第158話 騎士道なき戦い
翌日の午後、王宮の練兵場には乾いた砂塵が舞い、高く掲げられたラペオ帝国の軍旗が風にはためいていた。
円形闘技場を囲む石造りの観客席は、好奇心と不安を滲ませた貴族たちで埋め尽くされ、その視線は中央の広場に注がれている。
照りつける太陽の下、ラペオ帝国第三王子コリンダは、装飾の施された曲刀を抜き放ち、切っ先を天に向けた。
「さあ、見せてもらおうか。メニアの『華』とやらを」
彼の声は朗々と響き、その全身からは猛獣のような覇気が立ち昇っている。
対する入場門から姿を現したのは、エリナであった。
彼女は動きやすい革の鎧を身につけ、手には無骨な訓練用の鉄剣を握っている。
貴族の令嬢とは思えぬ軽装、そして場違いなほどに明るい笑顔。
観客席からは、ひそひそとした嘲笑と、哀れみを含んだため息が漏れた。
「あのような田舎娘が、帝国の王子の相手など……」
「数秒で終わるだろう。見ているのも痛々しい」
だが、カシリアだけは、玉座の脇で静かに戦況を見守っていた。
彼の手には汗が滲んでいる。
リリスの予言通り、舞台は整った。
あとは、役者がどう踊るかだ。
「始め!」
審判の合図と共に、コリンダが疾風の如く踏み込んだ。
速い。
瞬きする間に間合いを詰め、曲刀が銀色の軌跡を描いてエリナの首元へと迫る。
エリナは反射的に鉄剣を掲げ、その一撃を受け止めた。
ガキンッ!
重い金属音が響き、火花が散る。
コリンダの腕力は圧倒的で、エリナの細い腕が悲鳴を上げるようにしなった。
「ほう、反応だけはいいな」
コリンダは獰猛に笑い、追撃を加える。
横薙ぎ、突き、斬り上げ。
帝国の剣術は合理的かつ攻撃的であり、息つく暇も与えない連撃がエリナを襲う。
エリナは防戦一方だった。
足を使って必死に回避し、剣で受け流すが、そのたびに後退を余儀なくされる。
実力差は歴然としていた。
正統な剣技において、コリンダは達人の域にあり、エリナの我流の剣術では太刀打ちできない。
「どうした!逃げ回るだけか!」
コリンダの剣がエリナの鎧を掠め、革が裂ける音がした。
観客席から悲鳴が上がる。
追い詰められた。
エリナの背中が、闘技場の壁にぶつかる。
逃げ場はない。
コリンダは勝利を確信し、最後の一撃を放つべく、大きく剣を振りかぶった。
「終わりだ!」
その瞬間、エリナの動きが変わった。
彼女は剣を構えるのではなく、地面に向かって身を屈めたのだ。
降参か?
誰もがそう思った刹那、エリナの右足が地面を抉るように蹴り上げられた。
バッ!
大量の砂塵が、コリンダの顔面めがけて噴き上がった。
「ぐあっ!?」
不意を突かれたコリンダは、反射的に目を閉じ、動きを止める。
視界を奪われた一瞬の隙。
騎士道精神など欠片もない、路地裏の喧嘩殺法。
だが、エリナの攻撃はそこで終わらなかった。
彼女はさらに踏み込み、無防備になったコリンダの股間へ、渾身の蹴りを叩き込んだ。
ドゴォッ!
鈍く、そして重い衝撃音が、静まり返った闘技場に響き渡った。
「ごふっ……!!」
コリンダの口から、空気が抜けるような音が漏れる。
彼の顔色は瞬時に土気色へと変わり、握っていた曲刀が手から滑り落ちた。
そのまま膝から崩れ落ち、地面に額を擦り付けて悶絶する。
帝国の猛獣は、芋虫のように身をよじらせ、声にならない呻き声を上げるだけとなった。
闘技場は、完全なる静寂に包まれた。
貴族たちは口をあんぐりと開け、目の前の光景を理解できずに凍りついている。
高潔なる決闘の場で、あろうことか「目潰し」と「金的」という、最も卑劣な手段で決着がついたのだ。
その静寂の中、エリナだけが、額の汗を拭いながら、晴れ晴れとした顔で仁王立ちしていた。
「……お、お前ぇぇー!!!」
ようやく呼吸を取り戻したコリンダが、涙目でエリナを指差し、震える声で叫んだ。
「戦い方、汚すぎるだろうがっ!?騎士の誇りはないのか貴様!?」
「誇りで腹は膨れないし、命は守れないよーだ!」
エリナは胸を張り、悪びれる様子もなく言い返した。
「負け犬の遠吠えは聞かないもーん!勝ったのは私だ!」
「ぐ、うぅ……この、野蛮な……!」
コリンダは再び激痛に襲われ、地面を叩いて悔しがった。
その姿を見て、カシリアは思わず手で顔を覆った。
笑いを堪えるべきか、頭を抱えるべきか、判断がつかなかったからだ。
リリス。
君の予見は正しかったが、この結末までは予想していなかっただろう。




