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第113話 支援金の削減

カシリアの足音が廊下の彼方へ消え、執務室には再び重苦しい静寂が舞い戻った。


カナロア王は、息子が置いていった羊皮紙の束を手に取り、冷ややかな視線を走らせた。


そこには、リリス・タロシアが赴任するガーナー領への、詳細な支援計画が記されている。


「……また、ガーナー領への支援金か」


カナロアは低い声で呟き、書類を机の上に放り出した。


傍らに控えていたビアンナが、一歩進み出て頷く。


「はい。カシリア殿下は、リリス嬢の負担を減らすため、十分な資金援助を承認されました。これがあれば、当面の赤字は補填され、領地経営は安定するかと」


「安定、か」


カナロアは鼻を鳴らした。


その響きには、明白な侮蔑が含まれている。


「ガロス・ガーナー……。ナミスの父親であり、かつての騎士団長か」


カナロアの脳裏に、一人の男の顔が浮かぶ。


武骨で、融通が利かず、岩のように頑固な男。


剣を持たせれば一流だが、領地経営においては無能に近い愚直な男だ。


「あの男は、私腹を肥やすような真似はせん。他の領主たちが税収をごまかす中、あやつは一銭の不正もせず、正直に報告してくる」


カナロアは椅子に深く腰掛け、天井を見上げた。


「だが、その正直さが毒なのだ」


ガロスは、傷つき退役した騎士や兵士たちを、領地の職員や労働者として積極的に雇用している。


戦場で手足を失い、行き場を失った者たちに、職と住居を与え、人間としての尊厳を守ろうとしているのだ。


それは人道的には称賛されるべき行為かもしれない。


だが、経済的には自殺行為だ。


生産性の低い労働者に正規の賃金を支払い、不要なポストを増やし続けている。


「減税、顧問の派遣、果ては一時的な免税措置……。手は尽くしたはずだな」


「はい、陛下。ですが、状況は一向に好転しておりません」


ビアンナが淡々と事実を告げる。


「ガロス卿は『彼らは国のために血を流した英雄だ、路頭に迷わせるわけにはいかない』と主張し、経営改革の提案をことごとく拒否しております」


「英雄を養うために、領地そのものが死にかけているわけか」


カナロアは冷たい目で書類の数字を見つめた。


赤字の桁は年々増え続け、資源の分配は完全にバランスを欠いている。


このままでは、遠からずガーナー領は破綻し、難民が溢れ出すだろう。


カナロアは立ち上がり、壁に掛けられた王国の地図の前に立った。


広大な領土。


数多の民。


それらを統べる者に必要なのは、温かな心などではない。


「ビアンナよ。……統治者にとって最も無価値なものが何か、分かるか」


「……ご教授ください」


「『領民の幸福』だ」


カナロアは吐き捨てるように言った。


その言葉は、慈愛を謳う聖典を火にくべるような背徳的な響きを持っていた。


「一人一人が笑って暮らせる国?……ふん。そんなものは、年齢のいかぬ子供が夢見る寝言に過ぎん」


彼は地図上のガーナー領を指で叩く。


「資源は有限だ。土地も、金も、食料も。……それをいかに効率的に分配し、最大化し、国力を維持するか。それだけが真実だ」


「領地人口、産出資源、税収。……統治者が追求すべき結果はこの三点のみ」


「全ての国民を幸福にする?……そんなものは、絵本の中の戯言だ。年齢不相応な子供の妄語に過ぎん」


「それは……無知な大衆を酔わせ、支配を受け入れさせるための演説用のレトリックだ。我々が本気にしてどうする」


カナロアの瞳には、冷徹な計算式だけが浮かんでいる。


ガロス・ガーナーの失敗は、その方便を真に受け、現実の数字を無視して「幸福」という幻影を追ったことにある。


そして今、カシリアもまた、その失敗を金で覆い隠そうとしている。


リリスという「守るべき少女」のために、湯水のように国庫を開放しようとしている。


「……甘やかすのは、ここまでだ」


カナロアは机に戻り、羽根ペンをインク壺に浸した。


カシリアが作成した支援計画書。


その末尾に記された金額の欄に、ペン先を走らせる。


黒いインクが、当初の金額を無慈悲に塗り潰していく。


「……陛下?」


「財政困難につき、支援金を削減する」


カナロアは新たな数字を書き込んだ。


それは、カシリアが提示した額の、実に五分の一だった。


「こ、これでは……赤字の補填どころか、現状維持すら不可能です。ガロス卿の政策を維持したままでは、数ヶ月で破綻します」


ビアンナが珍しく動揺を見せる。


「その通りだ」


カナロアは残酷な笑みを浮かべた。


「だからこそ、見極めるのだ。……リリス・タロシアの真価をな」


カシリアは、彼女を平和な揺りかごに送ったつもりだろう。


だが、そこに待っているのは、崩壊寸前の経済と、理想に凝り固まった頑固な領主だ。


金という潤滑油を断たれた時、その地は地獄へと変わる。


「あの娘が、ただ守られるだけの硝子細工ならば、この危機に押し潰され、泣いて戻ってくるだろう。……だが」


カナロアの脳裏に、リリスの姿、絶望を笑顔で隠し、全てを飲み込んで耐える「怪物」の姿が蘇る。


「もし彼女が真に王太子の隣に立つ器であるならば……この枯渇した大地からでも、水を搾り出してみせるはずだ」


「ビアンナ。この変更を直ちに伝達せよ。理由は『昨今の軍事費増大による予算見直し』とでもしておけ」


「……御意」


ビアンナは一瞬だけ躊躇いを見せたが、すぐに主君の命に従い、修正された書類を受け取った。


「リリスよ。……お前の才能、存分に見せてみろ」

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