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3/13

地下 悩んだり

 

 5月13日


 そのライブハウスは駅から三つ目の通りにあった。

 表向きは楽器屋だが、地下がライヴ会場となっている。入口の窓ガラスには、バンドメンバー募集や次のライヴイベントの告知などたくさんのビラが乱雑に貼られていた。

 こんなところとは一生縁がないと思っていた分、心臓がすごく高鳴る。

 階段の端々にはアンプや照明器具、シンセサイザーなどが寄せて置いてあってとにかく足場が狭く、なんとかぶつからないように慎重に下りていく。

 会場内は映画館の匂いと少し似ていた。今日はリハだけだというのにもう熱気が凄まじく、息苦しくなってくる。

「スミ!遅いぞ!」

 茉莉さんはもうステージの上で機材のセットを終えていて、腕を組んでぼくを待っていた。怒っているというよりかは、どこか心配している面持ちだった。

 スタッフたちに軽く頭を下げながらステージに上がり、ケースからベースを取り出してアンプに繋ぐ。ぼくがするべき準備はそれだけだった。

「あたし一人で出る羽目になるのかと思ったよ。さずかに追い出されてしまう」

「茉莉さんの腕ならソロライヴでも大盛り上がりだと思いますけど」

 音が鳴るか確かめながらそう言ってみる。茉莉さんはわははっと笑った。

「当たり前だよ、あたしは観客を退屈させるような腑抜けた真似などしない。でも今あたしはRisingの一員だ。三人でやれないライヴなら、あたしはアンコールでステージ上の機材を全て燃やしてロックの神から反感を買うとするよ」

「火事になるからやめてください」

 この人が言うと本気に聞こえて仕方が無い。

「火事だなんてそんなものは客を喜ばせる演出にすぎない。せめて楽器を手にすることすら赦されなくなりたい。ピックを持つだけで雷でも隕石でも落としてくれるくらいのね。スミはどうしたら赦されなくなると思う?」

「知りませんよ」

 真顔で訊いてくるな。というか神様だって、茉莉さんのような逸材な腕は惜しいんじゃないのか?

「ひとまずは弦でマフラーでも編んでみるか……」

 と、くだらないことをつぶやきながら、今頃になってぼくの後ろとステージ袖と入口付近とを順々に目を這わした。

「ヨリは?」

 もちろん、いない。

「言いたいことは言えました。だからあとは……」

 ……待ってることしかできない。

 茉莉さんは、ふっと微笑んだ。

「そうかい」

「Risingの皆さん!お願いします!」

 音響スタッフがステージ下から声を上げた。

 茉莉さんは返事をすると、ぼくの顔を覗き込んできた。

「大丈夫。信じるんだ」

 表情がなに一つ浮かんでいない顔でそう言うと、一つに束ねた髪の毛を肩からはらい、アンプの上に置いていたピックを手に取った。その一連の動作を見届けたあとで、ぼくも身を構えた。

 まだ三人で演る希望は残っている。だから雷も隕石も落ちてはこないはずだ。



 二曲目の前奏の途中で、突然スタッフの一人が手を鳴らしてぼくらの演奏を止めた。

 脱色された綺麗な銀髪の下で眉間に濃い皺を寄せている。最初からずっと入口の防音扉に腕を組んで寄りかかっていた人だ。邪念でも振り払うように首を振ると、すぐ眼下のステージ下まで来た。

「お前らなにしに来てんだ!ここは餓鬼の遊び場じゃねえんだぞ!」

 ……明らかに怒ってらっしゃる。怒鳴り声のあと、会場内がしんと静まり返り物音一つしない。

「エントリーには三人って書いてんだが、なんだ間違いかこれ」

 手に持っているエントリー書の束を睨みつけながら怒った声音を張り上げた。

「いや、もう一人いる」

 それに対して、茉莉さんが冷静な口調で答えた。

「どこにだよ」

「今はいない。でも明日は必ず来る」

「ふざけんな!なんのためのリハだと思ってんだ」

 スタッフは茉莉さんを睨み上げ、声を荒らげた。

「お前も随分と落ちぶれたもんだな、ありもしねえ音に頼りきりですっかすかじゃねえか。なに平然と手え抜いてやり過ごそうとしてんだ。──そこのベースも、ドラムがなけりゃただの置き物同然だな。突っ立ってるだけなら上がんな。帰れ」

 狼のような鋭い目がぼくにも向き、身体が怖気づいてひるんでしまう。

「こっちはこんな幼稚なままごとに貴重な時間使ってられねえんだよ。しかもトリだって言うじゃねえか。はっ……なめんのもいいかげんにしろ」

 スタッフは嘲笑し、耐えられないと言うように額を押さえた。

 ……正直、ここまで言われてしまうのも無理はない。三人でやることを前提にして抑えている茉莉さんはともかく、ぼくは特別上手いほうではない。だからどうしても浮いてしまう。日衣の音がなければ余計に……だ。

