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教室 伝えられたり

 

 さっきよりかは雨の勢いがおさまっている気がした。

 癒埜とばったり出くわしたのは、まだ昼のように明るく賑わっている駅前でだった。相当長い時間走り回っていたのか、傘は手にしているものの、丈の長いスカートの裾やパーカーの袖先がぐっしょりと濡れている。

 空いているほうの手を膝に当てて深呼吸を繰り返していた。だいぶくたびれきっている様子だ。ある程度呼吸が落ち着くと、すぐに話を切り出した。

「さっき祖父から連絡がきました。可純さんがうちに来てたって」

「そっか」

 あのおっさん、なかなか気が利く。

「家にはいませんでした。ここの通りも捜したんですけど……」

 右から左に視線を這わせたあと、ふるふると首を振った。

 ……じゃあ一体どこにいるんだ……?そう広くもない街だ、あらかた捜したぞ。

 こうなるともうこの街にはいないんじゃないかとさえ思えてくる。電車に乗って、どこか遠くの知らない街へ、ぼくらの手の届かない場所まで──そうなっていたらもう、なにもかもが手遅れだ。

 ……待てよ、たしか電話していたとき……。電話口から聴こえてくる音はやけに静かだった。日衣の息遣いまでもが聴こえるほどに。あのとき、外は土砂降りのはずだった。……ということは、屋内にいるのか?屋内で日衣のいそうな場所なんてそうそう……。

 ──いや、ある。まだ一つだけ捜していない場所が。

 まさかと思ってずっと敬遠していたけれど、もうあそこしか捜す宛もない。

「癒埜」

 呼ぶとすぐに目が上がった。

「ぼくはもう少し捜すから、癒埜はもう帰って休んで……あっ」

 突然癒埜がスカートのポケットから出して見せてきたのは、今日のライヴのチケットだった。

「ひーちゃんからいただいたんです。ずっと楽しみにしてました。たとえどんなステージになるとしても、見逃すわけにはいかないです」

 えへへ、と力のない笑顔を見せる。そして、肩から提げていたショルダーバックから簡易の雨がっぱを出してくれた。

「待ってます、わたしも。お客さんの一人として。……大丈夫ですよ、きっとひーちゃんはそこにいるはずです」

 春の花のような笑顔でそう言っていた。

 同じ場所を癒埜も考えついたのか。それとも、ぼくの捜し当てる場所に必ず日衣がいると確信しているのか。どちらかはわからないけれど、不思議とその言葉で背中を押された気分になった。

 癒埜は頭を下げると、踵を返してライヴハウスのある方向へと歩き出した。その背中を見送ってからぼくは自転車に跨る。


 *


 まるでホラー映画の中にでもいる気分だ。

 夜の学校に来る奴は、大抵誰もがそう思うだろう。でもここは繁華街の中心にある学校だ。そのせいか、周りにあるいくつもの群生した建物からの光で彩られた校舎は昼と大して変わらない明るさで、そんなに恐怖心も湧かない。それよりも、お願いだからここにいてくれという願いだけが今のぼくの心を占めている。

 しっかりと閉められた校門をよじ登り敷地内へ入ると、三階の端の教室だけがやけに淡く光っているのに気づいた。蛍光灯の光とはまた違う、ぼんやりと仄明るい夕日のような教室。──きっとあそこだ。

 鍵を閉め忘れている窓というのは本当に存在するらしい。ぼくが見つけたのは、事務室の窓だった。それでも探し当てるまでに敷地内を半周したのだが……とにかく開いていてよかった。そこから中へ忍び込み、靴を片手にひたひたと階段を上っていく。

