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第151話 偽りなき温もり

風が樫の木の葉を揺らし、木漏れ日が私のスカートの上に斑模様を描いた。


私は膝を抱え、遠くの景色を見つめたまま、小さな吐息を漏らした。


隣にはナミスがいる。


ただそれだけの事実が、今の私にとって唯一の確かな現実だった。


彼の手から渡された木のコップは、まだ私の指先に冷たい感触を残している。


「……ねえ、ナミス」


私は視線を空に向けたまま、独り言のように呟いた。


言葉にするのは怖かったけれど、この静寂と彼の温もりが、私の心の奥底に沈殿していた泥をかき混ぜる。


「カシリア殿下と……こんな風に過ごしたこと、一度もなかったわ」


口に出した瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。


認めたくなかった事実。


殿下とはいつも、完璧な婚約者として向き合っていた。


お互いに仮面を被り、美しい言葉を選び、傷つかない距離を保って。


「殿下は……優しい方です」


ナミスが静かに答える。


その声に、僅かな硬さが混じっているのを私は聞き逃さなかった。


「ええ、優しいわ。残酷なほどにね」


私は苦笑した。


頬に触れる風が、涙の跡を乾かしていく。


「私、殿下と約束したの。『もし他の女性を好きになったら、隠さず教えてほしい』って。そうしたら、私は身を引くからって」


ナミスが息を呑む気配がした。


「でも、殿下は何も仰らない。……エリナのこと、隠していらっしゃる」


手紙に綴られた嘘。


私を安心させるための、優しく、そして汚い嘘。


それが私をどれほど傷つけ、孤独に追いやったか、殿下は想像さえしていないだろう。


「私は……ただ、嘘のない言葉が欲しかった。」


涙がまた滲んでくる。


欲しいものは、宝石でもドレスでも、王妃の座でもなかった。


ただ、泥にまみれた私の手を、汚いまま握り返してくれる誰かが欲しかっただけなのに。


ナミスの手が、私の震える肩に触れた。


その手は大きく、温かく、そして微かに震えていた。


「……殿下は、間違っています」


彼は絞り出すような声で言った。


主君への批判。


それは騎士にとって最大の禁忌であるはずだ。


だが、彼は私のためにその禁を破った。


「リリス様の心を踏みにじり、誠実さを裏切り……あの方は、リリス様の愛に値しない」


ナミスは車椅子から身を乗り出し、私の顔を覗き込んだ。


その瞳には、燃えるような怒りと、深い悲哀が宿っている。


「嘘のない関係が欲しいと仰いましたね。……僕を見てください、リリス様」


私は濡れた瞳で彼を見つめ返した。


「僕は嘘をつきません。リリス様が魔女だろうと、罪人だろうと……リリス様が流した涙の重さを、僕だけは知っています。リリス様がどれほど孤独に耐え、歯を食いしばって立っていたか……僕だけは、忘れません」


彼の指が、私の頬を伝う涙を拭った。


その指先は粗く、剣だこで硬かったけれど、どんな絹よりも優しかった。


「だから……羨む必要などありません。リリス様はもう、一人ではないのですから」


「ナミス……」


私は彼の手に自分の手を重ねた。


彼の体温が、凍えていた私の血管に流れ込んでくる。


罪悪感と安堵が入り混じった、奇妙で甘美な感覚。


私はこの温もりに縋りつきたかった。


もう、誰も信じられない世界で、この手だけが温かいと、本能が叫んでいた。


「ありがとう……」


私は掠れた声で礼を言った。


それ以外の言葉が見つからなかった。


ナミスは何も言わず、ただ私の手を握り返した。


風が止み、世界が静止する。


遠くの市場の喧騒も、王都の華やかな欺瞞も、ここには届かない。


ただ、二人の呼吸音だけが重なり合う。


私は目を閉じた。


瞼の裏に浮かぶカシリア殿下の笑顔が、少しだけ遠ざかった気がした。


代わりに、目の前の不器用な騎士の真剣な眼差しが、焼き付いて離れない。


(……これでいい)


私は心の中で呟いた。


愛されることなんて、もう望まない。


私はナミスの肩に頭を預けた。


彼は拒絶しなかった。


その硬い肩の感触に、私は久しぶりに深い安息を覚えた。


「……少しだけ、眠ってもいい?」


「ええ。僕がついていますから」

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