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レコード店 惚れたり

 

 薄闇の中、街灯の光だけがぽつぽつと浮かび上がっている。

 滝みたいに降りつけてくる雨にうたれながらいつもの河原へと着いた。けれど、日衣の姿はどこにもなかった。高架柱の下や川沿いを懸命に捜したが見つけられることはなかった。

 ──ここじゃないなら……どこにいる……?

 家?そんなまさか。迷ってたんなら家は出てるはずだ。でも熱が上がってるって言ってたし、動けなくて寝込んでる可能性も考えられる。

 日衣の家は知らない。唯一知っているとしたら、日衣と親しい人とか……癒埜なら知ってるはず?

 柱に立て掛けるようにして棄ててあった自転車に乗り、奇怪な音が鳴るのも構わずペダルを踏み込む。針千本の如く突き刺してくる雨が肌に痛く、奥歯を噛み締めた。



 小さなビルの一階でちんまりと開いている『杉名すぎなレコード店』。

 閉店と書かれた札が掛けられていたが、まだ明かりはついていたので気にせず扉を開けてその隙間に重い体をねじ込む。カラカランと澄んだ鈴の音が響いた。

「おいおいもう閉店してるって表に……うおっ?」

 カウンターの上の書類を整頓していた中年の男性が顔を上げた。大袈裟に手を上げて驚き、カウンターの向こうで何枚かがバサバサと落ちる音が聞こえてきた。

 癒埜の祖父で、このビルの所有者であり店の経営者でもある。黒いエプロンにジーンズ。とても若く見えるが年齢は不詳。毎日のように三人で二階の貸しスタジオに入り浸っていたため、店長とは顔見知りだった。

 書類を拾い集め再びカウンターに整頓して置くと、店長はぼくの姿を上から下まで見て眉間に皺を寄せ、唇を尖らせた。

「なんだ汚いな、その歳で傘の使い方も知らねーのか。癒埜ちゃんなら出っ払ってるぞ?つーかコンサートはどうしたよ?」

「え、出払ってる……?」

 髪の毛の先からぽたぽたと雫が落ち、綺麗な床に水溜りを作る。

「あのよく来てくれる黒髪ちゃんと連絡がつかないってついさっきな。つーか拭けほら」

 本や花瓶などの雑貨が入っている棚から、都合良く畳んで置いてあったタオルを投げて寄越してくれる。ありがたく、風呂上がりみたいに頭をがしがしと拭く。

 ……くそ、すれ違ったか。でも癒埜ならまず真っ先に日衣の家へと向かうはずだ。それなら癒埜を捜して日衣の家へ行く手間も省ける。もしも見つかったなら、日衣のケータイでも使ってぼくに連絡を回してくれるはずだ。それまでぼくは他のところへ捜しに行こう。でも他にあいつの行きそうなところなんて……。

「あの気の強い茶髪の姉ちゃん一人にステージ任せてんのか?」

 店長は書類をクリップで止めながら訊いてきた。

「あ、はい。まあ……」

 この店長の髪色で人を覚える癖なんとかならないかな。分かり易くていいんだけれど、いまいち反応しづらい。

 店長はあからさまに眉根を寄せた。ぽっかりと開いた口が、はあ?と言っている。

「なんだそれ。それバンドの意味あんのか?早く行ってあげねーと、あんなに三人で仲良く練習してた意味ねえだろーが」

 そう叱り、呆れるため息をついていた。

 たしかにおっしゃるとおりです。リーダーが“解散”とは口にしていないけれど、今の現状は“破局”または“解散してる”と言っても過言ではない。バンドとして成り立ってはいない。

 だから今のぼくらの態度と対応に、奏也さんはああしてキレて当たり前なのだ。

 店長は振り返って大量のレコードが押し込まれている棚から一枚抜き取りカウンター上のオーディオ機器まで持ってくると、それを慣れた手付きでターンテーブルに乗せた。そっと針を下ろす。

 ──最初に流れてきたのは、幻想的でスペイシーなシンセの音。それからザクザクと慎重に重ねてくるギターリフがフェイドインし、豪快なツーバスのフィルインが轟く。そのノリに乗った土台に上手く着地し、漕ぎ出して行く鋼の歌声。

