04 魔女との交流
ヤン・ペルレは女が本当に御伽噺の魔女だったことに驚き、そして快く南方騎士団所属の白騎士を二人貸してくれた。事情を話すかどうか一瞬悩んだが、「犯罪事件の被害者」ということもあり、万に一つの間違いを防ぐため、二人には包み隠さず話すことにした。その内容に二人は随分驚いたものだったが、内心興味津々なのだろう。彼らは快諾し、滞在中の間は見張りとして立つこととなった。
「あまり刺激しない方が良さそうだ。とりあえず当面は事件や症状については触れずに、ご機嫌伺い程度に訪ねて、俺たちに慣れてもらうところから始めるか」
エルドリートは提案し、午前中は強化訓練、午後はシグリットの家を訪問、後は輪番で見張りに立つ事にした。
午前中の強化訓練には主にエルドリートが受け持った。白騎士二人は南方騎士団の白騎士隊の視察と技術指導を行い、時折強化訓練にも参加した。呪術専門とはいえ剣の腕も立ち、やはり中央の騎士は違うと称賛されたものだった。
素振りや打合いをして剣の形、戦いの癖を見て問題点を指摘する。概ね悪くは無いのだが、やはり穏やかで魔物の数も少なく大きな戦闘の無い地域とあって、緊張感の欠如は否めない。対戦試合なども混ぜ込んで適度な緊張感を持たせる。そんな風にして朝の勤めを終え、軽い昼食を取ると数日置きにシグリットの家へと向かう。そんな生活が数週間続いた。
「いつもありがとう。かえって気を使わせてしまって」
手土産代わりに街で手に入れた野菜を手渡すと、眉尻を下げてシグリットは言った。
「気にすんな。こっちこそいつも済まないな」
最初の頃こそ戸惑う様子を見せたシグリットだったが、交流を深めるうちに徐々に慣れ、
今では互いに気安い態度になっている。実年齢は八十をとうに過ぎている筈だったが、街に時折出る以外は交流も無く、引き籠って暮らしていたから内面は二十代の頃とほとんど変わっていないという彼女の言葉通りに若々しい。言われなければ其処らの若い女とあまり変わるところは無い。ただ、それだけに、彼女の時間は『あの日』以来止まったままなのだという事を思い知らされる。そして時折彼女に影を落とす憂いを帯びた表情。
「さあ、どうぞ」
近況を報告し合いながら卓に着くと、温かい湯気の立ち上る皿が勧められた。賽の目切りにした色とりどりの野菜の浮いた乳色のスープ。表面を狐色に焼き上げたバゲットが添えられ、塗られた香草混じりのバターが微かな乳の香を放った。
「有難い。頂くよ」
気を取り直して匙を取ると、待ってましたとばかりにマティアスが皿に取り付いた。まるで若造のような食いつきぶりである。もう三十は越えていると聞いていたが、まだまだ働き盛りの彼に騎士団の食事量は少ないようだ。それを横目に苦笑いしつつスープを口に含むと、程よい塩気と出汁の香りが口内に広がった。鍛錬後の塩分の抜けた身体に染み渡る。しばらく通ううちに気付いたが、軽食として出されるものは、甘味を省き塩気のある献立が選ばれている。そして、必ず温かいものが振る舞われた。こちらの身体を気遣ってくれているらしい事に魔女のさり気ない優しさを感じて、エルドリートの心の奥に仄かな熱を灯す。
「嫁さんに貰うならああいう女がいい」
マティアスはすっかり胃袋を掴まれたようだ。一緒に食卓に呼ばれた今日の見張り番である南方騎士団の白騎士トマス・ディールスも、リスのように口一杯に入れたバゲットを咀嚼しながら頷いている。
最近では訪ねると茶菓以外にこうして軽食が用意されるようになった。流石に恐縮して辞退しようとしたが、せっかく気遣って訪ねて来てくれるのだからと押し切られてしまった。正直言えば、朝晩と違って軽めにしか出されない騎士団の昼食では物足りないので有難かった。川魚と香草を練り込んだ焼き立てのパイや、具沢山のシチュー。騎士団の食堂では味わえない家庭の味だ。細やかなもてなしを受けた騎士らは、温かい気持ちになった。そしてエルドリートらは、手土産代わりに食材を差し入れるようになった。
親しい友人同士のような、穏やかな交流。
南方騎士団の白騎士カルラ・ヘーヴェルは見た目の年齢が近い女同士とあって、個人的にも親しくなったようだった。見張り番の際はシグリットの方から声を掛け、娘同士のようにくすくすと笑いながら内緒話をしたり、甘い菓子や花の香の付いた軟膏を贈り合ったりと、良い関係を築いているようだ。
こういう風に親しい人と接するのは数十年ぶりだ、と嬉しそうに笑うシグリットを見て、エルドリートは安堵した。時折胸元を押さえる仕草は見せるものの、大分落ち着いているようにも思えた。そろそろもう一度王都行きを勧めてみても良い頃合いかもしれない。
そう思い始めた矢先のことだった。
その日もエルドリートは朝食を済ませ、いつものようにアルベールらを伴って訓練前の身体慣らしに素振りを始めたところだった。程よく身体が温まり、そろそろ訓練を始めるかと思ったその時、訓練所の入り口付近が俄かに騒めき始める。何事かと視線を巡らすと、素振りをする騎士達の間を縫って、蒼褪めた険しい顔で駆けて来るカルラの姿が目に入った。綺麗に結い上げた栗毛が解れかけている。
「エルドリート殿!」
「何事だ」
息を整える間ももどかしいといった様子で一度唾を飲み込むと、それでも他の騎士らの耳に入らぬよう気遣いながら囁くようにカルラは言った。
「シグリット殿が発作を起こしました。マティアス殿が付いてますが、我々だけでは手に余るので急ぎ救援を」
――遂に来たか。
エルドリートはアルベールと目配せした。他の騎士らに緊急の用件が出来たとヤンに言伝を頼むと、待機していたトマスを伴い、厩舎に向かって駆け出した。