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【オネェの髭Ⅰ】(短編集)

作者: 東 宮

ホームレスの哲学者 花子Ⅰ

探求心の非常に強い花子は、学校の先生や友達を質問攻めにするほどだった。

そんな花子が大学を卒業してから選んだ進路はホームレスだった。


ホームレスの哲学者 花子Ⅱ

花子が師と仰いだ次郎が姿を消した。その後花子はあらたな道を歩く事になる。

苦悩と戦う花子の心の葛藤とそして行き着いた先は。


オネェの髭Ⅰ

スナック「オネェのエ髭」のホステス、エバには特殊な能力があった。

そのエバの元には心の悩みをもった依頼者が訪れる。


ミナト電機Ⅰ(体外離脱装置)

ミナト電機の社長がある大手電機メーカからの依頼で、体外離脱装置の技術アシストの依頼があった。その商品があらぬ展開に。


ミナト電機Ⅱ(メモリービジョン)

ミナト電機が世に送り出したメモリ-ビジョンとは?潜在意識のビジョン再生装置という商品だった。


ミナト電機Ⅲ(リアルビジョン)

リアルビジョンとはその名の通り、リアルなビジョンの再生装置という意味だった。DVDやビデオを再生すると、その場に居るのと同じ臨場感が体験できるという装置。


オネェの髭Ⅱ(コナちゃん)

オネェの髭2作目、池袋店に不思議な経歴のコナが働き始めた。この店で働くオネェは3人全員が特殊能力の持ち主だった。3人が待ち受ける問題とは。


ゲンゾウの霊界探訪記(地獄変)

電気工事会社に勤務のゲンゾウが突然金縛りにあった、その後体外離脱して垣間見た世界が地獄のようなおぞましい世界だった。そしてゲンゾウが取った行動とは。


ゲンゾウの霊界探訪記(天上編)

ゲンゾウは初めて体外離脱して3ヶ月が過ぎた。今では、意識を集中すると簡単にトリップすることが出来たゲンゾウは天上界を探訪する事になった。


ゲンゾウの霊界探訪記(平行宇宙)

平行宇宙パラレルワールドの存在だった。平行した宇宙が同時に存在しいてるというのだ。ゲンゾウが各宇宙に同時に何人も存在し、何かしらの影響を及ぼしているというものだった。


エンディング

ここで紹介するのは、32歳という若くしてこの世を去った三宅千種の晩年の話しである。癌と告知されてから臨終まで、3段階の心の動きを描いた小説。


小説請負人ハマⅠ

依頼者の生い立ちと小説にしてみたい事柄、登場人物を教えてもらいジャンルを聞いて依頼者にあった書き方をします。


小説請負人ハマⅡ

世界中を飛び回り、みんなに感動を与える人間になりたいという女性の依頼や、彼は普通の公務員。定年退職を迎えるに辺り、若い頃夢見た職業に小説の世界だけでもいいので思いを叶えたいと依頼する。


【オネェの髭 Ⅰ(短編集)】



「ホームレスの哲学者 花子Ⅰ」


 人はどこから来て、どこにむかおうとしているのか


ものごとに結果があるなら、かならず原因があるはず。


いにしえより、それらを理屈で解明しようとする人間が存在する。


その学問を哲学とよび、それを知的に理解しようとする人間を哲学者と呼ぶ


洋の東西を問わず存在した。



ここにも不世出の女性哲学者がいた。彼女を知る人は彼女のことを紙一重の哲学者と呼んだ。 紙一重のこちら側を一般人、向こう側を天才という位置づけをし、その壁を超えられなかった。 つまり単なる変人として扱われた。 但し、それは彼女の精神性の高みを理解できない人間が吐く言葉。


彼女の名は吉田花子。 父真二、母とし子の長女としてこの世に誕生した。 花子は三歳まで言葉を話さなかった。 


とし子は「元気ならそれでいい。 言葉が遅いくらいなんの問題もない。 この子は言葉を話すのが遅いのが特徴」そのように花子を観ていた。


花子のことを他人に話す時は「花子って言葉は話さないけど、この子の笑顔は観ている者を和ませてくれる天使のような子供なの」と語った。  


花子が三歳の誕生日を過ぎ間もない頃、ひとりで絵を描いていた。


「ハナちゃん、なに描いてるの?」。


「お花」初めて花子が言葉を話した瞬間だった。


「えっ?」とし子は我が耳を疑った。


「ハナちゃん、もう一度言ってみて?」


「お花…」


言葉は少ないが、確かにハナの口から出た言葉。 とし子は思わず近寄って抱きしめた。 目から涙が溢れ止まることを知らなかった。


「ハナちゃん、話が出来るの…… 偉い子だね」


「おかあさん、痛い」文章になっていた。


「ごめんね、ハナちゃん。おかあさん嬉しくて、きつく抱いちゃった。ゴメンね」


花子は淡々と絵の続きを描き始めた。 


夕方、父親が戻ってきた。


「ただいま!」


「お帰りなさい」花子の声だった。


「おう、ただいま……?」


「花子?」同時に後ろに立っているとし子の顔をみた。 満面の笑みを浮かべていた。


「花子おまえ、話せるのか」父親の目から涙が溢れていた。


とし子が「ハナちゃん、急に話しをするようになったの」


「そっか…とし子酒くれないか、今日は飲む。 お前も付き合ってくれ……」


「うん、私も頂きます」


これが、初めて花子の行動がひとを驚かせた瞬間だった。 言葉を話さないだけで理解力は普通の子のようにあった。 その後の花子は普通に言葉を話すようになった。


ある時、道ばたで死んでいる犬を観て、花子は呆然と立ちすくんでいた。 その犬が路上から処理されるまで一時間程じっと見守っていた。


夕方、家に帰った花子は母親に「お母さん、犬が死んでいた。 死んだ犬は何処へ行くの?」


「天国。 犬も人も死んだらみんな天国に行くの」


「私も?」


「そう、ハナちゃんもお母さんもみんな天国に行くのよ」


「……?」


花子の質問癖はこの頃からはじまった。


花子は十六歳になり地元の高校に通い始めた。 通学途中、急に立ち止まった花子は、他人の家の花壇をジッと見つめていた。 視線の先にはアリがいたのだった。

花子はアリの動きに興味を持った。結局、午前中はアリを眺めて終わってしまい、

給食時間に登校してしまった。 以来、アリから始まり池の鯉、アヒルなど一般人が普通に見過ごすようなところに興味が湧く花子だった。


高校時代に付いたあだ名が「哲学ちゃん」


花子はものごとの始まりや原因が気になるタイプだった。 そんなある日校舎の屋上で上級生が下級生を恐喝している場面に花子が直面した。


上級生が「おい君、少しお金をカンパしてくんねえかな」


下級生は「カンパするお金なんてありませんけど」


「全くないのかなあ? 財布見せてみなよ」


「なんでですか? 僕、あなた知りませんけど……」


「お前も、ものわかりの悪い奴だな、痛いこと嫌いでしょ?」語気が強くなっていた。


下級生は震えながら財布を出した。 その瞬間、横からその財布をわしづかみする手があった。 花子の手だった。


上級生が「なんだお前、その手をよけろや!」


「それって恐喝ですか?」


「バ~カ、カンパだよカンパ。おめえには関係ねえ、黙ってその手を離せ!」


「カンパって、好意的にするものじゃないんですか? この人、怖がってますけど。

これって恐喝っていうんじゃないですか……」


「てめえは黙ってろ。 俺は強制してねえ、こいつに聞いてみろや」


花子は矛先を変えた「あんた、どうなの?」


「……カンパです」


「どうしてなの? あんた、震えてるでしょ。 どうみたってこれは恐喝でしょ?」


「……」


「ちゃんと応えなさいよ!」


そのうち上級生は罰悪そうに姿を消してしまった。


なおも花子の問いかけは続いた「ちゃんと応えなさいよ」


「もうあいつ、いないけど……」


「そういう問題じゃない! これは恐喝でしょ?」


「もういいよ。これ、君にあげるから許して」


生徒は財布を花子に渡した。


「なんで私が?…… 馬鹿にしないでよ」


花子は生徒の財布を持つ手を払った。 自分は単に疑問を追求したいのだったのに。


その後、花子は考えるようになった。 


「……私は純粋にどうしてか聞きたかっただけなのに…… 私の行動って変?  誰か教えてほしい。 その後も花子のどうして癖は続いた。


花子の質問攻めにあった教員達からは、


「花子に気をつけろ」が合い言葉のようになり、彼女を避ける先生も多くいた。


そんな先生達の中にも唯一の理解者がいた。 物理の三宅先生だった。


「三宅先生、ひとつ聞いていいですか?」


ひとつ聞いていいですか? これが花子の口癖で、これが出たら質問攻めにあうのだった。


三宅は「手短に! ひとつだけならどうぞ」


花子の質問責めにあう前に必ずひと言付け加えるのだった。


「地球と月の距離は三十八万キロ。 太陽は1一億五千万キロですよね。 これってだれが測ったんですか?」


「誰が測ったか知らんが、計測のしかたは三角測量だ」


「太陽もですか?」


「太陽はケプラーの第三法則というらしいよ」


「銀河形はどうして円盤形で渦巻きだと実証できるのですか?」


「銀河系の形状はあくまでも仮説であって真実ではないよ。 未だに実証できないんだ。 家の中からその家の外観は判断できないだろ? つまり想像のひとつ」


花子はたえずこの調子であった。


ある時、なにを思ったか三宅が花子に質問した。


「花子くんに聞きます。 人にとって究極の問題は死です。

どうして人は死ぬのにお金を蓄えたり、財産を増やしたり、

地位や名誉を誇示したりすると思いますか?」


花子にとっては予期せぬ強烈な質問。


花子は答えられずに自問自答した。


「人は確実に死ぬ、蓄え、あの世へ持って行けない、地位、土地、名誉、なぜ?」


花子はうつむいたまま返事を返そうとしなかった。


「花子くん」


「……」


「お~い花子くん」


「……」


「ごめん。花子くんには難しい質問だったようだ。 先生が悪かった。 今の質問忘れてくれないか」


「あっハイ」


二人はその場を離れた。



それからの花子は寡黙になり、いつも宙を眺めるようになった。 三宅の問いに答えられないまま月日は過ぎ、花子は高校三年になった。


相変わらず花子流の学校生活を続けていた。 普通なら何気なく見過ごす諸事を花子は気になるのだった。 ある時、友人の睦子が花子に質問をした。


「ねえ、悩みや苦しみって何処から来ると思う?」


「自分の要求が叶えられない時」花子は即答した。


「じゃあ、その要求が叶えられないことが当たり前に思えるようになった時に、

人は苦しみも感じないわけ?」


「たぶん、途中ですり替えたんだと思う」


「どういう事?」


「その要求が叶えられっこないと悟った段階で、要求が消え失せたんだと思う。

同時に、苦しみも消滅したと思う」


「つまり? 簡単に説明してよ」



「上手く言えないけど、苦しみの原因って未知への恐怖だと思うの。 その未知が未知でなくなった時、苦しみも消滅すると思わない?」


「つまり苦しみと不安は同時進行という意味なの?」


なるほど、やっぱり哲学ちゃんは考えることが違うね」


「なにが?」


「何でもない」


その後、東洋大学の哲学科に入学をした花子は自分と同じようなタイプが大勢いることに安らぎを覚えた。


その頃には哲学ちゃんと呼ぶものもなく、みんなにハナちゃんと呼ばれていた。

花子にとって楽しい大学生活が瞬く間に過ぎ去り、就職を決める四年生のことだった。


親友の直子が「ハナちゃんはどういう進路にするの?」


「私は何も考えてないの。 働くという意味合いが解らなくなってしまってるの」


「だって、働かないと食べていけないでしょう。 どうするのよ?」


「路上生活者もいいかなって思ってるのね」


直子はハナの顔を凝視した「あんた本当にそんなこと考えてるの? 両親はなんって?」


「私の人生は私が決めるのね。 親は肉体の親であって、魂の親ではないの」


「ハナちゃんの言いたいことは解る。 けど、親があって今のあなたがあるのでは?」


「肉体はね」


「で、ホームレスになってどうするの?」


「質問の意味が解らないけど……?」



「単純に社会通念として言うね。一般社会として人間は働く義務があるのね、それが社会への貢献で、私達もみんなを生かし生かさせてもらってるの」


「うん」


「だから、ハナちゃんもこの社会にいる限り、みんなの世話になって生きてるわけ」


「うん」


「それはお互いが了解しあってのことなの。 それが社会であり、生きる手段なのね。 ハナちゃんはそれを無視して生きるの?」


「だって、ハナはハナがが納得した生き方をしたいの。 直子がいった生き方をハナが望んだらそのように生きます。 でも、今はその様な生き方をハナは望んでないの……」


「それがホームレスなわけ?」


「うん、とりあえずホームレスでいいかなって思ったりする」


花子は躊躇無く淡々と応えた。



大学を卒業し三年の月日が過ぎた。 直子が彼氏と横浜の中華街で食事をし、その足で山下公園を散歩していた時だった。


彼氏が「直子、あれ見てごらん。 どう思う?」あるホームレスを指していった。


「どうって?」


「なんか不自然じゃない?」


「なんで……? 若いかも……」


急に何を思ったのか直子はそのホームレスに近寄った。


「おい、直子どうしたの?」彼が言った。


彼の言葉に耳を貸さず、そのホームレスの前で立ち止まった。


小さな声で「……ハ、ナ……?」


そのホームレスはゴミカゴをあさる手を止めた。


直子はもう一度呟いた「ハナちゃん……」


そのホームレスは声のする方に目をやった。 見たことのある女の子が目の前に立っていた。


「な、お、こ……?」


「やっぱりハナちゃんだ。 あんた、本当にホームレスになったの?  私はあの時、冗談だとばかり思ってた。 ハナちゃんの実家に連絡しても居場所わからないっていうし心配してたの。 こんな所でなにやってるのよ?」


直子の目から涙が溢れていた。


「見ての通り、ホームレスだけど……」言葉によどみがなかった。


「それは、見たら想像付くけどなんで?」


当然の質問である。


「私、言ってなかったっけ?」


直子は三年前のハナとの会話を思い出した。


「うっそでしょう、あれ、冗談じゃなかったの?」


「私は、ちゃんと考えて話したのよ」ハナは淡々と話した。


そこに直子の彼氏が近寄ってきた。


「どうしたの……? こいつ直子の知り合い?」


瞬間、直子は彼の言葉にムッとした。


「友達よ!」


「まさか、うっそでしょ。 なんでこんなのと?」


「こんなのって、どんなのよ! 私の親友で私が尊敬している友。 なんかもんくあるわけ」直子の語気は強かった。


「いや、なんでもないけど。 俺、先帰るからさ……じゃぁまた」


「もう、またはないから…… さようなら」


彼は直子に背を向けて片手を振りながら去っていった。


直子はハナの方を向いた。


「ハナちゃんごめんね! 悪く思わないで」


「そんなことより、彼、怒って行っちゃったよ」


「いいの。あんないい方してゴメンね。 あいつ最低!」


「いいのよ。私はそういう生き方をしてるんだから」


直子が涙を流して「私は許せないの。 こう見えて私は哲学課卒。 人間の尊厳を大切にしたいのよ。 他人をコイツ呼ばわりするような人間と一緒にいたくないの」


ハナは笑った。


「ありがとうね直子。 私は全然気にしてないから。 毎日、当たり前にいわれてることなのよ。 汚いからあっちに行けだとか、靴を舐めたら金やるとか。 それがホームレスの日常。 多くの人は、私達ホームレスを人間以下と思ってるの」


「ハナちゃんは平気なの?」


「平気だからやってるの。 毎日、生きてるっていう実感があるの、今の社会を角度を変えて下から見るのって案外面白いの。  同じ人間が朝と夕方では顔が違うの。 他人といる時はつんけんしてるけど、自分一人だと私達にも優しかったり。 それに私達の仲間に悟りを開いてる爺さんがいるのよ」


「悟り?」直子は目を丸くしていった。


「そう、悟りよ。さ、と、り!」


「悟りって本当にあるの?  仏教か何かの絵空事じゃあないの?」


「それが違うのよ、実はその人と話をしてからホームレスを決意したの」


ハナは空を見上げながらいった。


「どんな人なの?」直子は身を乗り出した。


「ひと言でいうなら本当の意味で自由の人」


「私から見たらハナちゃんも自由だけど」


「自由が違うのよ」


「どう違うの?」


「私達は自由といいながらどこか縛られてるのね。 身体だったり家庭や社会、最近は家庭や社会から縁遠いけど、そして自分に縛られてる」


「私から見たらハナちゃんは自由じゃない」


「違うの、その爺さんは次郎さんってみんなは呼んでるけど、どう表現したらいいか説明が難しいのとにかく自由なの。 でいて決して世捨て人ではなくすべてを楽しんでるって感じなの。 楽しんでホームレスをしているっていう感じなの、それが次郎爺さん」


