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【40万PV感謝】罪人令嬢は、二度目の人生でも幸せになれない~誰にも愛されていないと信じたまま、私はまた笑う~  作者: 水無瀬 霧乃
嘘だけが生きている

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第17話 完璧な仮面

湯殿を出ると、湯気越しにメイドが恭しく頭を垂れた。


「リリス様。こちらへ。お召し物をご用意しております」


通された衣装部屋で、私は息を呑んだ。


トルソーに掛けられていたのは、夜会にこそ相応しい、豪奢な王家仕様のドレス。


「これは……?」


今の私は、泥と血にまみれた遭難者に過ぎない。


殿下は学生服だというのに、こんな煌びやかな装いは、今の私にはあまりに不釣り合いで、滑稽な道化のようだ。


「制服の予備がなく、サイズの合うものがこちらしか……。殿下の許可は頂いております」


「……そう。わかったわ」


拒否権などない。


私は頷き、されるがままに絹の中へ身を滑らせた。


肌に吸い付く上質な布地。


けれどそれは、私の穢れを覆い隠すための、冷たい包装紙のようにも感じられた。


壁の時計は、既に夜の八時を回っている。


殿下を待たせている。


ナミスにも、多大な迷惑をかけた。


重い罪悪感が胃の腑に沈む。


けれど、鏡の前に立った瞬間、私は唇の端を吊り上げた。


思考は千切れそうなほど混乱しているのに、鏡の中の私は、完璧な「公爵令嬢の微笑み」を浮かべている。


ああ、なんて浅ましい習性だろう。


「殿下、お待たせいたしました」


ラウンジの扉を開け、優雅にカーテシーを決める。


カシリア殿下は、ドレス姿の私を見て一瞬眉を動かしたが、すぐに無表情に戻った。


「気にするな。掛けてくれ」


「本日は……殿下のご厚意に、心より感謝申し上げます。殿下がいらっしゃらなければ、私は今頃……」


用意していた感謝の言葉を、台本通りに紡ぐ。


「殿下や、ナミス様にご迷惑をおかけし、お詫びのしようもございません」


「謝罪はいらない。国民を守るのは王族の務めだ」


交わされる言葉は美しく、そして空虚だ。


薄氷の上を歩くような会話。


「リリス。怪我はないか」


「……はい。お陰様で」


嘘だ。


心は血を流している。


けれど、それを悟らせてはいけない。


「あの……ナミス様は?私を庇って、あのような大怪我を……」


「王家の医師に診せた。一ヶ月の安静が必要だが、命に別状はないそうだ」


「そうですか……よかった……」


一ヶ月。


私のせいで、彼の一ヶ月と、その足の自由を奪った。


ドレスの下で、太腿を爪が食い込むほど強くつねった。


「それで、リリス」


殿下の瞳が、私を射抜く。


「今日はなぜ、一人で下町へ?」


「……近々、お茶会がございますので。流行りのアクセサリーを見ようと……」


嘘をついた。


友達のいない私が、誰とお茶会をするというの?


けれど、殿下はそれ以上追求せず、ただ静かに言った。


「……そうか。だが、下町は危険だ。これからは一人で歩くべきではない」


「はい……申し訳ございません。私の不注意です」


視線を合わせられない。


自分がひどく小さく、愚かな存在に思える。


「今後のためにも、護衛をつけたほうがいい。私から、カスト公爵へ話を……」


「いけません!」


自分でも信じられないほどの鋭い声が出た。


ハッとして顔を上げると、殿下が驚愕に見開かれた瞳で私を見ている。


心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。


父上に。


父上に知られたら。


『やはりお前は、期待外れだ』


『あの子(エリナ)のように、優秀ではないのだな』


冷たい視線。


失望。


そして、私を捨てる父の背中。


それだけは、耐えられない。


「あ、っ……申し訳……ありません……」


震えが止まらない。


私は蒼白な顔で、必死に取り繕った。


「殿下のお手を煩わせるわけには参りません……父へは、私から話しますので……どうか……」


懇願するような、惨めな声。


さっきまでの完璧な令嬢の仮面は、無残にひび割れていた。


殿下は、何かを探るような目で私をじっと見つめていたが、やがて短く息を吐いた。


「……わかった。夜も更けた。今日は護衛をつけて送らせよう」


「……ご配慮、感謝いたします」


私は逃げるように一礼し、部屋を後にした。


***


カシリアは、閉ざされた扉を無言で見つめていた。


公爵へ話を通すと言った瞬間の、あの反応。


単なる狼狽ではない。


あれは――「怯え」だ。


完璧な仮面の下に、あんなにも脆い恐怖を隠し持っていたとは。


彼女と父親の間に何があるのか。


今まで流れてこなかった黒い噂。


(……リリス)


あと二日で、王家学術能力テストがある。


今の彼女の精神状態で、果たして耐えられるのか。


自分が彼女の弱みを握ったという優越感よりも、胸の奥に澱のように溜まる不安の方が、今は重かった。


***


「はぁ……」


馬車の中で、私は深く重い溜息を吐いた。


なんて無様な。


殿下の前で取り乱し、声を荒げるなんて。


目を閉じれば、まだあの路地裏の光景がフラッシュバックする。


鼻孔に残る薬の臭い。


男たちの下卑た笑い声。


そして、ナミスの足が砕ける音と、私に降り注いだ生温かい血の感触。


いくら洗っても、香油を塗っても、あの鉄の臭いが私の皮膚に染み付いて離れない。


恐怖で指先が震える。


私は、死ぬかもしれなかったのだ。


前世と同じように、誰にも愛されないまま、路地裏のゴミのように。


「リリス様。ご自宅です」


護衛の声に、私はビクリと肩を跳ねさせた。


家に着いてしまった。


「……ありがとう」


強張る頬を無理やり緩め、笑顔を作る。


この仮面が外せない。


もう、私の皮膚と同化してしまったかのように。


屋敷を見上げる。


まだ、父上には会っていない。


けれど、想像してしまうのだ。


私を見る、あの冷え切った瞳を。


私はやり直したはずなのに。


過去へと戻り、罪を犯す前の自分になったはずなのに。


心の奥底には、前世で父に見限られた時の絶望が、焼き印のように残っている。


もし、今日の失態を知られたら。


「お前には失望した」と言われたら。


私が一番恐れるのは、死ぬことよりも、父に捨てられ、エリナとミカレンだけの幸せな家庭が築かれていくのを、外から眺めることだ。


全部、私のせい。


私が弱いから。


私が愚かだから。


私が、すべての不幸の源だから。


窓の外には、冴え冴えとした銀色の月。


その美しさが、薄汚れた私を嘲笑っているようで、私はカーテンをきつく閉ざした。

少しでも心に残ったら、

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