第1話
傲岸不屈な魔王さまはようじょになりました
ずっとずっと昔、神さまがまだいて、みんなが神さまの言うとおりにして生きてて、世界がいちばん平和でしあわせだったころ。
中くらいの大きさのある国に、ひとりのおうじさまが生まれました。その子はとってもあたまがよくて、かっこよくて、そして強かったそうです。
そんなかれが大きくなって、お父さんの後をついで次のおうさまになったとき、かれはいきなり、神さまをやっつけてやる、と言いだしました。かれはわるいおうさまになってしまったのです。
まわりのみんなはびっくりして、どうして、と聞いてみると、わるいおうさまは、おれよりバカでブサイクでよわいやつなんかの言うことなんて聞きたくない、と言いました。そのうえ、ダメだよ、と言って止めようとしたひとをやっつけてしまいました。
そして、いやがるみんなをむりやりしたがわせて、神さまとたたかいはじめました。はじめはたたかいたくなかった神さまも、わるいおうさまがやめようとしなかったので、しょうがなくたたかいました。
たたかいは十年もつづいて、世界のあらゆる国がなくなって、一つになっていた世界が二つにわかれてしまいました。
そんなたたかいのおわりは、あるときいきなりやってきました。神さまがだまされてたおされたのです。
わるいおうさまは、たたかいをやめるお話をしようと言って神さまをよんで、そこで神さまをたおそうとしたのです。
でも、神さまはかんたんにはやっつけられませんでした。さいごのさいごにわるいおうさまをふういんしたのです。
みんなは、いつかもういちどやってくることがないように、いなくなった神さまにお願いしました。きっとお願いがとどくとしんじて。
わるいおうさまのなまえはシン・リンドブルム。のこされたみんなは、世界でいちばんわるい心をもったわるいおうさまを、魔王とよびました。
もういちどやってくるその日まで、このお話がつづきますように。そして、こんどは負けないように。
絵本『魔王と神さま』より抜粋
* * * * * *
コントワナ大陸北西部に位置するビンティア山脈のとある農村には、古い言い伝えがある。
【悠久の時過ぎ、神の恩恵忘れし時、再び彼の者目覚めん】
これがその言い伝えである。あからさまである。もうどこをどう読んでどう解釈しても魔王が封印されているようにしか訳すことができない。
事実、数百年ほど前にこの言い伝えがこの村を支配している貴族の耳に入ったときは、国どころか大陸中を巻き込んだ探索が行われた。探索は数年に渡り続けられた。10億メニーもの懸賞金がかけられた魔王封印の地を探し、ビンティア山脈のそこかしこへと冒険者たちは進んでいった。
だがしかし、人々の予想は外れ、魔王封印の地は見つかることはなかった。
潮が引いていくように熱は冷めていき、瞬く間に沈静化していった。
そうして段々人口が減っていき、廃村になりかけている今へと至る。
所変わって村から数キルメーテほど離れたある湖のほとりに、一つの人影があった。ぼろ切れのようなものを纏っただけの姿は、まるで浮浪者のようだった。
「むむぅ、ようやっと忌ま忌ましい神めに掛けられた封印が解けたというのに、どうにも本調子に戻らん……」
その人影──魔王シン・リンドブルムは、痛む頭を押さえながら覚束無い足取りで立ち上がった。数百年もの時というのは侮れるものではなく、シンが封印されたころとはかなり地形が変わっていた。そのせいで、シンは今どこにいるのかすら把握することは出来なかった。
いや、仮に地形が変わっていなくとも把握することは出来なかっただろう。なぜならシンの数少ない欠点の一つは、絶望的に方向感覚が無いことだったのだから。
それを誰よりも理解しているシンは、そうそうに現在地を知ることを諦めた。
とはいえシンは世界をまともに治めていた神に反逆した史上最悪の存在。当時を知るものなどまずいないだろうが万が一があるため迂闊に動けない。つまりやれることがなかった。
これから何をしようかと考えだしてすぐにそのことに気づいたシンは 頭を抱えてしまう。騙し討ちまでしながらほぼ相討ちに持ち込まれたことがトラウマになっているシンは少しばかり自重を覚えていた。
なによりまた封印されるなどこりごりだった。
そんな理由から、シンは何もしようとしないで、腰をおろしてぼけっと空を眺めるだけだった。かつては魔王と呼ばれ世界中に恐怖と混乱を撒き散らした者とは思えない姿である。
往年の魔王を知る者が見れば目どころか頭を疑いそうな行動をとるシン。東にあった太陽が頭の上までくるほどの時間をそうして過ごしていた。そこまで来るとさすがに動かないといけないと思ったシンが立ち上がった瞬間。
ギャギャギャ、と耳障りな音が響いた。
ゴブリン が あらわれた!
