第121話 認めざるを得ない
カシリアは土埃を払い、ゆっくりと立ち上がった。
右腕の関節には、まだ鈍い痺れが残っている。
痛みよりも鮮烈なのは、背中に感じる視線の重さだ。
周囲を取り囲む学生たち、騎士候補生たち。
彼らの瞳には、畏怖と、そして抑えきれない好奇の色が浮かんでいる。
「……」
カシリアは無言でエリナを見下ろした。
彼女は乱れた金髪をかき上げ、小柄な体躯からは想像もつかないほどの存在感を放ちながら、不敵に立っている。
勝者としての余裕。
彼女をこのまま放逐すればどうなるか。
「王太子を倒した無名の女剣士」として、噂は瞬く間に広まるだろう。
尾ひれがつき、やがてそれは「タロシア公爵の隠し子」という真実へと人々を導く灯火となる。
リリスが必死に守ろうとした秘密。
公爵家の、そしてリリス自身の名誉が、白日の下に晒される。
それは避けなければならない。
だが、ここで彼女を捕縛し、不敬罪として処断すればどうなる。
王族の横暴、敗北を認めぬ狭量な王子として、求心力を失うだろう。
何より、目の前のこの獣のような少女の才能を、カシリア自身が惜しんでいる。
帝国に対抗するための最強のカードが、今、手元にあるのだ。
毒か、薬か。
カシリアは深く息を吸い込んだ。
肺に満ちる鉄と土の匂いが、思考を冷徹なものへと変えていく。
カシリアは右手を挙げ、ざわめく群衆を制した。
静寂が戻る。
彼はエリナに向き直り、その青い瞳で彼女を射抜いた。
「……見事だ」
低く、よく通る声が響く。
「型破りではあるが、実戦における強さは本物だ。我が国の騎士道にはない、生存への執念……それこそが、今の我々に欠けているものかもしれない」
カシリアは一歩、エリナに近づいた。
「エリナ・タロシア」
小声で、彼女にだけ聞こえるように名を呼ぶ。
エリナの眉がピクリと動く。
「お前のその腕、国のために使う気はないか」
「……給料は弾んでくれるんですか?」
エリナもまた、小声で、しかし即座に切り返してきた。
カシリアの口元が、微かに歪む。
この状況で金の話か。
リリスとは違う。
あまりにも違いすぎる。
だが、その俗物的なまでの正直さが、今は心地よい。
「ああ。……その代わり、私の目が届く範囲で暴れろ。勝手な真似は許さん」
カシリアは声を張り上げた。
「皆、聞け!このエリナを、対帝国特別戦闘指南役に任命する!彼女の戦い方は野蛮に見えるかもしれないが、実戦では綺麗事など通用しない。帝国の猛者たちと渡り合うため、彼女から泥臭さを学べ!」
宣言と共に、訓練場は再び大きな歓声に包まれた。
「指南役だって!?」
「すげぇ、女が教官かよ!」
「でもあの強さだ、文句ねぇよ!」
学生たちは単純だ。
強き者を称え、新たな英雄の誕生に熱狂する。
エリナは驚いたように目を丸くした後、ニッと歯を見せて笑った。
「了解です、殿下!ビシバシ鍛えてあげますよ、この温室育ちたちを!」
彼女は群衆に向かって手を振り、その姿は既に「場の中心」となっていた。
カシリアはその光景を見つめながら、拳を強く握りしめた。
賽は投げられた。
彼女を認めることで、タロシア家の秘密という爆弾の導火線に、自ら火をつけたのだ。
歓声の渦の中で、カシリアは一人、孤独な王の顔をして立ち尽くしていた。