「へぇ……で、どこに行けば会えるのよ? その次郎爺さんと」


直子も哲学の道を志した者として興味が湧いた。


ハナが小さな茂みを指さした。


「あそこに夕方の七時頃になると突然現われて、酒飲んでみんなと話しをするの。今日も天気がいいからきっと来るよ」


「七時か、まだ時間があるわね、その前に食事しない?」


「いいけどお金無いし、私をどこの店も入れてくれないよ」


「お金は心配ない。 それより風呂に入らない? 悪いけど、ハナちゃん臭いよ」


「私達、風呂入ったら風邪ひくもん、だから身体を拭くだけ。 これが、ホームレス家業なの解ってね」


花子の言葉には変な説得力があった。


二人はコンビニで弁当を買い公園のベンチで夕飯をとった。


「さっきから視線を感じるんだけど……」


「当たり前よ。 ホームレスと綺麗な年頃の女の子がツーショットなんてありえないから」


「でも、私はハナちゃんと会えたことが嬉しいから全然平気」


「直子もさすが哲学課ね変わってる」


昔話をしながら二人は次郎爺さんを待った。 観光客の姿も少なくなったころ次郎爺さんは現われた。


「次郎爺さん、こちら直子ちゃんです。 次郎爺さんの話しをしたら是非会ってみたいというので待ってました」


「私、大学の同級生の直子です。 いつもハナちゃんがお世話になってます」


「まあ、堅苦しい挨拶いいから。 僕は次郎です初めまして」


直子は焼酎と鶏の唐揚げをみんなに差入れた。


仲間の晃平どんが「あんたは良い人だっちゃ。 いつでも歓迎だっちゃ」


次郎爺さんが「我々みたいな者と係わってもいいのかい?」


「はい、私はかまいません」


「そうですかあなたも正直な人だ。 はっはっは」


花子が「今日の日に乾杯!」


全員「カンパイ!」


直子が「ところで次郎さんは、いつからこの生活をしてるんですか?」


「もう、五年程かな? カレンダー見てないから詳しくは解らん」


「そうだよな、俺たちにカレンダーと家族は必要ねえもんな。 酒は絶対必要だけんど……」


「まちがいねえ」みんな笑った。


直子が続けた「切っ掛けは何ですか?」


「切っ掛けがないとホームレスやってはいけませんか?」


「いえ、そんなことはありませんけど」


次郎爺さんが「じゃあ、こちらから聞くけど、直子さんはどうしてホームレスしないのですか?」


「私は、働くところがあって給料を頂いているから自活出来ますから」


「あなたは、自分を社会のルールに合わせて生きることが出来ます。 でも、ここにいる連中はそれがチョット不得手なんですね、そこまでして生きる意味が無いと思ってるんです。 もっと極端な話し、死が怖くない。 ある意味死を超越してるから何も怖くないんですけど。 怖い連中はここにいませんし、ホームレス出来ません。 この花ちゃんは別で、最初から死を超えてますけどね。 ホームレスの天才かもしれません」


「死を超える? どういう意味ですか?」


「人間の最大の問題は死だと思いませんか?」


「そういわれればそうかもしれません。 はい」


「人は生まれながらに死に逆らって生きてます。 死んでどうせ手放すお金に執着を持ち、地位や名誉を欲する人もおります。 でも、死んだら持って行けません。

どんなにお金があっても死には勝てません。 人間にとって最大の問題は死だと僕は思います。


一休禅師が『人間は、生まれたと同時に、

死ぬのに十分な値打ちがある』 と歌を詠んだそうです。


一休らしい表現です。 死を目の前にした人間は価値観が変わるんですよ。 僕達は価値観が普通の社会人と違うのかもしれませんね。 でも、良いこともあります。

僕達は、本当の意味で自分らしく生きることが出来る。 これは、誇れます。 あと、社会的に誇れるものは何もありません。


社会の汚物と処理されます。 でもどこか楽しいですね青空の下が。 三日やったら辞められませんね。 だって、自分らしく生きられるんですからね、たまにはこんな旨い酒も飲める!」


それから直子はみんなとしばらく酒を酌み交わし、いつしか、他人の目がまったく気にならなくなった自分が不思議に思えた。


別れ際、直子はハナに「又、来ていい?」


「駄目! ここは、自分なりの価値観があるうちは来たら駄目。 ここは、無価値の価値が解る人でないと馴染めないところなの。 普通の心境で来てはいけないところ。 今日は私がいたから穏やかなのよ。 私と話したい時にはサインを送ってね、私から直子に会いに行くから……今日はごちそうさま。 楽しかった」


そう言い残し花子は鉄道高架下の暗闇に吸い込まれるように姿を消した。


直子は心配している花子の両親に、このことを報告するかどうか考えた。 自分が花子の親に置き換えた場合、娘がホームレスであることを知らされない方がいいのか?


それとも遠くで見かけて話す余裕が無かったことにするか? どちらにしても、花子が生きてることだけでも両親に知らせたいと思った。


直子はその日に花子の親に電話をした。「


今日、東横線下北沢駅で反対側ホームに入ってきた電車があり、その窓側に花子を見かけ、お互いに手を振ったということにした。


とっても元気そうでした。そう報告した。 受話器の向こうで、花子の母親が涙声で話している姿が直子にはわかった。


直子は胸が締め付けられる思いでいた。



END





【ホームレスの哲学者 花子Ⅱ】


 直子が花子と山下公園で会ってから一年がすぎた。 今日の花子は朝から何か憂鬱な気分。 その様子を見ていた次郎爺さんが声を掛けた。


「花子ちゃん、何かあったんかい……?」


「いや、なにもないんですけど、何か情緒が安定しないんです……」


「不安かい?」


「解りません」


「じゃあ、解らないことが不安かい?」


「そうかも知れません」


「じゃあ、その不安をここに持ってきてごらん」


次郎爺さんが小鳥に餌を与えながら言った。


「……」花子は黙った。


「不安を出せたら持ってきなさい。 いつでもいいから」次郎爺さんはそう言い残して立ち去った。


花子は自問自答した。


「不安を出せ?


不安を出せ……


不安を出せ……


不安を出せ……?


不安……


安心……


不安……


不安……安心……」それから花子は自問自答の日々が続いた。


来る日も来る日も悩み続けた。 廻りの仲間は誰が言うともなく各々自分の粗食の中から少しずつ花子に食い扶持を分け与えた。


沈黙に入って二十日ほど過ぎた日の夜中だった。 遠くから若者の声に混じって悲鳴のような声と音が同時に響いた。 けたたましい音だった。 ホームレスの集落から声がした。


「うるせぇなぁ~なんだ?」


段ボールの小屋からホームレスが出て来た。


「お~い。どうした?」


「あの辺で悲鳴のような音がしなかったか?」


源さんが「俺、ちょっこら見てくるから、オメえらは変なことに巻き込まれたら面倒くせえから待ってろや」


そう言いながら源さんは遠回しに近寄った。 程なくして源さんが青い顔して戻ってきた。


「オイ、大変だ」


「源さんどうした?」


「次郎爺さんが……」


「何に? 聞こえねぇ。 ハッキリ言ってくれ……」


「次郎爺さんが血流して倒れてるぞ」


全員慌てて次郎爺さんの方に駆け寄った。 そこには頭から血を流しうずくまっている次郎爺さんがいた。


仲間が声を掛けた「次郎爺さん……」


なんの反応も無かった。


「おい、誰か警察呼べや」


ひとりが交番に走った。


それから、次郎爺さんは救急車で何処かに連れて行かれた。 警察官からホームレス仲間が聞き取り調査を受けた。


花子の番が来た。


「君の名前は?」


「花子……」


「生年月日は?」


「……」


「生年月日は?」刑事は聞き直した。


「……」


「じゃあ、質問を変えよう、君は音がした時、何をやってましたか?」


「……」


事情聴衆が先に終わった源さんが、花子の様子をみて言った。


「刑事さん、その娘は無理ダンベよ。 二十日程前から鬱に入っただ。 その娘は次郎さんの一番弟子だし、事件があった時はそこの段ボールから俺らと一緒に出て来ただ」


刑事はむかついた表情で言った。


「あなたには聞いていません。 私はこの子の口から聞きたいのです」


源さんは小さく呟いた「なんでぇ偉そうに……」


その刑事は花子の方に向きを変えた。


「君。次郎さんの弟子らしいけど、何の弟子なんだね? 僕に教えてくれるかなぁ」


「……」


「そっか、話し出来ないのかな?」


源さんがまた「そんなか細い子に何が出来るっていうんだ……たく」


刑事は源さんをにらみ付けた。


「署に同行願っても……」


そのとき花子が話し始めた。


「次郎爺さんはどういう状況ですか?」


「今、救急病院に搬送されたが、あの様子からすると今晩が山かも知れないな」


「不安……」花子は小さく呟いた。


刑事は「なに……? 今なんと?」


花子は蚊の鳴くような声で「……不安」


「不安がどうかしたのかな?」


「私、まだ不安を見つけてないんです」


「…………?」刑事は花子を凝視した。


「君、行っていい」


花子は解放された。


翌朝、昨日の刑事から次郎爺の死を知らせる一報が入った。 その後、数日間は警官の姿が頻繁に確認された。 死後一週間が経過した頃、あの刑事がひとりで現われ、源さんに次郎爺さん殺害の犯人が見つかったと報告があった。


犯人は未成年の男性三人組で、その三人がカップルへ恐喝を働いていたのを目撃した次郎さんが、止めに入り巻き込まれたとの報告であった。


報告を聞いたホームレス仲間が次郎さんを偲び、三十人程集まった。 みんなで持ち寄った酒を朝まで飲みかわした。 そんな集団の中に花子の姿もあった。 翌朝には何事もなかったかのように全員、普通の生活に戻っていた。 頭が真っ白になった花子は海を眺めていた。


視線の先で一羽の海鳥が魚を捕獲しようと海に飛び込む光景を見たその瞬間であった。


急に胸が熱くなり、生まれてから今現在の事までを走馬燈のように一瞬にして思い出した。 そして次の瞬間、花子の中の何かが熱く弾けた。 花子の中で森羅万象の仕組みが理解できた瞬間だった。


ただただひたすら泣いた。


泣き終わった花子が見上げた世界は今までと完璧に違う世界だった。


全ての景色が輝いていた


そして、差のないひとつの世界


木々も石ころも小鳥たちもみんな囁いていた


呼吸をしていた 生きていた 歌っていた そして輝いていた


そこにはなんの問題も存在しない


すべてが完璧


花子が壁を越えた瞬間


それから七日間、段ボール小屋に籠ったきり出てこなかった。


そして七日目の朝花外に顔を出した。


花子は立ち上がり心配かけた仲間のもとへ歩いていった。


ホームレス仲間のヒデさんが声を掛けてきた。


「花子ちゃんどうした? 目が輝いてるけどなんかいいことあったかい?」


「みなさん、おかげさまで花子は花子に帰りました。 此処ともさようならをします。 実家に帰りますお世話になりました」


源さんが「花子ちゃんになにがあっただね?」


「ハイ、次郎さんの云っていた不安の意味がわかりました。 今は、心配かけた両親に報告してこようと思います。 長い間お世話になりました。 ありがとうございました」


「いいけど、明日は次郎さんの弔いだいね。 ささやかだが法要しようかってみんなでいってたんだ。 出て行くのはそれからにしねえか?」


「はいわかりました。 でも、私は次郎さんにはもう挨拶は済ませましたから。 そして、次郎さんは自分から死を選んだみたいです。 だから、みんな悲しまないで下さいっていってます」


花子の淡々とした口調であった。



翌日、花子は実家のインターホンの前にいた。


「ピンポーン」


「はい!」


インターホンから流れてくる声は懐かしい母とし子の声だった。


花子はインターホンに近づいて「わ、た、し」


「……?花子なの?」


とし子は我が子の声に瞬時に反応した。


「そう……」


玄関ドアの鍵が外れる音と同時にドアが開いた。


「ただいま帰りました」


そこに立っていた我が子は、お世辞でも綺麗とは言い難い出で立ちで、目だけが異様に光っている我が子の姿。


とし子は目から大粒の涙が溢れていた。


「お帰り、花子……」あと涙声で言葉にならなかった。


「入っていい?」


「当たり前です」


花子は汚れてすり減ったスニーカーらしき物を脱いで上り框を跨いだ。 懐かしい我が家の匂いが瞬時に伝わった。


「お父さんは仕事?」


「だって今日は金曜日、平日よ」


花子には日曜日と平日の違いがなかった。


「お父さんにメールして早く帰るように伝えるね。 ところで何か食べたい料理はあるのかい?」


「お母さんの豚汁を食べたい……」


「解った、その前に風呂に入ろうかね。少し、汚れてるようだから」


花子にとって数年ぶりの入浴。 鏡に映った自分の姿はやせ細ったのら猫のように見えた。 風呂から上がった花子は、母が用意してくれた昔自分が着ていた懐かしい服に着替えた。 脱衣場から声がした。


「花子、この洋服は処分していいのかい」


そこには、ボロ雑巾より使い古した花子の服があった。


「はい」


父真二が急いで帰ってきた。


「花子、お帰り……」


真二も言葉に詰まった……


「お父さん、お帰りなさい。そして、ただいま帰りました」


花子には久しぶりの父の姿は老けて映った。


「おまえ痩せたな。調子の悪いところはないのか?」


「はい、健康です」


「そっか……よかった」真二はそこまで声を出すのが精一杯だった。


その後、三人は食卓を囲んだ。 数年ぶりの光景に両親は昔を心から懐かしんだ。

この日がもう一度来るとは……半分、諦めていた。 二人は花子が何処でなにをしていたかは一切口にしなかった、


というよりも聞くのが怖いからだ。


「お父さんお母さん、わたし解ったの」


とし子が「なにがわかったの?」


「全てが」


「全て?……つまりどういう事……?」


「全ての成り立ち、そして何処に行こうとしてるのかが。つまり覚醒したの」


父真二が言った「それはつまり、お釈迦様の悟りのようなものかい?」


「釈迦と違うけどそうともいえる」


母が「難しいこと、母さんには解らないけどお前が納得したならそれでいいのよ

ここにお前と食事できてることが母さんは一番の幸せなの」


母親らしい言葉。


「ところで帰ってきたんだろう? また旅に出るとか考えてるのかい?」真二が口を開いた。


母親の眼差しも真剣になった。


「うん、しばらく厄介になろうかなと思ってる」


二人に安堵の表情が見て取れた。 翌日、花子は幼なじみの直子の家に向かった。


玄関に直子の姿があった。


「ハナちゃん帰ったのね……お帰り」


「ただいま帰りました」


2人は部屋で話した。 直子がハナと横浜での出会いの場所をご両親に言えず、偽って報告したことなど。 花子も次郎爺さんが亡くなってから自分の変化のことなど話した。


別れ際、直子はが「これからどうするの?」


「風の吹くまま」そう言い残し花子は帰っていった。


花子が実家に戻り、十日が過ぎた。


花子は吉祥寺サンロード商店街を午後九時過ぎに歩いていた。


「お姉さん占いしませんか?」


年の頃なら六十前後の女性が花子に声を掛けてきた。


簡単な椅子とテーブルがあり、張り紙には「前世占い」と書いてあった。


花子が立ち止まって見ていると、その占い師が「お姉さんどう?」


「何がどうなんですか?」


「一問一答、三千円であなたの前世を見てあげますよ」


「見てどうするんですか?」


「はい、あなたの前世から引きずっているカルマを教えます」


「カルマを知ってどうするんですか?」


得意げに「今後のあなたの人生が好転いたします」


「そうですか……私は結構です」


花子は立ち去ろうとした。


「チョット待った。あなたは一人っ子ね」


「はい、そうですけど」


「悩み事とか無いの? 年頃のお嬢さんなら結婚問題とか一つや二つあるでしょ」


「私に悩みはないの。 あるのはあなたの方です」


怪訝な顔をして占い師は花子を凝視した。


「お嬢さん、それ私のことをいってるの?」


「こ他に誰かいいます?」


「私の何が解るっていうのよ」


占い師は先ほどまでの態度と少し変わっていた。


「あなたはその占いの職業のことで辞めようか続けようか悩んでるみたいですね」


占い師の顔色が変わった。


「なんで解るのよ?あなたも同業者なの?」チョット語気が威圧的だった。


花子は淡々と話した。


「あなたのガイドがあなたに、自分をきっちりと見つめてほしいといってます。

ガイドの伝言だけ伝えます」


言い伝えると、花子はその場を立ち去ろうとした。


「チョッ、チョット待って」


「あなた何者なの?」


「私は花子です。 只の女の子です」


花子の言葉には気高さがあった。


「なにやってる人なの?」


「何もやってません。 というか先月までは横浜でホームレスしてました」


「プッ! あなた、面白いお嬢さんね、もう少し私と話していかないこと?」


「いいですけど、商売の邪魔になるわよ」花子は気遣った。


「かまわないよ。 どうせ客が来るのは十時過ぎなの」


「私はかまいませんけど」


占い師は自分の相談事を花子に打ち明けた。


「ハナちゃんありがとう。私、スッキリこの商売から足を洗うことにした」


花子が悟後、初めて他人の相談に乗った日だった。


それからの花子は吉祥寺サンロードで、不定期だけど占い師から譲り受けた粗末な椅子とテーブルを置いて悩み事相談をしていた。


横浜のホームレス広場は撤去され、ホームレス仲間全員、何処かの空の下に散っていった。


不世出の哲学者、花子の物語。



END







「オネェの髭Ⅰ」


 あたいエバ、この世界では片乳(カタチチ)のエバちゃんで有名なの。 なんで片乳かって? あたいが夜の商売で働きかけの頃、大きな胸に憧れてたのね、それで思い切って豊胸の手術することにしたのよ。 でも、胸を工事する予算が足らなかったのね、だから医者に頼んでとりあえず片側の胸だけ手術したの。 あたいおバカでしょ! でもそれぐらい豊胸にあこがれていたのよね、当然、もう片方もすぐに豊胸する予定だったのよ。


今考えると馬鹿よねぇ笑っちゃうわよね。でもその時は真剣だったのよ。


すぐに胸を膨らませたかったの、で、とりあえず予算の都合で片乳だけ。 そしたら、片乳のエバっていうあだ名がついちゃったのね。 それ以降ずっと片乳のエバちゃんなの、笑っちゃうでしょ。


今は? 


