと歩み寄ってきていた。
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