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春 託したり

 

 4月10日


 あまりにも突拍子な発言に、ぼくは自分の耳を疑った。

「今なんて?」

「だ、だからっ……」

 日衣はふいと顔を逸らし、吐息のような声を絞り出す。

「……なにも、できない」

「……まじ?」

 りんごのようにだんだんと赤くなっていく頬。

思わずぼくは口をあんぐりと開けてアホみたいに固まってしまった。……まじだ、こいつまじだ……。

 直立不動するぼくの隣で茉莉さんが、まあまあとぼくらを制した。

「バンドをやりたいとあのサイトを作ったのは、ヨリで間違いないんだよね?」

 こくりと頷いた。

「やりたいのは確かだけど、楽器はなにもやったことがないと?」

 間を置いてから小さく頷いた。

「あっはっはっはっ!」

 茉莉さんはお腹を抱えて豪快に笑い出した。ぼくも日衣も驚いて肩を飛び跳ねさせる。

「いやあびっくりだね、今年一番びっくり。大したタマだね、きみは」

けらけらと笑い続ける茉莉さん。

 日衣はむっと唇を尖らせた。そこむくれるとこなのかよ……。ぼくだってびっくりなんだけれど。

「バンドがどんなものかはわかってるかい?」

「わかってないで募集かけるような馬鹿げたことはしない」

「そうだね、さすがにそれだとあたしらも困るよ」

 茉莉さんは目尻の涙を拭うと、じっと日衣を見つめる。

「それで、なんの楽器がやりたいんだい?」

「……ドラム」

「え」

 ぼくは一番早く反応してしまい、二人の視線がぼくに向いた。

「まさかスミもやりたかったりしたかい?」

「いや、そうじゃなくて……」

 日衣のむっとした強い視線がぎんぎんと浴びせられる。

「不満?」

「そうじゃないけど……いや、よくそんな非力そうな体で……」

 キッと睨まれ、続きそうになった言葉を口を押さえて飲み込む。

「……な、なんでもない」

 やりたいなら止めないけどさ、でも本当に大丈夫なのかな。

「誰か憧れているドラマーがいたりするのかい?」

 そこまでこだわる理由がなにかあるんだろう。

 日衣はぼくから目を逸らし、床を見てぽつりと答えた。

「コージー・パウエル」

 茉莉さんは目を瞬いたあとで、興味深げに笑みを浮かべた。

「ほう、いい趣味してるね。ヨリとはいい酒が飲めそうだよ」

「まだ未成年ですよ」

「いいじゃないか。ロックンロールというのは、アルコールと薬物なしでは語れない」

「結成初日から犯罪は勘弁してください」

 というかこの人は今までアルコールと薬物を取りながら音楽トークをしてきたのか?……完全に危ない人だ関わらないほうが……と、茉莉さんの愉快気な目がぼくを見ていたので思わずたじろいでしまう。な、なんでしょう?

「スミはなにかしらできるんだよね?」

 パートってことか。

「ギターとベースならできるけど、中学のときに少しかじってたくらいだからちゃんとできるかは……」

 というか、ほぼほぼ自信がない。申し訳ないけれど。

「そっか、リハビリが必要だね」

 茉莉さんはくすっと笑い、壁に立てかけてあったギターケースを開けた。中に入っていたのは、ボディが真っ白なレスポールカスタム。まるで天使の翼のようなその輝きに、ぼくは目を奪われた。

「あたしはずっとこの子一本でやってきたから、今更他の楽器に浮気はできないね。まあ二人のサポートはできるから安心してほしい」

 ……てことは。

 トンっとぼくの胸を小さな拳が小突いた。その先──日衣の力強い目。

「あなたにはRisingの心臓を託す」

 素っ気なく、けれど期待の詰まった綺麗な声でそう言い下された。


 *


 川の水面を、桜の花びらがすいすいと泳いでいる。

日衣は腕を伸ばして、それをつんつんと指でつついていた。

「あたしが高校のときに入り浸っていたライヴハウスなんだけど、今度そこでライヴがあるんだ。約一ヶ月後だね。二年間プロで打ちのめされ尻尾巻いて地元のぬるま湯に逃げ帰ってきたバンドが主役だ。一緒に出ないかと誘われた。一応オーディションがあるんだけど……まあその心配は必要ない」

 そんな日衣の後ろ髪を眺めながら、茉莉さんは淡々とまくし立てた。

 なんだかすごい言われようだけれど、その元プロの人とは知り合いなのかな……って。

「ま、待ってください!?ぼくらがってことですか!?だってまだ結成して一週間しかっ」

「時間なんて関係ない。強さも上手さも関係ない。観客が飽きたってスタッフや対バンが呆れたって構わない。あたしたちが楽しむのが一番じゃないかな?」

 事もなげに諭された。

「……それは音楽を演る人間としてどうかと思う」

 ぽつりと聞こえた声。日衣はしゃがんだまま顔をこちらに向けていた。茉莉さんはにっこりと微笑みかける。

「ヨリは素直に言ってくれるから好きだよ」

 日衣は照れ臭そうにぷいと顔を逸らし、また水面に目を落とす。それに驚いたかのように花びらたちの流れが速くなった。

「あたしたち自身が演る楽しさを知らないで、観客が聴いていて楽しいと思うかい?」

 いや、思わない。

 それは音楽だけじゃなく、なんだってそうだろう。つまらなくやってるものを見ても楽しくもなんともない。

 一ヶ月でどれだけ上達するかではなく、どれだけ楽しくなれるかってことか。この三人で。

 茉莉さんは立ち上がった。踏んだ芝生の音がカサカサと風に乗って心地よく鳴る。

「そういうことだよ。もしもロックが嫌いなら、あたしたちはこうしていない。ロックという楽しさを知っているからこうしているんだ。じゃあ次は、その楽しさを演る楽しさを知ることだ。楽しさを誰かに伝えるのは一番最後だよ」

 腰に手を当ててそう告げていた。艷めく髪の毛が風を含んでふわりと浮かぶ。

「……楽しさを、知る……」

 日衣は自分の手のひらを見つめて繰り返しつぶやいていた。揺れる髪の隙間からかすかに見えた横顔はきらきらと期待に満ち溢れていて、ぼくはなんだか自然と顔が綻んだ。

 ──頑張れ、リーダー。

「対バンが四つだから持ち時間は各30分だそうだ。まだ持ち歌もないし、ヨリの好きなRainbowの曲をいくつかやっていこうか。二人とも今日から練習三昧だから覚悟しておくんだよ」

 茉莉さんの提案に振り向いた日衣は、目を輝かせてこくこくと頷いていた。

「いや、どっちがリーダーだよ……」

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