葬送の灯、凶の死月 (六)
一連の王子・王女が三人続けてこの世を去った月を指して、凶の死月と呼ばれるようになって久しく。
メイルらは十歳になり、そして唯一の帝位継承権を持つ者として様々な事を学んでいた。
このころになると己に向けられる猜疑や軽蔑の視線には、もはや慣れたものだったし……それに。
実際には手を下していないし。
そうなるように何をしたでもないけれど。
それが彼自身にとってメリットであることは、というか、彼が目指すところの前提条件である事は今更言うまでもない。
メイルはこの国をなんとか糾そうとしたが、現体制のままでは不可能だ。そのためには一度、帝国という国を壊さなければならない。
そしてそれをする時、どうしても兄姉は邪魔になる。ギリギリ、リングスならば『ほぼ無害』程度にはなるかもしれないが、完全な無害では無い以上、排除しなければならなかっただろう。
凶の死月は、だからメイルにとってはある意味、追い風だったのだ、と。
メイルはそう考えることで、己をなんとか持たせていた。
「…………」
「…………」
「…………」
そんなメイルを、いつもそばで見守る従者たちは、従者だから、そして友達だから、解ってしまう。
その思い込みの、その決意の先の事を。
その上で、彼らは何も言えない。
友人としては持つ言葉が無かったし。
従者としては主の意思が尊重される。
「真相ってさ」
と。
そんなある日のことだった。
普段通りの勉強を終えて、休息を取るべく自室に戻ったところである。
「案外、どうしようもない事がそうだったりするんだよね……」
「どうしようもない……真相?」
「うん」
ティヴの問いかけにメイルは頷く。
「やっと、精霊が教えてくれた。……ガントレー兄様の毒死の真相。ベルティン兄様の事故死の真相。リングス姉様の病死の真相。その全部をね」
三人の従者は顔を見合わせる。
精霊が教えてくれた。つまりそれは、『精霊の共感者』という才能を駆使した結果なのだろう。
だが、真相?
まるでそれでは、事故ではなかった……つまり、作為的なものがあったとでもいうのだろうか。
「三人を殺した犯人に、明日会う約束を取ってある。三人とも、悪いけどその場に来てもらうよ。もしかしたら……」
その場で殺し合いになるかもしれないから。
◇
翌日。
メイルが訪れていた場所は、謁見の間である。
その場に居るのは、メイルとその従者たち。
そして――皇帝、アーチ・ジ・ウォムス。
「珍しいな。お前の方から会いたいと言ってくるのは」
「用事が無ければあっては駄目ですかね。親子なんです、顔を合わせるのは悪くないでしょう」
いつだったか、似たような事を言われたなあとか思いながら、メイルは淡々と告げる。
そして、返事も待たずに次の言葉を紡いだ。
「全て、知りました。兄様と姉様を殺したのは……、いえ。『死ぬように仕向けた』のは、父上ですね?」
「…………」
アーチは答えず、浮かべた笑みをそのままに居る。
「事情をお聞かせください、父上」
「何の事かな。たとえばだ。メイル。たとえば私が我が子を死に仕向けたとして、その理由はどこにある?」
「事情は解りませんが、理由は解ります。『僕』です」
当然のように紡がれた言葉に、アーチの表情からはすう、と笑みが消えた。
「父上は僕を皇帝にしたかった。……それが、恐らくこの帝国という国を糺すために必要な手段だと、父上はそう考えたからです」
ガントレーならば、帝国を今の続きにすることができるだろう。無難に続けることにかけて、彼の才能は確かだった。
ベルティンならば、帝国は少し強硬路線になるかもしれない。だが、きっと国を強くするだろう。
リングスが皇帝になることだけは避けなければならない。国が滅ぶ。
ならば、メイルはどうだ?
