表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

椅子 途切れたり

 


 5月14日


 19時からオプが始まり、ぼくらRisingの出番は21時からの予定だ。

 日が落ちかかっている。まだ時間はたっぷりあるが、もしものことを考えるたびに動悸が早くなる。

 ──来るんだろうな、あいつ。

 必ず来ると茉莉さんは言い切っていて、もしものときのことをなに一つ口にはしなかった。

 ……そのときは辞退するしかないんだろうか?ぼくと茉莉さんだけで演れるとは到底思えない。もしくは奏也さんに止められるだろう。

 放課後の賑わいを残す教室を後にし、一年生の階へと行く。一応、日衣が今日学校に来ていたかどうかを確認したかった。来ていない確率のほうが高いけれど……。

 目当ての教室を覗くが日衣らしき姿はなかった。入口付近にいた女生徒に声をかけてみる。

「日衣さん、今日来てましたよ」

「えっ、まじ?」

 こりゃ明日雪でも降るんじゃないのか?

「はい。朝のHRだけ来てすぐ帰っちゃいましたけど」

「HRだけって、学校になにしに来てんだよあいつ……」

 日衣の珍妙な行動に今更ながら頭を抱える。それじゃあ出席扱いにすらならない。……なんて、ぼくだって人のことは言えないか。今日もずっと屋上や空き教室で読書したり最終確認でべんべん弾いたりして過ごしてたからな。わはは。

「でも、なんだかすごく具合悪そうでした」

「あの子が具合悪いのなんていつもじゃない?」

 女生徒の後ろからクラスメイトが数人寄ってきた。

「そうそう。話しかけても無視されるし、いっつもむすっとしてて感じ悪いの」

 ねえ、と顔を見合わせて頷き合っている。

 ……浮いてんのか?まあでも、あの性格じゃあ無理もないか。ため息をつきつつ、クラスメイトたちに礼を言って学校を出た。



 大事なことを言い忘れていたことに気づいたけれど、でも今追いかけて話そうとしてもきっと逃げてしまうだろう。向き合って聞いてくれるとは到底思えない。

 今はただ、待ってることしかできない。そう結論を出し、どこにも寄らず真っ直ぐにライヴハウスへと向かった。

 19時ちょい前。チケットを見せて入場していく客の列が中へと続いていた。さすが元プロのバンドも参加するだけあって中々の入りようだ。

 裏口の関係者通路を通り、転げ落ちてしまいそうなほど急な階段を下りて地下へ。暗く狭いステージ袖では、もう今日参加するバンドがみんな揃っていた。でもたしか今日の参加予定は四組だけのはずなのだが──明らかに人数が多い。

 それもかなりやばい格好をしている人ばかり。バンドをやっていなかったら、もしくは茉莉さんと知り合っていなかったら絶対に関わることのない人種だと思った。

 みんなそれぞれで機材の調整をしていたり、髪型をセットしていたり、雄叫びにも似た笑い声を上げて駄弁っていたり、缶ビールを煽っていたり……て演る前から呑むなよ!大丈夫なのかこれ?それかロックバンドってのはみんなこういうもんなのか?

 ステージ幕のすぐ傍に控えるオプのバンドに声をかけている見慣れた姿があった。ポニーテールが楽しそうに揺れている。

 唯一まともな格好をしているのを見てほっとした。Tシャツにホットパンツといったラフな格好。あれが本来普通なのだけれど、ここにいては逆に目立ってしょうがない。……ということは、ぼくもだろうか……?思わず自分の身なりを見下ろす。

「スミ!」

 明るい声に顔を上げると、満面の笑みの茉莉さんが手を振っていた。

「早かったね、もっとぎりぎりで来るかと思っていたよ」

「特にやることもなくて……」

「雨には打たれなかったかい?」

「……雨?」

「まだ降っていないんだね、夜から雨の予報だったよ。雨の音に負けないようにしなければ!」

 ぐっと親指の指紋を突きつけてきた。そういえばやけに雲が厚かったような……と思い返しつつ、茉莉さんの着ているTシャツに思わず目がいった。

「それ……」

 黒い生地に“Rising”のロゴマーク。“g”の上丸の中だけが、下が少しだけ赤く上に向かって徐々に青く……といった不思議なグラデーションで塗られているシンプルなものだった。

「ああ、これかい?どうしても作りたくなってしまってね、デザインしてみた。なかなかいいだろう?もちろんスミとヨリの分もあるよ」

 茉莉さんは見せびらかすようにシャツの裾を引っ張ってみせた。三人で同じシャツ着て演るのか……。なんだか想像するだけでこそばゆい。でも、うん、いいかもしれない。晴れ衣装ってやつ?

