第119話 野蛮な美
カシリアは眉を寄せ、整列した候補生の中に立つ小柄な人物を凝視した。
屈強な男たちが並ぶ列の末尾に、異質な存在が混ざっている。
風に揺れる金色の髪、日に焼けた小麦色の肌、そして貴族の令嬢には似つかわしくない、使い込まれた革の胸当て。
エリナ・タロシア。
なぜ、彼女がここにいる。
カシリアの思考が一瞬停止した。
周囲の学生たちもざわめき始めている。
「おい、あれを見ろ。女子が混ざっているぞ」
「正気か?ここは遊び場じゃないんだぞ」
好奇と嘲笑の視線が彼女に降り注ぐが、本人は全く意に介していない様子で、欠伸を噛み殺している。
カシリアは無言で歩み寄り、彼女の前で足を止めた。
「……なぜ、お前がここにいる」
低い声で問う。
エリナはびくりと肩を震わせ、直立不動の姿勢をとった。
「あ、殿下!だって、殿下が『騎士科志望の者は集まれ』っておっしゃったと聞いたもんで!」
屈託のない笑顔。
その言葉を聞いて、カシリアの記憶の底から、ある事実が浮上した。
そうだ。
彼女は、貴族として認知される前、平民として騎士養成学校に通っていたのだった。
あの独特の足運び、手にある無数のマメ。
彼女は「令嬢」である以前に「兵士」の卵なのだ。
「……帰れとは言わん。だが、怪我をしても知らんぞ」
「へへっ、手加減無用でお願いしますよ、殿下!」
追い出す理由が見つからなかった。
公衆の面前で「女だから帰れ」と告げるのは、王族としての公平性を欠く。
それに、どうせすぐに負けるだろう。
騎士学校の訓練生とはいえ、彼女は女だ。
体力とリーチで勝る男たちに勝てるはずがない。
一、二戦して痛い目を見れば、大人しく引き下がるはずだ。
カシリアはそう判断し、踵を返した。
それが、自身の認識の甘さを露呈することになるとは知らずに。
テスト形式は単純な一対一の勝ち抜き戦だ。
カシリアは自ら剣を取り、最初の模範試合に臨んだ。
相手は体格の良い上級生だ。
「参ります、殿下!」
相手が大上段から剣を振り下ろす。
重く、鋭い一撃。
だが、カシリアには止まって見えた。
(遅い)
思考するよりも早く、体が反応する。
半歩横へ滑るように移動し、相手の剣の側面を軽く叩く。
軌道を逸らされた刃が空を切り、相手のバランスが崩れる。
その隙を見逃さず、カシリアは剣先を相手の喉元寸前で止めた。
「……そこまで」
静寂の後、爆発的な歓声が沸き起こった。
「すげぇ!一撃だ!」
「殿下、強すぎる!」
「これなら帝国の野蛮人なんて敵じゃないぞ!」
カシリアは剣を下ろし、涼しい顔で次の相手を指名した。
連戦連勝。
彼の剣は洗練されており、無駄がない。
王家で幼い頃から叩き込まれた、正統派の剣術。
それは芸術のように美しく、見る者を魅了する「王者の剣」だった。
カシリアは心地よい疲労と、確かな手応えを感じていた。
これだけの腕を見せつければ、コリンダ王子への牽制としては十分だろう。
そう確信し、ふと視線を横のブロックに向けた時だった。
彼の動きが止まった。
そこでは、全く別の種類の「戦い」が行われていた。
エリナだ。
彼女の相手は、彼女より頭二つ分も背が高い大男だった。
男は嘲るように笑い、力任せに木剣を振り回している。
「お嬢ちゃん、怪我しないうちに帰りな!」
ブンッ、と風を切る音。
まともに受ければ骨が砕けるような一撃。
だが、エリナは受けなかった。
(受けるな。流せ)
彼女の動きは、カシリアのそれとは対極にあった。
泥臭く、獣のように低い姿勢。
男の剣が振り下ろされた瞬間、彼女は地面を転がるようにして懐へ潜り込んだ。
貴族の試合では決して見られない、地を這う動き。
「なっ!?」
男が驚愕に目を見開く。
その時には既に、エリナの木剣が男の脇腹に突き刺さっていた。
ドスッ、という鈍い音。
「ぐあっ……!」
男が苦悶の声を上げて膝をつく。
「はい、一本!」
審判の声が響くが、歓声は上がらない。
静まり返っていた。
あまりにも現実的で、容赦のない勝ち方だったからだ。
「次!誰でもいいから来なよ!」
エリナは汗を拭い、白い歯を見せて笑った。
その笑顔は無邪気だが、瞳の奥には冷徹な獣の光が宿っている。
次の相手、また次の相手。
エリナは止まらなかった。
相手の剣を篭手で弾き、足払いをかけ、時には相手の服を掴んで引き倒す。
「汚いぞ!」という野次が飛ぶが、彼女は意に介さない。
「戦場じゃ勝った奴が正義なんだよ!」
そう言い放ち、相手の剣を叩き落とす。
彼女の剣術に「型」はない。
あるのは、生き残るための執念と、相手を無力化するための最短距離の暴力のみ。
それは騎士の剣ではない。
路地裏や戦場で磨かれた、生存本能の結晶だ。
カシリアは呆然と立ち尽くしていた。
強い。
技術や筋力ではない。
「殺気」の質が違うのだ。
ここにいる温室育ちの学生たちが、スポーツとしての剣術をしているのに対し、彼女だけが「殺し合い」をしている。
彼女の剣には迷いがない。
相手が誰であろうと、容赦なく急所を狙い、隙あらば噛み千切る。
その姿は、かつて夜会で見た、マナーを知らない野蛮な少女そのものだった。
だが、今この瞬間、その野蛮さが圧倒的な「美」としてカシリアの目に映った。
飾り気のない、剥き出しの強さ。
リリスの完璧な美しさとは対極にある、荒々しい生命の輝き。
(……まさか、ここまでとは)
カシリアの背筋に、冷たい汗が伝った。
彼女は、私の想定を遥かに超えている。
最後の相手を胴抜きで吹き飛ばし、エリナが振り返った。
乱れた髪、荒い息遣い、汗に濡れた肌。
その視線が、真っ直ぐにカシリアを射抜く。
「へへっ、殿下。あたしも残っちゃいましたよ」
彼女は悪戯っぽく舌を出した。
周囲の学生たちは、もう野次を飛ばしていなかった。
恐怖と畏敬の入り混じった目で、この異端の女性を見つめている。
カシリアは剣を握り直した。
掌にじっとりと汗が滲む。
「……ああ、そのようだな」
声を絞り出す。
もはや、テストではない。
この場の支配者を決める、雄と雌の、あるいは王と獣の決闘の空気が張り詰めていた。




