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騎士様の初恋は御伽噺の呪われし魔女  作者: 文庫 妖
第一章 呪われた魔女
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03 森の魔女

「――ここか」


 オスティーユ郊外、森の外縁部近くにその小さな家は在った。意識して見れば確かに其処にあるというのに、少しでも気を抜くと、辺りの景色と同化してしまいそうに希薄になるその存在。魔女の領域そのものに葉隠の術式が展開されているようだ。これでは見つけるにも手間がかかる筈だ。高位魔法の使い手というのは本当らしい。

 エルドリートらは静かにその領域に足を踏み入れる。小さいながらも良く手入れの行き届いた薬草畑のある庭は緑に萌えて美しい。風がそよぐと、微かに薄荷の匂いが漂った。物干しには調剤に使いでもしたのか、淡い緑に染まった平織りの綿布が数枚、風に棚引いている。家に近づくと、綺麗に磨き上げられた窓ガラスと白い清潔そうなカーテンが見えた。


「少なくとも『悪い方の御伽噺』の魔女が棲むような場所ではないね」


 手近な木陰に愛馬を繋ぎながら、白騎士のアルベールはぽつりと言った。エルドリートと、もう一人の白騎士マティアスも同意の首肯をする。


「じゃあ、行くか」


 やや緊張の面差しでエルドリートが言った。年月を重ねて飴色の艶を持った扉を二度叩く。微かな物音と暫しの沈黙の後、目の前の扉が遠慮がちに開いた。


「――シグリット・オルファレイス殿ですね」


 エルドリートの言葉に、顔を覗かせた黒髪の女は目を見開いた。






 簡潔な自己紹介をすると、躊躇いがちではあるが、邪険にされることもなく静かに中に招き入れられて、エルドリートは内心安堵した。長年姿を隠し続けた女だ。門前払いも覚悟していたので些か拍子抜けした事も事実である。

 元々来客を想定しては居ないだろう、居間の小さな卓に椅子は一つしかなく、勧められてエルドリートがその椅子に座り、残りの二人は長椅子に腰を下ろした。シグリットは寝室から丸椅子を持ち込むと、直ぐに簡素な台所に取って返し、手製らしい焼き菓子と茶器を持って現れる。


「どうぞお構いなく」


 エルドリートは一応断って見せたが、茶を勧められるままに口を付けた。


「……薬草茶で申し訳ないけれど」


 精神鎮静効果があるというその薬草茶を啜ると清涼感のある香りが鼻を抜け、口内に仄かな甘みが残る。紅茶よりも飲み易いとエルドリートは思った。アルベールも同じ感想であるらしく、少しずつ飲み進めている。あまり遠慮をしない性格であるらしいマティアスは、「あ、これ美味い」と呟きながら茶菓子を咀嚼していた。

 シグリットは三人の様子を目を細めて眺めていた。穏やかな気質であるのは本当らしい。


「正直に申し上げると、これほど簡単に入れて頂けるとは思いませんでした」


 率直に述べると、彼女は少し眉尻を下げて見せた。


「少し前から探られてるのは気付いてたけど、悪意は感じられなかったから。でもまさか今頃になって、その名前で訪ねて来る人がいるとは思わなかった」


 ぽつりとシグリットは呟いた。エルドリートは茶器を置いて居住まいを正す。


「では、シグリット殿で間違いないのですね」


 シグリットは頷き、油断したなぁ、と苦笑いする。


「逃げてから暫くは追手があったのは知っているけれど、まさかまだ探していただなんて思わなかったよ。もう六十一年も経つから、探す人も居ないだろうと思ってた」


 余所者の女の独り暮らしは目立つからと、街に出る時や住処の周辺は、あまり目立たぬよう気配を散らしていたのだけれど、と彼女は言った。

 六十一年。

 六十年ではなく、わざわざ六十一年と言った。そこまで正確に年数を数えるほどに、あの『事件』は今でも彼女を縛り付けているのだという事に思い至って、エルドリートは目を伏せた。


「確かに、シグリット殿が失踪後、一ヶ月で捜索隊は解散されたそうです。ですが、先帝陛下の強い希望で、各騎士団には引き続き捜索せよという密命が下されていました」

「――ジークが?」


 前国王を愛称で呼ぶ。親しい間柄であったのが伺い知れた。エルドリートは続けた。


「先帝陛下は晩年までずっとシグリット殿の事を気に掛けておられたそうです。早々に退位されたのも、貴女の捜索に専念する為だったと聞き及んでおります。貴女の身を案じ、どうにかしてその身に受けた呪いを解こうと、長年呪術の研究にも力を入れておられました」


