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第174話 闇医者

翌朝、薄暗い寝室に重い空気が滞留していた。


ナミスは冷めた茶を木製の杯に注ぎ、卓に置いた。


「リリス様、医者を探してまいります」


その低い声が室内に落ちた瞬間、リリスの肩が大きく跳ねた。


彼女の指先が毛布の端を白くなるまで握りしめる。


視線が定まらず、部屋の隅を忙しなく彷徨った。


「だめ……だめよ、ナミス。医者なんて呼んだら……」


言葉は震え、途切れ途切れに紡がれる。


「カシリア殿下に知られてしまう。父様に、エリナに……みんなに、私が壊れていることがバレてしまったら」


リリスの呼吸が浅く、そして速くなる。


額に冷たい汗が滲み、毛布を握る手が小刻みに震え続けた。


病が露見すれば、不完全な存在として切り捨てられる。


有用性を持たない公爵令嬢に、存在価値は残されていない。


その恐怖が、彼女の顔から血の気を完全に奪い去っていた。


「お願い…私を見捨てないで。私を、一人にしないで、なんでも、するから……」


懇願する声はかすれ、恐怖に支配されていた。


ナミスは静かに歩み寄り、膝をついた。


両腕を伸ばし、震えるリリスの身体を強く抱き込む。


毛布越しに伝わる彼女の細い骨格を感じながら、ナミスは自身の顎を彼女の頭頂部に乗せた。


「誰も知りません。王都の人間には、一切知らせません」


ナミスの声は低く、平坦でありながら強い意志を内包していた。


「隣の領地へ行きます。表の医者ではなく、裏の手段を用います。誰の目にも触れさせず、秘密裏に連れてまいります」


リリスの身体の震えが、わずかに治まる。


ナミスの胸元を握りしめる彼女の指の力が強くなった。


「本当に……? 誰にも言わない?」


「はい。僕の命に代えても、リリス様の秘密は守り抜きます」


ナミスの体温が、リリスの冷え切った身体を包み込む。


その確かな熱と重みが、彼女の狂乱を少しずつ鎮めていった。


「……わかったわ。ナミスを、信じる」


リリスは顔を伏せたまま、小さく頷いた。


数時間後、ナミスはガーナー領の境界を越え、隣領の辺境に位置する街へ足を踏み入れた。


陽光は届かず、立ち並ぶ粗末な建物の影が道を暗く覆っている。


湿った土と、古い血、そして安価な酒の匂いが混ざり合った空気が漂う。


ここは表の法が及ばない、闇の取引が行われる区画。


ナミスは外套のフードを深く被り、人目を避けるように路地を進んだ。


数軒の酒場を巡り、銀貨を何枚か滑らせて情報を集める。


酒場の主人が、周囲を警戒しながら声を潜めた。


「最近、新入りの医者が流れ着いた。腕は確かだ。金さえ積めば、どんな傷でも病でも、口を噤んで治すらしい」


ナミスはその情報を得て、指定された廃屋の地下へと向かった。


湿気を帯びた石段を降りると、薄暗い地下室の奥に人影があった。


古びた木机の前に座るその男は、顔の下半分を厚い布で覆い隠している。


その目元には冷ややかな光が宿っていた。


ナミスは机の前に立ち、持参した革袋を無言で置いた。


金属の触れ合う重い音が響く。


「患者がいる。一切の素性を問わず、そしてここで見たこと、聞いたことの全てを墓場まで持っていくことが条件だ」


若き闇医者は布越しのくぐもった声を発し、革袋の紐を解いた。


中身を確認し、一つを指先で弾く。


「……金払いと口の堅さには定評がありますので」


医者は立ち上がり、治療道具の入った鞄を手に取った。


ナミスは相手の目を直視し、殺気を僅かに滲ませて告げる。


「もし一言でも外に漏らせば、お前の命はない」


「わかっています。裏の掟は熟知しています」


男の承諾を得て、ナミスは踵を返した。

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