 目的の教室のドアは開いていて、廊下にまで夕日色が漏れていた。

 ぼくの気配に気づいたのか、窓際の壁に背を預け、膝を抱えていた少女がのろのろと顔を上げた。

 その足元には床に直置きされた蝋燭。夕日色の正体はそれだろう。床に映る日衣の影がゆらゆらと揺れている。

「……どうして、わかったの」

 日衣の掠れた声が教室に漂った。

「ぼくもまさかとは思った。お前学校大嫌いだしさ。でももう他に捜す場所もないし、それに……」

 相変わらず目を合わせてはくれないけれど、ぼくはその目を真っ直ぐに見つめてやる。

「誰もいない学校なら、二年分の変化もそこまで感じない。……そうだよね?」

 しばらく沈黙が流れたあとで、日衣は小さく頷いた。

「貼り物とか机の数とかは違うけど、空気は同じ二年前のまま。まるで時間を遡ったみたい……」

 ふわりとそう言うと、膝に鼻を擦り寄せた。

 ぼくは教室に足を踏み入れ、日衣の前へと行く。

 壁に掛かっている時計を見やると21時を過ぎていた。もうぼくらの代わりのライヴが始まっている頃だろう。

 でも焦ったってなにも変わらない。落ち着いて素直に向き合わないといけない。だからぼくは日衣がなにかを話してくれるまで待つことにした。

 日衣は腕に頭を乗せ、揺れる蝋燭の火を見つめた。綺麗な瞳にも、ゆらゆらと夕日が灯っている。

 やがて、ぽつりと訊いてきた。

「……わたしがこの世で一番恐れているもの……なんだと思う?」

「時間、とか?」すぐに思いついたことを答えてみた。

「そう、この世に時間より残酷なものなんてない。でもそれは二番目。……一番目は、当たり前のこと」

「当たり前?」

 わけがわからず顔をしかめる。日衣はこくりと頷いた。

「当たり前のことが一番恐い。どんなものよりも」

 そんなことを言う奴は初めて聞いた。なんだそれ。

「当たり前が当たり前にあること。当たり前が当たり前にできること。……そして、当たり前が当たり前ではなくなること。たくさん経験してきた。いつのまにか当たり前のことができなくなって、当たり前が当たり前じゃなくなるの」

 ああ、なるほど。

「たぶんそれは、日衣ならではだと思う」

 学校に三年間通うことが世間では当たり前。でも日衣はそれができなかった。日衣にはもう、世間で言う当たり前が当たり前ではない。

 でもそれだけじゃないだろう。眠れなくなったり、起き上がれなくなったり、歩けなくなったり、耳が聴こえなくなったり、目が見えなくなったり、食べれなくなったり──。

 当たり前が当たり前ではなくなる瞬間なんて、そこらへんにごろごろ転がっている。誰も予想なんてできない、ふとした瞬間にやってくるものだ。まるで明日突然死んでもおかしくないみたいに。

 日衣はなんともないような顔をして言った。

「わたしは当たり前のことができないから、はみ出し者なの」

 この世界から、と。

「あなたもそういう経験……ない?」

 目がちらりとぼくに向き、視線がぶつかる。

 こいつと違ってぼくの人生は当たり前に満ち溢れている。だから、残念だけれど日衣の気持ちはわかってやれない。

「ほとんどないよ。けどせめて言うなら……今三年生はみんな進学のために頭がおかしいくらい勉強してる。でもぼくはちっともしてないんだ。授業だってたまにしか受けてないし進学なんて考えたことすらない。だから、この学校の三年生の当たり前の世界にはいないかな」

 精一杯捻り出した同情だった。でも。

「そっか」

 そう言った日衣の声はいくらか柔らかかった。少し安心してくれたのかもしれない。

「けっきょくここに戻ってきちゃってた。きっともう抜け出せないの、一生。……この教室から」

 時計の針の音みたいなつぶやき。

「学校そんなに嫌い?」

「入学したばかりの頃は期待でいっぱいだった。小学校も中学校もまともに行ってなかったから、高校こそは……って思ってた。でも、友達一人もできないまま学校に行けなくなって、戻ってくるのに二年もかかって、そのときにはもう……嫌いになってた」

 嫌いな場所に居続けても、また悪化するだけだろう。だからこいつは復学したくせに滅多に学校に来ないんだ。そうすると出席日数も足りなくなって進級ができなくなる。ずっと一年生から抜け出せないまま時間と周りだけが進んで行く。……日衣だけを置いて。

 それは、なんて残酷なことなんだろう。誰がこいつのことをわかってやれるだろう。

 それぞれの感覚は違えど、事実上は同じ時間を一緒に過ごした仲間なんだから、せめてぼくらだけでもこいつと一緒に進むことはできるんじゃないのか?