今も片乳。 だって、片乳で定着したから今更変えられないでしょ。 お店を変えたら別だけど今のところその予定ないし。 ママもとってもよくしてくれるのね、だから今も片乳のエバなの。 エバ困っちゃう~。 てなもんよ。


オネェに目覚めたのが中学生の時。 だからオネェ歴十年。 初恋は、クラスメートの川田くんが格好いいと思ったのね、その時思ったわよ、僕ってもしかして○○○?


高校は当然男子高校。この世界のオネェは男子高校が多いのよ。 まっ当然よネ。 卒業後は順調に夜の世界まっしぐら。 今はオネェの髭っていう店で世話になってるの。 でもあたいはただのその辺にいるオカマやオネェじゃないの。


どの辺にいるのかって?


……… 面白いこというのね! フフ、おめぇ! 聞き方に気をつけろ! なめんなよおら!  あら……? ごめんなさいお客が来ちゃったみたい…… じゃっ、失礼しますあとで、顔かせよてめえ……!



「いらっしゃいませ~健太さんお久しぶり~。 元気してた~?」


「おう、片乳のエバちゃん元気だったかい」


「エバ、ぜんぜん元気……」


エバは、おしぼりを健太に渡した。


健太はエバの顔をジッと見て云った「 エバ、髭の剃り忘れ一本あるぞ」


「えっ! うっそ~。恥ずかしぃ~。美奈ちゃん鏡持ってる?」


同僚の美奈が「あるわよ」。


「チョット貸せや!」エバは急に男に戻る癖があった。


「どらっ!」エバは鏡を見た。


「やだ~本当だ……恥ずかし~」


「相変らずエバはにぎやかだなあ」


ボックスは笑いに包まれていた。


ある時、店に顔色の悪い中年の紳士がひとりで入ってきた。


「いらっしゃいませ~」


「ここに、片側のエバさんっていますか?」


「ハイ、おります。 少々お待ち下さい」


「片側のエバちゃんお客様で~す」


「な~に? その片側って……いい加減にしろよな」


店は盛り上がった。


「ハ~イ、エバで~す」


「あ、あの~僕」


エバはその男性の顔を視た瞬間「あっ! こちらにどうぞ」


「美奈ちゃんお願いしま~す」


客は店の奥に通された。 そこは畳二帖ほどの個室になっていて、小さめのテーブルと椅子が向かい合わせにあった。 そこは、店の雰囲気とまったく違う空間。 二人は向かい合わせに座った。


「いらっしゃい、エバと申します。 今日は寒いですね」


「あっ、ハイ、あのう~ 俺……」


「あっ、解りますからそれ以上は結構ですよ」


「なんだ? まだなんもいってねえけど……」


「お客さんのガイドさんから全部聞きましたから」


「ガイド……?」


「お客さんを守護している存在です。 私に、お客さんがここに来た理由を教えてくれましたから」


「なんで? 話せば長いのに……」


「時間は関係ありませんし、ガイドさんの方が正確に伝えてくれますから」


「続けますね。 ガイドさん曰く、お客さんは考え方がいつも否定的だから物事がその否定した方向に引きつけられていくんですって。 せっかくいいチャンスが来ても、否定する自分がそのチャンスをことごとく駄目にしたっていってます。 心当たりあります?」


男はしんみょうな顔になり、急に涙を流し始めた。


エバが続けた「はい、もう心配入りません。 お客さんは気付きましたね」


「片側のエバさんありがとうございます。 納得いきました」


「そうですか、よかったですね。 それと私は片側でなく片乳のエバですから。 か、た、ち、ち、ですから…… 以後お見知りおきを・」


「エバさんごめんな、こげな店初めてだから緊張しちまって」


「どうです? 私が席に着くので遊んでいきませんか? せっかくいらしたんですから」


「そうすっかな? 焼酎あるが?」


「ありますとも。 どうぞお店のほうに」


部屋から二人は出てきた。


「ママ、お客様を席にお通しして下さ~い」


出て来たお客を視て他の客が驚いた。 さっき店の奥に通って行った疲れ切った様子の客が別人のようだったから。 店の関係者はいつもの光景なので微笑んでいるだけ。 エバはその客を席に案内した。


「ママ、焼酎ボトルでお願いします」ボトルがセットされ二人はグラスを持った。


「改めまして片側のエバで~す。 乾杯!」


そう、エバはホステスともうひとつの顔があった。 チャネラーとしての顔だった。 本人はチャネラーという言葉が嫌いなのでガイドの通訳と表現した。 

相談者の背後にいるガイドと会話が出来るので、そのガイドからの言葉を相談者にわかりやすく伝えるというチャネラーの一面を合わせ持っていた。


店には相談目当てにくる客も多く、その場合の通訳料は三千円で店のチャージとは別に上乗せしていた。 その事によって店の常連さんも増え、店もエバに通訳専用の個室を用意するまでになっていた。


先ほどの中年男性が「今日は、うめぇ酒だったな~や。 こんな旨い酒久しぶりだ。 エバさんありがどな」


「いいえ、どういたしまして。 喜んでいただいてよかってです」


「うん、んだどもどうしで片乳なんだ?」


「いいの、今度きた時教えてあ、げ、る」


「そっか。また来いっでが。 おめっ、商売うめえな! がははは」


エバが真顔で「お客さん自分を変えようと思ったら二ヶ月間続けてね。 そしたら考え方も身体の細胞も生まれ変わるから。 必ず二ヶ月は間続けてね、自分のために家族のために」


街は一面冬景色と変わっていた。 今日もひとり頭に雪を頭に乗せたままで店のドアを開けた。


「いらっしゃいませ~~」


常連客の歯科医師マミコだった。


ママが「いらっしゃいマミコ先生」


「今晩は、エバちゃんいる?」


「今、便所よ。 くっさ~い匂い付けて戻ってくるわよ」


「マミコ先生いらっしゃいませ~」エバが手を拭きながら戻ってきた。


「今日はエバちゃんに話しがあって来たの」


「……じゃあ、奥へどうぞ」


二人は席に座った。


「マミコ先生どうしました?」


「実は私の甥なんだけど、この前木登りして遊んでいて落ちたらしいの。 その時は軽い打撲だったらしいのね。 でもその二日後から左手が動かなくなったみたいなの。 数件の病院に行ったけど外科的に異常はないって言われたらしいの。 どう思う?」


「その甥の顔を頭に思い描いてくれる?」


マミコは目を閉じた。 沈黙が続いた。


「はい、原因は腰から三番目の脊椎の歪みみたい。 整骨院に行って歪みを矯正して下さい」


「腰は打ってないみたいだけど、明日妹に報告してみるね。 ありがとうエバちゃん」


「は~ぃ」


かるい世間話を交わし二人はカウンターに戻った。


「エバちゃん、なんで腰だって思ったの?」


「思ったっていうか感じたのよねぇ。 そしたら、背骨が見えて下から三番目が赤く歪んでたの……それだけ。 私の場合理屈は解らないの、ただそう感じただけ毎度のことだけど」


「面白い能力だよね。 何でもみえちゃうの?」


「どっかにスイッチがあるの、だからスイッチをONにしないと何にも視えない。 解らないこともいっぱいあるわよ」


「じゃあ、テレビに出てる霊能者と呼ばれる人は、みんなスイッチを持ってるの?」


「たぶん、ほかの人はわからないけど」


「でも、ネットで見たけど、スイッチが入ったままの人もいたわ。 その人は言ってることが、あちらの世界から話してるみたいだった。 たぶん悟りを開いた人ね、私達と言葉のでどこが違うわよ」


「エバちゃん、そんなことまでわかるの?」


「わかるというか、感じるのよね」


「じゃあ。どこで感じるの?」


「片チチで……。 やだ~なにいわせるの~」


数日後マミコ先生から店に電話があった。


「ママ、私マミコ。 エバちゃんに変わってくれますか」


「はい、エバで~す」


「この前話してた甥なんだけど、整骨院に行ったらやっぱり脊椎が歪んでたらしいの、だから矯正してもらったらなんとその日から手が普通に動く様になったの。 エバちゃんありがとうね。 近々お店に行くから」


「良かったわね~。 報告ありがとう。 お礼はいいから今度店に来る時、いい男連れてきてちょうだいお願いね!」


「は~い! わかった。 またね」


「マミコ先生なんだって?」


「甥っこさん、整骨院で矯正したら手がよくなったって」


「良かったわね」


「あら、誰か来た! いらっしゃいませ。 三上さんお久しぶり~」


「ママ、元気だったかい?」


「ハイ、元気です。 元気過ぎて髭もどんどん生えてきてます~」


「片チチにはなしあるんだけど」


「いやだ~三上さん。 私はエバです。 ちゃんと覚えておけよてめぇ!」


「はは、相変らず絶好調だなエバは?」


ボトルをカウンターに出しながら「おめえもな」


「ガ、ハハハ~」


三人で乾杯し、飲んでいると急に三上が神妙な顔付になった。


「俺、会社閉じようと思ってんだ」


ママが心配そうに「どうしたの? 長年頑張ってやってきたじゃない」


「最近仕事がめっきり暇になったんだ。 特に冬場はな」


三上の会社は造園屋。


「エバどう思う?」


「待ってね、スイッチ入れるから……」


「三上さんのガイドと通訳するよ」


「おう」


「三上さんが数年前から冬場の仕事に対しての意識が変わったって。 以前は造園の仕事に夏冬関係なく取り組んできたが、近年は自分から冬場は仕事が来ないって決めつけてるっていうのね。 だから、仕事が来なくなったんだっていってるよ」


三上が「エバちゃん、今の少しかいつまんで説明してくれるかなぁ」


「冬場仕事がなくなったんじゃあなく。 三上さんが意識的に冬場の仕事を来なくしてるっていうことみたい」


「その辺が、わかんねえけど……?」


「自分の思いが形になるのよ。 三上さんは冬場仕事がないと思い込んでるから、本当に仕事が来ないの。 思う通りになってるじゃない」


「じゃっ、なにかい。俺が冬場も仕事は当たり前に来ると思い込んだら、冬場も仕事が来るってぇことかい?」


「そういうことだと思うけど…… 思いは形になるっていうから。 きっとそうよ。  ガイドさんは間違わないよ」


「へぇ、そんなもんかね……」


「そっか、明日から仕事の練り直しだな」


「はいよ!」


「エバ、ありがとう。胸の支えが落ちたような気がした。 そういえばエバも片胸の支えが落ちてるぞと」


エバは眉間にしわを寄せて「うっせえ!おめ」 


三上は嬉しそうに笑った。


エバは真顔で「ふふ、 三上さん。大丈夫よ」


数ヶ月後、突然三上がお土産を沢山抱え上機嫌で店にやってきた。



 ある日の開店まもなく、女子高校生風の二人が来店した。


「ごめん下さい……」


「ハイ、いらっしゃいませ?」


ママが入口を見た。


髪の長い娘が「あの~~う。 すみません」


「お姉さん達ここは未成年者の入店は断ってるのよ……」


「……」


なにかを察したママは優しく「なにか用事ですか?」


「こちらにエバさんという方がいるって……?」


「エバちゃんはいるけど、あなた達この店どういうところか知ってるの?」


「オカマバーでしょ」


「まっ、ハッキリ言うのね。 まっ、そういわれればそうだけど。で、エバちゃんに相談事なの?」


「あ、ハイ!」


「そっかぁ、じゃあ地下鉄駅の前にハンバーガー屋あるでしょ。 そこに行って待ってなさいよ。 エバちゃんに行ってもらうから三十分ほどかかるけどね。 それと、おかしな男達が声掛けてくるから相手にしちゃ駄目よ。 あいつら性悪だから相手したら怖いよ。

じゃあ行って待ってなさいね」


「ハ~イ!」


ハンバーガーショップにエバが来た。


「私、エバだけど…… あんた達なの? 私に用事があるって娘」


「ハイ、私が奥山でこっちが小山内です。 初めまして」


「ハイ、初めましてエバです。 緊張しなくていいのよ、私は人間だからね。 妖怪じゃあありませんから。 で、ご用件は?」


髪の短い小山内が口を開いた「先日、木から落ちて手が動かなくなった中学生を、エバさんが霊視して動くようにしたって聞いたんです。 本当ですか?」


「そういうこと確かにあったわよ。 でも、動くようにしたのは整体師さん。 私は整骨院に行くように助言しただけ、で、それがどうかしたの?」


「私の母が半年前に脳梗塞を患って、右半分が麻痺してるの。それで、エバさんの意見が聞きたいのですが…」小山内は涙目になっていた。


「そういうことか…… それでわざわざ店に来たのね。あんなところだから、入るのに勇気必要だったでしょ」


「ハイ……」


「最初にいっておくけど絶対に期待はしないでね。 どういう結果になってもこればっかりは私の自由にならないことなの」


「はい」


「……」


しばらく沈黙が続いた。


「あのね、今よりかなり改善され手足はよくなるみたい。 但し三年様子みるようにって。 徐々にそして急激に回復しますって」


小山内の目から涙が落ちてきた。


「死んだ脳の代わりを違う脳がするんだって、なんでも出来ないって諦めないで肯定して考えなさいって。 それが回復を早くさせるって。 お母さん主婦なの?」


「はい」


「家事を普通にどんどんさせなさいって。 家事は普段からやってることだから肯定的な意識が強いの、一番のリハビリーだって。 あなたわかるかしら?」


「はい、解りました。 わざわざありがとうございました」


「いいえ、どういたしまして。 お母さんを助けてね、でも甘やかしたら駄目よ。 それがお母さんのため。 じゃあ私お店だからこのへんでね。 あんた達、もう少し大きくなったらお店に遊びに来てね約束よ! 楽しみに待ってるから気をつけてお帰り。 じゃあね、さようなら!」


「ママただいま」


「どうだった?」


「やっぱ、あの年代は純粋ね、私の昔を思い出すわ」


「あんたは男の尻ばっか追っかけてたんじゃないの」


「それ正解!」


「今日は忙しくなるわよ」



常連の弥生が店に来た。


「いらっしゃいませ」


弥生はエバのライバルというか天敵だった。


美奈が「弥生さん久しぶりね元気だった?」


「そうでもないのよ。バーボン、ボトルでお願い、氷の頂戴ロックでいく」


美奈が心配そうに「どうしたの? お店で何かあったの?」


「……」


美奈は気を利かせて「エバちゃん、私買い物行ってくるからここいいかしら。 お願いできる……」


エバは渋々やってきた。 


弥生の目を見て「弥生どうした元気なさそうね。 なにかあったのかい?」


「生きてりゃあそういう事もあるよ……」


「あっ、そう…… どうも失礼こきましたね!」


二人のあいだに沈黙が続いた。


そのうち弥生のコップを持つ手の震えをエバは察した。


「あんた、ちょっとこっちに来ない?」


二人は個室に入った。


エバが「なにあったのさ? いってみなさいよ」


「だれが、あんたなんかに……」


「あっ、そう」


エバは続けた「じゃあ、なにしに店に来たの?」


「飲みに来ちゃあ駄目なの?」


「勝手にしな」


「私もエバみたいに脳天気に生きてみたいわよ」


「脳天気で悪かったね」


突然、弥生のガイドの意識がエバに伝わった。


語気を強め「弥生、あんたなにあったのよ?」


「なによ……」


「ちゃんと話しなさいな……」


弥生は下を向いた「……」


「わたし、お付き合いしてた男が交通事故で死んだの」


「それで?」


「もう、いい」


「よくない…… いいなさいよ」


「……」


「じゃあ、私がい言おうか、あんたその男性のあとを追おうと思ってるでしょ。 それで今日はお別れに寄ったってことね」


「……」


「彼は絶対に死ぬな! って言ってるけど、あんたはこっちの世界でやり残してることたくさんあるから、もう少しこっちで生きて欲しいって。 時期が来たら迎えに来るからって。これ彼からの伝言……」