メイルはまだ幼かった。幼かったが、その根底にある才能は、根底にある資質は、兄弟の中でも明確に格が違った。
ガントレーがついにメイルの考えていることを理解できなかったのは、メイルが幼かったからでも子供だったからでも、ましてや普通の人間とは感性が異なったからでもない。
単なる格の違い――メイルの方が圧倒的に上だったのだ。
だからメイルはガントレーの考えていることをなんとなくで読みとってしまい、ガントレーはどんなに苦労してもメイルの考えが読めなかった。
メイル・ジ・ウォムスというその幼子の、別格というべきその素質、資質を、当然父親は気づいていたし。
だからこそ、何としてでもその最高の子供に、皇帝の座を継がせたかった。
そうしなければ。
帝国が、滅びてしまうから。
「私はこの国が限界に近付いていると考えている」
ようやく。
事情を語り始めたアーチは、皇帝として、そして父親として、メイルに言い聞かせるような口調だった。
「貴族は私腹を肥やし、商人は利益を追求している。残念ながら、建国当初の『理想』とはかけ離れた状況だ。政。商。産。それらの連携が、帝国の理想とされた。その連携により、民を助けよ。それが帝国の在り方であるべしと、最初の皇帝は言ったとされる」
「最初の皇帝……」
「そう。アタイア・ジ・ウォムス。私とお前の遠い祖先だ」
「…………」
「恐らくガントレーならば、ある程度はうまくやるだろう。次世代に次がせるところまでな。ベルティンは方向性を違えるだろうが、それでも国を強くは出来るだろう。だがそれらは、結局本筋から離れたまま……。この国を本来の形にするためには、もっともっと才覚に満ちた者でなければならんのだ。そして、それがお前だ、メイル。メイル・ジ・ウォムス。お前のその才覚こそが、この帝国を直すに相応しい」
そんな言葉にメイルは笑う。
嗤う――失笑する。
「才覚? 違いますね。全然違う。この国において、真に必要なのは才覚のある皇帝じゃない。覚悟のある皇帝です。貴族から嫌われ、商人から嫌われ、それでも国を成り立たせると言う覚悟を持った皇帝です。覚悟を持って、歴史の真実と向かい合った皇帝です。父上。あなたにはどちらも欠落している。父上は過去を知らない。父上には覚悟が無い。だから、覚悟が無いから、子供にやらせることにしたんでしょう」
右手の指を向けながら、メイルは尚も捲し立てるように続ける。
「最初の息子は駄目だった。自分に余りにも似すぎていたから。最初の娘も駄目だった。そもそも前提からして狂っていた。次の息子は駄目だった。強硬な路線に進む力はあれど、力を削ぐ事を知らなかったから。だから、最後の息子を見い出した。そして僕に押し付けた。帝国を本来あるべき姿にさせるという、その難解極まる問題をね。だから父上は、ナーメンロースに僕を入れたんでしょう? そこで僕が兄姉の弱みを握れるように。失脚させることが出来るように。そしてあわよくば、帝国の正しい姿についてもそこで調べさせようと、そう思ったんでしょう?」
「…………!」
「父上は、ナーメンロースを絶対だと考えている。父上は、歴史を知っていると思い込んでいる。じゃなきゃ、『最初の皇帝』を『アタイア・ジ・ウォムス』とは呼ばない」
「……それは、どういうことだ。国父、アタイア・ジ・ウォムス。歴史書は語っている」
「帝国の歴史書はそうですね。けれど、他国の歴史書には……違った事も書かれていましたよ」
最初の皇帝。
厳密な定義でいうならば、確かにアタイア・ジ・ウォムスで正しい。
正しいのだ。少なくとも嘘では無い。
嘘ではないが……しかし。
現実を知れば、もう一歩先がある。
「父上は他国の歴史書を読んだことがありますか? 第三国が、帝国についてを記録したものに、目を通したことはありますか? あったとして、その全てをきちんと読んだことはありますか? 無いでしょう。最初の皇帝をアタイアと呼んだ父上には、それが解らない」
「……どういうことだ」
「確かに帝国において最初に皇帝となったのはアタイア・ジ・ウォムスです。それは間違いない。ですが、帝国を作ったのはアタイアじゃない。その父であり、母であり、そしてその友です。最初の皇帝。厳密な定義ではアタイアでも、実質的にはその三人……『国王スカウフ・ウォムス』『大公アサイアール・ジ・モール』『元帥ナヴェンローゼ=フィンディエ』なのですよ」
最後の一人も、正確にはアンスタータ・フーミロですけど。
言い捨てるようなメイルに、怯えの見える声でアーチは問う。
「お前は何を言って……いや、お前は何を知っているんだ」
アーチには突然、メイルの心が見えなくなったような。
メイルの姿が見えなくなったような、そんな気がした。
格の違いを実感してしまったが故に。
むしろ、それまでアーチが見ていたメイルの姿というのも、アーチがかくあられしと願った姿に過ぎないのかもしれない。
「そのことを、あなたが知る必要はないわ、アーチ・ジ・ウォムス」
と。
女の声が響く――途端、メイルが、否、メイルの命令が来るよりも先に、その三人の護衛がメイルを取り囲むようにして守備を取る。
「ああ、ああ、ちょっとまって。警戒しないで良いわよ。私はあなたの、メイル・ジ・ウォムス、あなたの敵では無いわ。まあ、味方かと聞かれれば答えられないのだけれども」
「なら、姿を見せてもらいたいものだけれど」
「それもそうね」
すとん。
なんて音がして、その影は落ちてくる。
どうやら……メイルは、そしてクラクもティヴもムーニでさえもまるで気付けなかったが、天井の近くにずっと、居たらしい。
否。
今はそのような事はどうでも良い。
「はじめまして、メイル・ジ・ウォムス。私はシェルト・マリア。シェリーって呼んで頂戴」
少女は、艶めかしい笑みを浮かべてそう言った。
その背後でアーチは静かに、息を引き取っていた。
◇
小猫と出会った少年は、かくして少女と邂逅する。