魔王 は にらみつける を つかった!
ゴブリン は うごけなくなった!
雑魚・オブ・雑魚の呼び声高いゴブリンがシンに敵うはずもなく、ただ睨み付けただけで勝敗は決した。シンの覇気にあてられてガタブルしているゴブリンへの興味がなくなると、何事もなかったかのように再び湖をぼーっと眺めだした。
ゴブリンへの関心が頭のなかから消え去りかけていたその時、シュッ、と風切り音がシンの耳に届いた。敵襲か! とわくわくしながら素早く音のした方へ向き構える。
だが、シンにとっては残念なことに、そこにいたのは敵ではなく、頭に矢が突き刺さり事切れているゴブリンと、弓矢を持った若い男だけだった。
「なんだ、つまらん。敵じゃないのか。ふんっ、期待して損したわ」
文句を垂れつつその男に近づいていく。シンの瞳に映るその男は、茶髪に焦げ茶色の瞳、中の上程度くらいの顔、それに中肉中背と平凡を絵に描いたような見た目と雰囲気をしていた。
そのことに軽い落胆を覚えつつ話しかける。
もちろん、シンが内心を隠す努力なぞするわけもなく、態度にありありと不満が出ているのだが。
「おい、そこの凡愚。貴様だ、貴様。俺と貴様以外に何か見えるのか? ふん、だとしたら貴様の目はもう終わりだな。それより、俺に話しかけられたことを光栄に思い感動にうち震えるがいい‼」
「はぁ、それは、なんというか、ありがとうございます? ってそうじゃなくて! 僕は何で君みたいな小さい女の子がこんなところにいるのかって聞きたいんだよ‼」
「………小さい、女の子? 誰がだ」
「君だよ!」
「いや、俺はおと………」
シンはことここに至ってようやく自分の身体に違和感を感じた。今更といえば今更ではあるが、生まれてこの方容姿や声に絶対の自信があるシンがそんなことに気を向けるはずもないので、気がつかなかったのも、当然と言えば当然だった。
え、ちょ、どうしたの!? と引き留める声を無視して湖の方へ駆け戻る。今さっきまでいたほとりまで戻ってくると、水面に姿を映した。
そこに映ったのはシンではない何者かの姿だった。
緋金色の髪と、血のように赤いワインレッドの瞳をしたようじょだった。
世界に覇を唱えんとした魔王シン・リンドブルムの覇気溢れる青年の姿ではなく、庇護欲を掻き立てられるようじょだった。
あんまりな自分の姿を見て、シンはひと言。
「くくっ、たとえようじょになっても変わらぬ黄金比。それでこそ俺よ」
特に動揺することもなく普通に受けいれ、自分に酔っていた。
自己陶酔系魔王さまはようじょになっても自分に酔えるアレな人だった。
ぐふ、ぐふふ。と気持ち悪くてしょうがない声をもらしながら色々なポーズをとるシン。痛い言動があっても、見た目はかなりの美ようじょだからか、それほど絵面は酷くない。
が、それにためらいなく話しかけれるかと言えば、そうではない。それは、シンに凡愚と酷評された男、ユーリ・サイトーもあてはまる。
ゴブリンに襲われそうになっている女の子を助けたと思えば、やたら態度がでかい上に罵倒までついてきた。さらに奇行まで足されたとなると、ユーリのキャパシティを大幅に越えていた。
話しかけることも出来ずシンの周りをうろうろと歩き回る。
そしてそんなことをずっとしていれば、基本的に凡人に関心を持たないどころか関わりすら持とうとしないシンでも気になってくるわけで。堪忍袋の尾が切れた。
「きっさまぁ、いい加減にしろぉ! 俺は今忙しいんだ、構っている暇などないわぁ‼」
「うわぁ! き、気づいてたんだ…。そうならそうと言ってくれればよかったのに」
「はっ、凡愚を気にかけてやるなど俺がするものか」
「初対面の人にそういう態度はよくないとユーリ君は思うなー‼」
「ふん、俺は俺のやりたいようにやる。貴様の指図など受けんわ」
かたくなに偉そうな態度を崩そうとしないシンに、根気強く話しかけていく。保護者が見当たらないようじょをこんなとこに放置するわけにはいかない、という思いがユーリにそうさせていた。
数分かけてなんとかユーリが聞き出せたのは、名前だけだった。
とはいえ、それもユーリの常識に当てはめればまず間違いなく偽名としか思えなかった。一体どんな神経をした親なら自分の子どもに世界最悪の人物の名前をつけるのか。