「何で先に逝ったのよ」弥生が呟いた。


「こっちの世界でやることは終わったって。人間としての役目が終わったらもと居た世界に帰るのよ。 弥生、解った? 彼、あんたのこと心配してるよ」


弥生の目から大粒の涙が止めどなく流れ落ちた。


もう大丈夫。エバは思った。


「私、戻るからメイク直してからおいで。 今、そんな顔で出て来たら店中大変な騒ぎになるから。 今日はその彼の弔いよ一緒に飲もう。 あんたのおごりで、待ってるから」


弥生はエバに深々と頭を下げた。 しばらくして弥生は出て来た「美奈ちゃん、エバにグラスやってちょうだい」


まだ涙目の弥生は「エバ、今日はありがとうね」


「なにが? 聞こえないけど……」


「エバ、今日はありがとうね」


「やっぱ、聞こえな~い」聞こえないふりをした。


「うるせぇ、てめぇ。耳腐ってんじゃねえのか片乳……」


「弥生、それでいいのよ」小声でエバは微笑んだ。


そして「聞こえねえもんは、聞こえねんだよ~」


「なんだって! 片乳のくせに生意気言うじゃねえ。この半分オカマ野郎が」


「半分オカマ野郎だってか? 親にもいわれたことねえ事をてめえは……」


「なによ、私の酒ただ飲みしてるくせに」


ママも美奈も、いつものエバと弥生に戻ったのを見てホッとしていた。 美奈が帰る頃にはすっかり酔っていた。


店を出る時に「エバ、ありがとうね」と呟きながら出て行った。



 桜の咲く季節だった。店は花見帰りの客で朝方まで混んでいた。この店は遅い時間になってからが忙しい店で、エバが帰宅したのは朝の五時過ぎた頃。


「あ~~もう駄目、今日は寝る!」そういいながら布団に入った。


眠りに入ってすぐ意識が遠のいて、気が付くとそこは薄暗い見たことのない街を歩いていた。 獣のような異臭のする空気感。 ここはどこ? 遠くで、なにやら複数の人影があり口論してるような異様な雰囲気がした。 次の瞬間その人影の中にエバも立っていた。

目を凝らして見てみると、なんとエバが数人相手に口論していた。


「あんたが悪いのよ、謝るのはあんたでしょうが」エバの声だった。


「なんだとコラ! オカマのくせに偉そうに」


「オカマのどこが悪いのよ!」見ていたエバが声を掛けてしまった。


次の瞬間人影がざわつきだした。


「なんだ? 同じオカマが二人いるぞ、オイ」


「何ジロジロ見てるのよ。 見せ物じゃないのよ。 とっとと帰んな」


エバと喧嘩していた相手は「なんだ? こいつら気持ち悪い」その相手は何処かに消えてしまった。 残ったのは二人のエバだった。


この世界に来たエバが口を開いた「ここは何処? あんたは誰?」


「私はエバ、ここはここよ。 日本でしょ新宿」


「なにいってんのよエバは私。 昭和六十二年二月五日生れ。あんたは?」


「同じだ……? どういう事?」


眠りについたエバはパラレル・ワールドに紛れ込みもうひとりのエバと対面したのだった。


「紛らわしいからこっちの暗い世界のあなたが、エバAで、明るい世界から来た私がエバBでどう?」


「好いけど、こっちの世界は暗いって?」


「暗いし臭いし湿度も高いわよ」


「じゃあ、Bの世界はどうなのよ?」


「ここよりはずっと明るいし空気も透き通ってるけど……」


「こっちがそんなに暗いの? じゃあBの世界は天国なの?」


「天国じゃあないけどここよりはマシかもしれないね」


「なんでこっちに来たの?」


「解らないの。 仕事から帰って寝た瞬間にここに来たの」


「仕事はホステス?」


「そう、それは一緒ね」


「何ていう店なの?」Aが聞いた。


「オネェの髭っていう店なの」


「同じね」


Bが「Aのお店に行ってみたい」


「じゃあ私が先行ってるから後からあんたが来てよ。 ママと美奈も驚かそうか」


店の場所もビルも同じだったがBの知る世界とは雰囲気が違った。


「今晩は。おじゃましま~~す。」


「どうぞ」ママの声だった。


Bが店に入ったと同時にドアが閉められ鍵をかける音がした。


「ママ、こいつよ!」Aが指さした。


「な、なに? どうしたの……?」


ママが「ほんとエバにソックリ。 あんたどういうつもり? なにが目的なの金かい?」


ママの顔は鬼の形相。 やっぱり、こっちの世界は全然違う。


美奈が「何もしないから酒でも飲んでいったら? 勘定少し高いけど。 痛い思いしたくないなら安いもんよ。 下手な小細工しやがって」


エバは思った。 私の知る美奈はこんな言い方をする娘じゃあないし、この世界はなんなの? 魔界なの? それとも地獄? 神様助けて……


次の瞬間いつもの部屋に戻っていた。


……怖かった~ なんなのよ今のは?


あの鬼のような三人の顔、一人は自分だけど自分があんな世界にいるなんて最低。 それから数日が過ぎ、また意識が遠のいた。 今度の世界は明るくてワクワク感を感じる所だった。 空気は見たことのないくらいすっきりと済んでいた。 前回行ったあの世界とは雲泥の差。 次の瞬間、集落のような所にエバは立っていた。 人々の顔はみんな明るく笑顔で何よりも透明感があった。 顔を視た瞬間その人の意識が鮮明に伝ってくる。 この世界に言葉は要らないと思った。


胸になにかの意識が響いた「この世界に言葉は無い。 思った瞬間に意識が伝わる。 本来のありかた。 本当の世界」


エバはこの世界の意識を感じただけで幸福感を得た。 今、私に語りかけた意識は?


「私よ、あなた」


エバは咄嗟に思った。 やっぱりオネエなの?


瞬間「あなた達のような意味合いの身体はない。 雌雄は人間界だけ。 ここは雌雄がない。 あるのは意識だけ」


次の瞬間、別の所に立っていた。


意識が入ってきた「空」


エバは上を見た「あれ? 明るいのに太陽がない?」


意識が入ってきた「セントラル・サン。 個人個人の中央に太陽」


動物も草木、石にも意識があり、全てが調和されているという実感があった。


「ここはきっと天国だわ」と思った瞬間。


「実存世界」と伝わってきた。


「私も死んだら此処に住みたい」と思った。


瞬間エバはいつもの部屋に戻った。


しばらく放心状態が続き何もしたくなかった「あんな世界なら死んでもいいかな……」


エバの体験を店の二人に話した。


ママが「エバちゃん、不思議な体験したのね」


エバが「天国なら何回行っても良いわね。 最高。 ところで美奈ちゃん、あんた別世界でこの私を恫喝いや恐喝したのよ。 とっても怖かったんだからねぇ、ほんとうにびびったんだから。 どう責任取るのよ……」


「エバさんごめんなさい。 今度いいヒゲ剃り貸してあげま~す」


「くれるんじゃなくて貸すんかい。 貸すならいらないわよ……ケチ」


三人は笑って話しをしていた。いつもの生活が始まった。


その後、エバは新しくオープンした「オネエの髭 池袋店」の雇われママとして働いた。


店の奥にはエバの部屋が用意されていた。


END



 

「ミナト電機Ⅰ(体外離脱装置)」


「ごめん下さい…ごめん下さい……?」


何の応答もない。 ルスなのかなぁ……?


「ごめん下さい……ごめん下さい」


遠くから微かに男の声がした。


「ハイ、今、行きます 」


薄暗い奥の方から人影が近寄ってきた。


「ハイ! お待たせいたしました」


「あのう、こちらで特殊な機械を作ってると聞いてきたんですけど」


「特殊な機械? 手前どもは只の電機部品の工場ですけどなにかのお間違いでは?」


「ミナト電機さんですよね」


「そうです。 ミナト電機ですけど」


「私は川添さんから聞いてきました」


「川添さん? どちらの川添さんですか?」


「ハピネス電気の川添さんです」


「あっ、そうですかそれは失礼しました。 どうぞこちらへ」


ハピネス電気の川添、これがこの店の裏店舗へ通るための合い言葉。 ここは東京都荒川区町屋にあるとある小さな電気工場。 表向きは普通の電機部品を製作する町工場。 だが、それはあくまで表向きの顔。


川添は裏店舗に通された。 その裏店舗はSF映画に出てくる様な未来的なオフィス。

壁の一部に巨大なスクリーンが配置され、その辺の電気屋ではお目にかかれないハイテクな装置がところせましと配置されていた。


「初めまして、私は店主のミナトです。 ようこそ。 で、ご用件は?」


「ハイ、申し遅れました。 私はパナソニー電機の山田と申します」


世界のパナソニーだった。


「パナソニーさんがなにか?」


「私どもが長年開発してきた商品がありまして、実は情けない話し最後の決め手がどうしても開発できないでおります。 そこで、ミナトさんのご意見をお聞きしたくおじゃまいたしました」


「そうですか、私ははただの電気屋ですけどそんな大事なお話を聞いてもよろしいので?」


山田は持参した大きなバッグの中からヘッドホンとパソコンを取りだし、それを起動させCDをセットしてジャックにヘッドホン端子を差し込んだ。


「これは、体外離脱の誘発装置です」


「はっ……?」ミナトは耳を疑った。


山田が「θ波の六ヘルツと八ヘルツの信号を同時に左右の耳から聞かせるんです。 すると脳に反応し意識体だけが肉体を出てしまうんです」


「そういうの聞いたことあります。 でも、それは研究してる機関が実際にあって既に現存するはずでは?」


「でもあれは、個人差があり、大方の人は出来てないんですな、それが実情です。 発想は間違いないのですが技術的な壁があるんです」


「はあ、それで?」


「我が社は誰でも簡単に体外離脱が出来るよう、この装置の完成度をあげたいのです」


「あげてどうなるのですか?」


「そこから先は企業秘密ということで……」


「簡単な説明で結構です。 先が見えないと開発に対して私の取り組み方が違います。 これは大きな違いなんです」


「解りました。 実はこの装置は医療の分野に使うんです。 病気の治療もさることながら、目的は予防と意識の変革です。 それには潜在意識に働きかける事が重要と考えております。 で、体外離脱してる時が一番効果的なんですよ。 このプロジェクトは大手医療機器の会社と某大学それと我が社が係わっております。開発に長年要しました。

ですがまだ三十パーセントの成功率なんです。 目標は八十パーセント以上です。 欲をいうなら九十パーセントを希望しております。 誰にでも効果あるというものにしたいのです」


ミナトは腕組みをしながら「う~ん。 医療の分野は私どもより医療機器メーカーさんのほうがパイオニアでは?」


「いえ、最終課題はメカにあることがわかってるんです。 もし、開発にご参加いただけるのでしたら詳しくご説明させて頂きますが」


「山田さん。 ここまで聞いたら私も背を向けること出来ません。 職人魂が黙っておりません。 まして世のためになることでしたらなおさらです」


ミナトの技術屋魂に火がついた。


「ミナトさんありがとうございます。 足らない物や必要機材、金銭面は全て私どもが調達いたします。 何なりと私にいってください」



 詳細を聞いたミナトは工場に籠り研究に没頭した。 月日は流れ幾度も幾度も失敗の連続だった。


「あ~ちくしょうっ! こんだけ成果が上がらんと辞めたくなってくる。 もう辞めようか……!」


大の字になり和室の天井をぼうと眺めた。その刹那。 ミナトの目に入ったのは、杉天井の木目。 普段見慣れているその木目がやけに気になった。 不規則な木目がある方向に向かって流れている…… の木目を人間の意識と考えたのだった。


「うまてよ? もしかして……」


ミナトの中で何かが弾け、そして閃いた。 もしかしてこの方向性か……? 木目は木の中心から外側に向かっている。 脳の中心は? 芯で、芯は神で心…… もしかして心にパルスを向けたら! ミナトは方向を変えた。 脳に向けてた信号を脳から胸に聞かせる事を考えた。 機械に繋げたヘッドホンを外しジャックを改良して心電図を計測するリード線に接続した。


実験を開始した。約、三分が過ぎた頃だった。 頭頂部が痺れた様な感覚を覚えた。 次の瞬間、もうひとりの自分が実験室の上空にいた。 下に寝ている自分の意識も感じられた。 意識の割合は8八割ほどが上空にあった。 つぎの瞬間、空を過ぎ宇宙に漂う自分があった。 青く丸い地球が眼下に見えた。


「出た~!」初めての体験だった。


その後、妻の直美にリード線の装着をお願いした。 直美にはなにもいわずに装置を付けたのだった。 固定観念を作らせたくなかったからだ。 装置を装着して五分後だった。急に視界が変り、明るくて広い空間に直美はいた。 何処までも続く花畑が印象的だった。直美も成功だった。



ミナトは山田に「山田さん、聞いてください。 今までと違う方式に変えたら、僕と妻が体外離脱したんです。 至急治験者を数名そろえてもらえますか……」


山田はその日、出張先の札幌から急遽ミナト電機に直行した。 工場に入るやいなや「ミナトさん。 まず、私をお願いします」


山田が装着した。 視界に入ったのはどこかの田舎村の様な所。 たくさんの人がそこで生活している。 みんな笑顔でワクワクした感じが伝わってきた。 そして身体に戻った。


「ミナト社長さん僕にも視えました。 ついにやりましたね」


二人は抱き合った。 山田に事の経緯を報告した。


「とりあえず関係者十名、今日ここに向かってます。 治験者としてお願いします」


二人は今後の取り組みの事を話した。


「あとの事はパナソニーさんでやって下さい。 装置を造るのはお宅さんの仕事です。 私の仕事は開発でここまでです」


長年の研究成果が出たことは嬉しくもあり、同時に自分の手から離れる寂しさに空虚感をおぼえた。 その日、治験者十名、みな体外離脱を経験した。 


その後、数ヶ月が経ちミナトにパナソニーから一報があった。 


「この商品は世に出る事はない」と知らされた。


人間社会では病気は必要不可欠なもの。 このような装置が人間社会に存在してはならない。 死は社会にとって必要ななこと。 という事で全ての証拠はこの世から抹消された。

当然ミナト電機も、この研究に関して堅く封印された。 もし他言もしくは類似品が世に出た場合、国家反逆罪に処すというおまけ付き。 山田はパナソニー電気を解雇された。 


世話になったミナト電機に挨拶に来た。


「ミナト社長さんには本当に世話になり、そして多大なるご迷惑を掛けました。 折角の大発明を国はこの世から抹消したんです。 じつに情け無い話しです。 ミナト社長、本当にすみませんでした……」深々と頭を下げた。


「山田さん、どうぞ頭を上げて下さい。 あなたには問題ありませんよ。 日本が、いやこの世の中がまだ遅れてるんです」


「そう、おっしゃってもらえるとありがたい」


「そんなことより、山田さんあなた金属工場を立ちあげませんか?」


「……? 金属工場ですか? 考えたことありませんが、なんでまた?」


ミナトは満面の笑みを浮かべ「私は例の装置で違う地球を視てきたんです。 そこには今のこの社会にない透明の金属が存在してたんですよ。 どうです透明の金属! 面白いと思いません? 制作者は別世界の私と山田さんあなただったんですよ 。 その設計図を覚えて書き写した図面がここにあるんですよどうです?」


山田とミナトは顔を見合わせ微笑んだ。


END





「ミナト電機Ⅱ(メモリービジョン)」


 ミナト社長は研究室に十日間籠っていた。 開発中の装置は九十パーセント完成していたが最後の詰めが思うようにならず、ここ数日間ミナトは自分に苛立っていた。 開発中の装置とは特殊ヘッドホン。 以前パナソニー電機から委託された体外離脱装置の作成後、ミナトは人間の脳や潜在意識に興味が湧き、以降そっちの分野での研究開発が主流になりつつあった。


考えた商品は就寝簡単暗記装置というものである。 潜在意識に働きかける英会話学習装置は既に市販されているが、その商品には難点があった。 それは個人差もあるし、なにしろ成果が出るまでに数ヶ月、人によっては数年という時間が必要だった。


ミナトの商品がデジタルならそれらはアナログに近い商品だった。 ミナトの商品は英会話能力なら三日間で習得出来、飲み込みの遅い人間でも、一週間で習得が出来るという優れ物。 その成果は、洋画なら字幕無しで理解できた。 ニュースなどの専門用語でも二週間あればほぼ完璧に聞き取れた。 他社との違いは歴然であった。


ミナト社長曰く「潜在意識に働きかける脳の部位がコツ」とのこと。


商品の特許使用はパナソニー電機以外は認めていた。 早い話がパナソニー電機は特許の使用を除外された。 他にも、波動チューニング装置なる商品も、医療の分野で高評価を得ていた。 その装置とは、潜在意識にある悪い気の流れを、装置から発生する正常な周波数と同調させ、身体に流すことで病気を癒そうという装置。 今、手がけている装置は、それらの医療や記憶の装置と違い、万人受けする手軽な商品をミナト社長は考えた。



題して[潜在意識のビジョン再生装置]という仮名があった。 解りやすくいうと、思いでに残る曲を聴くとシンクロした脳の一部が、当時のその場面をリアルに映像で再現できるという商品。 つまり、仰げばとうとしや蛍の光を聞くと同時に、思い出に残る自分の卒業式の映像が瞼に蘇る。 だがこれは誰もが普通に経験してること。 ミナトが開発してるのはもっとリアルに、その時の風景やまわりの情景がリアルに映像で視えるという装置。


今の段階では映像が白黒になってしまうのでもうひと工夫必要であった。 夢にもカラーと白黒があるように、ほんのちょっとした細工が必要とミナトは考えた。


関連ある歌がシンクロし脳内の視野領域の映像を通して、リアルに再現できる商品で、これが開発されたら、他界した人との想い出の曲を通してリアルなビジョンで、時、場所、関係なく再現、亡くなった家族や親友と再会出来るという商品であった。


ミナトは今日も朝から研究室に入ったままだった。 店に、山田が来店した。 山田は透明金属の発明で会社を興し、今では世界的に注目を集める企業になっていた。 因みに、株の半分は共同開発者のミナトが所有していた。


