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第162話 嘘に嘘を

窓の外は、鉛色の雲が垂れ込め、ガーナー領特有の冷たい風が窓ガラスを叩いていた。


執務机の上には、二通の手紙が置かれている。


一通は、王家の紋章が入った重厚な封筒。


もう一通は、薔薇の香りが微かに漂う、上質なクリーム色の封筒。


私は震える指先で、まずカシリア殿下からの手紙を開封した。


そこには、整然とした筆致で、王都の近況が綴られていた。


『……運命の悪戯というべきか、くじ引きのような偶然によって、あのエリナ嬢が選ばれてしまった』


視線が、その一行に吸い寄せられ、凍りついた。


息が止まる。


心臓が早鐘を打ち、冷たい血が全身を逆流するような感覚に襲われる。


また、嘘。


殿下は、嘘をついていらっしゃる。


帝国相手の重要な外交儀礼で、くじ引きなどという不確定な要素で代表を決めるはずがない。


しかも、エリナが勝利したことを「運」の一言で片付けている。


なぜ?


なぜ、本当のことを仰らないの?


「……約束、なさいましたのに」


掠れた声が、喉の奥から漏れ出した。


『隠さず教えてほしい』と願った、あの日の誓い。


殿下はそれを破り、エリナを庇うために、私に「優しい嘘」をお与えになった。


それは慈悲ではない。


私を、真実を受け止められないほど脆弱な存在だと見下し、蚊帳の外へ追いやる残酷な欺瞞だ。


殿下の心の中で、エリナという存在は、もう嘘をついてでも守るべき対象になっている。


その事実は、鋭利な刃物となって私の胸を抉った。


指先が白くなるほど強く、私はもう一通の手紙を握りしめた。


封を開けると、見慣れた流麗な文字と、不器用でたどたどしい文字が、奇妙な調和を見せて並んでいた。


ファティーナと、エリナ。


決して交わるはずのない二人の筆跡が、一枚の紙の上で踊っている。


『親愛なるリリスへ。貴女の不在を、心から寂しく思いますわ』


ファティーナの言葉は、いつも通りの優雅な書き出しだった。


だが、その後に続く文章は、私の理解を拒絶する毒を含んでいた。


『貴女のお姉様……エリナ様は、素晴らしい方ですわ。貴女への深い愛情と、純粋な心をお持ちです』


『リリス!元気?私ね、ファティーナ様にいろいろ教えてもらってるの!リリスみたいに素敵なレディになりたくて!』


エリナの無邪気な言葉が、ファティーナの称賛の言葉と絡み合い、私に襲いかかる。


完璧な姉妹愛。


美しい友情。


誰もが祝福するような、光に満ちた世界。


ファティーナは、私を裏切ったわけではない。


エリナの「光」に感化され、取り込まれてしまったのだ。


エリナには悪意などない。


ただ、その圧倒的な「正しさ」と「明るさ」で、周囲の人々を魅了し、自分の味方に変えていく。


カシリア殿下も。


ファティーナも。


みんな、エリナの輝きに目を奪われ、泥にまみれて足掻く私のことなど、忘れていく。


「……ああ」


頭の中で、何かが弾ける音がした。


視界が歪む。


耳の奥で、不快なノイズが鳴り響き始めた。


それは、かつて聞いた断罪の場の喧騒であり、そして今、私の存在が否定される音でもあった。


前世も、そうだった


記憶の蓋が開く。


血を流し、爪を剥がし、心を殺して努力しても、誰も私を認めなかった。


いつも、エリナがいた。


剣を振るえば称賛され、無作法に笑えば愛嬌だと許され、何も持たないまま全てを手に入れていく異母姉。


私は、彼女の引き立て役でしかなかった。


影は、光が強ければ強いほど、濃く、惨めになる。


「認めない……」


私は唇を噛み締め、血の味が広がるのを感じた。


「私は、負けてなどいない……!」


プライドだけが、私を支える最後の柱だった。


私は公爵家の娘として、王太子妃として、完璧に振る舞ってきた。


ガーナー領のために、汚い手を使ってまで改革を進めた。


それなのに、なぜ。


なぜ、あの女ばかりが輝くの?


「嫌……嫌よ……!」


ノイズが大きくなる。


誰かが私を嘲笑っている。


『お前は偽物だ』


『誰も見ていない』


『誰も愛してなどいない』


『お前は、エリナの代用品ですらない』


机の上に広げられた二通の手紙が、視界の中でぐにゃりと歪んだ。


カシリア殿下の、優しさを装った欺瞞の文字。


ファティーナの、無邪気な残酷さを孕んだ友情の言葉。


それら全てが、私という存在を否定する判決文のように見えた。


エリナ。


エリナ。


エリナ。


幻聴が脳内を駆け巡り、思考を粉砕していく。


私は頭を抱え、机に突っ伏した。


美しい手紙が、私の涙で濡れ、文字が滲んでいく。


世界は、あの子の名前で埋め尽くされている。


殿下は嘘をついてまであの子を庇い、ファティーナはあの子の光に魅了された。


私は?


私はここで、泥と煤にまみれ、領民に憎まれながら、たった一人で戦っているというのに。


「……うるさい」


それはまるで、私の人生そのもののようだった。


美しく取り繕っても、最後には汚く崩れ落ちる、砂上の楼閣。


私は頭を振ったが、声は消えない。


むしろ、鼓膜を突き破り、脳髄を直接掻き回すように大きくなっていく。


私は無価値だ。


私は不要だ。


私は、汚れている。


私は……何のために……


「……リリス様?!」

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