「かっこいいです」

「そうだろう?大学にも着ていこうかな」

 それはやめてくれ。

 ……と、茉莉さんの隣にいる男性がやけに悲しげな表情をしているのに気づいた。金と赤に染め上げたハリネズミみたいな頭に似合わず、唇をへの字に曲げている。たしかさっきまで茉莉さんと話していた人だったような……。

 そんなぼくの訝しげな視線に茉莉さんは気づいたようだった。

「ん?ああ、彼とオプでアンコールが出るか賭けをしていたんだ」

「賭け?」

「出たら今日の打ち上げで一杯奢る。出なかったら彼のギターを五万で買い取る」

「なんでそんな偏ってんだ!」

 賭けるものがおかしいだろ!手のひらをこれみよがしに広げてみせるがめつい魔女はにたにたとほくそ笑んでいる。

「ギターを変えたいそうだが、これは二年もプロの世界を見てきた名器だ。棄てるのもなんだろう?あたしが貰えば一石二鳥だ」

 男性が同情を求めるようにぼくの耳元に顔を寄せてきた。

「あと0が二つつくほどの価値があるんだぜ……?ぼったくりにも程があるだろ……」

 情けない声である。そういえばこれ、よく見たらヴィンテージものじゃないか。ぼくが五万だなんて口に出したら確実に締め上げられるだろう……。茉莉さんのこの世界での立ち位置というか、人望がいまいちわからない。

「これからはあたしがこのギターで舞台に立っていくんだと思えば安いものだろう?いわば出世払いだ」

「それなら奏也に売っていいか?あいつなら妥当な額で買ってくれるだろうし、使いてえときに借りればいいだろ?」

「どうして?彼は関係ない。あたしはそのギターと五万円と酒一杯をチェス盤に置いているんだ。それともなんだい?あたしの腕には期待する価値もないと?」

 なにがチェス盤だ。スポーツも芸術も科学もあったもんじゃない。グランドマスターが起訴しに来るぞ。

「いやまあ、お前の腕はよく知ってるがなあ……お前気まぐれじゃん?明日にはギター投げ捨てて舞台女優になってるかもしれねえし、明後日には朝のお天気お姉さんやってるかもしれねえし、明明後日には……」

 男性がぶつぶつとぼやいていると、助け舟のようにスタッフの声がかかった。

 幕の向こうには、こっちの何倍もの人々で埋め尽くされていることが見なくてもわかった。圧というものを凄まじく感じるのだ。──まもなく開演だ。

「大丈夫。当面のあたしは音楽にしか興味がないはずだよ」

「なに未来から来たみたいな言い回しになってんだよ!」

 茉莉さんは男性のすごすごとした背中を思い切り叩いてステージへと見送った。そして、くるっとぼくに向き直る。

「さ、始まるよ!」


 *


 オプではアンコールがでないまま順調にライヴが進んでいった。

 ぼくは隅っこのほうでパイプ椅子と同化しながら、響くサウンドと地鳴りに耳を傾けていた。

 背後なのか天井なのかよくわからない方向から、かすかにスノーノイズのような音が聴こえる気がする。もしくは幻聴かもしれないが。でも、あいつ雨に降られてないよな……?とそんな心配がふと頭をよぎった。

 いつ日衣から連絡がきても気づくようにと、手に携帯電話を握っておくことにした。

 入れ替えでハイタッチをしていくバンドマンたち。汗みずくで床にへばったと同時に、幕の向こうからは再び大きな歓声とビートが上がる。飲料水やタオルを投げ渡すスタッフたちの中に茉莉さんも混じっていた。ここの空間の熱はたちまち上昇していき、鉄のような煙草のようなアルコールのような独特な匂いもあってむせ返りそうになる。

