第137話 働かざる者、食うべからず
一夜が明け、ガーナー領の空は鉛色に淀んでいた。
まだ燻り続ける瓦礫の山から立ち昇る煙が、朝霧と混じり合い、世界を灰色に染め上げている。
広場に集められた領民たちの顔もまた、灰のように生気を失っていた。
誰もが口を閉ざし、ただ演台の上に立つ一人の少女を見上げている。
リリスは、煤で汚れたドレスをそのまま纏っていた。
その姿は、昨夜の悲劇を一身に背負った殉教者のようであり、同時に、この荒廃した地における唯一の色彩でもあった。
傍らには、魂の抜けたようなガロス卿が、椅子に深く沈み込んでうなだれている。
旧き善意の象徴は地に墜ち、今、新たな支配者がその口を開こうとしていた。
「愛する民よ。……悲しい知らせを、伝えねばなりません」
リリスの声は、朝の冷たい空気に痛々しく響いた。
「昨夜の業火は、貴方たちの冬の糧を奪いました。……そして、カシリア殿下より賜り、到着したばかりの『支援物資』もまた、あの炎の中に消えました」
どよめきが走る。
最後の希望であった王家の支援さえも失われたという事実に、人々は膝から崩れ落ちそうになる。
最初から中身などないゴミの山だった。
けれど、真実を知るのはリリスと数名の騎士のみ。
「既に王都へ早馬を出し、再度の支援を要請しました。ですが……手続きと輸送には、長い時間を要します。冬が来る前に、再び支援が届く保証はありません」
リリスは胸に手を当て、伏し目がちに語る。
「私の責任です。私がもっと早く、もっと厳重に管理していれば……。この無能な私を、どうか恨んでください。全ての怒りは、このリリスが受け止めましょう」
彼女は深々と頭を下げた。
その華奢な肩が震えているのを、民衆は見た。
王都から来たばかりの、か弱い令嬢。
自ら火消しに走り、身を呈して戦った彼女を、誰が責められようか。
「いいえ、リリス様!リリス様のせいではありません!」
「火を出したのは俺たちの不注意だ……!」
「リリス様は十分にやってくださった!」
計算通り、擁護の声が上がる。
「……ありがとうございます。貴方たちの優しさが、今は何よりも痛い」
リリスはゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、涙で潤みながらも、決定的な光を宿していた。
「火災の責任……強いて言うならば、それは私たち全員の責任です。平和に慣れ、危機を忘れていた、私たちの弱さが招いた災厄なのです」
リリスの声色が、悲哀から厳格なものへと変化した。
「もはや、待っていても糧は降ってきません。ガロス卿の慈悲による無償の配給は、本日をもって終了せざるを得ません」
残酷な宣告。
しかし、彼女はそれを希望の包装紙で包んで提示する。
「ですが、嘆いてばかりはいられません。私は、新しい配給案を考えました」
彼女は広場を見渡し、一人一人の目を見つめるように力強く言った。
「支援金の多くは燃えましたが、まだ少しだけ、資金は私の手元にあります。……これより、この領地における全ての労働に対し、正当な『賃金』を支払います」
人々が顔を見合わせる。
「瓦礫を撤去する者、焼け跡を耕す者、家を建てる者。……その汗と労力に対し、私は対価を払います。糧は与えられるものではなく、貴方たちのその手で勝ち取るものとなるのです」
働かざる者、食うべからず。
その冷酷な摂理を、リリスは「自立」という美名で飾り立てた。
「さらに、本日よりガーナー領における商取引の税金を撤廃します。周辺の村々から、商人や若者を招き入れましょう。この地は、灰の中から生まれ変わり、どこよりも活気ある『自由の都』となるのです!」
それは、ガロス卿が築き上げた、傷ついた者を守るための「揺り籠」の破壊だった。
これからは、働くことができる者だけが生き残れる、過酷な競争社会が始まる。
だが、絶望の淵にいる彼らにとって、それは唯一差し伸べられた「生きるための道」に見えた。
「さあ、立ち上がりなさい!涙を拭い、鍬を握るのです!貴方たちのその手が、新しい未来を築く礎石となるのです!」
リリスが手を掲げると、朝日が雲の切れ間から差し込み、彼女を後光のように照らし出した。
「おおおおおっ!!」
「働きます!働かせてください!」
「リリス様についていきます!」
歓声が上がる。
それは喜びの声ではなく、生存本能が上げさせる悲痛な叫びだった。
リリスはその熱狂を見下ろしながら、心の中で冷ややかに呟いた。
働きなさい、死ぬまで。
その労働で、この領地が生まれ変わる。
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