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第150話 咎人の安息

翌日の午後、リリスはナミスと共に、領主館の裏手に広がるなだらかな丘を登っていた。


久しぶりに浴びる陽光は、屋内に閉じこもっていた白い肌には少し眩しすぎるほどだったが、吹き抜ける風が熱を適度に攫っていく。


ナミスは車椅子の車輪を自らの腕で力強く回し、リリスの歩調に合わせて進んでいた。


彼の額には玉のような汗が滲んでいるが、その表情は執務室にいる時よりも晴れやかに見える。


「……少し、早すぎますか?」


ナミスが息を弾ませながら尋ねてきた。


リリスは首を横に振り、薄いショールを押さえた。


「いいえ。……風が、気持ちいいわ」


足元には名もなき野草が絨毯のように広がり、踏みしめるたびに緑の香りが立ち上る。


背後には、かつて自分が火を放った倉庫跡と、そこから再生した活気ある市場が小さく見下ろせた。


あそこから聞こえる喧騒も、この丘の上までは届かない。


ここにあるのは、草を揺らす風の音と、二人の呼吸音、そして車輪が土を噛む音だけだ。


リリスは大きく息を吸い込んだ。


肺の中に溜まっていた澱んだ空気が、少しだけ浄化されるような気がした。


丘の頂上には、一本の巨大な樫の木が、守り神のように枝を広げていた。


その木陰に入ると、世界の色温度が一段下がり、ひんやりとした静寂が二人を包み込んだ。


リリスは木の根元に腰を下ろし、ナミスもその隣に車椅子を止めた。


「……綺麗ですね」


ナミスが眼下の景色を見ながら呟いた。


彼の視線の先には、街道を行き交う荷馬車の列と、広場に集まる人々の豆粒のような姿がある。


「ええ。……遠くから見れば、ね」


リリスは膝を抱え、淡く微笑んだ。


遠くから見れば、それは平和な繁栄の図だ。


その礎に、嘘と灰と、一人の少女の絶望が埋まっていることなど、誰も知らない。


だが、隣にいるこの青年だけは知っている。


リリスの罪も、汚れも、弱さも、全てを知った上で、こうして隣にいてくれる。


ナミスが水筒を取り出し、木のコップに水を注いで差し出した。


「どうぞ。冷たい湧き水です」


「ありがとう」


受け取ったコップの水は、喉を滑り落ちる氷のように冷たく、乾いた体を内側から潤した。


指先が触れ合う一瞬、互いの体温が伝播する。


騎士と令嬢。


主君と従者。


言葉にしなくても、その触れ合いだけで、互いの存在を確認し合える。


「リリス様」


ナミスが前を向いたまま、静かに口を開いた。


「……無理をして笑う必要はありません。ここでは、誰も見ていませんから」


リリスはコップを持ったまま、動きを止めた。


「泣いてもいいですし、怒ってもいい。……ただ、ぼんやりしていてもいいんです」


彼の声は、風のように優しく、そしてどこまでも低く、リリスの心の隙間に染み込んでくる。


「リリス様は、もう十分すぎるほど戦いました。……少しだけ、鎧を脱いでください」


リリスは肩の力を抜いた。


張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたような感覚。


聖女である必要も、完璧な令嬢である必要もない。


ただの、傷つき疲れた「リリス」として、ここに存在することが許されている。


「……不思議ね」


リリスは空を見上げた。


葉の隙間から、青空の断片が煌めいている。


「ナミスといると……自分が罪人であることを、少しだけ忘れそうになるわ」


「罪人ではありません」


ナミスが即座に否定した。


「リリス様は、変革者です。……そして、僕の大切な主君です」


その言葉は、どんな甘い慰めよりも強く、リリスの胸を打った。


嘘ではない。


彼の瞳には、一点の曇りもない真実の光が宿っている。


リリスは目を細めた。


カシリア殿下の瞳にも、かつてはこんな光があったのだろうか。


思い出そうとすると、胸が張り裂けそうになる。


今はただ、この静寂に身を委ねていたい。


「……もう少しだけ、ここにいてもいいかしら」


「ええ。日が暮れるまで、ずっと」


二人はそれ以上、言葉を交わさなかった。


ただ並んで風に吹かれ、流れる雲を目で追い、互いの存在を静かに感じ続けた。

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