 ぼくが足を引っ張っている。音楽を本気で愛している人からしたら、そりゃ耳が腐ると喚いて当たり前だろう。

 こんなにも自覚してしまっているんだから、こんな場所さっさと逃げ出して家に帰って布団に丸まりたくなってきた。目も耳も塞いで、朝と夜がなんべんもなんべんも巡ってるのも構わず、次に目を開けたときに世界が滅亡していればいいとかそんなくだらない思考にまで辿り着く。

 とにかくこの場から逃げ出したくてたまらなかった。情けない自分をこれ以上光の中に置いておくのが嫌だった。

 ──でも、茉莉さんは違った。

「なんとでも言うといい」

 なにかを堪えるような目で、きっぱりとスタッフに言い切った。

「あたしたちは三人でRisingだ。一人いなくなっただけでこんなにも脆くなる。わかってる」

「わかってんなら手間とらせんな。限られた時間でいくつのバンドを落としたかわかってんのか。もしものときのことを考えろ、セトリ変えたりサポ入れたりいくらでもできるだろ」

「しない。彼女は必ず来る。だからまだ空けておいてほしい」

「来なかったらどうするつもりだ。こっちがどれだけの負荷になると思ってやがる」

「そのときはなんだってする。……お願いだ」

 言い合いの末、茉莉さんの震え声が響き渡った。

 また静まり返る世界。

 ──ああ、この人は本気なんだ。本気で三人で演ろうとしてるんだ。そういう未来しか見えていないんだ。

 ぼくなんかが出る幕はなかった。やがて、スタッフは舌打ちをし背を向けた。

「今日はもう帰れ。耳障りだ聴きたくねえ。倒壊する」

 そう言い残すと、靴音を高く鳴らしてステージ袖に引っ込んで行った。

 その姿を見送ってから、茉莉さんは肩からストラップを外し、ぼくに淋しそうに微笑みかけてきた。


 *


 けっきょくリハーサルは最後まで出来ず、ライヴハウス内は気まずい雰囲気が漂っていた。

 帰り道、5分程互いにだんまりしていたけれど、駅へと続く通りを曲がったところで茉莉さんは謝ってきた。

「ごめん、スミ。嫌な思いをさせてしまって」

「いや……」

 元はと言えばぼくが悪いんだから、茉莉さんはなにも謝る必要なんかない。

 とは言え、だいぶ気を持ち直したけれど、やはりあそこまではっきり言われてしまったのにはぼくはかなりへこんでいた。図星を突かれただけで尻尾巻いてなにもかもから逃げ出したくなった愚かな自分にも。

「茉莉さん、あのスタッフと知り合いだったりするんですか?」

「ん?ああ、奏也そうやのことかい。うん、元カレだ」

「えええ!?」

 まじかよ……ただのヤンキーだったぞ。

 ぼくの反応があからさまだったのか、茉莉さんはいつもの得意気な表情でけらけらと笑った。

「そんなに意外?」

「いやだって、すごいキレてたし……」

「彼は音楽のことになると脳みそが沸騰するんだ。それだけ真剣で、それだけ大事なんだよ」

 かすかに誇っているような目をして言っていた。

 それから、夕日のせいで赤く染まった駅ビルを見ながら茉莉さんは続けた。

「あたしは中学生の頃から今まで五つのバンドでやってきた。まあその五つとも潰してきたのだけど……。そのうち三つは彼も共にいたんだ。だからあたしの音が穴だらけだって初めからもう見抜かれていただろうね」

「潰した理由、訊いてもいいですか?」

 茉莉さんは、ふっと懐かしむように笑んだ。

「とても単純なことだよ。一つ目は全員の音楽指向が合わなかった。二つ目は男女関係による嫉妬のいざこざ。三つ目はあたしと彼だけレベルが高すぎた。四つ目はギタリストがギターを弾けなかった。五つ目は……まあ事故があってね。……それだけ。べつに恥ずべきことでもないから、あたしはあたしが渡り鳥であることに誇りを持っているよ」

 えっへんとでも言いたげに胸を張って見せてきた。恥ずべきことではない、か。……て、待て待て。四つ目がなんかおかしくなかったか?

 個人的には五つ目が気になるところではあるけれど……それにしても、これはまた随分と波乱万丈な経歴で驚いた。そんな複雑な過去があったことなんて茉莉さんの表情のどこにも伺えないし、察することすらできない。本当に強い人だ。

 茉莉さんは後ろで手を組み、子供のように足踏みを大きくした。

「まあ楽しかったけどね。なにをやるにしても楽しまなくては、のちに思い返す記憶が虚しいものになるだけだ」

 どんなに悲しかったり辛かったりしたものでも何年後かには楽しかったと思えるようにしたい。そう付け加えた。

 今のRisingの現状もそうなんだろうか。何年後かには、あんなことあったよなって三人で笑って話せるようになるんだろうか。

 もしかしたらRisingも、茉莉さんの波乱万丈な音楽経歴に追加されるんだろうか。今ぼくに話したみたいに、いつか別の誰かにそんな寂しそうな笑顔で話したりするんだろうか。

 ……そんなことはさせたくなかった。この人にはただ純粋に楽しんでいてほしかった。ずっと楽しんできた人生に、こんなたった小さなすれ違いで泥を塗りたくはなかった。

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