「ごめん下さい」


奥から、やつれた顔をしたミナト社長が出て来た。


「おっ、山田くん久しぶりだね。 元気にしてた?」


「先月会ったばかりじゃないですか。 それより社長は凄くやつれている様ですけど、

また、何か開発中ですね?」


少しにやけた目で「やっぱりわかる……?」


「社長の目をみればわかりますよ…… で、今度は何ですか?」


「ちょうどよかった、手伝ってくれんかね?」ミナトは笑みを浮かべた。


「また、被験者ですね?」


「わかる?」


「いつものことですから」


二人は秘密部屋に行った。 山田をリクライニングシートに座らせた。


「このヘッドホンを付けて、目を閉じて楽にしてくれないかね、次に君の想い出に残る音楽はなにかあるかね? 例えば卒業式なら仰げばとおとしとか、自分の結婚式の入場の音楽とか…… 音楽と情景がシンクロした想い出なにかないかね?」


「じゃあ、ツェッペリンの天国への階段でお願いします」


「ツェッペリンの天国への階段か……ユーチューブでダウンロードするか」


ミナトはPCを操作して音楽を取り込んだ。


「便利になったね、昔ならレコード店走ってたところだよ」


「本当に凄い進歩ですよね」山田が頷いた。


準備が整いミナトはスイッチを入れた。 それから数分が過ぎ、山田の目から涙が流れてきた。 そしてヘッドホンを外した。


「社長、凄いです! これはほんとうに凄いですよ!」


「下手な説明より経験した方が解りやすいと思って、いきなり試したがどうだった? 山田くんはこの曲にどんな想い出があったのかな?」


「ツェッペリンの天国への階段は、僕の幼なじみが好きな曲です。 実は、そいつは車の事故で他界してしまったんです。 僕の家に遊びに来てはこの曲が好きでいつもレコードをかけて聞いていたんですよ。 その事故以来僕の中でこの曲は封印したままなんです。

想い出が多すぎて、葬儀の時もこの曲で弔いました。 今、まるでその場に彼がいるようでした。 テレビを見ているようで、いやそれよりもリアルでした。 さすがミナト社長です。 感激しました……」山田は目を赤くしながら語った。


ミナトは「これでも、未完成なんだよ……」


「えっ、なにがです? どこが……?」


「なんどやっても白黒なんだよ。 加減がわからん……」


「えっ、……? でも、僕はカラーでしたよ」


「なに? えっ、カラー? うそっ……?」


「ちゃんとカラーでしたけど!」


「僕は何度やっても白黒なんだ」


「えっ、白黒ですか?」


「妻も白黒なんだ」


二人はこの装置で視るビジョンはいつも白黒だった。 夢と何か関係あるのかもしれんな?


「良いじゃないですか、このまま製品化したら。 人によっても違うのも面白いと思いますが」


「うん、それもそうだ、さすが山田くんいいこと いうねわかった。とりあえずこれでいくことにするよ! 君に聞いてよかった……」


こうして、潜在意識のビジョン再生装置は生まれた。


装置は「メモリービジョン」と命名され例によって、パナソニー電機以外の家電、音響メーカーで生産され瞬く間に世界中で販売された。 この商品はパナソニー電機が昔、開発したウォーク音機を越える商品となった。 各メーカーには反響の手紙が殺到した。


故人との想い出がリアルに再現できることや、忘れ去っていた想い出が甦ったと、各製造メーカーや販売会社に感謝の手紙が数万通に及んだ。 製造やそれに携わる職業への影響は計り知れなかったが、そんな中でミナト社長が気になる手紙があった。


前略

メモリービジョン開発スタッフ様 

私は、還暦を迎えたばかりの早坂寿史と申します。 この商品の開発スタッフ様には大変感謝いたします。 と同時に私の話もお聞き下さい。 私ども夫婦には結婚後遅くに授かった女の子がひとりおりました。 そんな娘も年頃となり人並みに結婚の時期がやってまいりました。


なんと申しましょうか、今、流行の出来ちゃった婚というやつです。 出産を前に結婚式を挙げようと順調に話しが進み、婚礼とその後の出産をみんなが待ちわびておりました。

挙式3日前のことです。 娘と彼が式の最終打合せで挙式場に向かう途中事件に遭遇したのです。 会場直前の交差点で覚醒剤で常軌を逸した車が、歩道に乗り上げ娘を跳ねたのです。 娘は重体となりました。 お腹の6ヶ月の赤ちゃんも心音が途絶えてしまいました。 娘も二日間危篤で、ついに目覚めぬまま他界してしまいました。


その頃、娘が好きでしつこいくらい聞いていた歌が荒井由美さんの「春よ来い」でした。

演歌しか聞かない私も、この歌は空で歌えるぐらい聞きました。 いつも家ではこの歌が聞こえておりました。 この歌は、その位私ども家族にとっての想い出の曲だったんです。


そして月日が過ぎ、この度、妻がメモリービジョンを購入したのです。 亡き娘との思いでをかみしめるためです。 最初は、私も妻も何度も聞いてその都度涙しました。


そのうち妻は家事もそっちのけで四六時中聞くことになったのです。 まるで薬物中毒の患者のように、我を忘れて思い出に入り込んだのです。 私が装置を隠そうものなら妻は半狂乱。 いつも穏やかな妻からは想像もつきません。 悲しい記憶や思い出したくない記憶は忘れること…… 神が人間に与えてくれたものとわたしは思うようになりました。


どんなによい想い出も、悪い想い出も、薄れるぐらいがちょうどいいような気がしました。

これはあくまでも私個人の感想です。 でも、ビジョンであっても娘にリアルに会えたことはよかったと感謝しております。


早坂寿史


その後、各社には似たような手紙が届くようになりミナト社長の呼びかけで、各社の販売を徐々に自粛するようになった。 逆に、医療の分野では認知症患者にいい効果があると、積極的に使用する病院も増えてきた。


その頃にはミナト社長は次の開発に取りかかりその商品は完成間近だった。



END





「ミナト電機Ⅲ(リアルビジョン)」


 ミナトはメモリービジョンの製造販売自粛を呼びかけた頃から、頭にもうひとつの構想があった。 その名はリアルビジョンの開発。


リアルビジョンとはその名の通りリアルなビジョンの再生装置という意味。 ヘッドホンに画像再生のメガネが付いた装置で画像は約100インチ大映画の迫力があり、DVDデッキの出力端子に差し込むだけの簡単操作。 ここまではパナソニー電機の商品と同じ仕組みだが、ミナトが考えた装置はリアルさがまったく違うのであった。


どう違うのかというとパナソニー電機の商品はビジョンを見る。 つまり、映画やテレビを視聴するという単なる二次元的な装置。 ミナトが開発したのは三次元感覚の装置。

風景映像を見ると、自分が実際にその場で体験しているような錯覚をリアルビジョンで体感させるというもの。


簡単にいうと睡眠中の夢と同じ臨場感をあじわえるというもので、従来のタイプが二次元の平面で、リアルビジョンは立体三次元の違いだった。 リアルビジョンで映画を見ると自分がその場面に完全に入り込むことが可能になる。 当然、自分の存在や言葉意思は相手には繋がらないので、あくまでも傍観者にすぎない。


パナソニー電機との大きな違いは、画面上の一部分に視点を集中するとその場面が全体像からクローズアップされるところが特徴。 例によって山田社長が呼び出された。 会社に来る時に簡単な映像の入ったDVDなりビデオを持参して欲しいとの依頼。


山田はミナト社長の発明に期待してやってきた。


「ミナト社長こんにちは。 今度は何の開発をなさったんですか? 社長の支持どおりDVDを持参しました」


「山田くん、今回のも面白いと思うんだが、説明は後にとりあえず見てみる?」


「はい、お願いします」


山田の好きなサイモン&ガーファンクルのコンサートDVDと映画スターウォーズのDVDを手渡した。 リアルビジョンにセットされ、サイモン&ガーファンクルのDVDが再生された。 最初はじっと静かだったが段々と身体をゆすりはじめ、次第にノリノリの様子になった。


ミナトは途中で停止ボタンを押した。


山田は不満そうな表情で「何で、辞めるんですか? これから明日に架ける橋だったのに……」


「いや、すまん、すまん。 僕にとっては暇なもんだから……」


二人は目を合わせて笑った。


「社長これは凄い、まるでサイモン&ガーファンクルのコンサートをその場で見ているようでした。 サイモンに集中するとサイモンだけがクローズアップされるんですね。 これは凄い。 このままスターウォーズ見ていいですか?」


山田はミナトの顔を視て「途中で止めます?」


「うん、止める。僕が退屈だから……」


途中で止めることなく最後まで見終わった。


「ミナト社長これは画期的ですね。 前作のメモリービジョンといい、素晴らしい発想です。で、今度の商品名は?」


「リアルビジョンにしようかと思ってる」


「そうですか。このリアルビジョンといい、ミナト社長の発想は藤子不二雄のドラえもんみたいですね。 いやぁ、ビックリです!」


「そうか、気に入ってもらえたようだね」


「リアルビジョンお披露目の前に君に相談したいことがあるんだ」


「……何ですか?」


「僕が懸念しているのが前のメモリービジョンのような負の効果なんだ。 それを一緒に考えてほしい。 前の場合は死んだ娘が忘れられず、メモリービジョン依存症になったご婦人がいたんだよね。 それで途中自粛したけど、このリアルビジョンはどうかな?」


「そうですねぇ、どちらも依存してしまうと一緒だと思うんですけど。でもそれいうとゲーム機だって同じこといえると思うんです。 こちらは、リアルな臨場感を楽しむということで僕は支障ないと思います。 特に環境DVDなど、いい景色を実感するのは精神上とってもよいと思いますし、身体の不自由な老人や障害者なんかは、このリアルビジョンで旅に行った気分になれ精神的にもいい製品だと思うのですが。 僕なら、妻と新婚旅行でヨーロッパ旅行に行った気分をもう一度味わいたいですよ。 DVDとリアルビジョンがあったら可能なんですから、僕は絶対肯定派にまわりますね。 感じ方の違いですから、否定したらきりがないと思います」山田の力強いアドバイスだった。



「そっか、山田くんにそう言ってもらえると自信がつく。 ありがとう。 最初の製品は君にプレゼントさせてもらうよ」


その二ヶ月後には電気屋で発売され、瞬く間に世界のヒット商品になった。 この商品を映画の世界に活かしたいとのことで、映画館造り専門の工事会社から商品開発の依頼も入ってきた。


ミナト社長はリアルビジョンの基本があるので、リアルビジョン再生機の劇場用開発の時間は要しなかった。 但し、映倫との取り決めでホラーと過激暴力等の映画は劇場で放映しないという条件が付いた。


自宅のホラー映画再生は自己責任になっていた。 この商品も、医療の分野でリラクゼーション効果のある映像を利用した医療の新分野を構築しようとしていた。


リアルビジョンを切掛けに世界は映像の分野で画期的な躍進をとげ、そして、リアルビジョンが世に出て六ヶ月が流れた。 ミナト社長のもとに手紙が届いた。


リアルビジョン開発者様


リアルビジョンで夢の世界、あるいは次元を越えた世界を、映像でみることは出来ないのでしょうか? 夢は人間がみるものつまり人間の大脳の視覚野が関係してます。 夢を記憶している脳の部位に働きかけて、夢の再現もしくは目が醒めてる状態で意識の視点を夢の中に置くことは出来ないものでしょうか?


というのも私は長年にわたり同じ夢に怯えております。 今度同じ夢をみた時は、その悪夢に立ち向かおうと思っております。 でも、実際にその夢を視た時は逃げようとする自分がおります。 夢の中とはいえ自分の情けなさで心痛めております。


もし、起きてるてる状態でその夢を再現出来たら、悪夢と闘いそして克服できると信じております。 なんとかリアルビジョンを改良できないものでしょうか? 私のように夢で悩んでいる人は多くいるはずです。 是非、リアルビジョンの改良開発お願いできないものかとお便りいたします。    川田みより



手紙を読んだミナト社長の技術屋魂に火が付いたと思ったが、今の段階では無理と感じた。

脳の世界は未知の領域が非常に多く、今だ医者でさえ不明の分野が多すぎる。 その一つが夢であった。 夢を視る脳の部位は解明できても夢を視る仕組みはさっぱり解らない。


予知夢や行った経験のない場所を視る人も多くいる。 それがどこから来るのかはっきりした解明がなされていない。 いくらミナトでも未知の領域は素人同然だった。



 そして、その手紙の事を忘れ半年が過ぎた。 昨夜遅くまで研究室に籠って働いていたミナトが夢でうなされ起きた。 夢の中で執ように見知らぬ男に追われるミナトがいた。

恐怖で足がすくみ、身動きできない自分がいたのだった。


夢から覚めたその瞬間半年前の手紙を思い出した。 朝食後、早めに研究室に入り、机の中からもう一度あの手紙を出して読んだ。


「よし、なんとかしてみるか……!」ミナトは呟いた。


例によって研究室に籠った。 まともな食事もとらず三週間が過ぎようとした。

研究室から大きな声が上がった。


「駄目だ!」


現段階で次元越えは無理と結論が出たのであった。 ミナトは初めて挫折感を味わった。



END





「オネェの髭Ⅱ(コナちゃん)」


 オネエの髭 池袋店がオープンして一年が過ぎた。 徐々に常連さんが増え店内は今日も大忙し。 雇われママのエバはスタッフの面接をしていた。 面接に来たのは店の常連明美さんの紹介で、年の頃なら三十歳前後の一見、芸能人のカリナ風のスレンダーな美人系のオカマ。


「初めまして。 あなたがコナちゃんっていうの? 明美さんから伺ってます。 私エバですよろしく」


「あっ、はい、コナです宜しくお願いいたします」


「早速だけど、コナちゃんはこの道長いの?」


「まだ三年位です。 前は吉祥寺のハッピーで働いてました。 その時のお客さんが明美さんだったのです」


「じゃあ、客扱いはもうベテランね。 で、なんか特技ある?」


「私、お客さんの顔を見ると、どのお酒が飲みたいか、何の歌が歌いたいかわかるんです」


「それは、常連客なら誰でも解るでしょ?」


「それが、初めてのお客さんでもわかっちゃうんです。 それで以前の店でも気味悪がって、引くお客さんが多くいたんです」


「わかってもいわなきゃいいでしょう?」


「それが私、瞬間的にすぐ言葉に出しちゃうタイプなんです。 いつもいってしまってから後悔するんです……」


「そう、わかったわ。 で、他にもなんかあるでしょ?」


コナは目を丸くして「他にもって……?」


「具体的にわからないけど身体的に?」


「なんで、わかるんですか?」


「う~ん! 雰囲気がなんか……」


小さな声で「実は片玉なんです」


「えっ?」


「私、子供の頃なんですけど、睾丸に菌が入ってしまい、化膿してとっちゃったんです。片側だけ…… お金が貯まったら全摘手術しようと考えてます」


「私も似たような経験があるのよ、気に入った! 片玉のコナちゃん。 で、明日からでも働ける?」


「はい、働けます。 でも、片玉とい名はどうかと……」


こうして、コナはオネェの髭に勤めることになった。 スタッフに紹介された。


「今日から働いてもらう片玉のコナちゃんです。 コナちゃん、挨拶して」


「あのう、片玉って内緒にしてほしぃ……」


「いいのよ! 私だって片乳のエバなんだから、あんたも片玉で通しなさいよ」


「えっ、あっ、はいコナです。 宜しくお願いします」


「さっ、今日も忙しくなるわよ! お願いね」


こうしてコナの初日が始まった。 さっそく客がやってきた。


「山ちゃん、いらっしゃいませ」


「ママ、こんばんわ」


「山ちゃんどうしたの? 奥さんにでも逃げられた?」


「いやぁ、ママチョットいいかな……」


ママは察知した。


「あ、はい解りました。 奥へどうぞ」


ふたりは個室に入っていった。その様子をコナは不思議そうに見つめていた。 後ろからスタッフのアクビがニコニコしながらいった。


「コナちゃん、ママから個室のこと何も聞いてないの?」


「いえ、何にも……?」


アクビはコナに特別室の説明をひととおりした。


「……という訳なの。 コナちゃんも何かあったらママに相談するといいよ。 的確な答えが返ってくるわ。 ママはそっちの顔も凄いの」


コナはエバに特別な親近感を覚えた。 ママが戻りコナに話しかけた。


「アクビちゃんに聞いたと思うけど私には二つの顔があるの。 私もはじめはコナちゃんのように隠していたの、でも、途中で気が変わったわ。 少しでも人の話し相手になれるもなら、もしかして何かの役にたてるかなってね。 そして私、解ったのよ。 最終的に結論を下すのは相談者自身以外に無いって事を。 だから、私のやる事は相談者の話を聞くことと、ガイドの通訳だけ。それだけでいいの。 それが私の役目だとおもってるの。


それで吹っ切れたのよ。 コナちゃんにもきっと何かあるはずよ。 たぶんもうすぐ解ると思う。 自分の隠された能力。 私、漠然とだけどわかるんだ。 因みにアクビちゃんは、お客さんのオーラが視えるの。 お客さんのオーラを視て、その人の疲れ具合や身体の変調などが解るの。 その時のお客さんの体調を視て、水割りを薄めにしたり、場合によっては酒を飲ませないで帰ってもらったりするのよ。 そのことを知ってる常連さんは、この店を魔女屋敷って呼んでるわよ。


