第102話 付属品
「お嬢様……」
しばらくして、ロキナはようやく涙を止めた。
目を赤く腫らしながらも、彼女は気丈に顔を上げた。
「……もうすぐ食事よ。外で少し顔を冷やしてきなさい。そんな顔をしていたら、私があなたをいじめて泣かせたみたいじゃない」
私はハンカチで彼女の目元を拭ってやり、悪戯っぽく微笑んでみせた。
「……はい。申し訳ありません。……すぐ戻ります」
彼女は慌てて顔を伏せ、逃げるように部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、静寂を連れてくる。
残された私は、再び鏡の中の自分と対峙した。
完璧な微笑み。
崩れない仮面。
中身が空っぽの人形が、そこにいた。
「リリス様、夕食の準備が整いました」
廊下から、別の侍従の声がかかる。
「ええ、今行きます」
私は短く答え、重いドレスの裾を翻して、戦場へと向かう兵士のような足取りで部屋を出た。
食堂の扉が開かれると、そこには眩いばかりの光景が広がっていた。
シャンデリアの輝きの下、豪奢な長机には山海の珍味が所狭しと並べられている。
そしてその奥には、父カスト、エリナ、ミカレンがすでに席に着いていた。
「あ、リリス!遅いよー!お腹すいちゃった!」
エリナがフォークを握りしめ、無邪気に手を振る。
「まあ、エリナ。リリス様をお待ちしなさいと言ったでしょう」
ミカレンが困ったように、しかし慈愛に満ちた目でエリナを諌める。
「おお、リリス。待っていたよ」
父がワイングラスを置き、満面の笑みで私を迎える。
母が健在だった頃の、冷え切った静寂な食卓とは違う。
ずっと賑やかで、ずっと温かく、そして――残酷なほどに、よそよそしい。
私はその光景を、ガラス越しの出来事のように冷めた感覚で眺めていた。
「お待たせしました。……父上、母上、姉上」
舌の上で転がすにはあまりにも異質な敬称。
ぎこちない響きが含まれていたはずだが、誰もそれに気づかない。
彼らは「家族ごっこ」の幸福感に酔いしれているからだ。
「気にするな。今、揃ったところだ」
父は上機嫌で言った。
私は指定された席――かつて母が座っていた席の向かい側、今はエリナの隣に腰を下ろした。
目の前には湯気を立てるローストビーフ。
だが、食欲など湧くはずもなかった。
「リリス、明日は生徒会の引き継ぎだろう?体調は大丈夫か?顔色が少し白いようだが」
父が心配そうに尋ねてくる。
その心配は本物なのだろう。
だが、あまりにも浅く、ピントがずれている。
「ええ。もう問題ありませんわ」
私はナプキンを膝に広げながら、完璧に答えた。
「それは良かった。……エリナも、明々後日からいよいよ学院に通うことになる」
父はエリナを見て、目を細める。
「だが安心しなさい、リリス。エリナの身分の件は、学園側にも厳重に口止めしてある。君の立場に影響が出ることはない」
「それに、エリナは特待生枠での編入だ。身元は伏せたままでも問題なく通える手はずになっている」
父は自信満々に言った。
まるで、それで全ての問題が解決するかのように。
「……ありがとうございます、父上。姉上、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「全然!むしろ貴族生活のほうが大変そうだよ!ドレスとか窮屈だし!」
エリナは口いっぱいにパンを頬張りながら、ケラケラと笑った。
「ははは、本当にまだ平民気質だな、エリナは」
父もつられて笑う。
ミカレンも微笑ましそうに見守っている。
「……そうですね」
私は、微笑んだ。
ナイフで肉を切り、口へと運ぶ。
咀嚼する。
何度も、何度も。
肉の繊維が潰れ、肉汁が広がるはずなのに、感じるのは鉄錆のような味だけ。
舌を噛んだのかもしれない。
血の味が滲むまで、私は機械的に顎を動かし続けた。
……まずい。
どうして、こんなにもまずいのだろう。
最高級の牛肉のはずなのに、まるで腐った泥を食べているようだ。
なぜ、皆はこんなにも楽しそうに笑えるの?
「口止めすれば大丈夫」?
社交界は、そんなに甘くない。
すでに噂は広まり、火種は燻っているというのに。
父も、エリナも、何も知らない。
知ろうともしない。
どうして。
どうして、私の痛みには、誰も目を向けないの?
私は、あなたの娘でしょう?
お父様。
私は視線を上げ、父の笑顔を見つめた。
その瞳に映っているのは、温かな食卓と、笑い合う新しい家族の姿。
そして、その端っこに、作り笑いを張り付けた「物分かりの良い長女」としての私も、付属品のように含まれている。
ああ。
これが、私の求めていたものだったのか。
完璧に作られた――幸福という名の、虚構。
中身のない、見せかけだけの家族の肖像。




