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第149話 硝子越しの淵

窓ガラスの向こうで、無数の色彩が渦を巻いていた。


市場を行き交う人々の波、積み上げられた荷馬車の列、飛び交う金貨の輝き。


かつて灰と絶望に覆われていた広場は、今や欲望と活気が沸騰する大動脈へと変貌を遂げていた。


「自由市場」の噂を聞きつけた商人たちが、蟻のように列をなして街道を埋め尽くしている。


リリスは執務室の窓枠に手をかけ、その光景を見下ろした。


私が作った景色。


嘘と炎と欺瞞に塗れた種から芽吹いた、毒々しいほどに鮮やかな花。


数字の上では、ガーナー領の経済は劇的な回復を見せている。


父への報告書にも、カシリア殿下への手紙にも、輝かしい成果を書き連ねることができるだろう。


だが、胸の奥に広がるのは達成感ではなく、底のない空洞だった。


成功すればするほど、自分が世界から切り離されていくような感覚。


ガラス一枚を隔てた向こう側の世界は、あまりにも眩しく、そして遠い。


私はあそこには行けない。


あの熱狂の輪に加わる資格など、灰を被った魔女には永遠に与えられないのだから。


「……っ、う」


リリスは小さく呻き、カーテンを閉ざした。


光を遮断した部屋に戻ると、途端に鉛のような重力が全身にのしかかってきた。


足がもつれ、豪華な長椅子へと崩れ落ちる。


指先一本動かすのさえ億劫だ。


最近、ずっとこうだ。


体は泥のように重く、頭の中には常に砂嵐のようなノイズが鳴り響いている。


思考がまとまらない。


『次の税収予測』『倉庫の拡張計画』『商人組合との協定』


重要な案件が山積しているのに、文字を目で追っても、意味が脳に浸透してこない。


ただ滑り落ちていくだけだ。


(休まなければ……)


理性はそう告げている。


だが、目を閉じても安らぎは訪れない。


瞼の裏に焼き付くのは、良い家族ができた父上の幸せな笑顔と、カシリア殿下の温かい微笑み、そしてエリナの無邪気な瞳。


『リリス!一緒に遊ぼうよ!』


幻聴が鼓膜を震わせる。


心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝う。


休めない。


止まれば、過去の亡霊たちに追いつかれ、食い殺されてしまう。


走り続けなければならないのに、歯車が錆びついて動かない。


このまま壊れてしまいたいと願う自分と、まだ終われないと足掻く自分が、内側で引き裂き合っている。


コン、コン。


控えめなノックの音が、ノイズを切り裂いた。


「……リリス様。お茶をお持ちしました」


ナミスの声だ。


リリスは重い頭を持ち上げようとしたが、首がカクンと折れ、枕に沈んだ。


「……入って」


掠れた声で答えるのが精一杯だった。


扉が開き、車椅子の車輪が回る静かな音が近づいてくる。


香草の混じった湯気が、部屋の淀んだ空気を僅かに浄化した。


「顔色が……土気色です」


ナミスは枕元にワゴンを寄せ、痛ましげに眉を寄せた。


彼の手が、リリスの額に触れる。


冷たくて、心地よい。


「熱はないようですが……魂が、磨り減っておられる」


彼は的確に、リリスの病巣を言い当てた。


「少し、眠ってください。執務は僕が代行します。父上への説明も、商人たちの対応も、すべて」


「……でも、貴方は」


「僕も、リリス様のお力になりたいです。」


カシリア殿下の手紙よりも、父の言葉よりも、なぜかナミスの言葉のほうが暖かく感じた。


「……ありがとう、ナミス」

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