どこが魔女よ、失礼だと思わない…… まったく。


うちのお客さんは飲みに出た日の帰りに必ず寄ってくれるの。 そういう常連さんでこの店はもってるの。 コナちゃんも魔女屋敷にようこそね。


持って生まれた能力はどんどん使うべき。 それと、オカマやニューハーフには霊感の強い人が多いの、男女の性を超越していて人間の本質に目を向ける人が多いから」


コナは、自分の中で何かが弾けたのを感じた。 もっと早く、この人達と出会いたかったと心から思った。 コナが働きはじめ、ひと月が過ぎた頃。


店のドアが開いたコナが「いらっしゃいませ~」


コナには初めての客だった。


ママが「野田さん、いらっしゃいませ~。 ご機嫌よろしいようで、このこ、片玉のコナちゃんです。 先月から店で働いているの」


「コナです。 宜しくお願いします」


「コナちゃん。 こちら野田社長さん」


「あ、野田です。どうも」


アクビが「コナちゃん、ハイ」


青いグラスをコナに渡した。 青いグラスは水多めで酒を薄く作り、それ以外のグラスは普通に作る。 アクビが感じた客の体調のサインだった。


「初めまして~ 先月からお世話になってる片玉のコナで~す」


「また、怪物が一人増えたな。 僕は野田です。 まあ、コナさんも飲んで下さい」


「カンパ~イ!」二人は乾杯した。


次の瞬間コナの足が震えてきた。


「何だろう?」コナはママの顔を見た。


なにかを察知したママが咄嗟に「社長、今日、なに食べてきたの?」


「生の牡蠣とか刺身類だけど…… それがどうかした?」


「いえ、ごめんなさい」


「何だよ、急に」


「いえ、本当にごめんなさい」


三十分程して野田社長がトイレに頻繁に行くようになった。


ママが野田に言った「社長、申し訳ないけど病院に行かれたらどうかしら?」


「なんで?」


「ただの酒で酔ったのと違うようだけど…… 下痢もしてないですか?」


「うん、なんか腹の具合が……」


ママは近くの病院を紹介した。


数日後、ママの携帯が鳴った。


野田社長からだった「ママ、野田だけど、先日はありがとう。 病院で牡蠣が原因っていわれたよ。 おかげさまで処置が早かったから軽く済んだけど。 よく、あの段階で解ったね?  医者も感心してたよ」


「大事に至らないで良かった。お大事に。 立場上、私達はお見舞いに行けないけどごめんなさい。 良くなったら又、遊びに来てちょうだい。コナちゃんも心配してるから」


「うん、解った。必ず行くから。 今日はママにひとことお礼がいいたくて」


「わざわざありがとうございました。お大事に」


ママはコナの事を考えていた。


その日の夜、ママはコナに「今日、野田社長さんから電話があって牡蠣が原因だったらしいのよ。 コナちゃんに宜しくって言ってたわ。 元気になったら飲み直しに来ますって」


「大事にならないでよかった」コナが呟いた。


「コナちゃんさぁ、もっと早く解るようその能力なんとかしたいね」


「それ、私も前から思ってたんですけど、早くわかる方法がまだ……」


コナはすがりつくような目でママをじっとみつめた。


ママが「そうよね、私も解らないわ。 ハハハハ」


「いらっしゃいませ~」


男が一人入ってきた。


「あ、あ、あのう~エバさんておりますか?」


「はい、私エバですけど」


「エバさんていう方が、相談に乗ってくれるって聞いてきたんですけど」


「あっ、はい、どうぞこちらに」


アクビがお客を部屋に誘導した。 ママが後について行こうとした瞬間コナが言った。


「ママ、待って、何か変なの…… 行かないで!」


「コナ、何を感じたの?」


「あの人、怖い」


「ありがとう。注意する!」


ママは部屋に入っていった。 部屋の横でコナとアクビが聞き耳を立て控えていた。


「いらっしゃいませ。エバです」


「あっ、はい」


「どうしました?」


「ぼ、ぼ、僕は神の声が聞こえるんです」


「あっ、そうですかそれで何か?」


「あなたを救うようにって、啓示があったんです。 あなたを救うようにって?」


「私の何を救うんですか?」


部屋の横で聞いていたコナは胸の中で「ママ、相手にしないで」


「邪霊から」


「ご忠告ありがとうございます。 解りました。そういうことならうちのスタッフから邪霊を払ってもらいます。 助言、ありがとうございます」


部屋から出ようとした瞬間ママはその男に腕を捕まれた。


エバは強い口調で「何するの! その手を離しなさいな!」


側で聞いていたコナとアクビが部屋のドアを開け。


コナが叫んだ「おいこら、その手をさっさと離さんかい…… シバクぞ、おらボケ!」


男はコナの勢いに何も言えずその場に立ちすくんだ。 男の怯んだスキを見てママは部屋から出て来た。 その後で男は震えながら出て来た。


ママが「何なの? あんた」


「すいません、すいません」男はうずくまって動かない。


「いいわ、今日は許します。 今度また何かあったらすぐに警察呼ぶからね。 解ったらとっとと帰りな……」


男はすんなり帰っていった。 その後、店は何事もなかったように混んでいた。


閉店後三人は話した。


ママが「コナ、いざという時は事前に解るんじゃないのよ。 それにしてもあんた関西にいたの?」


「いえ、関西ヤクザの映画が好きで、咄嗟にあんな言葉が出てしまったの。 今、考えると私も怖い小便ちびりそう」


「ドスの効いた声で私の方が焦ったわよ。 ねえアクビ」


「ママもそう? 私も、こっちがびびるわよね……」


3人は腹を抱えて笑った。


「二人ともありがとうね。 よし、今日は私のおごりで、ぱあっとホストクラブに行こう!」


「さんせ~い!」



その数日後、店のオープンと同時に二人の厳つい男がやってきた。


「ごめんください、こちらにエバさんという方おられますか?」


「はい、エバは私ですが?」


「申し遅れました。私、こういう者です」


男は胸のポケットから手帳を出して見せた。 七曲署の刑事だった。


「この男に見覚えないですか?」


「あっ、この男はつい先だってこの店に現われて、私を悪魔から救うとか訳の解らないこといって、私の腕を捕まれたの。気持ち悪かったわよ。 あいつなにかやったの?」


「同じ事を他の店でもやってて、二日前に身柄拘束したんです。 その言い分が、オネェの髭のママの指示だって言ってるんです。 それで、確認の為お邪魔しました」


話しを聞いていたアクビとコナは吹き出した。刑事に事情を説明して聞かせた。


エバが「あいつ精神病院行き決定ね」


「まあ、最近こういう人間が多くてね! こちらは大事に至らなくてよかったですね」


そう言い残し刑事は帰った。


END




「ゲンゾウの霊界探訪記(地獄編)」


それは、平成二十五年八月に起きた出来事だった。


今日も熱帯夜の寝苦しい夜になるのかな? 朝から憂鬱な気分で仕事に出かけた。

その日は僕の人生二十五年で一番衝撃的な夜になった。 今考えても背筋の凍るような出来事だった。 覚悟を決めてお話ししよう。 あなたもどうか覚悟して聞いて下さい。  霊界に興味のない人はこのままスルーして下さい。


僕はいつものように会社に出かけた。 会社は電材会社で営業をしております。 お得意先は電気の工事会社が主です。 その日は朝礼後、顧客廻りをして社に戻ったのは夕方になっていた。


「ただいま戻りました」いつもの調子で事務所のドアを開けた。


事務員の板垣さんが「ゲンゾウさんお疲れ様でした。  ミナト電機さんどうでした?」


「大きい注文もらったよ。  今、伝票回すから処理頼むね」


「さすがゲンゾウさん。あのミナト電機さんの社長と渡り合えるのはうちではゲンゾウさんだけですから。 お疲れ様でした」板垣が笑顔で言った。


伝票処理の仕事が終わり、帰り支度をしたがその日はどうもまっすぐ自宅に帰る気になれず、みんなを誘いビアガーデンで二時間ほど涼んでから帰宅した。 時計を見ると十時。 それからシャワーを浴び布団に入ったのが十一時過ぎた頃だった。


酔っていたせいか就寝前の読書もせず一気に寝に入った。 目を瞑り、そんなに時間は

経ってないと思う。  突然、足が硬直して手も固まり、目だけが唯一動くという体験をした。  そう、僕は金縛りになってしまった。次の瞬間胸の辺りに圧迫感を感じた。


だ……誰かが、ぼ、ぼ、ぼ、僕の胸に腰掛けていた。  お、女?  声が出ない僕はその女と目があった。  女は顔を近づけてきた。こ、こ、声が出ない……


女は話しかけてきた「一緒に行こう」そして手を引っ張った。


嗚呼、抵抗出来ない…… 次の瞬間、下に引っ張られ、不覚にも気を失ってしまった。


どのくらい経ったのか? とりあえず意識が戻った。  でも、何か言葉で表現出来ない憂鬱な気分……?  辺りを見渡すと僕の寝ている部屋とちがう?  そこは非常に薄暗く湿った空気感が何ともいいえず、そう、まるで魚が腐ったような異臭。


「どこ……? ここは何処?」


僕は目を凝らし辺りを見渡した。 だんだん目が慣れてきた。 ここは見慣れた町のようだったが何かが違う?  いや、雰囲気が全然違う。


内心。僕は死んで地獄に堕ちた……?  途方にくれていると右手を引っ張られた。

その手のさきを見上げると、 頬の肉がそげ落ち、骨が顔からはみ出して目はくぼみ、

眼球だけが異常に鋭い目の女だった。


「やめろ! 誰だ、あんたは?」強い口調で叫んだ。


「あたいと遊ばない?」 


「やめろ! 手を離してくれ!」


「なんだ、面白くねえやつだなぁ」女は消えた。


何だ、こいつは? 後味の悪いこれは夢?  夢ならはやく覚めて欲しい、夢ならもとの世界に帰りたいと思った。 次の瞬間また景色が一変し今度は町に変わった。  その町を歩いていると段々と目が慣れてきて、ここに来た時よりも少し視界が開けたように思えた。

匂いもさっきより気にならなくなっている?


どういうこと? もしかして僕はこの世界に馴染んだ? ウソでしょ。  心の何処かで得体の知れない苛立ちを感じる?  この苛立ちは何だろう?


無性に誰かを殴りたくなってきた。 喧嘩がしたい……  そんなこと思うのは僕の人生でいちどもないこと……


そこに「おいっ、ゲンゾウ!」


誰かが気安く俺に声を掛けてくる。


なんか、理屈抜きにむかつく声だ「誰だ? 俺を簡単に呼び捨てにすんじゃねえ」思わず口に出してしまった。  何でこんな話し方をするのか自分でも解らない……


「なに……? ゲンゾウおいこら」声の主はゲンゾウが勤めている会社の山田社長だった。


「あれっ、山田社長だったんすかどうもすいません」態度を一変させた。


「ゲンゾウ」


「ハイ!」


「今、俺に何て言ったんだ? もう一度いってみろや! こら!」


「いや、すいません。僕の勘違いです。 勘弁して下さい……」僕はひたすら謝った。


「ちぇっ!なめた口ききやがって」


「すいません」なおも僕は謝った。


謝っている心の奥ではなにか妙に腹立たしい気持ちがした。 今、謝ったのに、こいつ…


「おい!聞いてるのか? ゲンゾウ」


僕は思わず「聞いてるよ… しつこい山田!」嗚呼、言ってしまった……!


次の瞬間、山田社長の胸ぐらを僕はつかんでいた。  そして顔面を殴ってしまった。 山田社長はその場に倒れこんだ。  僕は思わずその場から逃げた。 でも、心の中では何ともいえぬ爽快感があった。 生まれて初めての感覚。  そして僕は、この陰鬱な町をうろつくことにした。  そう、その時の僕は、次の争いを求めていたんだ。


段々、その世界は視界が開けてきたし、あの獣の匂いも感じなくなってきた。 今思うと、地獄に馴染んできた証しだった。  街は至る所で罵声と悲鳴が聞こえた。 その雰囲気が楽しそうに感じている僕がいたんだ。  そして気が付いたことがあるんだ。 ここの住人はみんな自分勝手だという事だった。


ある十歳位の女の子は、交差点の真ん中で車にひかれ倒れたと思ったら また立上がり交差点の真ん中に歩み寄って突然現われた車にまたひかれる。  僕が視てるだけでも三回は繰り返していた。


通りかかったビルの奥まった所に人影があった。 そこに一人の老婆がいたので、僕はかつあげしようと近寄ったんだ、そしたらその婆さんはひとりでブツブツなにかいっていた。


声を掛けた「おいババア、ちょっと金貸せ!」


その婆さん、聞こえたのか聞こえないのか完璧に僕を無視したんだ。  もう一度、声を大きくし同じ事を言った。  また無視され、急に腹が立ち殴りかかろうとした時だった。


「おい、辞めとけ……」後ろから声がした。


「その婆さん、何にも聞こえてねえから無駄だ」


声の主は、黒いサングラスを掛けた警察官。


ばつが悪いのでその場から走って逃げた。 今思うとその時の僕は、自分が最優先で 他人の事を考える余裕など全く無かった。  とにかく自分の利益になる事だけを考え町を

うろついていたんだ。 しかも超!イライラしながら。


町を探索して解ったことは、この世界は自分の事が最優先であるという事。


権力を好む人は権力を振り回し他人を威圧する。 でも自分より力のある人間には簡単に服従する。 たぶん権力重視の人間は権力に弱いと感じた。  色恋が好きな人は見かけも派手につくろい、いつも物欲しそうな目付きで異性を物色していた。  また、それが顔に出るから解りやすい。 たぶんここは嘘隠しのない世界で、自分の想念が形になって現われているんだと思った。


ただし、こう気付いたのはこの世に帰ってからだ。 そのダークな世界にいる時は全然思ってもみなかった。 とにかく自分の都合のいいように考えていた。 そう、欲望のまま。

今考えると異質なんだがその世界では、それが普通の事だった。  僕がなぜ元の世界に戻れたかというとこんな事があったんだ。  


そのダークな世界にどのくらい居たのかハッキリ解らないがこんな事があった。  いつものように町を歩き、何かを物色していたんだ。  道の向こうからひ弱そうな男が歩いてきたので、恐喝しようと思いそっと近寄ったんだ。


そして「おう、兄さん。金貸してくれよ」いつものようにいったんだ。


そしたらそいつ「いいですよ。 どのくらい必要ですか?」そう聞いてきたからしめたと思い「三万円」って応えた。


そいつ「解りました。 その代わりに、ひとつ頼みを聞いて下さい。 そしたら五万円差し上げます」そういってきたんだ。


ラッキーと思い「何でもいってみな」


いつは「あのお婆さんと話しをしたら5五万円差し上げます」ってある方角を指さしたんだ。  その先を見ると何と初日にこの世界に来てすぐ見た、ビルの横でブツブツいってる婆さんだった。  とりあえず僕は行動に移した。


その婆さんに近寄り声を掛けた「おい、婆さん。俺と話さねえか?」ってね。


相変らずブツブツいって僕の話しを聞かない。  それを何度か繰り返したんだ。 そしてふと思った。  逆にこの婆さんの話しを聞いてやろうかと、そして婆さんの話に耳を傾けたんだ。


その婆さんは「息子と嫁が、私をないがしろにしてる。 父さんの残した財産を狙ってる……」ってブツブツいってた。 そう聞こえたんだ。


だから「なあ婆さんよ、それは悪い嫁だな。  婆さんも可哀想に」って同情した。


そしたらその婆さん「お兄さん、私の気持ちわかってくれるんかい?」


「解るよ! でもなぁ婆さん、死んだら持っていけねえ財産なんだから諦めろや」


それからしばらく二人は世間話をした。


そうこうしてる間になんとその婆さんの顔がみるみるうちに明るくなり、最初の顔とは全然違う若い顔になったんだ。 見かけよりずっと若かったんだ。  婆さんは僕に向かって頭を下げた。 そしたら婆さんが光ってその場から音もなくフット消えてしまった。


僕は呆然とした。


そうこうする内にさっきの兄さんが近寄ってきて「ありがとう」って。


僕はしばらく、その世界で人に礼を言われた事がなかったからびっくりした。  そしたら急に身体が軽くなり気が付くとベットに戻ってたんだ。  時計を見ると布団に入ってから

十分しか経っていなかった。  まったく何が起こったのか理解できない。


夢だと思うけどあまりにもリアル感があったし、匂いも感触も普通にあったんだ。


今解ったんだけど、みんながいう幽霊って案外自分が死んでるって理解してないと思う。

何ていうのか、あの人達は自分の事で精一杯で、の世に出て人を驚かそうとか人に取り憑こうなんて思ってないと思う。


そんなに暇じゃあないと感じたんだ。


幽霊を見たり霊に取り憑かれるのは、すべてこちら側の問題で、あの世界にこちらが同調しなければみえないし霊障も無いと思う。


テレビでお盆が近づくと、各局がこぞってやる番組は殆どが演出だと思うんだ。  頻繁に幽霊を視る人はテレビのようにいちいち驚かないよ。 そしてあの世界は自分の事で忙しい。 人間を驚かそう、恐怖を与えようなんて思ってないよ。


