第128話 ごめんなさい
数日後。
早朝の薄靄が立ち込める中、数台の馬車が車輪を軋ませて領主館の裏門を潜った。
荷台から降り立ったのは、重厚な鎧に身を包んだ六名の騎士たちだった。
彼らの胸には、タロシア公爵家の紋章が刻まれている。
父カストが派遣してくれた、私の手足となるべき私兵たちだ。
私は簡素な外出着に身を包み、外套のフードを目深に被って彼らの前に立った。
「遠路ご苦労様でした。」
私の声に、彼らは一斉に片膝をつき、頭を垂れた。
「お嬢様。カスト閣下の命により、我が剣と命、リリス様に捧げます」
隊長格の男が、低い声で宣誓した。
その瞳には、主家への揺るぎない忠誠が宿っている。
だが、これから私が命じるのは、騎士道に背く汚れ仕事だ。
私は冷ややかな視線で彼らを見下ろした。
「顔を上げなさい。……貴方たちには、剣を振るう以外の働きをしてもらいます」
私は懐から、ずっしりと重い革袋を取り出した。
中には、カシリア殿下から預かった支援金の一部が入っている。
それを無造作に隊長へ投げ渡した。
革袋が重い音を立てて男の手の中に収まる。
「隣の領地に、評判の悪い商人がいるはずです。……金になれば何でも売る、ハイエナのような輩が」
「は……噂には聞いておりますが」
「その商人から、穀物袋を五百個、買い付けなさい」
私は淡々と告げた。
「ただし、中身は穀物である必要はありません。……屑、藁、枯れ葉。外見と重ささえ整っていれば、中身は何でも構いませんの」
騎士たちの間に、ざわめきが走った。
隊長が怪訝な顔で私を見上げる。
「お嬢様、それは……詐欺の片棒を担げと?」
「いいえ。これは『演出』ですわ」
私は口元だけで冷たく微笑んだ。
「領民を安心させるための、舞台装置。……父上の名において命じます。質問は許しません。ただ実行しなさい」
私の言葉に込められた絶対的な拒絶と威圧。
騎士たちは息を呑み、再び深く頭を下げた。
「……御意」
彼らは公爵家の影となり、私の共謀者となった。
陽が高くなり、執務室には明るい日差しが満ちていた。
ガロス子爵は、窓辺で書類を整理していた手を止め、入室した私に柔和な笑顔を向けた。
「おお、リリス様。……何か良い知らせでも?」
彼は私の表情から、勝手に吉報を読み取ったようだ。
その無防備な信頼が、私の罪悪感を鋭く刺激する。
私は胸の前で手を組み、聖女のような慈愛に満ちた声色を作った。
「はい、ガロス卿。……カシリア殿下からの支援金で手配していた『追加の支援物資』が、まもなく到着いたします」
嘘だ。
到着するのは、ゴミを詰めた偽物の袋だ。
「なんと!あの支援金で、そこまでの手配を……!」
ガロスは感極まったように声を震わせた。
「カシリア殿下は、本当に慈悲深いお方だ。そして、それを迅速に手配されたリリス様の手腕にも、感服いたします」
「恐れ入ります。……つきましては、既存の備蓄庫の整理と、新物資の搬入許可を頂きたいのです。混乱を避けるため、搬入作業は私の部下たちで行いますわ」
これが本題だ。
偽物を混ぜ込み、既存の食糧と共に管理する。
そして、祭りの夜に全てを灰にするための布石。
ガロスは疑う素振りすら見せなかった。
「勿論ですとも!鍵をお渡しします。……ああ、これで今年の冬も、民たちは飢えずに済みますな」
彼は涙ぐみながら、重厚な鉄の鍵を私の掌に乗せた。
その鍵は冷たく、そして重かった。
それは領民の命を預かる重みであり、私がこれから裏切る信頼の重みでもあった。
「……ええ。きっと、忘れられない冬になりますわ」
私は鍵を握り締め、彼の目を見つめて微笑んだ。
その笑顔の裏で、私は既にマッチを擦る音を聞いていた。
夜、自室に戻った私は、残りの資金を数えていた。
金貨の冷たい輝きが、蝋燭の炎を反射して揺らめく。
これで準備は整った。
騎士たちは動き出し、偽の食糧は明日には届く。
ガロス卿の許可も得た。
あとは、祭りの日を待つだけ。
私は窓の外、暗闇に沈む領地を見下ろした。
遠くで、またあの笛の音が聞こえる気がした。
片腕の兵士が奏でる、哀しくも美しい旋律。
あの音色も、もうすぐ絶望の悲鳴に変わる。
「……ごめんなさい」
誰に対する謝罪なのか、自分でも分からなかった。
ナミスか、ガロスか、それとも領民たちか。
あるいは、こんな薄汚い道を選んだ自分自身への哀れみか。
私は金貨を机に置き、震える手で自身の肩を抱いた。
寒気がする。
心の芯が凍えている。
カシリア殿下。
貴方が望んだ「領地経営」とは、こういうことではなかったはずです。
けれど、陛下も、領地も、貴方の慈悲を許すことができません。
私はもう、貴方の知る清らかな令嬢ではありません。
目的のためなら人を欺く、ただの悪役令嬢です。
それでも、この手で掴み取った成果を、いつか貴方に捧げます。
貴方の婚約者に相応しい存在になれるために……
もし、少しでも心に残ったら、
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