ユーリはシンの親の気が知れなかった。
魔王本人だという真実は、当然ながら頭の片隅にすら浮かばなかった。
「えーっと、シンちゃん、でいいかな? 一緒に僕が住んでる村まで来てほしいんだけど、大丈夫かな」
「………………ふんっ、勝手にしろっ」
───あれ、いいの? まあ、いいならついていくだけだけど。
ユーリがそう思っているなどとは露知らず、シンは変わらずにマイペースに我が道を突き進む。
「ではユーリ、案内するがいい」
「それじゃ行こっか。あ、何かあったら大変だから、静かにしながら離れないで付いてきてね」
「案ずるな。俺が居る以上木っ端魔物なぞ近づいてこんわ。それより貴様の村のことについて教えろ」
「そ、そっかぁ。ま、まあ僕が頑張って対処すればいいことか……」
やけに自信たっぷりにそう言うシンを見て、よくわからないがとりあえず納得したユーリ。魔物除けの魔具でも持ってるんだろうなー、なんて考えていた。
ようじょなシンに合わせたスピードでゆっくり歩く紳士なユーリの後ろを、てくてくと短い足を動かしながらついていく。
村の人口や年齢比、戦力などをストレートに聞き出しながら歩いていたとき、ふと、自分の身体に何かが当たったことにシンは気付いた。
何だ、これは。魔力とは違う、シンが知らない何か。全くの未知。
数万をも優に越える数の魔導書を読み叡智を蓄えてきたシンをして全くの未知と思わせる存在。
その事実は、自分が天才だと気付いた時と同じかそれ以上の衝撃をシンに与えた。どれだけ蓄えてきた知識を探ってもそれに該当するものはなく、ますますシンを思考の泥沼へと導くのみだった。
いきなり立ち止まり無言になった上に、分からないという苛立ちを無作為に怒気として振り撒くシンにびくびくするユーリ。全盛期より力を落とし、ようじょになったとはいえ元は世界を手中に納めかけたその力は伊達ではない。自然に漏れだした魔力の余波でユーリを行動停止にしていた。
固まっているユーリをほっぽって、シンはシンでぶつぶつと呟きながら思考を巡らし続ける。
そんな混沌とした状況は、数十分ほどたち、シンのお腹からキュルルゥー、と音が出るまで続くのだった。
「……………………」
「村、行こっか……」
「…………………うむ」
気まずくなった空気のなか黙々と歩く。一定の距離を進むごとに感じる未知をあえて無視しながら進む。ユーリがそれ気にしないのは、気づける程の技量が無いからか、それとも既知だからか。それはシンにも分からなかった。
もし仮に、万が一にでもユーリにとってそれが既知ならば、教えを乞うことも辞さないと考えていたとき、シンの目に微かな光が見えた。それと、人らしき者の話し声も。
「む、ユーリ。北北東八百メートルくらいの辺りに集落らしきものがあるが、あれか?」
「多分そうだけど………。この距離で分かるって、ほんとシンは廃スペックようじょだね」
「うん? なぜか貶された気がしたぞ?」
「褒めただけだよ、安心しなって」
「む、そうか? ふふん、ならばもっと褒めてもよいのだぞ‼」
そんな風にどや顔で無い胸を張りつつ絡んでくるシンを適当にあしらいつつ、背負っていた矢筒から矢をとり出し、弓につがえる。
ユーリの真面目な雰囲気を感じ取ったシンが静かになれば、聞こえるのは風の音と虫の声だけになる。
少しだけ、それこそ自然にある魔力と区別がつかないような、それくらい少ない量の魔力を、ユーリが睨んでいる方へと放つ。間を置かずシンに戻ってきた魔力の残滓は、明確に人形の何かを感じさせる。
先手必勝とばかりに魔法陣を展開し臨戦態勢に入ったシンは、しかし、攻撃することはなかった。
隣に佇むユーリが、弓を下げ、警戒を解いたからだ。
「なんだ凡愚、知りあいか」
「うん、まあね。で、シュリカ。迎え?」
「yes. お帰りなさらないので変異種でも出たのかと。but.変異されたのはユーリ様でしたか。申し訳ございません、私は変態を主と呼びたくありません。so.お還りください」
親しげに話しかけたユーリは、辛辣なシュリカの言葉に硝子の心を砕かれ、シンはよく分からず疑問符を浮かべた。




