第131話 幸福な祭り
祭りの朝。初夏の風が頬を撫でるが、その感触さえも今は肌を逆撫でするような不快感しか生まない。
視線の先には、色とりどりの旗がはためき、祭りの準備に沸く領民たちの姿がある。
木槌の音、子供たちの歓声、屋台から漂う香辛料の香り。
全てが輝き、生命力に満ちていた。
その眩しさが、リリスの網膜を焼き、脳裏にある暗い計画の影をより一層濃く浮かび上がらせる。
「……素晴らしい景色ですね、リリス様」
車椅子の上のナミスが、眩しそうに目を細めて呟いた。
痩せこけた頬には、久しぶりに赤みが差している。
「ええ。……皆、とても楽しそうですわ」
リリスは唇の端を吊り上げ、完璧な微笑みの形を作った。
その表情筋の一つ一つが、まるで錆びついた鉄線で操られているかのように強張り、引きつるのを覚える。
彼女が見ているのは、幸福な祭りの準備ではない。
まもなく訪れる、紅蓮の炎と、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
この笑顔の下で、彼女は既にマッチを擦り続けている。
「こうして風を感じることができるのも、全て貴女と……カシリア殿下のおかげです」
ナミスは膝の上に置いた自分の手を、愛おしそうに見つめた。
その手はまだ震えているが、そこには確かな希望が宿っている。
「私のような、一度は死にかけた人間に……殿下は過分な慈悲をくださり、貴女はこうして希望を与えてくださった」
彼は車椅子を止めさせ、振り返ってリリスを見上げた。
その瞳は、一点の曇りもない鏡のように、リリスの顔を映し出す。
そこには、聖女のように美しい、けれど中身の空っぽな人形が映っていた。
「お二人のご婚約、心より祝福申し上げます。……貴女のような慈愛に満ちた方が、次代の国母となられる。この国は、なんと幸福なのでしょうか」
純粋な、あまりにも純粋な称賛。
それは鋭利な楔となって、リリスの心臓に打ち込まれた。
慈愛?国母?幸福?
違う。
貴方が見ているのは幻影だ。
私は、貴方の父を欺き、貴方の領地を焼き払い、貴方の信じる正義を踏みにじろうとしている魔女だ。
カシリア殿下もまた、私に嘘をつき、別の女性、私の姉に心を奪われている。
私たちの間に「愛」などという美しいものはなく、あるのは欺瞞だけ。
「……過分なお言葉ですわ、ナミス」
リリスの声が微かに震えた。
それを感動によるものだと勘違いしたナミスは、さらに優しく微笑む。
「いいえ、真実です。私は生涯、この感謝を忘れません。……私の剣が再び振るえるようになったその時は、必ずや貴女と殿下のために、この命を捧げましょう」
やめて。
その綺麗な言葉で、私を刺さないで。
貴方の忠誠を受け取る資格など、私にはない。
胃の腑が裏返るような吐き気に襲われながら、リリスはナミスの肩に手を置いた。
「……期待していますわ、ナミス」
口から出た言葉は、心とは裏腹に甘美な響きを持っていた。
舌の上で、鉄の味がした。
心の中で血を吐いているのだ。
この優しい青年を、私はこれから地獄の底へ突き落とす。
彼の「感謝」を、「絶望」へと変える。
それが、私が選んだ道。
生き残るための、そしてカシリア殿下の隣にしがみつくための、唯一の手段。
「さあ、もう少しあちらへ行ってみましょうか。……屋台の飾り付けが綺麗ですこと」
リリスは逃げるように車椅子を押し出した。
車輪がカラカラと回る音が、まるで断頭台へ続く階段を上る足音のように、虚しく響いた。
この穏やかな時間は、これが最後だ。
次に彼が私を見る時、その瞳には軽蔑と憎悪が宿っているだろう。
それでもいい。
いや、そうでなくてはならない。
私は悪役令嬢。
誰からも愛されず、誰をも傷つけ、孤独という名の王座に座る女。
「夜になると、祭りが始まりますね」