結果的に僕がなんで霊界に紛れ込んだのかこの段階ではまだわからなかった。


この世界は次に経験する天国とは雲泥の差だった。



END





「ゲンゾウの霊界探訪記(天上編)」


 最初の霊界探訪から三ヶ月が過ぎた。ゲンゾウはその後も頻繁に霊界を訪れていた。 当初は地獄のような世界だったが、人間の世と写し絵のような世界があったり、いつも明るく爽やかな心地良い世界だったりと経験する世界は数限りなく存在した。 三ヶ月も過ぎると意識を集中すると簡単にトリップ出来るまでになっていた。


しかも初めの頃と違い、今では人と話しをしながらでも同時に霊界探訪出来るまでになっていた。 つまりこちらの世界で普通に会話しながら、同時に霊界を垣間見ている自分も存在する。 そんな数ある霊界の中でもゲンゾウお気に入りの世界があった。 十回ほど訪れた世界。 その世界を気に入ったゲンゾウが六度目に訪れた時その世界でアパートを借りるまでになっていた。


何故、そこまでしてアパートを借りたのか覗いてみよう。 その前に、この物質世界とトリップする世界とは時間軸がまったく違うことを知っておいてほしい。 物質世界は時間が直線的であるのに対し、別世界は時間という概念が存在しない。 つまり、いつも今。すべてが同時に存在するという世界。 早い話、時間がないんだ。 ないから今しか存在しない。


ゲンゾウがアパートを借りた世界は、その今しかない世界。 東京にいて京都に行ってみたいと心に思うと次の瞬間京都の町にいることになる。


もう一つの理由…… それが最大の理由かもわしれない。 ゲンゾウには好きな彼女がいた。名前はヨネ子。 そのヨネ子がこの世界に存在するのだ。 彼女を心で思うと同時に「何か用?」と、そこにヨネコが立っているという世界だ。


携帯電話は世界各国、瞬時に繋がって話せるように、この世界は瞬時に身体ごと移動し会話が出来るのだ。 会話も口から発する言葉ではない。 つまりこの世のような肉体の身体も存在しない。 すべてが想念や意識の世界。 時間が無いという事は距離も存在しない。 これが実存の世界。


話を戻そう。


ゲンゾウの世界から見るとこの世界は人間暦で西暦二、〇四八年近未来。 すでに文明の進歩という概念は無かった。 ここでは霊性の進歩が大きな基本。 魂がいかに楽しむかという事に重点を置いていた。 ゲンゾウはそんな世界が本来、魂のあるべき姿と思った。


当然、この世界に生老病死は存在しない。 個々の想念エネルギーのみが存在する非物質の世界だからだ。 解り易く云うと宗教臭い表現だが、ここは霊界といわれる所で、本来の魂の住まう世界でもある。 物質世界に馴れた人間には理解し難いと思うが、この世界が本当の世界であり、物質世界はひとつの幻影にすぎない。 この世界から観ると、人間の世界は夢の世界。


ここは食事を採らなくても平気なのだった。 ついでにいうと、季節はいつも温暖で人間の世界でいう初夏か夏の終わりのすがすがしい季節がこの世界だった。 太陽が沈まないから夜も存在しない。 当然、朝や夜明けも存在しない。 但し、ゲンゾウのように観念がまだまだ物質世界の習慣にある場合は、自分で季節や一日のサイクルを実際に作り上げてしまう。 これが想念の世界。


だから、こちらの世界に戻った魂は最初のうち、人間の頃の習慣が優先され、徐々に馴れていくというぐあい。 したがって、この世界はここに来て新しい魂と、神の域に達した魂では、住む場所も考え方も大きく違うのであった。 上の世界に移行するほどにすべてが自由になっていく。 意識の世界は無数の広がりがあるのも大きな特徴のひとつ。 ゲンゾウが初めて経験した地獄のような世界もこの世界の一部だった。


ゲンゾウは好奇心が強くこの世界に来ては図書館に行くのが習慣だった。 本の読み方は興味のある本に手を置くだけで内容が理解できた。


今、ゲンゾウが興味を示したのが宇宙。 それ以外に音楽や絵などアート芸術にも興味があった。 時間と距離といった制約が無いから思ったら即、実現。 自分が納得するまで調べる事が出来る。


たまに気分直しで自然を楽しみたいと思ったら、次の瞬間、思い浮かべた景色の中に移動出来るのであった。


ここに来ると物質世界の不便さを毎回感じたゲンゾウであった。 意識の合う者同士しか付き合わなくていい、というかバイブレーションの違う者同士は、同じ場所に存在出来ないのであった。 当然、ストレスを感じる事は無い。


ゲンゾウがヨネ子と話す時は想念の伝達だった。 つまりテレパシーのようなものであり、言葉を使わないので言葉の行き違いや誤解の類が全くない。 お互いが重なり合うことがコンタクトの方法で、誤解などという概念そのものが存在しなかった。


雌雄一体の世界がこの世界の形。 ゲンゾウとヨネ子は自分の魂が高まる事に喜びを感じ、徐々に住む世界も変わるのであった。 もう少し先のゲンゾウはアパートなど持たなくてもかまわないと気が付くのだった。


こうしてゲンゾウは霊界の在り方を人間界に知らせようと「ゲンゾウの霊界探訪記」と題して本を執筆するのだった。 晩年のゲンゾウの言葉に「この世の出来事の全ては霊界で仕組まれていた」とある。 本は翻訳され世界中で販売された。


垣間見た世界は一〇〇を数えた。 晩年になって友人に「釈迦やキリストの世界は宇宙みたいだった」と語っていた。


END




「ゲンゾウ霊界探訪記(平行宇宙)」



 ゲンゾウが垣間見た世界の中でも異質の世界のことを語っていた。 それは、平行宇宙パラレルワールドの存在で、平行した幾つもの宇宙が同時に存在しているというのだ。 ゲンゾウが各宇宙に同時に何人も存在し、何かしらの影響を及ぼしているというものだった。


この世界のゲンゾウは霊界を探訪し、日記形式で書籍も出版しているが、別のパラレルでは哲学者だったり、平凡な会社員だったりと複数の世界が記載されていた。 その日記を少し見てみよう。


僕はいつものようにノートと鉛筆を枕元に置いて就寝した。 見聞きした世界を忘れないうちに出来るだけ克明に記録する目的だ。 その日は今までとは一風変わった世界をみることになった。 なぜか僕は、数人の僕を同時に客観的に眺めていた。 霊界探訪の時の僕は主観的な見方をするけど、今回の僕の意識は複数あり、その全てを同時に把握できている。


その一つの世界では学校の教師であり高校で物理を教えていた。 その僕は、アインシュタインが好きで相対性理論や原子物理学を解りやすく簡単に生徒達に教える教師。 印象として自分でいうのもなんだが、ものごとを捉える生真面目さがよく似ていた。


もうひとつは、ジャズピアニストの僕だ。 ジャズ音楽が好きがそれがこうじて、自らなった商売らしいけど、その僕は譜面が苦手なタイプだった。 少し興味を覚えた。 最初から決まった楽譜にどうも反発したくなるらしい。 楽譜のしっかりしたクラッシック音楽が苦手だった。 だからジャズのようなアドリブの多い音楽が僕には向いていると思ったみたいだ。


他に、建築設計の仕事をしている自分もいた。 奇抜な設計で人気あったようだ。 いずれにしても僕は、人と同じ事が退屈というか苦手なタイプらしい。 パラレル世界の僕の共通点は「創造」がコンセプトだった。


この世界の僕にもやはり同じ事が云える。他人と同じ事や真似事がじつに退屈で苦手だ。

人の真似事をするのもいいが、多少こつを覚えるとすぐにアレンジしたくなる。 又は違う事がしたくなったりする。 逆に、同じ事を何年も何年も繰り返し出来る人は、凄いと思う。 尊敬するし僕には絶対出来ない。


話しを戻すが、これが僕の視たパラレル世界の一部でありパラレルの自分であった。 近年、パラレルワールドを題材にする映画が増えてきたがあれは、映画の話しだけではない。僕は自分のパラレルを幾人も視てきて知っている。


本来、文章を書くのは大の苦手である。 ここでこうして文章を書いているのは、パラレルに文章を書く僕がいたからだ。 何度もその自分に重なって得た能力なんだ。

結論から言おう。 自分が考える事はパラレルでの自分も考えたり実行している。

逆をいうと、自分の発想が実現出来ない事は、パラレルの自分でも考えてないし当然やっていない。 自分の考える事は絶対に可能性があるし、やりこなせるパワーが既に備わってると考えていいと思う。


創造イコール可能性であり現実であるという事を霊界を旅して実感した。 つくづく人間には無限の可能性があると思う。 その可能性を小さい殻に閉じ込めているのは、なにをかくそう、世界であり日本であり地域であり家族であり、そして自分だった


霊界(意識)の上に行けば行くほど広がりが増す。 ただし魂の数は少ない。 最上階は、宇宙大の広がりだと僕は思う。 最上階が存在するが、僕が行ったことがないので定かではない。


これは僕が視た宇宙。当然、人によって見識や解釈も変わると思う。 それも、ひとつの宇宙だから。


宇宙は僕……


僕は宇宙……


この先も……


永遠に……


永遠に……




END










「エンディング」


 函館市、港が一望できる坂の中腹に一件の古い洋館があった。 この地域一帯は古い洋館が建ち並び、今でも西洋風の雰囲気を多く残すところ。 函館観光に来たひとは誰もが一度は訪れるところ。


これから紹介するのは、三十二歳という若くしてこの世を去った元高校教師三宅千種の晩年の話し。 


秋分が過ぎ心持ち朝夕の肌寒さが感じられる季節。 千種の家に朝早く突然の来客があった。 ピンポーン・ピンポーン玄関のインターホンが鳴った。


インターホンから「ハイ」男性の声。


「こちら千種さんのお宅ですね?」若い女性の声。


「はい、そうです……」


「千種先生はご在宅でしょうか?」


「いえ、おりませんがどちら様でしょうか?」


「千種先生の教え子で竹内育代と申します」


「あっ、チョット待って下さい」


三宅千種は地元の高校で英語の教鞭を執っていた。


ドアが開き出て来たのは千種のご主人、洋一だった。


「おはようございます。 あっ、初めまして。僕は千種の主人です。 妻は今月の三日に他界したんですけど」


育代は自分の耳を疑った。


「えっ……?」


「妻は今月の三日に他界したんです」


育代は呆然と立ちつくした。


育代の声が急にか細くなった「……千種先生はなんで亡くなったんですか?」


言い終わった瞬間育代の目から涙がどっと溢れてきた。


洋一もなみだが急にあふれだし「……ごめんなさいね、妻が生徒達にこんな衰弱した姿を見せたくないとの理由と、葬式も生徒に知られずに家族だけで、との理由で生徒さんに知らせませんでした。 千種本人の意向です」


洋一は一刻も早く千種の生徒さんに知らせたかった。 それが適ったので肩の荷が少し下りた気がした。


育代は泣きながら「あのう、遺影に手を合わせてもいいでしょうか?」


「はい、是非そうしてやって下さい」そういいながら家に招き入れた。


初めに洋一が遺影に「千種、竹内さんが来てくれたよ」


育代が手を合わせた「千種先生、ご無沙汰してます。 先生が他界したこと今、知りました。 遅くなってすみません。 生徒四十三人みんな元気です。 千種先生に学んだこと誇りに思ってます。 ありがとうございました。 千種先生、安らかに………」


育代が「もう、クラスのみんなに知らせても良いですよね? たぶん、みんなビックリして手を合せに来ると思います。 先生に挨拶させてやってください」


「解りました。どうか皆さんに宜しくお伝え下さい」


「ところで亡くなった原因はなんですか?」


「はい、お話しさせて下さい。 妻の晩年は私から見ても立派な最期でした。 ちょうど一年前のことでした……」



「洋一さん、最近、胸の辺りが息苦しいのね、今度の月曜日に病院に行って来るよ」


「千種が調子悪いなんて珍しいね、循環器病院でしっかり受診してきなよ」


当日、検査が終わり医師から診断を受けた。


「え~と、今日は奥さんだけでいらしたんですか?」


「はい」


「ハッキリした見解は今の段階ではいえませんが肺とリンパのところに腫瘍が見えます。病理検査の結果は金曜日に出ますので出来ればご主人といらして下さい。 詳細結果はその時にお知らせします」


「僕と千種は指定された日に行きました。 医師は私達を前に言いました。


「結論から言います。 今回の腫瘍は悪性のものでした」


千種は肩を落とした。


「肺からリンパに転移が視られます。 手術は難しいというか出来ません…… 日本で、いや世界でも症例がありません。 それほど難しい部位に腫瘍が転移してます。 余命は奥様の年齢からすると半年から一年。 当然、個人差はあります。当病院でお奨め出来るのは放射線治療と薬の併用です。 個人差は否めません。 もちろん完治する可能性もあります。 あくまでも個人差としか言えません。 当面は定期的な通院で治療する方法をお奨めします」


じっと聞いていた千種が口を開いた。


「完治の可能性はどの位ですか……?」


「極めて低いです。 僕の立場としてはコメントできません」


「わかりました」


千種は大粒の涙を流していた。


「その後、千種は伏せることが多く、事あるごとに大泣きしていた。 僕も千種にかける言葉が見つからず途方に暮れました。 なん日もなん日も千種は泣き続けました。 そんなある日のこと、テレビの番組で癌に効果のある漢方が紹介されていたんです。 千種はそれ以来セコンドオピニオンし特効薬をネットで検索する日が続きました。 三ヶ月ほど死にものぐるいで模索してました。 本当に観るに忍びなかった。 僕は何にも出来なかった。 そうこうするうち、急に千種の言動に変化があったんです」


育代は涙を拭きながら千種の遺影をじっと観ていた。


育代が「どう変わったんですか?」


「はい、突然何かが吹っ切れたように明るくなったんです。 ある時こんな事がありました」


「洋一さん、私ボランティアで英語の通訳しようと思うの。 命尽きるまでジッとしていてもつまんないから……」


「それは構わないけど、どういう方法で?」


「市の観光協会で外国人観光客向けの英語のガイド役を募集してたの。 私の住み馴れた函館だもの外国人相手の簡単なガイドなら、チョット歴史を勉強すれば出来ると思うの」


「千種がやりたいと思うなら僕は反対しないけど、身体の具合は良いのかい?」


「今は大丈夫、死ぬまでは大丈夫」


「おい、おい、死ぬなんて簡単に言わないでくれよ」


「洋一さん、なにいってるの! 死は誰でも迎えることなの、遅いか早いかの違いだけなの。 死に立ち向かおうとするのが自然に反してるの、だから私、死ぬまでは元気で生きることにしたの……」


「そう千種が僕に言ったんです。 僕は、その時理解しました。 千種は死の恐怖を克服したんだと…… それからの千種は精力的に何でもこなしました。 たぶん、その時の観光協会の関係者は今でも千種が病気だということを知らない人が沢山いると思います。

ボランティアを辞める時は観光協会へも、主人の仕事の都合で転勤になるから辞めると……死ぬ半月ほど前に辞職していましたから。 最期の半月はとても穏やかでした」


育代が「先生は苦しまれて亡くなったんですか?」


「それが、苦しみがあったはずなんですけど、あいつ全然顔に出さないんです。 以前に本で読んだことありましたが、ある高名な禅宗の老僧が穏やかな顔で、今日の昼頃に

私は旅立つと宣言し辞世の句を書き、禅を組んだまま死んだという話しがありますが、千種も禅は組まないけどそんな禅僧のような感じがしました」


最期に『洋一さん、今度生まれたらまた会えるといいね』っていってくれました。 僕への最高の言葉として受け止めました」


「そうですか。 千種先生は短い命だったけど素敵な亡くなり方をなさったんですね。

私、千種先生の生徒だったこと感謝します。 そして誇りに思います。 たぶんクラスの仲間も同じだと思います。 私、早速クラスの仲間に報告を入れさせてもらいます。 本当にこの度はご愁傷様でした」


育代は遺影に向かって「千種先生ありがとうございました。 安らかにお眠り下さい。 私、先生の教え子だったこと一生忘れません感謝してます。 お疲れ様でした」


育代はその日のうちにクラスの幹事に連絡を入れた。 そしてクラス全員が千種の死の報告を受けショックをうけた。



 数日が過ぎ、家のチャイムが鳴った。 玄関には二十名ほどの教え子が訪れていた。 銘銘が想い出を洋一に聞かせた。 洋一は千種が生徒に本当に好かれていたことを改めて

実感した。


「みなさん、今日は本当にありがとうございました。 千種は幸せ者です。 先日、竹内さんにも話しましたが、病気のことは千種から何度も口止めされておりました。 

実は、千種が自分の事を語っていたことがありまして、いつか生徒に聞かせたいと言っていたことがあるんです。


印象に残ったので今皆さんに報告させて下さい。 


最初に医師から癌の告知があった時、正直、自分の運命を怨んだそうです。 とにかく千種は泣いておりました。 


その後、助かる方法を模索し始めました。 自分にあった医者、病院、薬と、調べては連絡して訪問しておりました。そして、それも適わぬと思った頃から急に妻の心に変化があったようです。 


