ある御伽噺
『昔、昔。
とある国の片隅に、老いた薬師と養い子の娘が住んでいた。
流行り病でこの世を去った知己の娘を、薬師は我が子のように可愛がり、己が知識と技を分け与えた。いずれ娘が独り立ちし、その後の暮らしに困らぬように。娘はよく働き、よく学び、そして真綿が水を吸うが如くによく覚えた。
やがて薬師は永久の楽土へと旅立った。娘は薬師の古馴染みに魔法の才を見出され、王城へと招かれた。そこでも娘はよく学び、やがて、薬学と魔法の力を認められ、魔女として城に仕えるようになった。
そこで魔女はひとりの騎士と出逢った。強く美しい騎士だった。ともに戦い、語り合い、そしていつしか二人は恋に落ちた。城の者達は、皆あたたかく仲睦まじい二人を見守った。
だが、その二人の仲を妬む者が居た。騎士を恋慕した悪しき魔女は、あらゆる手を使いて騎士を誘惑するが、彼は全く靡かない。
ある日、国の外れの黒の森に、恐ろしい魔物が現れた。瘴気を浴びて魔と化した、大きな翼持つ竜だった。この頃国のあちこちに、瘴気が淀みて魔物となり、人々を襲って苦しめていた。
豊富な薬の知識と治癒の術、そして数多の大魔法を操る善き魔女と、多くの魔物を屠った英雄と名高い騎士に、国の王は魔物を討てと命じた。魔女と騎士は兵士を率い、黒の森を訪う。襲い来る魔物らを薙ぎ払い、やがて見えた禍々しき竜を、長きに渡る戦いの末、魔女と騎士は討ち伏した。
戦場に勝ち鬨の声が響き渡る。
兵士らは喜びに沸き、魔女と騎士を救国の英雄と褒め称えた。
だが、その時。
息を潜めて隠れし魔物が、善き魔女と騎士に牙を剥く。
騎士は愛する魔女を庇い、毒の牙と爪を受け倒れ伏した。魔女は残る魔力を振り絞り、悍ましい魔物を討ち倒す。そして治癒の術を繰り懸命に騎士を癒したが、毒と瘴気が騎士を蝕み、やがて彼は息絶えた。
人々は騎士を悼み、そして善き魔女を気遣った。
だが悪しき魔女は怒り狂い、善き魔女に不死の呪いを掛け、死した騎士の元に逝けぬまま、永劫にその身を苛む責め苦を科した。善き魔女はその身を恥じ、そして人々の前から姿を消した。
――昔、昔の物語。』
子供の絵物語にも描かれる、魔女と騎士の御伽噺。
幼い頃、初めてこの物語を読み聞かせられた時、酷く悲しくなったことを覚えている。
「めでたしめでたし」で終わる美しい絵物語ばかりの中で、物悲しく残酷な物語。
そして、幼い少年らしく、世の理不尽と汚れを知らぬが故の真っ直ぐな正義心の塊だった俺は、物語の読み手だった祖母相手に息巻いたものだった。
「騎士が死んだのは魔女のせいではないのに、どうして魔女はこんな目に合わされるのですか」
――儚く悲しげに描かれていた挿絵の魔女。物語の最後、森の奥へ消えていくその魔女はどうしてか、王子の助けを待つ姫君のようにも見えた。
「かわいそうな魔女を、僕はいつか助けるんだ!」
御伽噺のその魔女に、多分俺は、恋していた。まるで、少女が物語の英雄に恋をするように。
祖母は目を細めると、どこか遠い所を見るような顔をして微笑んだ。
「そうね、ならいつか貴方が魔女を探しておあげなさい。きっと、誰かが助けに来てくれるのを待っているわ」
そして、暫く後。この御伽噺には、別の視点から描かれたものもあると知った。絵物語としては残されていない、口伝で伝えられる物語。
既に物語の魔女に『恋』していた俺は、その物語を聞いて憤慨した。可哀そうな魔女は、悪しき魔女として描かれていたからだ。
『昔、昔。
とある国の王に、ひとりの美しい姫がいた。姫の傍らには、強く気高い騎士がいた。二人は主従の絆を越えて愛し合う、言い交わした仲だった。
だが、騎士に恋慕した城仕えの魔女は、二人の仲を引き裂いた。己に靡かぬ騎士に呪いを掛けて、その心を惑わし我が物にした。
ある日、国の外れの黒の森に、恐ろしい魔物が現れた。瘴気を浴びて魔と化した、大きな翼持つ竜だった。この頃国のあちこちに、瘴気が淀みて魔物となり、人々を襲って苦しめていた。
多くの魔物を屠った英雄と名高い騎士に、国の王は魔物を討てと命じた。姫は騎士の身を案じたが、心を囚われた騎士は魔女を伴い旅立った。襲い来る魔物らを薙ぎ払い、やがて見えた禍々しき竜。騎士は命を賭して戦った。だが、悪しき呪いで心を縛られた騎士は、己が力を出せぬまま、竜の毒に侵され倒れ伏した。
騎士との戦いで弱った竜を、魔女はその魔法で討ち倒す。悪しき魔女は、永久に己の物になった騎士の躯を抱え、本来騎士がなる筈だった救国の英雄として凱旋した。
だが、嘆き悲しんだ姫の願いを聞き届け、神は魔女に不死の呪いを掛け、未来永劫続く苦しみの罰を与えた。そして事実を知りて激怒した王は、瘴気渦巻く黒の森へ、魔女を追放した。
永久の咎人となった魔女は、今でも苦しみの罰を受け続けているという。』
何故、同じ御伽噺でありながら、魔女の印象だけが正反対に異なる二つの物語が存在するのか。俺はその理由を、騎士を拝命して数年の後、知ることになる。