07 抱いた想い
シグリットの熱は数日下がらず、何度か意識は戻ったものの、長い会話に耐えられる状態ではないと判断された。軍医からは暫くは刺激せず回復に専念させるようにと厳重に言い渡された。
その間、呪いが発動したのは二度。あれを何度も見せられるのは正直かなり辛かった。見た者の精神すら削る恐ろしい呪い。場慣れしている筈のアルベールとマティアスですら、憔悴しているのが判った。情勢の穏やかな南方騎士団のカルラやトマスにとっては相当堪えるものだったようだ。だが、一番辛いのはシグリットだ。エルドリートは少しでも支えになれればと呪術祓いの場には必ず立ち会った。ヤンも思うところがあるのか同席し、発動した凄まじい呪いや呪術祓いを実際に目の当たりにして、驚きと怒りを綯い交ぜしたような顔でしきりに何か考える風だった。
「現状対症療法しか出来ないのが辛いところだね」
とアルベールは自嘲気味に呟いていたが、自分はといえば、手を握って励ましてやることしか出来ない。それが歯痒かった。そう言えば、
「側に居て励ましてやるのも、今の彼女には大事なことだ。何十年もずっと独りで耐えて来たんだ。お前さんは十分役に立ってるよ」
マティアスに年長者らしい気遣いの言葉を貰ってしまった。
シグリットを基地へ保護して五日目。漸く熱が落ち着き、昼には少しではあるものの、スープを口にしたという話を聞いて、王都行きの話をすることにした。
病室の前にはトマスが立ち番をしていた。こちらに気付いて敬礼する。
「まだ起きていらっしゃいますよ」
「そうか」
シグリットは寝台に横たわったまま、カルラによって脇机の上に飾られた淡い桜色の花を眺めていた。花の名前は知らない。彼女なら分かるのだろうか。白い手を伸ばしてその花弁を静かに撫でている。こちら側からその表情は見えないが、辛うじて見える口元が微かに笑んでいるのが分かった。
――安らいでいるのなら、良かった。
病室に入ったエルドリートの姿を見て、彼女は花から手を離すと身体を起こそうとした。
「まだ本調子じゃないんだから、寝とけ」
身体を押し留めて寝かせ、捲れ上がった肌掛けを整えてやる。我ながら甲斐甲斐しいな、と内心苦笑すると、困ったような顔のシグリットと目が合った。
「何かまた面倒な事考えてんだろ」
気まずい顔で目を逸らされた。図星だったらしい。
「その、迷惑を掛けた、と」
「迷惑だと思ったら此処まで連れて来ねぇし、迎えにだって行かねぇよ」
手を伸ばし、一瞬躊躇ってからその頭を撫でた。拒絶はされなかった。シグリットは大人しくされるがままだ。初めて会った時からそうだった。失踪したきり数十年もの間姿を隠し続けて来たにも拘わらず、突然の訪いを拒む様子は無かった。本当は人恋しいのだと気付いたのは、付き合いを始めて比較的直ぐだ。
「……なぁ」
「うん」
撫でていた手を、緩く結んだ三つ編みの先まで滑らせて、毛先を弄ぶ。
「お前、ずっと独りであれに耐えて来たのか」
「……うん」
「独りの方が楽だったか?」
「……うん。呪い持ちだし、前のように仕官するのは難しくなって、色々言う人も居たし……気遣ってくれる人の方が多かったけど、あの時の私には、ちょっとした悪意さえ交わす余裕が無かったから、だから逃げて来たんだよ。なるべく人との接触を避けて、静かに暮らしていれば、城に居た時ほど発作が起きなかったし……本当に不老不死なら、人の手を煩わせなくても時間を掛けて解呪方法をゆっくり調べられるかと思ったし」
まぁ、それは適正が無いみたいで無理だったんだけど、とシグリットは苦笑した。
「発作は、今はどの位の頻度で?」
「年に五、六回くらいかな。体調崩したりすると、どうしても」
本当にその程度で済んでいるのだろうか。エルドリートは眉根を寄せた。一度寝込めば、何度か発作を起こすらしい事を知ってしまった。幾ら不死とはいえ、誰に看られるでもなく、たった一人でやり過ごしてきたのかと思うと、やり場の無い怒りが込み上げて来る。
険しい顔をして黙り込んでしまったのを見て、シグリットはエルドリートの気持ちを何か別の方向に解釈したらしかった。
「ごめんなさい。あれを見るの、嫌だっただろう」
「嫌じゃねぇよ」
また、罪悪感を抱いている。それを感じて咄嗟に口をついて出た言葉だ。だが、嫌ではないのは事実だ。
「嫌じゃねぇ。でもな、見てると辛い。……だから、お前を治したい」
彼女の事を全部知っているなどとは言わない。知っているのは紙の上に書かれた事実だけだ。だが、しばらく過ごすうちに分かった。どこにでも居るような普通の女で、でも共に過ごせば安らげる女だった。穏やかで、優しい女だと分かった。
(だから、優しいお前には、幸せになってほしい)
せめて、人並みの幸せを。彼女に関わる騎士達は皆思っているのだ。
「皆、お前が何の憂いも無く穏やかな生活に戻って来る事を願ってる。『友達』の幸せを願うのは当然だろ。なぁ、シグリット」
肌掛けの上に置かれた白い手を、そっと握った。黒曜石の双眸から雫が落ちる。
「……分かった。連れて行って、治して。お願い」
お願い、と。囁くように言われた言葉は、逃げ続けて来た彼女が、本当はあの日からずっと望んでいた事なのだろうと思った。
「……どうだった」
もう少し休むようにと寝かしつけ、眠るのを待って病室を出ると、アルベールらが待ち構えていた。
「王都まで行ってくれるそうだ」
アルベールとマティアスは互いの拳を突き合わせ、カルラとトマスはほっと安堵の息を吐いた。
「後は回復を待って出発するのみだ。まだ暫く掛かりそうだが、とりあえず早文を出しておく」
「なら、こっちで診断出来た内容だけでも一緒に送っといてくれないかな。先に受け入れ態勢をある程度整えておいて貰いたいんだ」
「わかった」
白騎士らの書類が揃うのを待ち、シグリットが王都入りを了承した旨をしたためて、王太子の伝書鳥に持たせてやった。オスティーユ入りしてから定期的に送っていた報告も、あと二、三回で終わりになるだろう。
早文の返事は二日程で戻ってきた。シグリットを気遣う内容と共に、エルドリートや白騎士らへの労いの言葉が綴られていた。温かみのある文面に王太子の人柄が感じられて、エルドリートは柔らかく笑う。それを読み終わって丁寧に畳んでから、ふと思い至る。
(――帰還したら、それで俺の任務は完了だろうか)
今回の任務は魔女の保護と護送のみ。王都まで連れて行ってしまえば、後はただ戦うだけしか能の無い青騎士の自分に出来る事は何も無い。せいぜいが友人として見舞う位だ。
(シグリットと離れて原隊に復帰すれば、それまで、か)
そう思ったら、妙に胸が痛んだ。無意識に、まるでシグリットがしていたように、胸元を掴む。
(……俺は、シグリットを、)
そこまで考えて、エルドリートは首を振った。文を懐に仕舞い込むと、今後の予定を知らせる為にヤンの執務室へと向かう。
――抱いてしまった淡い想いに、気付かない振りをして。
男の子の感情の描写って難しいですね。