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第154話 毒を喰らう光

王家学院のサロンは、今日も甘い菓子の香りと、それ以上に濃厚な悪意の香気に満ちていた。


ファティーナは深紅の扇を広げ、隣の席に座る伯爵令嬢の耳元へ、唇を寄せた。


「……ご存じですの?タロシア家の『新しい』ご令嬢のこと」


声を潜め、意味ありげに視線を伏せる。


その仕草だけで、周囲の令嬢たちの好奇心は、蜜に群がる蟻のように引き寄せられた。


「まあ、例の……剣術ばかりなさるという?」


「ええ。ですが、ただの無作法な田舎娘ではありませんのよ」


ファティーナは扇で口元を隠し、瞳だけで冷ややかな笑みを浮かべた。


「あの方、お母様が……平民の、それも売春宿の出だとか」


「まあ!」


悲鳴に似た驚きの声が、さざ波のように広がる。


それは事実かどうかも定かではない、ファティーナが捏造した醜聞だったが、真偽など重要ではなかった。


重要なのは、それが「高潔なリリス様を追い落とした泥棒猫」に相応しい、卑しい出自であるという一点のみだ。


「公爵様も、お気の毒ですわ。そのような汚れた血を、家に迎え入れねばならないなんて」


「リリス様が辺境へ行かれたのも、その不浄を嫌ってのことでしょうね」


同情と軽蔑が入り混じった溜息が、サロンの空気を満たす。


ファティーナは満足げに紅茶を啜った。


これで舞台は整った。


あの女は、この社交界という華やかな戦場において、武器も鎧も持たぬまま、裸で放り出されることになる。


リリス様。


貴女の代わりに、わたくしが断罪の剣を振るいましょう。


貴女の流した涙の分だけ、あの女に恥辱という名の血を流させてやりますわ。


数日後、ガヴァンリ伯爵家の別邸にて、茶会が開催された。


庭園には色とりどりの薔薇が咲き乱れ、白磁のテーブルセットが完璧な配置で並べられている。


だが、その美しさは、これから行われる残酷な劇の背景美術に過ぎない。


「ようこそおいでくださいました、エリナ様」


ファティーナは、極上の笑みを浮かべてエリナを出迎えた。


心の中では、反吐が出るほどの嫌悪感を抱きながら。


エリナは、場違いなほどに鮮やかな黄色のドレスを身に纏っていた。


その生地は上質だが、仕立ては古臭く、装飾も過剰で品がない。


おそらく、貴族の流行を知らぬまま、誰かに見繕ってもらったのだろう。


「お招きいただき、ありがとうございます!ファティーナ様!」


エリナは屈託のない笑顔で答え、ぎこちないカーテシーをした。


その動きは洗練とは程遠く、まるで踊りを覚えたばかりの熊のようだ。


周囲の令嬢たちが、扇の裏でクスクスと笑う。


ファティーナは、その嘲笑を指揮者のように楽しんだ。


「まあ、素敵なドレスですこと。まるで……田舎の春祭りのようですわ」


「えっ、本当ですか?嬉しい!殿下が選んでくださったんです!」


エリナは顔を輝かせた。


その言葉に、ファティーナの眉がぴくりと跳ねた。


殿下が選んだ?


あのカシリア殿下が、このような珍妙なドレスを?


一瞬、不安がよぎったが、すぐに打ち消した。


殿下は慈悲深い方だ。


きっと、何も持たぬ哀れな娘に、適当なものをあてがったに違いない。


「さあ、どうぞこちらへ。特等席をご用意いたしましたの」


ファティーナが案内したのは、日差しが最も強く当たる、庭園の中央の席だった。


日除けもなく、じりじりと焼かれるその場所は、まさに晒し者の席だ。


だがエリナは疑うこともなく、嬉々としてそこへ座った。


「わあ、いい眺めですね!」


茶会が進むにつれ、ファティーナの仕掛けた罠が次々と発動した。


出された紅茶は、わざと渋く淹れられた安物。


菓子は、フォークで刺すには硬すぎる焼き菓子。


話題は、エリナが知る由もない、難解な古典詩や最新の社交界の流行について。


だが、エリナの反応は、ファティーナの予想をことごとく裏切った。


「このお茶、目が覚めるような味ですね!訓練の後に良さそうです!」


彼女は渋い茶を一息に飲み干し、満面の笑みで言った。


「このお菓子も、歯応えがあって美味しいです!顎が鍛えられますね!」


硬い菓子をバリバリと音を立てて噛み砕く。


その野性的な咀嚼音に、令嬢たちは顔をしかめたが、エリナは気にする様子もない。


そして、難解な話題に対しても。


「へえ、すごいですね!私、そういうの全然わからなくて。ファティーナ様は物知りなんですね!」


無邪気な称賛。


そこには卑屈さも、知ったかぶりもない。


ただ純粋な、無知ゆえの明るさがあった。


ファティーナは苛立ちを募らせた。


暖簾に腕押し。


毒を盛っても、相手がそれを毒だと認識しなければ、苦しみを与えることはできない。


この女は、鈍感なのか、それとも愚かなのか。


「……エリナ様」


ファティーナは声を低くし、最後の切り札を切ることにした。


「タロシア公爵家の方々は、皆様優秀でいらっしゃいますのよ。特にリリス様は、非の打ち所がない完璧な淑女でしたわ」


リリスの名を出せば、多少は引け目を感じるだろう。


そう計算しての言葉だった。


だが、エリナの瞳は、より一層輝きを増した。


「そうですよね!リリスは凄いです!私、リリスのことが大好きなんです!」


その言葉に、嘘はなかった。


一点の曇りもない、純粋な姉妹愛。


ファティーナは言葉を失った。


この女は、自分がリリスから何を奪ったのか、理解していないのか。


それとも、理解した上で、この笑顔を作っているのか。


得体の知れない恐怖と、制御できない怒りが、ファティーナの胸中で暴れ始めた。


「……大好き、ですって?」


ファティーナの声が震えた。


「よくもまあ、抜け抜けと……!」

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