僕が感じたのは死を受け入れるというか、死を超越したのか不思議な感じがしました。 

とにかく穏やかで言葉一つ一つを味わってるというか楽しんでさえいるような感がありました。 そして、本当に死ぬのかなって思うくらい穏やかな千種になっていました。


死の受け入れかたは立派でした。 最期は自分以外の人間の幸せを考えていたようです。


僕が感じたのはまず絶望が千種に訪れ、そして、復活を模索して手当たり次第調べ実行する。 それも適わぬと知ると、突然、死を飛び越えて自由を得たような精神状態になる。


千種が癌という病気を通じて僕に教えてくれたんです。 人間が病気で死ぬ時の心の変化を…… 


今日は是非、皆さんにも聞いてほしくてお話しさせてもらいました。 三宅千種の晩年を。 


在職中は千種が本当にお世話になりました。 ありがとうございました」


その後、千種の教え子同士で集まる飲み会を誰が言ったか「千種の会」と称し、年に二回居酒屋に集い千種先生の想い出を語り合った。


死と正面から向かい合い自由を得て旅立ったいち女性教師の物語。




END






「小説請負人ハマⅠ」



私はハマ、職業作家。 貴方の為だけのオリジナル小説を書きます。 恋愛・推理・サスペンス・SF・ジャンルは問いません。


貴方の希望する小説を貴方の為だけに執筆します。 


当然、貴方の大切な人に送る小説もOKです。 


人気小説は依頼者のパラレルな自分の自叙伝。 


別世界の自分の半生を描いた小説も人気があります。 


その依頼者の生い立ちと小説にしてみたい事柄、登場人物を教えてもらいジャンルを聞いて依頼者にあった書き方をします。 内容が決まってない人は相談に応じます。 最後にこの小説は誰の為に作成するのか。 ここがポイントになり、それによってメッセージせいが変わってきます。


こんなすべり出しで客と一時間ほど打合せをしてから、制作に一週間ほど時間を掛けて書き上げるというもので、費用は一律十万円。 出張、取材が必要な場合は別途料金で請負った。 ハマの発想は今までこの業界には類がない。 評判が評判を呼び予約の依頼が多く、今日も依頼者の訪問があった。



「いらっしゃいませ」 


「小説を書いて下さい」来たのは初老の紳士。 


「はい、ではいくつか質問をさせて下さい。 まず、小説は誰のために創るものですか?」 


「妻の為です。昨年、体調不良で他界した妻の為です。 五十八歳でした」 


「内容は随筆風・恋愛風・ほか各物語風どのように描きたいですか?」 


「童話風で、妻を主人公としたケルトの妖精にしたててほしいです。 生前、妻はケルト文化の神秘的な世界が好きだったものですから……」 


ハマは一瞬目を瞑り瞑想に入った。 時間にして一瞬だったがハマには数時間の感覚があった。 ハマがいったん瞑想すると時間を超越できる能力がある。


「はい、もう私の中にイメージが湧いてきました。 あとはご主人さんをどのような場面で登場させますか?」 


「僕は要りません…… 登場させないで下さい。 妻には最後まで何一つ優しいことをしてあげられず苦労ばかり掛けてきたので、せめてこの小説は僕抜きで違う伴侶と結ばせてあげたいのです。 この小説は妻に捧げるレクイエムのつもりです」


ハマには視線をさげた依頼者の心根が辛く思えた。 


「そうですか解りました…… 今日の打合せの大筋を二~三日で通知します。 そ

れで良ければ執筆活動に入ります。よろしいでしょうか?」


「はい、お願いいたします」 


ハマは、概略の作成に取りかかった。

 

ここはイギリス、ウェールズにある小さな漁村。 古来からのケルトの風習が多く残るこの村の、ある民家の屋根裏にブラウニーという家事が好きな妖精がいた。 よく人間の手伝いをしてくれ、報酬のミルクや蜂蜜を台所の隅に置いた。 それを忘れたり仕事に文句をつけたりすると、ブラウニーは怒って家をめちゃくちゃにする事も過去になんどかあった。 また、丁寧に扱わないと悪戯好きなボガードになりさがり、更に落ちると醜くて物を壊したり投げつけたりする凶暴なドビーになってしまう。


ブラウニーはある時、人間の青年ニップに禁断の恋をしてしまう。 


ブラウニーは事あるごとに山に入り、フェニックスの落とした羽を集め、帽子を作ったり、妖精ならではの手法による、小物を作りニップにプレゼントした。 ニップもその厚意に報いるためにブラウニー専用のドールハウスを作ってプレゼントをしたりと、二人の間はだんだんと深まり、やがて恋に落ちしまった。 人間と妖精という大きな壁を抱えたまま時は過ぎた。 


ある日、ケルトの神話伝説に人間の青年に恋をした妖精がトネリコ山脈のどこかにある、ココというキノコと白龍の涙を煎じ、満月の夜に妖精が飲むと人間に変身出来るというのを耳にした。 ブラウニーはその伝説に掛けてみようと決断した。


身内から「そんな伝説には信憑性がない。 トネリコ山脈は危険な山。辞めた方がいい。

妖精は妖精同士で結ばれるべきだ!」との声も多くあった。 


そんなケルトの妖精ブラウニーの半生を描いた物語。 二日後ハマは依頼者に概略を説明した。 電話の向こうで依頼者の喜ぶ声が聞こえた。 六日間で小説は完成し製本され手渡された。 


「はい、この世でただひとつの物語です。 お読み下さい」そう言って渡された。 


四日後、お礼の手紙がハマの手元に届いた。 心のこもった感謝の手紙。 ハマは感謝の文面を読むのが生き甲斐だった。



 今日も依頼者の訪問。


「いらっしゃいませ」 


ハマは、ひととおり説明し相手の言葉を待った。


「あのう……」 


「はい?」


「こんなお願いの前例ありますか?」 


「はい!どんな事でしょうか?」 


「主人公は実は宇宙人の子で、大きくなって本当の自分に目覚め、地球を救うという使命を思い出すという内容で描けませんか?」


「はい、全然可能ですけど。 では登場人物の名前を数人教えて下さい。 二日前後にこちらから大筋を連絡します。  それでよければ一週間で仕上がると思います」 


「はい! よろしくお願いします」


二日で依頼者に概略をFAXした。



ここは渋谷駅。井の頭線へ向かう通路のコインロッカー、その中の一つから微かな声がした。 駅員はロッカーの鍵を開け中を見て唖然とした。 そこには産着に包まれ指をくわえた生後間もないと思われる女の赤ん坊が入れられていた。 駅員の通報によりその赤ん坊は警察が保護、渋谷区内の孤児院に引き取られた。 その子は生後間もないせいもあって里親が早く決まり、同じ渋谷区内の夫婦に引き取られた。 


月子と命名され、幼児期、思春期を愛情たっぷりに育てられ、月子が二十歳になったある満月の夜、たまたま近くの公園をジョギングしていた月子は突然激しい目眩がし、その場に倒れ込んでしまった。 気が付いてみると何やら身体が軽い。 や、重力が全く感じられなかった。 周囲に視線を向けてびっくりした。 そこは乳白色のブヨブヨとした狭いけどその狭さを感じさせない心地良い空間。 次の瞬間隣から声ではない声がした。 


「ニーナ ニーナ」


誰かが月子に話しかけてくる……。 


「私はニーナでありません。 わたしは月子……」


瞬間、月子に語りかけてきたその意識体が重なってきた。 


「月子、あなたはプレアデスから来た宇宙巫女。 二十歳まで地球人に育てられました。今、地球は修羅場と化し、我々宇宙の存在も大変心配してます。 あなたにはこの地球を

変える一役を生前から約束されていた」 


「……? 私、なんでよ、そんなこと知りません。 地球に返して下さい。 それにあなた達宇宙人が国連に働きかけて、直接やったらどうですか?」 


「我々には直接手を下してはいけないというルールがある。 そこで二十年前あなたを地球人として育て上げるために、生後一ヶ月のニーナを失礼ですがコインロッカーに置いてきたんです。  そして縁あって月子さんの今のご両親が育ててくれたんです。 深層意識では御両親ともニーナが生まれる前から承諾済みです。 ニーナあなたも同様に」


「チョット待ってよ。 じゃあ、私は両親と血が繋がってないと?」 


「そうです」そのまま月子は気を失ってしまった。 


その時月子はその存在から黄色い石をもらった。 その石は宇宙の存在と会話が出来る能力や他にも様々な力を秘めていた。 やがて自然に使命に目覚めた月子は地球を救うため友人を集め、地球人の意識改革を始めることになったが困難の連続。


だがそんな日々の中にも心温まる出会いがあるという、独創的なヒューマンドラマに仕上がった。 さっそくFAXした。  


依頼者はFAXを読み快諾し、数日後依頼者に本が届けられた。



ある時、ハマの友人マキコがやってきた。 


「ハマさん久しぶり。 最近はどう? 何か面白い事あった?」 


「そう簡単に面白い事なんて無いよ……」 


マキコが「私も一冊頼もうかな?」 


「あんたのなにを書くのよ?」 


「私、最近考えてる事があるんだ。 近い将来なんだけど、家も家族も全部棄てて旅に出ようかなって思ってるの。 長年の夢だった、世界中を歩き回って絵を描いてみたいの。 世界中各地の町並みをなど……」 


ハマは驚いたが冷静を装った「それ小説で実現しない?  マキコがこれから実際にやるんではなくバーチャルでやってみたらどう?」


「バーチャル?  なにそれ?」 


「マキコが実際に体験しないで小説の中だけで経験をするの。 つまり仮想現実を小説にしてしまうの。 小説の中で色んな体験をしながら旅を重ねるのよ。 費用はかけず旅をして絵も学ぶのよ。 但し、すべてが仮想でね。  だからやりたいことをどんどんやるの。 男にもなれるし神様にだってなれる。 神として人類に警告を発するなんてのはどう? 創造は自由で制限が無いから何だって出来るし思いのままよ、どう?」


「ハマ、それ面白そう。 事情があって自分の夢を追えない人や、夢を一度挫折した人が再トライして夢を達成するの。 たとえ小説の中でも形にしたら何かが変わるかもしれないよね。 なんかワクワクする……」 


「マキコ、私も夢が広がったわ。 ありがとう。これ商売になるかもしれないね? なんか喜ばれそう、ワクワクしちゃう…… さっそくマキコの夢叶えちゃいましょう。 当然無料でね! 発想のお礼」


「OK」 


この企画はたちまち世間に広がった。 特に中高年層や主婦に好評だった。




END



「小説請負人ハマⅡ」


 今日も、依頼があった。 今回の依頼は小さい頃の夢で歌手になって世界中を飛び回り、みんなに感動を与える人間になりたいという女性の依頼。


例のごとくあらすじをFAXした。


あらすじ 


川田ミヨリ二十歳。職業歌手。 MIYORIは高校の時所属していた合唱部で歌う事の楽しさを経験した。  その経験が歌の世界に導く切掛けとなった。 しかし、MIYORIには性格上大きな問題があった。 それは他人と同じ事をするのが大の苦手という事。 MIYORIが歌の楽しさを知ると同時に独自の歌が作りたくなり、ギター片手に作詞作曲を手がけ、今ではレパートリーが五十曲を超えた。 


そのどれもが完成度が高く、プロのアレンジを加えると歌謡史に残るのではと専門家先生のお墨付きであった。 


でもMIYORIの意識は違った。 まだデビューもしていないのに夢の舞台は日本ではなかった。  そう、頭の中は世界を相手に歌っているMIYORIの姿。 


結局、日本の音楽関係者からは「世間知らずの天狗少女」と相手にされず才能は埋もれてしまった。 だが夢を諦めないという強い意志のMIYORIはバイトでお金を貯め単身渡米した。


場所はミュージカルの本場ニューヨーク。 昼間はカフェで働き、夜はバーのウェートレスをしながら、あらゆるオーデションに応募するという下積み生活が三年続いた。 


そんなある日の休憩中、店の裏でMIYORIはアドリブでギターを弾き、今の心境をバラード調で歌っていた。 そこにたまたま通りかかったのがプロデューサーのJ・キングだった。 彼は大物歌手を何人も世に出した凄腕プロデューサー。 


「ねえ君、もう一度、今の歌をうたってみてよ」


MIYORIは要求に応え歌った。 


じっと聞いていたJ・キングは歌い終わっても微動にしない。 


MIYORIは「ごめんなさい。 私、休憩終わりだから行きます。 おじさん、聞いてくれてありがとうね……」その場から立ち去った。


J・キングは「この娘の歌には特有な波長が感じられる。 それは今まで経験した事のないもの。 世間に知らしめたい……」いつもの感がひらめいた。


彼はその衝撃を抑えきれなくなった。 その事が切掛けでMIYORIは夢のアメリカデビューが叶った。 そこからが怒濤の勢いで、アメリカ、ヨーロッパと瞬く間に彼女の歌は世界を駆けめぐった。 MIYOという愛称で世界の人気者になっていった。 日本でMIYORIを批難していた音楽関係者も、手のひらを返したように態度が豹変した。 


「こんな内容でどうでしょうか?」とハマはFAXした。 


先方から返信がきた「ありがとうございます。 内容に申し分ありません感謝しております。 ただ、最後は人気絶頂の中、白血病でMIYORIを他界させて下さい。 最後は伝説の歌手として終わりたいのです」 


小説は製本され依頼者ミヨリに届けられた。 今日もまたハマのもとに一通の手紙が届いた。



僕は小林ヤスマサ。来年定年退職を迎えるごく普通の公務員です。 長年自分を抑えて組織に従ってきた何処にでもいる普通の公務員。 定年退職を迎えるに辺り、僕が若い頃夢見た職業に小説の世界だけでもいいので思いを叶えたいのです。 


その夢とは芸術家。 僕は長年規則の中で生きて来ました。 規則から外れることを許さない世界。 その反動もあり自由な発想の表現者として芸術家を選びました。 結末はどうでもかまいません。  とにかく破天荒な自分を演じさせて下さい。 


小林ヤスマサ



 ハマは執筆に取りかかった。


あらすじ 

K・ヤスマサ、年齢不詳、出身地不明、職業アーティスト。 作風は本人曰く「宇宙と風」 


かつて岡本太郎は「どんなものにも顔がある」と表現した。 


彼の場合「どんなものにも宇宙がある」


彼は東京世田谷の某大学を出たあと、叔父の薦めで世田谷区役所の勤務を三年勤めたが、性分に合わないと退職し、毎日、下北沢、渋谷、吉祥寺あたりで路上に自分の作品を並べて創作しながら販売するという生活をしていた。 K・ヤスマサの作風は自分でいうとおり宇宙を意識しているらしいが理解に苦しむ作品も多々ある。 


右と左が○と□のメガネを作って「宇宙を見るメガネ」と言ってみたり、キューピー人形に鉄の鎖を巻き付け「悟り直前(宇宙即我)」と題し販売したりと、一般人のいや社会性の理解を超えた作風だった。 そんなK・ヤスマサにいつも優しく接していたのが竹内イクヨ。 彼女には特異能力があり希望者の顔を見て、その人に今一番必要な言葉を書で表現し販売するという書家でもあった。


イクヨの感応能力は学生の間では評判。 そんなイクヨはK・ヤスマサの一番の理解者。路上販売の生活が一年ほど続いた頃、何処から聞きつけてきた大手広告代理店からK・ヤスマサに作品のオファーがあった。 来年竣工予定の駅前ビルの玄関ホール前に「宇宙をイメージしたオブジェを置きたい」との依頼。 


費用は材料費込みで三百万円。

 

K・ヤスマサにとっては思いがけない仕事の依頼だった。 その作品を期にK・ヤスマサの名前は徐々に世間に浸透し数年後には奇才K・ヤスマサと評され、世界的にも徐々にであるが有名になってきた芸術家のひとり。 


だが本人は「……? 何かが違う。 何か解らないけど何処かおかしい」と眠れぬ夜が続いた。 


悩み続けたある日「そうだ!まだ宇宙が見えてない。 僕の宇宙はこんなちっぽけな型には納まらない! 僕の宇宙は頭の中のその向こうに存在するはず、それが絶対の宇宙!」 


そう言い残しK・ヤスマサは全ての依頼を断ってイクヨと旅に出た。


数年後、バルセロナの路上で東洋人のカップルが作品を展示販売していた。 女は色紙に筆字で○(調和を表現)を描き、依頼者の顔を見てその人にあった漢字を○の中に一文字書くというやり方で販売していた。 


西洋人には「東洋の神秘」と評され受けがよかった。


一方男性はなん時間でも瞑想し、目を開けたと同時にいっきに金属の造形に取りかかった、その姿は西洋人には理解に苦しむものだったが、作品は安定感のある斬新さが受け、こちらも違った意味で評判がよかった。


そんな二人を地元では「オリエンタル・イリュージョン」と親しみを込めて評した。


ハマは依頼者にFAXした。


依頼者は作品に納得したが、ひとつ注文をだしてきた。 


「作品のあらすじは了承出来ますが、イクヨの神秘性も随所に入れて欲しい」


との依頼がありイクヨの才能も含め小説は出来上がり製本され小林ヤスマサに送られた。


小説請負人ハマの仕事が雑誌に紹介され、数年後には、小説請負業という商売が日本にとどまらず世界的にもメジャーになってきた。 SF・恋愛・サスペンス・童話などなど多彩なジャンル専門の才能ある小説請負人が、職業として普通に受けいれられるようになった。


小説請負という職業のパイオニアはハマであった。 


この形態のあり方を「ハマノベル」と称され世界の共通語とされた。


END


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