 いまいち気分が乗らず、ぼくはぼくの視界の中で繰り返される光景を、ぼーっとアホのように眺めていた。

 ぼくがいなくても回る世界。

 ──わたしがいなくても世界は回るの。変わっていく世界に、わたしは必要ない。

 日衣の掠れた声が頭に響いた。

 隅っこにいるせいなのか、それとも場違いなだけなのか、なんだかひどく孤独を感じてしかたがない。

 ………うるさい。なにもかもがうるさい。少しは静かにできないのかよ。耳を塞いだ。視覚が鋭くなり、目がぎょろぎょろと回った。頭が痛くなり、目を瞑った。心臓の音がやけにうるさい。なんでこんなに動いてんだ、うるさい。うるさいうるさい。うるさ──



「──い。おい!」

 肩を叩かれて、はっと飛び上がる。膜を貼ったような音が耳にスッと戻ってきて、それはBGMと化する。

 眠っていたのか?それとも気を失っていた……?

 混乱する頭を押さえる。目の前には怪訝そうにぼくを覗き込んでくる恐い顔があった。茉莉さんの元カレの……スタッフの、奏也さんだった。

「さっきから電話鳴ってんぞ」

「……え?」

 目を落とすと、汗ばんだ手の中で携帯電話が震えていた。暗闇の中で淡く光りを放っている液晶。

 ──日衣の名前。

 心臓が大きく跳ねて、そのまま口から零れ出そうになった。口元を手で覆ってなんとかそれを押さえ込む。画面をスライドさせて耳にこじ当てた。

 ──無音が続いた。

 いや、ここがうるさいだけか?とは言っても、外に出てもさほど変わらないだろうし……。耳が痛くなるほど押し当て、なにかが聴こえるのを待った。

「……ご……めん、なさい……」

 ……謝った、のか?かすかな、ほぼ吐息に近い震える声だった。

「……ずっと、迷ってて。今日学校で、あなたにちゃんと言おうと思ったけど、でも……だめで……」

 その先は続かなかった。日衣の規則正しい息遣いだけがしばらく続く。

 と、幕の向こうから血相変えた茉莉さんが慌ただしく駆けて来た。

「スミ!なにしてる!もうスタンバらない……と……」

 奏也さんが黙ったまま手を茉莉さんの前に出して止めた。茉莉さんは驚いて奏也さんを見たあとでぼくを見ると、口をつぐんだ。

「……ヨリからかい?」

 眉を寄せた真剣な表情に頷いてみせる。

「日衣」

 そっと声をかけると、向こうの息遣いが変わった。

「もうまもなく出番だ。今どこにいる?」

「……あの、わたしっ……」

 日衣は一瞬言い淀んでから続けた。

「……Risingは、わたしが作ったものだから……。勝手に、あなたと茉莉を巻き込んで、付き合わせて、自分勝手なものだったから、だから」

 地下だから電波が悪いのか、それとも日衣がたどたどしく言葉を吐き出してるからなのか、途切れ途切れに声が鳴る。小さく息を吸う音がした。

「だから、これ以上……」

「なに言ってんだ。自分勝手だなんて、それならぼくらだってそうだ。自分勝手でRisingにいる。Risingは日衣のためのバンドだけど、でも日衣だけのものでもない」

「で、でもわたしっ、熱も上がってきてるし……だ、だからもう……」

 また言い淀む。最後まで喋れよ、こっちはエスパーじゃないんだ。手を力一杯握り締めて苛立たしさを抑えつけながら言葉を待つ。けれど──

「……ごめんなさい」

 続く言葉はけっきょくそれだけで、プツリと糸が切れた。

 急に重たく感じた腕をだらりと下ろす。なにも謝る理由なんか一つもない。それとも、なにかそんなに謝りたいワケでもあるのか……?だったら尚更来いよ、今すぐここに。ぼくらの元に。

 ……なんだよ、ごめんなさいって言えばぼくらが納得するとでも思ってるのか?なにも言い返してはこないと踏んでるのか?他に言いたいこと……たくさんあるだろ?

「変わっていく世界にうんざりして、逃げ出して、自分だけの新しい世界を作った。けれど、それすらもじきに変わっていってしまう。……だからまた逃げ出した」

 目の前で茉莉さんは腕を組み、淡々とそう語った。

「な、に……?」

「ヨリのことだ」

「……なんなんだよ、その変わるとか変わらないとか。癒埜も言ってたけど、二年前で止まってるとかさ……。いいかげんはっきりしろよ」

 吐き捨てるように言うと、茉莉さんはなぜか片眉を釣り上げて意外そうな顔をした。

「なんだ、知らなかったのかい?ヨリは病気で二年留年しているんだよ」

「……え?」留年……?