 静かに聞いていたシグリットは悲しげに顔を歪めた。


「ずっと、気に掛けてくれていたのか……ジークには、迷惑を掛け通しだ。そもそも、私が居なければあんな事にはならなかったのに」


 この穏やかな魔女に早くも同情心が湧いたからか、それとも、あの物語の挿絵の悲しげな後ろ姿が頭の隅を掠めたからか、それはよく分からなかったが、自嘲気味に吐き出されたその呟きに、ついエルドリートは語気を強めた。


「迷惑とは思っておられなかった。先帝陛下の日誌を読みました。身内の所為で貴女を酷く傷つけたと、呪いを解く義務が王家にはあるのだと、何度もそのように書かれていた。貴女を心底案じておられました。当時の調査書類も全て目を通しましたが、俺も貴女には何の落ち度もないと思っております。どうか、我々と共に城においでください。貴女を真に解放する事は、先帝陛下の悲願でもあるのです」


 一息に言い切ったエルドリートから目を逸らすと、シグリットは胸元を押さえ、唇を噛み締めた。


「……でも、私は(あそこ)から逃げ出した人間だよ。本当なら、あんなことになる前に、あそこから出るべきだった」


 吐露された心の内。そこには強い後悔が滲んでいる。


「……呪いの症状は、今でもありますか?」


 沈黙が下りたのを見て、アルベールが言葉を差し挟んだ。


「最近は、あまり無いかな」


 あまり(・・・)無いという事は、今でもある、ということだ。エルドリートは顔を顰めた。


「王太子殿下からはあまり無理強いはしないようにと言付かっております。どうしてもお嫌ということであれば、別の方法を考えるとも言っておられました。ですが……俺個人としては、貴女には治療を受けて頂きたいと思っています」


 シグリットは胸元を押さえたまま、溜息と共に言葉を吐き出した。


「少し、考えさせて」

「――日を改めてまた来ます。申し訳ないが、念の為見張りだけは付けさせて頂きます」


 振る舞われた茶菓の礼と共に暇乞いする。扉を閉める直前に見えたシグリットの背は、酷く頼り無く見えた。――あの、絵物語で見た、挿絵のように。



 魔女の家を出て、暫し無言で歩く。

 暫く歩いた後に、アルベールはぼそりと言った。


「……出てたね」

「……ああ、出てたな」


 それに応じて、マティアスもまた頷いた。


「何の話だ?」


 二人の間では通じているらしい極めて短い会話に、エルドリートは首を傾げた。


「話の途中、彼女、何度か胸元押さえてただろう」

「ああ。癖かなんかかと思ったが……」


 アルベールとマティアスは難しい顔をして唸った。


「なんだよ」

「……あの仕草をする時、微弱ではあるが呪いが発動していた」

「なんだと!?」


 思わず目を剥く。


「ほっといて大丈夫なのか!?」

「微弱だと言ったろう。直ぐに消えたから、とりあえずは大丈夫だよ。ご自分である程度は抑え方を御存知のようだ。しかし……」


 アルベールは暫し考え込んで見せた。マティアスが言葉を継ぐ。


「あれだけではまだ正確な呪いの状態や発動条件は特定出来んし、どんなタイミングで症状が出るかも正直予測がつかん。記録にあったような重篤な症状がいつどういう頻度で出てるのかは分らんが、見張りに付くなら、念の為直ぐに対応できる呪術専門の人間がいいだろうな」

「とすれば、あんたらの他にもう一人二人は欲しいところだな。司令官殿に白騎士を借りられるかどうか相談してみるか。とりあえずどっちか直ぐにでも見張りに立って欲しい」


 アルベールとマティアスは顔を見合わせると、頷いた。


「なら、俺が行っておく。決まったら教えてくれ」


 マティアスが引き受け、来た道を引き返して行った。エルドリートは溜息を吐いた。


「……日を改めて説得するにしても、難しい案件になりそうだ」

「そうだねぇ……」


 エルドリートは空を仰いだ。よく晴れ上がった空は淡い色の雲を浮かべ、そこを軽やかな鳴き声を上げながら、柔らかい色合いの小鳥が美しい街並みの向こうへ飛び去って行く。美しく長閑のどかな田園風景とは裏腹に、エルドリートの心は晴れなかった。心の片隅に、悲し気に微笑む魔女の姿が浮かんで、消えた。


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