「ぼくらは日衣のこと置いていったりなんかしないよ」

「うそ」

「なんで嘘なんか言わなきゃいけないんだよ」

「うそ!」

 日衣は声を張り上げ、紅潮した顔を上げた。

「もし本当にそうなら、わたしは今ここにはいない。……あなたも、今頃ステージにいて下手くそなベース弾いてる」

 ……さりげなくひどいこと言われた。

「日衣がぼくらに置いていかれたように感じたなら、それは謝る。ごめん」

「自覚のない謝罪ほど最低なことなんてない」

「しょうがないだろ、実際置いていったつもりなんて全くないんだから。むしろぼくらが置いていかれてるよ、いっつもすぐどっかに消えてさ」

「そ、それは……」

 ふいと目を逸らされ、また沈黙が流れる。

 ……なんだろうこのやりとり。馬鹿みたいだ。けっきょくどっちもどっちなんだ。日衣が置いていかれたように感じたのは、今までの経験のせいで変に敏感になっていたからだろう。それに気づかないぼくらは、日衣になにも言わずに接してきていた。

 やはりすれ違って当然だ。すれ違うべき原因はこんなにもあった。それなのに──

 でもぼくはもう、Risingの意味を知ってしまった。だからもう、これ以上すれ違うわけにはいかない。ここから再スタートしなければならない。待ってる人がいるかぎり。この馬鹿なバンドに名前があるかぎり。

「ぼくには日衣が必要だ」

 ぴくりと反応した日衣は、驚きに見開いた目をぼくの顔と自分の手とを何度も行き来させていた。

 ぼくも今度こそちゃんと言う。今しかないんだ。

「ぼくらは日衣が好きだからRisingにいるんだ。そうでなかったらぼくはバンドなんてやってないよ、下手くそだし、音楽は演るより聴くほうが好きだし。でも、日衣がいるからやってるんだ。ぼくだけじゃない、Risingにも茉莉さんにも日衣が必要だ」

 それだけじゃ……駄目なのか……?

 日衣が眉を険しく寄せたあと、目を伏せた。押し出された涙が目尻に浮かぶ。

「最初に言ったよね?ぼくにRisingの心臓を託すって」

 日衣は小さく頷いて応える。

「リーダー命令だったけど、ずっと心臓らしいことなに一つしてこなかった。でも心臓なんて本来そこにあって当たり前のことで、そりゃいつかは止まっちゃうよ。だけど、Risingという器があるかぎりは、誰かのRisingへの想いが生き続けてるかぎりは、自分の思うがままに動き続けることが心臓なんじゃないかって思ったんだ。……理屈や理由なんてない。ここに来たのはぼく自身の意思だ」

 びっと日衣の不安に満ちた目を指差す。

「お前が言ったんだからな?だから思う存分暴れさせてもらう」

 Risingの心臓として。この、くそ頼りないめちゃくちゃなリーダーに代わって。

 日衣は目を上げないまま、ぼくの指をはたいた。

「ばかみたい」

「そうだよ、ばかだからこうしてる」

「……今は、言えない」

「……え?」

 たしかに聞こえた。日衣の頬は羞恥で赤らんでいて、ちらりとぼくに目を向けてもう一声付け加えた。

「もう少し……待って」

 ……まだ待たなきゃいけないのか。

 けれど、そう言う日衣の目にもう迷いは無いように見えてぼくは驚いた。答えは出てる。でもきっと今言っても仕方の無いことだったりするのかもしれない。

「ぼくはいくらでも待つよ。けどあの人は、もう一生分待ってるんだ。そろそろキレるぞ」

「……わかってる」

 答え、日衣は腰を上げた。力の入っていない脚がふらふらと揺れ、ぼくの腕に縋りながら立ち上がる。掴んでくる手がやけに熱かった。

「具合大丈夫?」

 熱以前の問題だろうこれは。やる気になったのはいいが、本当に持つんだろうか。途中でぶっ倒られたりしたらえらい騒ぎになるぞ。

「あなたこそ頭大丈夫?」

「どういう意味だよ!」

 癒埜から貰ったかっぱを日衣に着せる。

 蝋燭はもう持てないくらいに短くなっていて、溶けた蝋がべったりと床に固まってくっついていた。……ああ、これは知らないふりをしておこう……。悪ガキ共でごめんなさい。一吹きし、教室内は真っ暗になった。

 日衣の腕を肩に回し、半分おぶさる形で学校を出た。

 そのあとは二人分の体重を乗せたペダルを漕ぐのに必死で、ただただ雨音と風切り音しかしなかった。

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