「今年で一年生は三度目だ。でも教育機関自体が彼女の性に合わないんだろうね、春からずっと休みがちみたいだけど」

「なんだ、それ……」

 初耳だった。

 つまりは同い年だったのか。同じ日に入学してたのか。……ちっとも知らなかった。

 なんで今になってこのタイミングで知らなきゃならないんだ。なんでぼくじゃなく茉莉さんが知ってるんだ。それともぼくがただ鈍感なだけで、日衣はやっぱりいつだってヒントを出していたのか?

 震えを抑えたいのか鳥肌を抑えたいのかよくわからないまま、また拳を握りしめる。

 “訊けば答えてくれる”。それがどんなに大事なことだったか今になってようやく痛感した。そうだ、ぼくはなにも訊かなかった。だから日衣もなにも話さなかった。……ただそれだけのこと。

「でも、あたしたちは前へ進んでいく」

 茉莉さんは組んでいた腕を下ろし、強く言い切った。

「彼女がどんなに進んでいく世界が嫌だとしても、ずっと止まっていたいと願っているとしても、あたしたちは前へ進んでいく。そうしなければ“つかめないもの”がたくさんあるんだ」

「……つかめない、もの」

「今までの彼女は、ただ一人取り残され、ついていくこともなにもできなかった。でも……今はあたしたちがいる。彼女が最初に決断した、Risingを結成した、その根本的理由はそれではないのかな?」

 ──変わっていく世界からまた逃げ出しそうになったら、そのときは引っ張り上げて一緒に連れて行ってくれる仲間が欲しい。

 とか、そういうこと?……なんだよ。あいつは最初から、一番最初から、ずっとぼくらに助けを求めていたんじゃないか。

 どれだけ不器用なんだ。言葉にしなくてもわかってくれると信じていたのか?悪いけれど、ぼくらだってそこまで器用じゃない。だから最初から全て上手くなんていくはずがない。一度すれ違ってみなければ衝突することもない。

 茉莉さんは、トンっとぼくの胸に拳を当てた。

「あたしたちはRising。虹を翔る覇者だ」

「虹を翔る覇者……」

 茉莉さんの拳の中に、五色の虹が握られているような気がした。

 Rainbow、2ndアルバム。リッチー、ロニー、コージーの三頭政治がここからスタートした。

 ……あいつが、そういう意味で名付けたのだとしたら……。

 ぼくらもできるだろうか。また再スタートできるだろうか?彼らと同じく、ぼくらも虹を翔れるだろうか?

「さいあく、他の奴らに時間を稼いでもらう」

 ずっと黙ってぼくらを見守っていた奏也さんが突然切り出し、親指で後ろを指した。既に演り切って酔っ払っている戦士たちがそこにいる。

「ただ、てめえらの持ち時間全ては勘弁だ。それまでに戻ってこなかったら覚えておけ。青臭い餓鬼だからって容赦はしねえ」

 狼のような鋭い目がぼくを突き刺した。素直に頷こうとした途端、茉莉さんがぼくを守るように立って奏也さんと向き合った。

「勝手な真似は困るね。うちのものには手は出させないよ」

「お前バンマスじゃねえだろが」

「そうだとしても、一番歳上だ」

 きっぱりと告げた茉莉さんの言葉に、奏也さんは面食らったようだった。……ぼくもだったかもしれない。

 しばらくして奏也さんは、観念したように舌を打った。

「……わかったよ、好きにしろ」

 そう、ぽつりと答えていた。

 茉莉さんはありがとうと言うと、ぼくに向き直った。ただただ前しか向いていない笑顔がそこにはあった。そして──

「スミ。待ってる」

 そう、この人はいつも“待ってる”しか言わない。だから“待ってることしかしない”。待つということがどれだけ辛いか……それを知っておきながら。これが大人なのか。歳の差なのか。

 けれど待ってくれているからこそ帰れる場所がある。それをあいつも知っているはずだ。知っているくせに消えようとして、いつでも帰っていいとわかってるくせに逃げようとして、でもめちゃくちゃ意地っ張りだから自分からは絶対に帰ってこない。……めんどくさい女だ。でもこれがぼくらのリーダーなんだ。どうしようもなく、ぼくらにはあいつが必要なんだ。

 力強く頷き、その場を抜け出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