第120話 王と獣の決闘
訓練用の模造剣とはいえ、幾度となく打ち合った衝撃で腕が痺れている。
カシリアは荒い息を整えながら剣先を下げ、目の前のエリナを見据える。
汗が額を伝い、目に入って視界を微かに滲ませた。
周囲の喧騒は遠のき、ただ自身の心臓の音と、エリナの不敵な笑みだけが鮮明に知覚された。
互角。
いや、手数の多さで言えば、カシリアの方が押していたかもしれない。
王家秘伝の剣技を惜しみなく繰り出し、彼女を追い詰めたはずだった。
だが、彼女は倒れない。
紙一重でかわし、あるいは剣の腹で受け流し、決定打を避けている。
まるで、こちらの力量を測るかのように。
カシリアが次の呼吸を整えようとしたその時、エリナが剣を肩に担ぎ、軽く首を鳴らした。
「へぇ、やるじゃないですか、殿下」
彼女は汗を手の甲で拭い、感心したように目を細めた。
「王子のくせに、結構強いんですね。温室育ちの飾り物かと思ってましたけど、意外と芯が入ってる」
その言葉は、純粋な称賛として発せられた。
だが、カシリアの耳には、最大の侮辱として響いた。
「……何?」
カシリアの声が低くなる。
王子のくせに。
飾り物。
この女は、国の頂点に立つ者に対して、路地裏の喧嘩相手のような口を利く。
「でもまあ、型が綺麗すぎますね。教科書通りっていうか」
エリナは屈伸運動をしながら、軽く言い放った。
「じゃ、テストは終わり。ここからは私が全力でいきますよ」
「……」
カシリアの思考が一瞬、空白になる。
全力?
今までの攻防は、彼女にとって準備運動に過ぎなかったというのか。
このオレが、息を切らして必死に剣を振るっていた間、彼女は「遊んで」いたとでも言うのか。
羞恥と怒りが、足元からマグマのように噴き上がった。
「……愚弄するか、エリナ」
カシリアは剣を正眼に構え直した。
殺気にも似た気迫が全身から立ち昇る。
「いいだろう。その減らず口、二度と利けないようにしてやる」
エリナの雰囲気が変わった。
獣が獲物を前にして身を低くする、あの独特の威圧感。
笑顔が消え、瞳孔が収縮する。
「来い」
カシリアが短く告げた瞬間、エリナの姿が掻き消えた。
速い。
先ほどまでの速度とは次元が違う。
カシリアは反射的に剣を薙いだ。
金属と木が激突する硬質な音が響く。
エリナの突進を、カシリアの剣が受け止めた――はずだった。
だが、感触が違った。
エリナは剣と剣がぶつかる寸前、自らの剣の鍔をカシリアの刃に引っ掛け、強引に軌道を殺したのだ。
「なっ……!」
剣がロックされる。
その隙に、エリナの身体が懐へと滑り込んでくる。
剣術の距離ではない。
吐息がかかるほどの超至近距離。
カシリアが反応するよりも早く、エリナの左手が伸び、カシリアの右肘を鷲掴みにした。
関節技。
戦場においては最も効率的な制圧手段。
「ぐぅっ!」
激痛が走り、カシリアの手から剣がこぼれ落ちる。
同時に、視界が反転した。
エリナがカシリアの腕を軸にし、その勢いを利用して背負い投げを放ったのだ。
王家の至宝たる肉体が、宙を舞う。
青い空が一瞬だけ見え、直後に背中を強打する衝撃が走った。
肺から空気が強制的に排出され、視界が白滅する。
カシリアは土埃舞う地面に叩きつけられ、無様に仰向けになった。
喉元に、冷たい感触が押し当てられる。
エリナの木剣の切っ先だ。
「チェックメイト、ですね」
エリナはカシリアの上に馬乗りになり、冷ややかに見下ろしていた。
逆光で表情が見えない。
ただ、その声だけが冷徹に響く。
「殿下。戦場じゃ、剣が折れたら終わりじゃないんですよ。爪でも牙でも、使えるものは全部使って相手の喉笛を噛み千切るんです」
彼女は剣を引き、カシリアの胸倉を掴んで顔を近づけた。
汗と土、そして鉄の匂いがする。
「王子様、プロの世界にはまだまだ甘いですよ。……命拾いしましたね」
エリナは手を離し、軽やかに立ち上がった。
カシリアは咳き込みながら、震える手で上体を起こした。
周囲は水を打ったように静まり返っている。
歓声も、野次もない。
学生たちは、信じられないものを見たという顔で、口を開けたまま硬直していた。
無敵の王太子が、女子生徒に一方的に蹂躙された。
しかも、剣術ですらない、野蛮な喧嘩技で。
カシリアは自身の右腕をさすった。
関節が軋むような痛みが残っている。
だが、それ以上に痛むのは、粉々に砕け散った自尊心だった。
リリス。
君は言ったな。
コリンダ王子は脅威だと。
だが、君の予想すら超える化け物が、既にこの学院の中にいたぞ。
カシリアはエリナの背中を見つめた。
彼女は倒れた他の候補生たちに手を貸し、何事もなかったかのように振る舞っている。
その背中は小さく、華奢だ。
だが、今のカシリアには、それが巨大な城壁のように見えた。
「……勝者、エリナ!」
遅れて審判の声が響く。
パラパラと、戸惑いを含んだ拍手が起こり、やがてそれは熱狂的なものへと変わっていった。
「すげぇ!殿下に勝ったぞ!」
「あいつ何者だ!?」
カシリアはその喧騒の中で、独り、泥の味を噛み締めていた。
悔しさ。
そして、奇妙な高揚感。
初めてだ。
手加減も忖度もなく、ただ純粋な「力」だけで、オレをねじ伏せた人間は。
「……フッ、はは」
乾いた笑いが漏れる。
プロには甘い、か。