『Tarot Woman』

 三頭政治のスタートを切る第一曲目。

「これ、黒髪ちゃんがよく聴きにきてたものだ」

 ……わかる。今ならわかる。どうしてこのアルバムなのかも。

 ここのカウンター席で、置いた腕に頭を乗せて目を瞑って聴き入っている日衣の姿が目に浮かぶ。時にはふんふんと鼻歌を鳴らしたり、時には指でトントンとリズムを突いたり。

 ただ、そうしている日衣がどんな表情をしているのかまでは想像できなかった。……微笑んでるのか?それとも悲しそうなのか?



 タオルを首にかけ、その場に突っ立ったままぼくはアルバムに聴き入っていた。

 ノリノリでキャッチャーなサビが転調した頃、頬杖をついて人差し指の先でくるくると何処かの鍵を回していた店長が口を開いた。

「渋いよなあ。餓鬼の頃はハマりまくってよくコピってたもんだけどよ、歳とるとクラシックが一番耳にも心臓にも良いんだよ。坊主もわかるだろ?」

「わかりません、ぼくまだ未成年です」

「嘘つけ」

「嘘つく理由もないだろ!」

「まあ産まれる前の赤子にクラシックを聴かせるといいように、遺骨にクラシック聴かせんのもいいのかもしれねーな。だから遺骨になっちまう前にクラシックが好きになる魔法でもかかってんのかもしれねえ。ピアノソナタの十二番とかな、聴いてっとそのまま天国に行進しそうになんだこれが。おお友よ!もっと心地よいものを歌おうではないか!ってな。坊主もわかるだろ?」

「わかりません」ていうかそれは第九だ。

 ぼくは今絶賛ハードロックに夢中でクラシックよりかはそっちのほうが好きだから、遺骨になるのはまだまだ先なんだなと自己解釈した。やっぱり、わかると訂正しておく。

 店長はハッハと笑いながら鳴り止んだレコードをひっくり返そうとし──ぼくは咄嗟にその腕を掴んで止めていた。

 どうしてかはわからない。自分でもびっくりするくらいの勢いだった。店長は目を真ん丸くしてぼくを見てくる。

「なんだどうした?この一枚はBが本番だろ?」

 わかってる。『Rising』はB面が本番であり大作だ。それくらいは知ってる。──でも、たぶん、だからこそ今は聴いちゃいけない。そんな気がする。

 そんな険しい態度のぼくを見て店長は察したのか、ケッと唾を吐くようにぼくの腕を振り払った。

「じゃあさっさとロックでローラーしてこい」

 半ば強引に追い出される形で背中を蹴られる。扉を引いたところで呼び止められた。

「CDよりレコードのほうが音質が良いとかライヴ感が味わえるとかよく言われるが、実際はどっちも全く同じもんなんだ。なんでかわかるか?」

「MIXが違うとか?」

「ばーか、全く同じっつったろ。歳とったからだよ。単純に老化だ。難聴だ」

 店長は抜き取ったレコードを指で挟み、小指で自分の耳を指した。

「……はあ」

 そのレコードを、立てた人差し指の上でまるでボールを回すようにくるくると器用に回し始めた。

「わかるか?若いからこそ今しか聴けねーもんが山ほどあるんだ。なにもかも便利で楽なほうへと変わっていっちまう。この店に需要がねーのもその証拠だ、変わっていく時代には敵わねーもんさ。でもな、一度聴いた大事なもんってのはどれだけ時代が変わろうと一生忘れねーもんなんだ。……だから今のうちにたっぷり聴いとけ。そのうち百円玉の落ちる音だって聴こえなくなるぜ?」

 くっさいセリフを口にし、にやりと笑んだ店長。……その指先からぽろりとレコードが落ちる。

「のわっ!?」

「ちょっ!」

 二人で目玉が飛び出る勢いで驚き上がり、慌てて空中で掴まえた。なんとか傷を付けずに済み、一息つく。

「ばか!」

「あんたでしょうが!」

「いいからさっさと行け!」

 レコードをひったくられ、尻を蹴られた。

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